2012年12月31日月曜日

日記「関口康が選ぶ(笑)今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012第1位の発表です!」


「関口康が選ぶ(笑)

今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012」

第1位の発表です!

(ドラムロール....ドロロロロロロ、じゃん)

ぱっぱらぱっぱぱー

文句なし!

佐藤優著『同志社大学神学部』(光文社、1600円)



「みなさん、ごめんなさい!!」と、なぜか謝らなくてはならない気分なのですが、いや、もう、圧倒的なリードでした。

佐藤氏の筆力もさることながら、同志社大学神学部が面白い。

ネタにするのは申し訳ないというかマズイ気がしてならないのですが、爆笑できますね、これは。

いやー面白かった。

卒業生たちは近親憎悪のような感情を持っておられる可能性があるので部外者のぼくの言うことなどは話半分に聞いていただけるくらいでいいと思うのですが、ぼくの「理想」を見た思いでした。

こういう神学部に行きたかったなあ、ぼくの人生は全く違うものになっていたに違いない(良い意味で)と、わりと真剣に思いました。

とくに、ぼくが魅了されたのは、本書に登場する緒方純雄先生の存在です。

面識はありませんが、いやなんか素敵な方だなと思いました。こういう先生、大好きです。

以上、第1位の発表でした!

なお、お断りしておきますが、この本を第1位にしたのは、ユーモアではありません。出版物としての完成度の高さを評価しました。

これくらい「日本語として読みうる本」であることを、他のすべての本に望みます。

2012年12月30日日曜日

教会につながっていれば、また会えます(録画説教)

日本基督教団置戸教会(北海道常呂郡)での録画説教
テサロニケの信徒への手紙一3・6~10

「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えてくれていること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に願っています。」

置戸教会の礼拝で説教させていただくのは、今日が初めてです。初めての方々とお会いするときは、自己紹介から始めるべきかもしれません。しかし、いまお話ししているのは礼拝の説教です。聖書のみことばを後回しにすることはできません。自己紹介は後回しにし、聖書の話を先にします。

しかし、少しだけ自己紹介をさせていただきます。松戸小金原教会は、東京との県境にある千葉県松戸市にあります。インターネットで、松戸小金原教会から置戸教会までの距離を調べてみました。直線距離ではなく、自動車を使うとどれくらいかを調べました。

東北自動車道を使うと1369キロあることが分かりました。ざっと1400キロです。時間は約19時間26分かかるようです。概算で20時間です。ただし、ノンストップの場合です。一人の運転手にはたぶん不可能です。二人か三人の運転手がいれば交代できますので、なんとかなるかもしれません。

飛行機を使えば、だいぶ違います。松戸小金原教会から羽田空港までが1時間、羽田空港から釧路空港まで1時間半くらいでしょうか、2時間かかるでしょうか。釧路空港から置戸教会までが自動車で3時間半とのこと。全部で6時間くらいです。ただし、飛行機はやはりかなりお金がかかります。.

これで申し上げたいことは、私と皆さんとのあいだの物理的な距離は非常に遠いということです。しかし、その距離を飛び越えて、私はいま置戸教会の礼拝説教をさせていただいています。これは、やはり驚くべきことであり、おそるべきことです。神がすべてを導いてくださり、わたしたちのこのような関係を作り出してくださったことへの畏れを覚えます。

しかし、なぜこの私が置戸教会の礼拝で説教しているのでしょうか。この点についてはやはり丁寧に説明しなくてはなりません。しかし、その話は後回しにします。

今日開いていただきました聖書の個所は、テサロニケの信徒への手紙一3・6~10です。テサロニケの信徒への手紙は、使徒パウロがギリシアの町テサロニケにある教会の人々に宛てて書いた手紙です。

この手紙を書いたパウロは、テサロニケ教会の設立にかかわった人です。しかし、テサロニケ教会の設立後、パウロはこの地を離れ、別の地で新しい教会の設立に当たりました。そのため、この手紙を書いている時点では、パウロはテサロニケとは別の場所にいます。パウロは、この教会からは遠い地からこの手紙を書いていることになります。

たいへん申し訳ないことですが、置戸教会の歴史については、ほとんど何も存じません。しかし、これも少しインターネットで調べさせていただきましたら、42歳で亡くなられた野口重光先生が置戸教会の初代牧師であると書いてあるページが見つかりました。もしこの情報が正しいなら、野口先生と置戸教会の関係が、パウロとテサロニケ教会の関係であるというふうに、たとえることができます。

野口先生はすでに天に召されています。しかし、パウロは生きていました。テサロニケの信徒への手紙一は、新約聖書の中におさめられたパウロが書いた手紙の中で最も古いものであると言われています。つまり、パウロが最も若かったころに書かれたものです。体力的にも精神的にも元気でした。

そのパウロとしては、できればもう一度、テサロニケの地に訪れて教会のみんなに会いたい、教会のみんなを励ましたいと願っていました。どんなに苦しくても、厳しい状況の中でも、信仰を捨てないでほしい、教会につながっていてほしい、そのために教会を励ましたいと願っていました。

しかしパウロは、テサロニケ教会の人々にもう一度会いたいとどんなに願っても、なかなか行くことができません。今のように飛行機はありませんし、新幹線もないし、電車もないし、自動車も高速道路もありません。インターネットもDVDもありませんし。電話も携帯もない。唯一の連絡手段は手紙でした。海の上は船に乗りました。しかし、ほとんどは歩いて行くしかありませんでした。

パウロにとって教会とは、自分がどのような目に会おうとも、なんとかして励ましたい存在でした。パウロは、自分が苦労して設立した教会だからテサロニケ教会のことを大事に思っていたというのとは違います。教会の存在をまるで自分の手柄のようなものとして考えて、自分のした仕事の結果が失われるのを見るのがつらい、というような感覚とは違います。彼はそのようなことを考える人ではありません。

もっと人格的なつながりです。最も単純な言葉を使えば「愛」です。パウロはテサロニケ教会が単純に好きだったのです。好きに理由はない。まるで歌謡曲の歌詞のような話です。理屈では説明できない愛情をテサロニケ教会の人々に対して持っていた。感覚的にいえば、そういうことです。

しかし、パウロとテサロニケ教会とのあいだの距離が遠すぎて、ちょくちょく足しげく通い、その教会の人々と仲良くすることはできません。遠くのほうから、大丈夫かなあ、どうしているかなあと、心配するしかありません。しかし、パウロは我慢できなくなりました。なにがなんでも、テサロニケまで行きたくなりました。

ただし、自分自身が行くという願いは叶わないことが分かりましたので、自分の代わりに後輩のテモテに行ってもらうことになりました。テモテが帰って来て伝えてくれたことは、テサロニケ教会の人々は以前と変わらず熱心な信仰を持ち、しかも、パウロに対する愛と尊敬を持ち続けているということでした。それでパウロはうれしくなってこの手紙を書いたのです。

そのことが今日の個所に書かれています。そして、今日の個所の中で皆さんにとくに注目していただきいのは、7節と8節のみことばです。「それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」

これは新共同訳聖書(1988年)の訳です。一昔前の口語訳聖書(1954年)では「あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである」と訳されていました。さらに昔の文語の改訳聖書(1917年)では「汝等もし主に在りて堅く立たば我らは生くるなり」と訳されていました。どれも分かるような、分からないような訳です。

新改訳聖書(1970年)は「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります」となっています。かなり分かりやすい訳です。しかし、意味が特定されすぎていて、かえって疑わしい。ここでパウロは「生きがい」の話をしているのでしょうか。私には疑問です。

なぜなら、「生きがい」と言いますと、言葉のニュアンスとしては、ああ生きていてよかったという気持ちを持てる、というふうな意味です。パウロ側の気持ちや感覚の次元に事柄が還元されてしまいます。しかし、パウロがテサロニケ教会の人々に伝えようとしているのは、そういうことではないと思うのです。

パウロの生きがいの話など全くしていません。はっきりいえば、パウロの生きがいなんかどうだっていいことです。「生きがいがほしくて伝道している」というような牧師など要らないです。そういうのは人間的な野心の自己実現です。神の御心を行うという態度とは違うものです。

パウロがしているのは、自分の側の生きがいの話ではない。そうではなくて、彼が言いたいことは、むしろ、テサロニケ教会の側に関することです。それを言葉で表現するのは難しいことです。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言える」と書かれているのですが、考えるべき問題は、わたしたちは、今、「どこに」生きているかです。「どこに」をパウロは書いていません。しかし、考えられることは、「テサロニケ教会に」です。

