2016年8月3日水曜日

「夢を見ることは時には孤独にもなるよ」と康さんが書いて康さんが口ずさむ

昼休み中、シュールだったので記念写真(除籍本です)
まあいいや。私に教師はいなかったんだった。昔からかわいくないもんな。多くの方にお世話になった。感謝の心を失ったことはない。その意味ではその全員が私の教師だ。でもどなたかの弟子にしていただいたことはない。強いて言えばファン・ルーラー先生だな笑。私が5歳のときに亡くなられた方だけど。

考えたことがなかったが、私が幼稚園年長組だった6歳になったばかりのクリスマス礼拝で成人洗礼を受けた1971年12月26日(日)は、ファン・ルーラー先生がまだ若い62歳で突然の心臓発作で亡くなった1970年12月15日(火)のほぼ1年後だったようだ。無理やり関連づけてみただけだが。

私は自分には教師はいないと思っているし、どなたかの弟子にしていただいたことは一度もないと思っているので、私も教会や学校に自分の弟子がいると考えたことは一度もないし、今後も考えることはありえない。みんな私を友達だと思っている。いいよそれで。そのほうがお互い気楽。弟子とかキモいし笑。

とにかく夢中の数ヶ月の中で知らずにいた歌謡曲を、このところ毎日聴いている。「夢を見ることは時には孤独にもなるよ 誰もいない道を進むんだ」と康さんが書いたらしい歌詞を、康さんが口ずさむ。無理やり関連づけてみただけだが。

あらあら、もうこんな時間か。そろそろ休むとしよう、明日も勤務だ。