2016年8月13日土曜日

「1Q87年」の回想

私も夏休みなので愛車でちょっと出かけてきます。と言いたいところですが空想のみ。中古車店の前を通るたびに、80年代後半の東京で私が乗っていたこのデザインの(エンジンはこれではない)赤のシルビアがないかと、いまだに目が探してしまいます。

1987年(21歳)当時の愛車だった赤のシルビアターボ(のミニカー)
卒論に悩む顔(1987年8月、21歳、北海道の摩周湖をバックに)
何年か前にブログで公開しましたが、今のプロフ画像と同じ1987年、21歳で書いた私の卒論がこれです(脚注は後日)。なのでプロフ画像は「卒論に悩む顔」です。


あれ、不覚にも今まで気付かなかった。1987年(大学4年、21歳)にティリッヒについて書いた卒論に「神律的相互関係」なんてことを私が書いているぞ。これ明らかにファン・ルーラーの概念だよ。何から引用したんだっけ。脚注を後回しにしているうちに手書きの原稿が引越し荷物に紛れてしまった。

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1987年10月1日木曜日

【パウル・ティリッヒにおける霊的現臨と主体性の問題(1987年)】

関口 康(東京神学大学4年)

序論

最近になって、パウル・ティリッヒの思想的発展は人間の主体性の宗教的再構築への関心によって動機づけられていた、ということが解明された。ティリッヒが再構築しようとした主体性とは、自立的主体を超え、それを、またその文化世界を神的な存在の根柢の上に再生させるような人間の主体性である。

そのことはティリッヒが現代における神律的文化の再建を目指して戦っている格闘の一側面にちがいない。ティリッヒは、われわれが継承してきた思想的伝統が唯名論的であることを問題視し、それが、世界観において、自然主義か超自然主義かといういずれにも満足しえない二者択一をせまるものであると考える。

自然主義か超自然主義かという二者択一は、彼にとって、啓示および自然的諸法則の侵害としての奇蹟についての超自然主義的観点への抵抗の道か、それとも自己充足的限定性としての自然主義的世界観への抵抗の道かという二者択一を意味し、両者ともティリッヒの神律概念にとって不適合である。トンプソンによると、ティリッヒの確信は「自然主義と超自然主義とのこの二分法は、唯名論的伝統固有のアンティノミーから生じるところの誤謬である」ということである。このアンティノミーを乗り越えることがティリッヒの神学的課題である。

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