パウロの気持ちとしては、もしあなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちはテサロニケ教会にいる、あなたがたの教会の中に、今、わたしたちが、わたしが生きていると言える。一緒に礼拝をささげている。あなたがたの中に、あなたがたの側に、このわたしが生きている。

こういうことをパウロは書いているのだと思うのです。なんだか遠くから、きみたちが信仰を捨てないでいてくれることがわたしの生きがいであるというような言い方は、踏ん反り返った感じです。

パウロがしているのは「伝道者の生きがい」の話ではありません。むしろ、テサロニケ教会の存立の問題です。もっと大胆な言い方をすれば、いわば復活なのです。あなたがたが信仰をもってしっかり立っているなら、パウロがテサロニケ教会に復活したのと同じだ、このわたしがよみがえったのと同じだ、と言っているのです。

このあたりで、そろそろ私の話をさせていただきます。今日このような形の礼拝が実現しましたのは、百瀬考幸さんのおかげです。その事情をご説明させていただきます。

ことの始まりは25年前にさかのぼります。1987年7月のことです。

当時私は東京神学大学の学生でした。1987年7月の一か月間、夏期伝道実習として春採教会で奉仕させていただきました。私が北海道に行ったのは、そのときだけです。

そのとき道東地区の高校生修養会に参加し、当時高校生の百瀬考幸さんと初めてお会いしました。その修養会で私は聖書のお話をさせていただきました。

前列左から秋保牧師、田村牧師、高田牧師、後列に関口(左から2人目)と百瀬さん(右から2人目)

その中で私は確かにこう言いました。なぜか、そのことだけは25年間忘れることができませんでした。

「私はこれから東京に帰りますが、教会につながっていれば、また会えます。いつかまた必ず会いましょう」。

今日の説教のタイトルは、私自身が25年前に確かに言った言葉です。

しかし、そのあとは24年間ほど百瀬さんとも道東地区の高校生たちとも全くお会いすることができませんでした。しかし、なんとついにお会いできました。フェイスブックです。

昨年の東日本大震災からまもなくの頃、全国の牧師や信徒がインターネットを使って連絡を取り合う活動が活発になってきたころ、百瀬さんがフェイスブックで私の名前を見つけてくださり、「もしかして、あのときの関口先生ですか」と連絡してくださいました。ものすごくびっくりしましたが、とてもうれしかったです。

フェイスブック、ありがとう。百瀬さん、ありがとう。

そして、神さま、ありがとうございます。置戸教会の皆さま、本当にありがとうございます。

本音を言えば、今すぐにでも、皆さんのところに飛んで行きたいです。しかし、それは叶いません。

松戸の地から、みなさんのためにお祈りさせていただきます。

(2012年12月30日、日本基督教団置戸教会主日礼拝、録画説教)

「アーメン」という言葉は何を意味していますか


テモテへの手紙二2・11~13

「次の言葉は真実です。『わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。』」

今日は2012年最後の礼拝です。今年一年間も、神の御手に守られて過ごすことができましたことを感謝しています。

さて、今日の説教のタイトルは、先ほどみんなで交読しましたハイデルベルク信仰問答の第52主日の問129の言葉をそのまま引用したものです。「『アーメン』という言葉は、何を意味していますか」。

ですから、今日の説教の結論は決まっています。ハイデルベルク信仰問答の問129の答えそのものです。それは次のとおりです。

「『アーメン』とは、それが真実であり確実である、ということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」(吉田隆訳、新教出版社)。

これが今日の説教の結論です。これ以上に付け加えることはほとんどありません。私にできることがあるとしたら、ハイデルベルク信仰問答がこの問いの答えとして書いていることの意味をいくらか噛み砕いて説明することくらいです。

「アーメン」という言葉は、旧約聖書の時代から使われているヘブライ語が歴史的にいちばん古いと言われています。そして、この言葉の意味は、ハイデルベルク信仰問答がまさに書いているとおり、「真実である」とか「確実である」ということです。

また、他の人の意見に同意や賛成の意を表わすときに言う「そのとおり」という意味でもあります。願いや祈りの意味の「そうでありますように」という意味にもなります。ですから、いちばん短く言えば「アーメン」は「そうだ」という意味です。

そのような意味の言葉をわたしたちキリスト者は、すべての祈りの最後や、賛美歌の最後、そして日常会話の中でさえ繰り返し用いています。つまり、わたしたちは、ほとんど毎日のように「そうだ、そうだ」と言っているのです。

とにかくこれだけははっきり言えることは、「アーメン」とは、なにかを肯定する言葉であるということです。否定ではありません。他人の語る言葉のすべてをいちいち「そうではない、そうではない」と否定していくタイプの人が時々いますが、ちょうど正反対です。

「アーメン」は「そうではない」の正反対です。「そうだ」です。他人が語る言葉に同意することであり、賛成することです。否定することではなく、肯定することです。

しかも、祈りや賛美歌の場合を考えてみると、それは必ずだれか人間の祈りであり、だれか人間の賛美です。日曜日の礼拝の中で祈りをささげるのは司式の長老や牧師ですが、水曜日の祈祷会などでは、それぞれが個人的な願いごとをお祈りします。

その最後にみんなで「アーメン」と唱えることは、祈りそのものや賛美そのものへの肯定でもあるのですが、同時に、その祈りをささげた人やその賛美を歌った人への肯定でもあると考えることもできるでしょう。

その人の語る言葉を肯定するだけではなく、その言葉を語る人自身の存在そのものを肯定すること、受け容れることも、その「アーメン」の中に含まれているはずです。

言い方は明らかにおかしいわけですが、「あなたの祈りの内容は肯定しますが、あなたの存在は肯定できません」というような奇妙な使い分けを、わたしたちはしません。

「あなたのことは嫌いだけど、あなたの祈りにはアーメンと言ってあげます」というようなことは、教会の中では言ってはならないことです。

わたしがあなたの祈りに「アーメン」と言うときは、同時にあなた自身の存在に「アーメン」と言っているのです。わたしたちは、そのような意味でも「アーメン」と言うのです。

しかし、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えに書かれていることは、私がいま申し上げたことだけでは終わらない内容をもっています。

今まで申し上げてきたことも重要ですが、答えの後半部分に書かれていることが、ある意味でもっと重要です。「なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」と記されています。

ここに書かれていることをよく読みますと、その主旨は、先ほど申し上げたような、わたしたちのうちの誰かがささげた祈りそのものへの肯定であるとか、その祈りをささげている人への肯定であるというよりも、むしろ、わたしたちがささげる祈りを聞いてくださる神御自身への肯定であるということが分かってきます。

「わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれている」というのは、言い方を換えれば、わたしが心の中で感じていることは不確実である、ということです。そのような不確実なことよりも、わたしの祈りを聞いてくださっている神という方は確実な方であるということです。

確実な方というのは日本語としては適切ではないかもしれません。信頼できる方とか、安心できる方というほうがよいかもしれません。

なるほど、たしかにわたしたちの祈りは不確実なものです。祈っても聞かれないと感じることは、たくさんあります。あなたの信仰が足りないからだ、あなたの努力が足りないからだと言われると、わたしたちは言葉を失います。そのとおりであると認めざるをえませんが、それ以上どうすることもできないところまで追いつめられてしまいます。

信仰が足りない、努力が足りないと言われて「そんなことはありません」と反論できる人は教会にはいません。そもそも教会には、信仰においても努力においてもすっかり破れてしまった人たちが、神の助けを求めて集まってきているからです。

もしわたしたちが、自分の力で自分の生きるべき道のすべてを切り開いていけるなら、わたしたちは神に祈る必要はありません。祈りとは、自分の信仰や努力が不確実であることを実感し、かつ痛感しているからこそ、わたしたちの心の叫びのように湧き出してくるものなのです。

しかし、わたしたち自身は不確実でも、確実なものがあることをわたしたちは知っています。それは神さまです。世界のすべてが不確実であり、不安定であっても、神さまは確実であり、この世界を根底から支えてくださっています。その信頼と安心のうちに、わたしたちは神に祈りをささげることができ、「アーメン」と唱えることができるのです。

今日開いていただいたのは、テモテへの手紙二2・11以下のみことばです。なぜこの個所を選んだのかといいますと、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えの最後に「引証聖句」と呼ばれる聖書の御言葉が三か所指示されている中の一つが、テモテへの手紙二2・13だからです。

この個所が「引証聖句」であるということの意味は、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えは、この聖書の御言葉を根拠にして書かれているということです。それは次の御言葉です。

「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである」(テモテへの手紙二2・13)。

今日わたしたちが考えているのは「アーメン」という言葉の意味です。それは真実であり、確実であるという意味であると、すでにご説明しました。しかし、問題は何が真実であり確実なのかです。

