2016年8月1日月曜日

「手引きしてくれる人がなければ」は哲学も同じだ

『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』(春秋社、2015年)
先日落札した『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』が届いた。27年前(1989年)にトレルチで修士論文を書いたとき以来、日本語版の著書や研究書は極力集めてきたが、心躍る思いなどはない。どちらかというと気が重い。うっとうしいほど重苦しい。

マルクスはヘーゲルの一読者だったにすぎず、ヘーゲルはカントの一読者だったにすぎず、カントはヘーゲルの存在を知らないし、ヘーゲルはマルクスの存在を知らない。しかし、後の歴史家は「カントがドイツ観念論を確立した」と論じ、そのように高校の世界史教科書に記載される。なんとも複雑な心境だ。

今夜は高校の倫理の教科書(山川出版社)を即決で落札した。学校にあるし、うちにもたぶんどこかにあるが、自分のものが欲しかった。私は高校時代の倫理社会の授業で人生初めて哲学に興味を持った。今の高校生はどうだろう。「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」は哲学も同じだ。