2016年8月23日火曜日

「受容史研究の一次資料」としての「読者の書き込み」

昨日届いた岩波文庫版ジンメル『哲学の根本問題』(初版)に書き込みがあろうと保存状態がどうだろうと全く気にならないし、かえって興味がわくのは、哲学や神学に関して「日本における(翻訳を経た)それの受容史」という関心を私が常に強く抱いていることと関係があることに、今朝ふと気付かされた。

「受容史」は端的に面白い。組織神学において私が知っている先行例は、カール・バルトの神学が、たとえばオランダの教会に、あるいは南アフリカの教会に、日本の教会にどのような経緯で受容されたかを追っていくものである。改革派神学のアメリカ教会への受容の歴史を追ったものも、何冊か持っている。

「受容史」の研究には、思想の内容だけでなく、それを持ち運んだ形式である「本」の現物を見たり触ったりすることが不可欠だ。「こんなぼろっちい紙が使われていたのか」とか「こういう読みづらい活字や字体が使われていたのか」とか、読者がどういう反応をしてどういう書き込みをしたのかは興味大だ。

(左)勝田守一・玉井茂訳(1938年)、(右)生松敬三訳(1978年)