その最も正しい答えとして考えられることは、ハイデルベルク信仰問答が指示しているこの御言葉に書かれていること、すなわち、「キリストは常に真実であられる」ということであり、さらにその根拠は「キリストは御自身を否むことができないからである」ということだ、ということです。

「キリストは御自身を否むことができない」とは言われていることは、非常に興味深いことです。どこが興味深いのかといえば、キリストにもできないことがあると言われているからです。全知全能の神の御子なるキリストにもできないことがあるのです。なんでもできる方(全能者)にもできないことがあるというのは論理的に矛盾しています。しかし、そのように聖書ははっきり書いています。

イエス・キリストにも、できないことがある。それは、御自身を否定することです。それができない。キリストは御自身の何を否定できないのかと言いますと、「御自身が常に真実であられること」を否定できないのです。

神の御子イエス・キリストは、神の御心を行うためにこの世界へと派遣された方です。キリストは父なる神の御心に忠実な方です。神の御心に対する忠誠心をもって、この世界において神のみわざを遂行するために来られた、と言ってもいいでしょう。

その御自身に託された使命をイエス・キリストは否定することができないのです。父なる神との約束を裏切ることができないのです。十字架の死に至るまで神の御心に従順であられたし、世の終わりまでその従順さは変わらない、そういうお方なのです。

そのような父なる神に対するイエス・キリストの忠実さ、誠実さに対する肯定や信頼をわたしたちは「アーメン」という言葉で言い表すのです。「わたしたちは誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」からです。

実際、わたしたちは誠実ではありません。裏表があります。あっちで言っていることと、こっちで言っていることが食い違っていたりします。嘘もつきます。でたらめなことも言います。

言葉だけではなく、おこないで人を裏切ります。人の信頼を失うような失敗や過失や罪をおかします。ほとんど毎日、そのようなことの繰り返しです。

叩けばほこりが出ます。掘り返せばぼろが出ます。私はそうではないと否定できる人は誰もいません。完璧な人はいません。罪の無い人は一人もいません。裁き合うのは簡単です。

しかし、イエス・キリストだけは常に真実な方です。そうであることをわたしたちは信じています。信じているからこそ、祈ることができるのです。「アーメン」と唱えることができるのです。

来年一年間の教会の歩みが守られるように、お祈りしましょう。

(2012年12月30日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月25日火曜日

関口康が選ぶ(笑)今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012 選考作業中!





ぼく的には珍しく、外国語の本を全く買わない一年を過ごしました。

2012年に出版されたもので、ぼくが入手した日本語の本は18冊でした(写真)。

月刊・週刊誌は除外しました。

ちなみに、この18冊のうちの8冊は、各書の著訳者や友人からプレゼントしていただいたものです。この場をお借りして、心から感謝いたします。

口幅ったい言い方ですが、今年はかなり豊作だったと思っています。

心躍らせながら読ませていただきました。著訳者の皆さま、ありがとうございました。

「2012年は出版界のV字回復が始まった年だった」と後代の歴史家が記すかもしれません。

「第1位」の発表は12月31日(月)です。

お楽しみに。

(炎上しそうだ...)

2012年12月24日月曜日

信仰・希望・愛、そして喜び


テサロニケの信徒への手紙一1・2~10

「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」

わたしたちがいま行っているのはクリスマスイヴ礼拝です。昨日はクリスマス礼拝を行いましたので、教会員の方々にとっては二日間続いています。そろそろ疲れがたまっている頃でしょう。

しかし、「クリスマスおつかれさまです」と言うのは、いくらなんでもおかしいです。「クリスマスおめでとうございます」と言いたいところです。しかし年末でもあります。クリスマスはいつも年末です。今年一年間もいろいろありました。つらい一年間でした。いろんな意味で疲れている今日この頃のわたしたちです。

いまお読みしました聖書のみことばは、約二千年前の教会で活躍した使徒パウロが、テサロニケという町の教会の人たちに宛てて書いた手紙の冒頭部分です。その教会は、かつてパウロがその設立にかかわったところです。しかし、その後パウロは別の地に移動して、そこでまた新しい教会をつくる働きを始めましたので、この手紙を書いている時点では、パウロはテサロニケとは別の地にいます。

しかし、パウロはテサロニケ教会に属する人々のことを、心から愛していました。体は離れていても、心は一つに結びあっていると感じていました。それでパウロは、テサロニケ教会に対する自分の愛と思いを伝えるために、この手紙を書きました。

「わたしたち」(2節)と複数形で書かれているのは、この教会の設立にかかわった伝道者はパウロだけではなく、パウロに協力した何人かの伝道者がいたからです。しかし、その伝道者たちの中心にいたのはパウロでした。その意味では「わたしたち」と書いてはいますが、「私」と書いてもよかったくらいです。他ならぬパウロ自身の思いを伝えているからです。「私が」「あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」と言っても同じです。

私はあなたがたのことを忘れたことはありません。いつも覚えて祈っています。いまは目で見ることができないほど離れた場所にいる。まして、別の教会の人たちの牧師である。わたしたちのことはもう忘れたのではないか。あれほど親しい関係だったのに、もう無関係になってしまったのであれば、こんなに寂しいことはない。そんなふうにあなたがたは思っているかもしれない。しかし、私の思いは決してそのようなものではない。あなたがたのことを心から愛しています。そのことをパウロは、何とかして伝えようとしています。

その続きに「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(3節)と書かれています。

興味深いことは、ここに「信仰、愛、希望」という三つの言葉がセットになって出てくることです。この三つの言葉のセットは、パウロが書いた別の手紙であるコリントの信徒への手紙一13・13に出てきます。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。しかし、その中で最も大いなるものは、愛である」。

コリントの信徒への手紙一とテサロニケの信徒への手紙一とでは、「信仰、希望、愛」と「信仰、愛、希望」と、順序が違います。しかし、順序の問題はあまり重要ではないと思います。そのことよりも重要なことは、両者に共通していることがあるということです。どちらも、教会のことを語る文脈にこの三つの言葉が出てくることです。

教会が立つか倒れるかという危機にあるときに、倒れないように教会を支えるものは何なのか。教会が拠りどころにするものは何なのか。最終的にこの三つが残る。それは信仰と希望と愛である。その三つの中の最も偉大なものを一つ選ぶとしたら、愛である。そのようにパウロはコリントの信徒への手紙一13・13に書いています。そして、この三つの言葉がセットになっている表現が、いま見ていただいているテサロニケの信徒への手紙一にも出てくるのです。

ここでほんの少しだけややこしい話をさせていただきますと、テサロニケの信徒への手紙一は新約聖書の中に残されているパウロの手紙の中で最も古いものであると言われています。他方、コリントの信徒への手紙は、逆にパウロが晩年になって書いたものであると言われています。

このことから考えられることは、パウロはこの三つ、信仰・希望・愛こそが教会を支える力である。そして、その中で最も大いなるものは「愛」であるということを、伝道者人生の最初から最後まで、どの教会で働いているときも、繰り返し言い続けていたのではないか、ということです。

しかも、ここで言われている「愛」とは「神の愛」です。神の愛とは、神が独り子であるイエス・キリストを世に遣わしてくださったほどに、世を愛された、その愛であると、ヨハネによる福音書3・16に書かれています。それはクリスマスの出来事です。イエス・キリストがお生まれになったことは、神がこの世界とわたしたち人間を心から愛してくださっていることの証しなのです。

しかし、私はここで今夜の話を終わってよいとは思っていません。もう一歩先に進む必要があると思っています。先ほど読んでいただきました御言葉の中に「あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(6節)と書かれています。ここに「喜び」が語られています。このことが重要です。

なぜ「喜び」が重要なのでしょうか。わたしたちの体験に照らしていえば、「信仰」と「希望」と「愛」だけでは苦しい場合があるからです。苦しい信仰と、苦しい希望と、苦しい愛があるからです。

たとえば、家族が同じ信仰を持ってくれない、自分一人だけが神を信じ、教会に通っているようなときは、苦しい信仰になる場合があります。いろんなケースがありますので、一概には言えませんが。

また、希望についても、実際に目に見える、手でつかむことができる根拠がある場合はともかく、何一つ根拠がないことをただ望んでいるだけであれば、それは苦しい希望です。

そして、苦しい愛があるということは、多くの人が知っていることです。愛は多くの場合、苦しいものです。そのことをわたしたちはよく知っています。

しかし、だからこそ、わたしたちの信仰と希望と愛は、喜びをもって受け容れられる必要があるのです。ベツレヘムの羊飼いたちに主の天使たちが教えてくれたイエス・キリストのご降誕の知らせは「喜びのしらせ」でした。イエス・キリストをお与えになるほどにこの世を愛してくださった神の愛は、喜びに満ちているのです。

わたしたちの信仰は喜びに満ちた信仰です。わたしたちの希望は喜びに満ちた希望です。そして、わたしたちの愛は喜びに満ちた愛です。もしわたしたちの現実がそうなっていないときは、そのようなものを目指す必要があります。教会はそれを目指して歩んでいます。

クリスマスイヴだけではなく、毎週日曜日に、教会では礼拝がささげられています。一回、二回ではキリスト教は分からないと思われるかもしれません。「教会に一年くらい通いましたが全く分かりませんでした」とおっしゃる方もなかにはおられるかもしれません。そういう場合はぜひ質問に来てください。

ただし、メールだけではちょっと困ります。せめて顔を見せてください。どのような顔で、そのことをおっしゃっているのかが分かるようにしてください。そうしていただけるならば、どのような質問にもできるだけお答えいたします。

そして、わたしたち松戸小金原教会の礼拝に来てくださる場合は、牧師の説教を聞きに来るだけで終わりにしないでください。二千年前のテサロニケ教会の人々が信仰・希望・愛、そして喜びに満たされている姿が、マケドニア州とアカイア州のすべての教会にとっての模範であったように、わたしたちの喜んでいる姿をぜひ見てください。

(2012年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)

2012年12月23日日曜日

信仰は愛する人の名誉を守る



2012年 松戸小金原教会クリスマス礼拝説教

マタイによる福音書1・18~25

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」

みなさん、クリスマスおめでとうございます。今日はクリスマス礼拝です。わたしたちの救い主、イエス・キリストのご降誕を喜び、お祝いする礼拝です。

今日はイエスさまがお生まれになる前、母マリアの胎にイエスさまが宿られたときのことについて書かれている聖書の個所を開いていただきました。この個所は、だいたい毎年開いて学んでいます。しかし、この個所には、お読みいただけばすぐにお分かりいただけるとおり、非常に驚くべき、また非常に恐るべきでもある、不思議なことが書かれています。

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(18節)と書かれています。これで分かることは、マリアの婚約者ヨセフはイエス・キリストの父親ではない、ということです。イエス・キリストには、血のつながった父親はいません。「聖霊によって」お生まれになったのです。

ここに書かれていることについて、私自身もいろんな人から繰り返し言われてきたことは、「申し訳ありませんが、このようなことは、私にはとても信じることができそうにありません」という率直な言葉です。しかし、このことをわたしたちは信じています。私も信じています。

いま開いていただいているマタイによる福音書を含む新約聖書の諸文書が書かれたのは約二千年前です。みなさんにはぜひ信頼していただきたいのですが、キリスト教の教会は嘘をつくことが大嫌いです。嘘をつくのが嫌いだし、苦手です。ですから、もしもこの個所に書かれていることは嘘であるということがはっきりと分かったときは、教会はこの個所を聖書の中から削除することができます。そうする権利が教会にはあるのです。

事情をご存じない方もおられると思いますので説明しておきます。二千年前の教会には今のわたしたちが手にしている新約聖書に収められている全部で二十七の文書だけではなく、もっとたくさんの文書がありました。しかし、教会はもっと多くの文書の中から二十七文書だけを選んで、新約聖書としてまとめたのです。決めるときには、もちろん教会会議を開きました。このことは、聖書と教会の歴史を知っている人であれば、誰でも知っている常識です。

ですから、もし聖書の中に間違ったことが書かれているということがだれの目にも明らかになった場合には、教会はもう一度会議を開いて、間違ったことが書かれている文書を聖書の中から取り除くことができます。あるいは、一つの文書から間違っている個所だけを取り除くこともできます。そのようなルールを、キリスト教のすべての教会が共有しています。

しかし、二千年の教会はマタイによる福音書を新約聖書の中から取り除くことはしませんでした。今日の個所だけを聖書の中から取り除いたこともありません。少なくとも正式な教会会議を開いて、そのようなことが決められたことは、いまだかつて一度もありません。これで分かることは、すべてのキリスト教会は、二千年の間、ここに書かれていることは事実であると信じ、公に告白してきたのだということです。

私自身も信じています。何を私は信じているのでしょうか。イエスさまには血のつながった父親はいない、ということを信じています。言い方を換えれば、マリアは婚約者ヨセフを裏切ったわけではない、ということを信じています。マリアは嘘つきではありませんでした。「あなたの子どもは聖霊によって宿った」という天使の言葉どおりのことがマリアの身に起こったので、そのことをマリア自身が信じて、イエスさまを産む決心をしたのです。そのマリアの証言には嘘がないということを、私は信じているのです。

マリアは嘘つきではありませんでした。そのことをわたしたちが信じるという場合と、わたしたちが「神を信じる」という場合とでは、「信じる」の意味が違ってくると言わなければならないかもしれません。わたしたちは「神を信じること」を「信仰」と呼びます。しかし、わたしたちは「マリアを信仰する」わけではありません。「神」は信仰の対象ですが、人間は信仰の対象ではありません。人間であるマリアについては「マリアを信頼する」という意味でなくてはならないでしょう。

しかし、その区別についてはともかく、わたしたちにとっても「マリアを信じること」は重要なことではあるのです。マリアは嘘つきではありません。マリアはヨセフを裏切ったわけではありません。マリアの子どもは「聖霊によって」宿った神の御子なのです。そのことを教会は、二千年間、信じてきました。少なくとも公の教会会議を開いて否定したことは、いまだかつて一度もありません。

しかし、このようなことをあまり強く言いすぎますと、非常に大きな反発が返ってくることがあります。「そこまで言うのであれば、キリスト教の教会さんは、二千年も嘘をつき続けてきたことになりますね」というような反発です。こういう言葉を私に対して面と向かって言った人はまだいません。これから言われるかもしれませんが、それは分かりません。

しかし、わたしたちは、たとえどのようなことを言われようとも、このことについては譲ることができません。わたしたちはマリアが嘘つきでなかったことを信じます。マリアの身の潔白と、彼女の名誉を守ることを放棄することはできません。

ここで急に、生々しい現実の問題に、みなさんの心を引き戻してしまうことをお許しください。

わたしたちにとって夫婦の間にせよ、親子の間にせよ、友人関係にせよ、恋人同士にせよ、お互いを信頼し合い、「名誉」を守り合うことは非常に重要なことです。その点が崩れ、壊れてしまうときは、わたしたちは、もう生きていけないと思うほどの絶望を味わうものです。

実を言いますと、今日の個所に出てくる主人公であるヨセフは、とにかく一度は、いま申し上げた意味での絶望を味わったのだと思います。ヨセフの前に差し出された事実は、どういう事情であれ、マリアの胎に宿った子どもは自分の子どもではないということだったからです。マリアと自分は婚約していたにもかかわらず。

それで、ヨセフは「正しい人であった」ので、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと」(19節)しました。ヨセフはマリアが「聖霊によって」身ごもったから、縁を切ろうとしたわけではありません。マリアのことを信頼できなくなったから、縁を切ろうとしたのです。

しかし、そこに天使が現れました。天使の話は、先週も、先々週もしました。私自身は天使の姿を見たことがないので、どのようなお話をすればよいかはいつも迷います。しかし、天使は聖書の中では非常に重要な役割を果たす決定的な存在なのです。その重要さは、天使が登場しないかぎり聖書の教えのすべてが成り立たなくなるのではないかと思うくらいです。

絶望の淵に立っていたヨセフの夢の中に、天使が現れて告げました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)。

この天使のお告げをヨセフは信じたのです。天使のお告げを信じることは、天使が告げる神の言葉を信じることと同じですので、それは神を信じることと同じです。しかし、ヨセフの場合はそれだけでは終わりません。彼は「神を信じた」のと同時に、「マリアを信じた」のです。この点が重要です。ヨセフの立場からすれば、マリアを信じることなしに、マリアを妻として迎え入れることは、ありえないことでした。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちにとって「神を信じる」とは、そのようなことだということです。わたしたちの信仰は、神は信じるけれども人間は信じないというような話ではないのです。神は愛するけれども人間は愛さないという話でもありません。もちろんヨセフは神の後押しなしには、マリアを信頼することはできなかったかもしれません。ヨセフとマリアのあいだに神が割って入ってくださり、二人のあいだを取り持ってくださったからこそ、信頼関係を取り戻すことができました。

しかし、もしそうであるならば、わたしたちもみな同じです。教会、あるいは別の場所でキリスト教式の結婚式をなさった方々は覚えておられるはずです。結婚式の司式者である牧師が宣言するのは「神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイ19・6)という言葉です。神が合わせてくださったのです。そのことを信じ、互いに約束をかわすのが結婚です。家庭と家族は、そのようにして生まれ、築かれていくのです。

言い方は乱暴かもしれませんが、イエスさまにとっては父親がだれで、母親がだれであるかということは、実はあまり関係ないことでした。子どもは親の所有物ではありません。親の思いどおりにもなりません。子どもは親が作るものではない。親は子どもの創造者ではない。親にとって子どもは神から与えられ、あずかり、守り、育てることができるだけです。こういう子どもを産みたいと願ったところで、親の願いどおりの子どもになるわけではありません。そして子どもは親なしにも育ちます。そのうち手から離れて行きます。神からあずかった存在を、神にお返しするときが来ます。

イエス・キリストが「聖霊によって」お生まれになったという教えはもちろん驚くべきことであり、恐るべきことであり、不思議なことではあります。しかし、全く信じることができないと言わなくてはならないようなことではないと思うのです。わたしたち自身も、わたしたちの子どもたちも、神の力によって命を与えられ、今まで過ごしてくることができたという点では、同じだからです。

クリスマス礼拝は、救い主イエス・キリストの命を、わたしたちを救うためにわたしたちに与えてくださった神を喜び、礼拝する日です。今日の一日を神の祝福と平安のうちに過ごすことができますように祈りましょう。

(2012年12月23日、松戸小金原教会クリスマス礼拝)

2012年12月20日木曜日

もし入党するなら「キリスト教民主党」だなと思っているぼくです

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ...

(聴診器)「なんて言ったらいいのか、いばって言うわけでもなければ投げやりでもないんですが、ぼくが属している日本キリスト改革派教会のことを書きたいのですが、これはネットの話というよりもどちらかといえばリアルの話なのですが、ぼくの所属している教派名を口にするだけで改革派とは傲慢だ、おまえら何を改革したいんじゃヴォケ(ママ)とか、上から目線だとか怒りだす人がいたり。改革派の中にもいろいろあるけど、その中のお前らはどれだとかマニアックに聞いてきたり、それでちゃんと答えたら10秒で関心を失っていたようでほとんど聞かれてなかったり。そもそもキリスト教がカトリックとプロテスタントとオーソドックスに分かれているとか、プロテスタントの中にもいろいろあるとかいう話をちょっと出すだけで、口をひんまげて『ああ~(「え」に近い「あ」。ウムラウトついてる発音)教会さんも世と同じなんですね~はあ(ためいき)』みたいなことを言われたり。『るせーよ』って内心思ってたりするんですけど、そういうときでも職業的に笑顔を作ったりすることがありますとか書くと、牧師のくせに職業スマイルとは何ごとだとか、そもそも牧師は職業じゃないとか、あーだこーだ言われてみたり。もうほんとにうるさいからねっ!(ブロック)」

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ...

と(↑)いうようなグチャグチャした心の中なんですが(笑)、意外に晴れやかな顔をしています。

キリスト教はブームで広がったらダメなんだと思います。ブームは去る。

ぼくの体感として言わせてもらえば、日本の教会に限っては、風なんか吹いて来たことは一度もないですから。

でも、着実な一歩を重ねてきてると思うんですよね、我々は。

自画自賛だとか言われてもいいや。もうすぐ年末だし。

70歳を越えて洗礼を受けてくださった男性(元中学校長)が、「ひとまえでお祈りするのが恥ずかしい」という理由で、水曜日の祈祷会に出席するのをためらっておられた。

「その方のために」と謳うとご本人が嫌がるだろうから、そうは言わないで、でも一年かけて教会全体でおこなう勉強会のテーマを「祈り」と定めた。

そして、「祈りのマニュアル」のようなものまで作って、「この○○の部分に自分の言葉を入れれば、だれでも祈れます」ということまで言って。

そしたら、「ひとまえでお祈りするのが恥ずかしい」と言っていたその男性が、次の年から水曜日の祈祷会に毎週出席してくださるようになった。

なんか、こういうのが、我々キリスト教が求める「着実な一歩」なんじゃないかな、と思ってるんですけどね、ぼくは。

ブームだとか、風だとか、そんなのは信用できないです。求めたこともないし。

そういうのだと、オセロのように、また全部ひっくり返される日が来ますよ。たぶんね。

ぼく47歳ですけど、47年間教会生活続けられたんで、たぶん死ぬまで続けられそうです。「来るな」と言われたらしょうがないですけどね。

で、クリスチャンて、ぼくらなりの政治思想もってるじゃないですか。この一線だけは譲れない、みたいなこと。

そういう人が増えていくしかないんだと思ってるんです、ぼくは。

いま教会に通っているすべての人がキリスト教を棄てたら、ぼくも棄てるかな。どうだろ。ぼくひとりだけで「改革派牧師」とか言ってそうな気もする。

英雄きどってるわけじゃないですよ。どのみちドン・キホーテだし。

マルティン・ニーメラーの有名な言葉(「ナチスは教会を弾圧した。ぼくは牧師だったので行動を起こした。だけどすべてが遅かった」)は、ぼくも知ってますし、愛してもいます。

だけど、ああいう言葉は、戦後(ナチス解体後)のドイツに「キリスト教民主同盟」(CDU)という公党が生まれ、政権担当者になり、首相を輩出することで、文字どおりの国家権力を掌握する立場に立てたからこそ、あの頃はああだった的に回顧され、重んじることができることでもある。

教会自身の政治的態度決定としてもてはやされる「バルメン神学宣言」も、政治的には完全に敗北に終わったものです。

ぼくはアタマに拳銃突きつけられても右翼にはなれませんが、宗教とか「キリスト」相手にやたら軽口を叩くタイプの左翼にもイライラしっぱなしです。

支持政党は皆無ですが、もし入党するなら「キリスト教民主党」だなと思っているぼくです。

教会自身に政治的態度決定ができるほどの力がないことくらい、そりゃ、どんなぼくでも分かります。

でも、「だから教会と牧師は政治的発言をすべきでない。そういうことすると教会が分裂するから」はありえない。

そういうことを言って教会と牧師の口封じをする向きがあっても、口封じには応じない。それも当たり前。

だけど、そういう線を貫こうとする牧師がいると、「出る」だ「抜ける」だ言って脅迫しはじめる人たちがいる。それにたいてい屈するんですよね、牧師たちは。

そういうことにならないために、教会自身が政治的態度決定しなくて済むように、教会の外に「キリスト教政党」を作るのがベストなんだと思うんです。

キリスト教主義学校があり、キリスト教主義福祉施設があるなら、キリスト教政党がなかったら、本当はつじつま合わないはずなんです、日本でも。

だけど、ない。作る気がない。動かない、動けない。事情はこんなところには書けませんけどね。

「教会と牧師は政治的発言をすべきでない」と言いながらキリスト教政党を作る努力をしようとしないキリスト教関係の思想家たちが支配的な立場にとどまるかぎり、日本においてキリスト者が政治的に無力であるばかりか、社会的に魅力がないのは、ある意味で当然のように、ぼくには見えています。

ジャストこの点が、ピンポイントでファン・ルーラーのバルト(主義者)批判の核心部分なんです。

カール・バルトは「キリスト教政党反対論」の急先鋒でしたから。

ドイツの隣国オランダには19世紀に歴史的淵源をもつキリスト教政党「反革命党」がありましたが、その党にオランダのバルト主義者は反対票を投じ、労働党(共産党に近い)支持を訴えました。

反革命党の「キリスト教哲学」などというマヤカシにごまかされないで、教会自身が「神学」をもって政治的態度決定をしなくてはならないとバルト主義者は主張しました。実際バルト自身は社会民主党に入党したし、自分の学生たちにキリスト教政党には反対票を投じるように働きかけたのでした。

バルト主義者たちの主張はある意味でよく分かるものです。キリスト教政党の保守性は、ヨーロッパの若い世代の人たちには目に余るものがあったに違いない。

教会の動きは遅いですからね。ぼくらだって、いまだに1890年訳(二世紀も前!)の「主の祈り」をいまだに唱えてたりしますでしょ。

2012年12月19日水曜日

AKBの魅力は「全体の部分となる勇気」のほうだと思う

ぼくはAKBのことは嫌いではなくて、ていうか、実はかなり好きなほうなんですけど、カメラをかなり引いて全員が写っていて、みんなのダンスが揃っているのを見るのが好きなんです。チアガールを見てる感じ、ですかね。

そのなかで見れば、たしかに前田さんはいつも笑顔でしたから光ってました。だけど、それは全体の中の一人だから光っていたのであって、単独でどアップで写しても、それは別に普通の女の子ですよね、とぼくは思っています。普通であることが悪いわけでもない。

AKBの魅力がもしあるとしたら、パウル・ティリッヒの『存在への勇気』の言葉をいきなり持ち出せば、「全体の部分となる勇気」(A courage to become a part)を一人一人がわりと強く持っていて、厳しい練習を耐え抜いて、ダンスをピタッと合わせる、みたいなことではないでしょうか。

その意味では、ぼくは前田さんを「尊敬」はしてます。「よくがんばったね」と言ってあげたくもなる。前田さんはぼくの子どもくらいの年齢なんでね、親心というやつです。

だけど「キリストを超えた」とは言わないし、思わないです。

2012年12月18日火曜日

「ネットは手段。早く人間になりたい」

キリスト教記者クラブ発題

(2012年12月17日、キリスト教記者クラブ第22回オフ会、於 日本基督教団富士見町教会)

はじめに

今日はキリスト新聞社の松谷信司さんからお勧めをいただき、発題の機会が与えられましたことを感謝いたします。しかし、今日のテーマは「ブロガー牧師に訊く~教会の発信力 第2弾」とのこと。正直言って、かなり緊張しています。以下、その理由。

第一に、現時点で自分のブログを開設している牧師たちは大勢いる。また、コンピュータのハード面やプログラミング等の知識は皆無です。恥ずかしくてたまりません。

第二に、私は「ブロガー牧師」と呼ばれるほどの人間かどうかが分からない。ブログとFacebookをかなりの頻度で更新していることは否定できません。しかし、ほかの人と比べたことはありませんし、それを調べる方法を知りません。

第三に、副題が「教会の発信力」である。しかし、私のブログ(http://yasushisekiguchi.blogspot.jp)は「教会の公式発信」ではなく完全に私的な雑記帳です。そのため「教会の発信力」を問う場で私の話が参考になるとは思えません。

第四に、牧師がブログを開設し、「説教」や「神学」について、あるいは「日記」を書く場合、職務の延長線上の「伝道」や「牧会」や「教育」、あるいは「業務日誌」が目的であることが多いのですが、私のブログはそういうのとは全く違います。もっとネガティヴな動機でした。

しかし、今日は最後の点についてお話しすることにします。私は何のためにブログを開設したのか。その話ならばできるし、たぶん面白いと思っていただけるし、誰かの参考になるかもしれません。

1.インターネットを始めた二つの動機

ネット上でのやりとりを始めたのは1996年8月です。四歳上の実兄から譲ってもらったWindows3.1を載せたラップトップで「パソコン通信」を始めました。パソコン通信は厳密にはインターネットとはベツモノかもしれませんが、入門編にはなりました。

パソコン通信を始めた当時は、福岡県の日本基督教団の教会にいました。しかし、その5カ月後、1997年1月にその教会を辞任し、神戸改革派神学校の聴講生になりました。そして1997年4月に日本基督教団の教師を退任し、神戸改革派神学校に入学し、1998年6月に卒業しました。そして、1998年7月に山梨県の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。初任給でデスクトップを買い、本格的にインターネットを始めました。

インターネットを早く始めたいと願っていました。動機は以下の二つです。第一の動機は日本基督教団の教師や信徒との連絡関係を復旧したかったことです。私は牧師の子弟ではありませんが、教会役員の家に生まれた日から31歳まで日本基督教団のフレームから外に出たことがありませんでした。しかし、誰にも相談せずに忽然と消えました。それは義理を欠くことですので、せめてお詫びぐらいしなくてはならないと思っていました。

つまり、私のネット開設の動機は「教団離脱の釈明のため」でした。明るい面よりも暗い面のほうが強かった。これが、動機がネガティヴだと言った理由です。

しかし、インターネットを始めた動機はそれだけではありません。第二の動機がありました。それは、ネットを用いて教団・教派の壁を超える「神学研究会」を作りたいということでした。

ヒントは、パソコン通信で行われていたキリスト教フォーラム(「ハレルヤ・ハレルヤ」など)でした。ただし、私は当時パソコンそのものが全くの初心者だったこともあり、パソコン通信で(「炎上」という言葉は当時はありませんでした)激論が交わされているのを遠巻きに眺めていた程度です。その様子を見て恐れをなし、私が作るとしたら、もっと穏やかな神学研究会が良いのだけれどと、空想していました。

2.メーリングリストの結成

それで初めて立ち上げたメーリングリストが1999年2月に結成した「ファン・ルーラー研究会」でした。20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・ファン・ルーラーのオランダ語テキストを日本語に翻訳し、紹介するためのメーリングリストです。それを東京神学大学の同級生4人で立ち上げましたが、次々に新しいメンバーを得、5年後の2004年には100名を超えるようになりました。

そのような中で、私はインターネットのポテンシャルを実感するようになりました。何よりもまず、メーリングリストを立ち上げたばかりの頃、アメリカ・ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のポール・フリーズ教授が「ネット検索で」わたしたちのことを探し当ててくださり、メールを送ってくださいました。フリーズ教授はファン・ルーラーについての博士論文をアメリカ人として初めて書いた方です。

オランダの実践神学者であるユトレヒト大学神学部ヘリット・イミンク教授とのメールのやりとりは、1999年から始まりました。将来的に版権の交渉をする日が来ることに備えて、ファン・ルーラーのご家族とのコンタクトがとれました。三女ベテッケさんがコミュニケーション論の世界的権威者になり、現在はアムステルダム大学名誉教授です。

そして、2008年12月10日にアムステルダム自由大学で行われた「国際ファン・ルーラー学会」の主催者から私宛ての招待状が届きましたので、教会と私の実家から渡航費援助を得て初めてオランダの地を訪ね、200人の神学者の前で英語スピーチをさせていただきました。イミンク先生が私を出席者に紹介してくださいました。ユルゲン・モルトマン先生との記念写真は私の一生の宝になりました。

私は外国に留学したことがないのです。しかし、そのような者でも、これだけの知己を得ることができました。インターネットなしには全く考えられないことです。

しかしながら、メーリングリストという仕組みには明らかに限界があるということも、同時に痛感してきました。わたしたちの活動に賛同し、喜んで応援してくださる方々もたくさんいらっしゃるのです。しかし、メーリングリストそのものは、やはりたびたび「炎上」しました。私の書き込みへの反発や批判が多いので、寿命が縮みました。

それが苦痛で、私はとうとうメーリングリストには何も書けなくなってしまいました。メーリングリストは解散していませんが、閑古鳥を鳴かせたまま放置しています。申し訳ないことですが、私の心理的な限界です。

しかし、私はファン・ルーラーの翻訳と研究を放棄したわけではありません。次善策として考えたことが、メーリングリストに替わる新しいアリーナを探すことでした。

3.メーリングリストに替わる新しいアリーナを求めて

メーリングリストの替わりになる新しいアリーナはどこでしょうか。実はまだ見つかっていません。

申し訳ありませんが、最初から問題外であると感じられたのは、匿名ネット掲示板「2ちゃんねる」でした。メーリングリストでやりとりしていたのは、オランダ語原文、日本語訳、訳者としての解釈を併記したうえでメーリングリストに流し、議論を交わすというものでした。そのときの真剣な雰囲気を再現することは、匿名掲示板では不可能であることが、すぐに分かりました。実際に試したことはありません。

実際に試そうとしたのは半匿名SNS「ミクシィ」が最初でした。しかし、私の感性が耐えられませんでした。画面のデザインとか、派手な広告バナーとか、落ち着いて神学議論ができる環境が整うとは思えませんでした。

Facebookを始めたのは、その後のことです。今のところ、Facebookまでたどり着いたところです。つまり、私にとってのFacebookは、「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストの代替地を探す旅の途中で立ち寄っただけなのです。

私の目標は、メーリングリストでもブログでもFacebookでもありません。リアルの教室で「ファン・ルーラー研究会」を行うことです。それはメーリングリストを立ち上げた最初の日から願ってきたことです。しかし、バスや電車や自動車や飛行機で、大学や神学校などで開かれる研究会に出席できる人たちはごくわずかであり、金銭的に恵まれた人だけです。それが多くの牧師たちにはできないので、仕方なくネットを利用してきたのです。

いろんな批判を受けてきた14年間でした。「オタク牧師」、「勉強好き」、「パソコンの画面より人の顔を見たほうがいいんじゃないか」、「地に足がついていない」など。「神学」でも「ファン・ルーラー」でも一円の収入も得たことはなく、聞こえてくるのは文句ばかり。

このようなことを言われてしまう私の側にも非があることは、自覚しています。しかし、「神学」を完全に放棄してしまった牧師の語る説教や日々の言葉に魅力があるでしょうか。私はそうは思わない。牧師たちは、教会の現場にいるからといって神学を放棄するわけにはいかないのです。神学教師でもなければ神学博士でもない私が教会の牧師室でファン・ルーラーのオランダ語テキストを読み続けているのは、それが毎週の説教や日々の牧会に大きな力を与えてくれると信じているからです。

ファン・ルーラー研究会の結成当初からの目標は、巻数はともかく、日本語版『ファン・ルーラー著作集』を出版することです。ネットはあくまでも「手段」です。「早く人間になりたい」と願っています。しかし、「縦に立つ」本の厚さに達しないので、ネットの中から出ることができないままです。

4.キリスト教メディアへの提言

最後にいくつかの提言を述べさせていただきます。

(1)キリスト教の「ブログ本」を増やしてほしい

ブログで公開された文章をまとめた「ブログ本」が、キリスト教出版界でももっと出るようになることを望みます。ブログで読者を得た後に出版される紙の書籍は、「著訳者略歴」の内容よりも、本全体の中身の質が重視されるようになると思われます。そうなれば、日本の教界にも見られる奇妙な肩書き主義から解放される機会になるかもしれません。

(2)牧師のブログ利用を奨励してほしい

牧師が自分のブログやSNSをしていると「オタクだ」なんだと非難しはじめる人々がいまだにいる日本の教会文化の方向性が変わっていくように、キリスト教メディアからの働きかけを望みます。

(3)神学者のブログ利用を奨励してほしい

私の耳に繰り返し聞こえてくるのは、「神学とキリスト教の本は難しい」とつぶやく人の声です。しかも、その人たちの多くは「自分のアタマが悪いからだ」と自分を責めています。しかし、悪いのは読者ではなく、難しい文体で読者を悩ましている著者たちであり、訳者たちです。神学者たちこそ自分のブログやSNSを持ち、そこで自分の文章を磨くべきです。

ちなみに、現在私のFacebookの「友達」は300名強ですが、その内訳は日本キリスト改革派教会のメンバーが33%、日本基督教団のメンバーが31%(東日本大震災以降に増えました)、他教派の方が24%、そして他宗教ないし無宗教の方が12%です。年齢層は、17歳の高校生から85歳の長老まで。そのような幅広い層の方々に喜んでいただけるような文章を書くにはどうしたらよいかを常に考えています。そのような方法でも、神学の文体を磨くことができると思うのです。

(4)説教原稿のブログ公開の意義

これはまたネガティヴな話です。

牧師と信徒の間に起こるトラブルのきっかけの多くは、日曜日の礼拝での説教です。

「先生は○月○日の説教で、私に当てこするようなことを言いましたね。そのようなことをする牧師の教会にはもう二度と通うことはできません。」

「いえいえ、そんなことを私は言っていません。」

「いや、言いました。」

「いえ、言っていません。」

この種の「言った、言わない」の不毛な論争を私自身も経験してきました。

この論争の解決方法は、すべての説教原稿をブログで公開することです。そうしておけば、「読んでください」と言えば済むし、それでも済まない場合は第三者がジャッジしてくれます。

ちなみに、私が説教原稿をブログで公開しはじめて以来、その種の論争はピタリと止まりました。説教原稿のブログ公開は「自己防衛」でもあるのです。

2012年12月10日月曜日

「第四章 AKBは世界宗教たりえるか」は考えさせられました


昨日アマゾンから届きました。

濱野智史『前田敦子はキリストを超えたーー〈宗教〉としてのAKB48ーー』(ちくま新書、筑摩書房、2012年)。

205ページありますが、90分で読み終えました。「うすい」本です。

「読む」というほどのものではない。チラシです。「眺める」でいい感じ。

まあ、でも、これからお読みになる方々のことを配慮して、ネタバレはしないでおきます。

濱野という人の本は、ぼくは初めてです。1980年生まれだそうで。

「キリスト」うんぬんと言われているので総毛立つ向きもあるかもしれませんが、目くじらを立てるほどの内容ではないです。

ただ、もうちょっとヒネリというか深みというか、あるのかなと期待しましたが、そのへんはちょっと。

首筋に力が入りすぎというか。あんまり面白くはないです、文章としては。

最もきわだったテーゼはこれかなと思いました。

「筆者〔濱野氏〕の考えでは、AKBのセンター、それはキリストでも天皇でもない、おそらく有史以来誰も見たことのない、情報社会における新たな宗教的/超越的存在である」(73ページ)。

よほど好きなんだな、と思うだけです。熱意はどうぞご自由に。

しかし、「第四章 AKBは世界宗教たりえるか」は、「たりえる」と「確信」する筆者の一本調子に辟易しながらも、筆者とはたぶん全く別の視点から考えさせられるものがありました。

ぼくは「たりえないんじゃないかな」と思いながら読んだクチですが(ぼくAKB嫌いじゃないですよ)、

その理由として思い当たったのは、「だって、AKBってテレビとネットなしには成り立たない存在じゃん」ということです。

そして、「テレビ」と「ネット」は「電気」の産物。

「電気なしにはAKBは世界宗教たりえない」。

でもね、世界化した古来の宗教には「電気の力」無かったよ。

そんなことを考えさせられました。

ついでに、昨年(2011年)4月6日に、ぼくがブログに書いたことを思い出しました。

タイトルは「大節電時代の幕開けと教会の存在理由」。
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2011/04/blog-post_06.html

なんだか恥ずかしい文章なのですが、「教会」そのものにはいざとなったら「電気」は要らないという旨、書き散らしたものです。

その意味では、聖書と神学書は、「電子書籍化」の趨勢には最後まで白旗をあげないで、「紙の本」であり続けてほしいです。

世界の終末には、たぶん「電気」は無い。

その日にも聖書と神学書を読むことができるように。

駄文、お許しください。

2012年12月9日日曜日

イエス・キリストの生まれた場所はどこですか


ルカによる福音書2・8~20

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださたその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に留めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」

クリスマスの当日、あるいはアドベントの日曜日には、だいたい毎年、いまお読みしました個所を開いて説教してきました。私がこの教会の牧師として参りましてから来年3月で丸9年になりますので、この個所で9回目の説教になると思います。

ただし、この10時半からの朝の礼拝で毎年必ずこの個所で、ということではなく、9時半からの日曜学校の礼拝でおこなった年もありますので、この礼拝で正確に9回目ということではありません。

しかし私は、この個所の説教をするたびに、本当に難しい個所だと感じてきました。何が難しいのでしょうか。昨年も同じようなことを申し上げたかもしれませんが、いったい私はどのような顔をしながら、この個所に書かれていることを皆さんにお話しすればいいのかが分からないのです。

また、いま言ったのと同じことを反対から言い直しただけのことを申します。私が説教するときは皆さんの顔がよく見える位置にいます。この個所の話をしているときの皆さんが、難しそうな顔をしておられるのがよく見えるのです。

どうしてそうなってしまうのか、その理由はいくつか思い当たることがあります。

そのなかで私が最も申し上げたいことは、とにかくこの個所には「天使」が登場するということです。それがこの個所を難しくしている一番の原因ではないかと、私は考えています。しかも、天使が登場しなければ決して話が成り立たないほど、彼らは非常に重要な役割を果たしているのです。

しかし、天使とは何でしょうか。これが分からないのです。どのような顔をして話せばいいのかが分かりません。

聖書に出てくるので、私は天使の話をします。しかし、教会を一歩離れて、たとえば、すぐそこのマルエツのスーパーとかでお会いするご近所の方々に天使の話をできるかといえば、私にはできません。ふだんなら決してしない話を、私は、教会の中で、礼拝の中で、聖書に基づいてしています。

皆さんはどうでしょうか。今日それぞれご家庭にお帰りになって「今日は天使の話を聞いてきた」とお話しになると「大丈夫?」と心配されてしまうのではないでしょうか。

これを私はふざけて言っているわけではなくて、大真面目に言っています。真剣に言っています。くれぐれも誤解が無いように申し上げておきますが、私は、聖書に書かれていることを信じることができないというようなことを言っているのではないのです。天使の存在を信じることができないとも言っていません。

言い方はおかしいかもしれませんが、天使がいても、私は全然構いません。「いるか、いないか」と問われれば、「いるでしょうね」と答えたい人間です。しかし、「それはどのような存在なのかを説明してください」と言われても、それは答えられません。そのことが私には難しいのです。もしかしたら、私の性格が少し真面目すぎるのかもしれません。

このように考えるのは私だけはないと思うのですが、何かの話をすることを求められている者たちがその話を聞いてくださる方々に願っているのは「今日の話はよく分かった」と思っていただけることです。その内容に納得も理解もできないとしても、この人は何を言いたいのかとりあえず分かったと感じていただくことができればそれでよいと思っています。

しかし私は、天使の話をどのようにすれば、皆さんにそう感じていただけるのかが分かりません。頭を抱えてしまいます。

その点においては、先週お話ししましたマタイによる福音書に出てくる東の国の占星術の学者たちの話のほうが、まだ簡単にできるものがあります。

彼らが見たのは天使ではありませんでした。彼らは星の動きを研究しました。当時の高等な数学や天文学を駆使して、世界の運命であるユダヤ人の王の誕生を言い当てました。彼らなりの理論があり、彼らなりの合理的な結論に基づいて、イエスさまのもとにやってきたのです。

しかし、今日の個所に出てくる羊飼いたちには、学問も理論もありませんでした。彼らが見たのは彼らの前に突然現われた「主の栄光」であり、「天使」であり、「天の大軍」でした。そして、彼らは天使の声を聞き、その中で語られた救い主の誕生についてのお告げを聞いて信じたのです。

星の動きを天文学的に観察して、理論的な結論を出してきた占星術の学者たちと、全く違う方法でイエスさまのもとにたどり着いた羊飼いたちとは、大違いなのです。

私も心から尊敬している改革派教会の先輩牧師である榊原康夫先生が、今から40年も前の1972年に出版されたルカによる福音書の解説書(『ルカの福音書』いのちのことば社、1972年)の中で、今日の個所について重要な言葉を書いておられます。「羊飼いは、野宿のため神殿儀式などに参加できないので、ユダヤ教から破門され、裁判の証言も許されませんでした」(43ページ)。

これがどういうことを意味するのかといえば、羊飼いたちはふだんから聖書の言葉を学ぶことさえ許されていなかったということです。ですから、たとえばの話ですが、彼らが聞いた天使の声の内容は、彼らがふだんからユダヤ教の会堂や神殿に足を運び、ユダヤ教の祭司や律法学者たちから聖書に基づく説教を聞いていたので、その言葉を思い出したのだというような合理的な説明は成り立たないということです。

彼らは天使の夢を見たのでしょうか。つまり、彼らは野宿しながら居眠りをしていたのでしょうか。もしかしたら、そのような説明のほうがまだ成り立つかもしれません。マタイによる福音書の最初のほうに出てくる、イエスさまの母マリアの夫ヨセフについて書かれている個所には、「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1・20)と記されています。これで分かるのは、天使は夢の中にも現れる存在であるということです。

もしそうなら、羊飼いたちが見た天使についても、「実をいえば彼らは仕事中に居眠りしていました。それで天使が出てくる夢を見たのです」と説明したとしても、それは絶対に間違っていると責められることまでは無いはずです。天使は夢にも出てくる存在だからです。しかし、今日の個所に羊飼いたちは眠っていたとか、夢の中に天使が現れたとは、どこにも書かれていません。

しかし、このことについて、私は今日、ああでもない、こうでもないとしつこく言うのはやめます。一つのことだけに絞ってお話しします。それは、先ほど少し触れました、先週学んだ個所に出てくる東の国の占星術の学者たちと、今日の個所の羊飼いたちとの違いという問題です。

はっきり言いますが、「占星術」は、わたしたちには全く受け容れられない異教の立場です。たとえそれがどのような学問の研究に基づいていようとも、太陽や月や星の動きによってわたしたち人間と世界の運命が決定されているということはありえません。わたしたちは、そのようなことを信じることができません。それは運命論です。わたしたちが受け容れている信仰はそのようなものではないのです。

それに対して、羊飼いが見たのは「天使」でした。彼らが聞いたのは、天使の声であり、天の大軍の歌声でした。天使の存在、またその姿やその声には科学的な根拠があるのかと問われるなら、そんなものは無いと答えざるをえない。そんなのは神話だと言われればおっしゃるとおりだと答えざるをえない。そんなものを当てにして、ベツレヘムの羊飼いたちはイエスさまのもとへとやってきたのです。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちが受け容れている信仰とはそのようなものだということです。わたしたちの信仰に科学的な根拠などはありません。

そして、今日も思い起こしていただきたいことは、わたしたちが最初に教会の門をくぐり、礼拝に出席し、説教を聞いた日のことです。

私から皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんが初めて教会に来られたときの理由やきっかけは、太陽や月や星の動きのようなものによって決定づけられた動かしがたい運命だったのでしょうかということです。科学的理論に裏打ちされた不動の真理が、皆さんを教会の中まで運びこんだのでしょうか。そんなことはありえないと思うのです。わたしたちは、そういうふうな信じ方はしていません。

羊飼いたちが聞いた天使の声は「恐れるな」というものでした。その続きはこうです。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。

これは運命論ではありません。夜通し野宿をして羊の番をすることでユダヤ教から破門されていた、過酷な労働や社会的な差別に苦しんでいた名もなき人たちへの励ましの言葉でした。そのあなたがたのために救い主が来てくださったのだという慰めの言葉でした。あなたがたは価値なき人間ではない。あなたがたのために救い主が生まれてくださったゆえに、という喜びの知らせでした。

そのしるしは「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」である。羊飼いたちが生きている彼らの現実に近い場所で、救い主がお生まれになったのです。

イエス・キリストが生まれた場所はどこでしょうか。この質問にはいろんな答え方が考えられます。「ユダヤのベツレヘムです」という答え方もあれば、「地球です」という答え方もあります。今日の私の答えは「苦しんでいるあなたのところ」です。あなたのためにキリストが来てくださったのです。

わたしたちが教会に来て、神を礼拝することは、わたしたちの運命なのでしょうか。こうするしかない、他にどうすることもできない抗いがたい運命だから教会に来ているのでしょうか。そんなことはないのです。わたしたちには自分の意志があります。運命のリモコンに遠隔操作されているわけではないのです。

人生の苦境に立たされ、嫌な思いを味わい、逃げ場を求めていたそのとき、夢なのか現実なのか、どこからともなく、このわたしを慰め、励ましてくれる声が聞こえた。ような気がした。それでいいのです。

科学的根拠などはない。とにかく教会に来ました。このわたしのために救い主が生まれてくださった。それを信じる。

それがわたしたちの信仰なのです。

(2012年12月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月2日日曜日

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です


マタイによる福音書2・1~12

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を献げた。ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」

12月を迎えました。今年のクリスマス礼拝は12月23日に行います。そして今日からアドベント。クリスマスに向けての準備を始めたいと思います。

いまお読みしました聖書の個所に書かれているのは、約二千年前、ユダヤのベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになったときの出来事です。占星術の学者たちが東の国からイエスさまのもとにやってきました。そのときの様子が書かれています。

「占星術の学者」と訳されるようになったのは、日本語の聖書の中では、新共同訳聖書がおそらく初めてです。すべての日本語聖書を調べることができたわけではないので確実なことを語れないのが残念ですが、おそらくそうです。

新共同訳聖書以前は、ほとんどすべて「博士」と訳されていました。ギリシア語でマギと呼ばれる人たちでした。マギは、わたしたちがよく知っている英語マジシャンの語源です。マジシャンならば意味が分かるでしょう。手品師のことです。あるいは奇術師です。「二千年前にイエスさまのもとにやってきたのは手品師でした」と説明するのは間違っていると思います。しかし、「彼らは占星術の学者でした」という説明は正しいのです。

占星術は大昔から、そして今でも行われています。いわゆる星占いのことです。皆さんの中にも、自分の誕生日は何座であるかをご存じの方は多いでしょう。

私も知っています。11月16日生まれですから、さそり座です。1965年生まれですから、へび年です。へび年の、さそり座生まれです。だから毒気の多い人間になったのだと、冗談のような話をすることがあります。そういう話は私にとっては冗談以外の何ものでもないです。しかし、ある人々にとっては大真面目な話かもしれません。

占星術は、大昔から高等な数学や天文学を駆使して営まれてきた一つの学問でした。その意味では、一昔前の日本語聖書で「博士」と訳されていたことには、それなりの理由があったと考えるべきなのです。

わたしたちは知らなくてもよいことだと思うのですが、世間の人たちの中には今月(2012年12月)に人類が滅亡するということを、わりと大真面目に信じている人たちがいるようです。興味のある方はインターネットでお調べになれば、そういうことがたくさん書かれていることが分かるでしょう。

そのことについて今日私は詳しく説明したりはしません。しかし、一つのことだけを申し上げておきます。それは、わたしたちはそのようなことを信じていません、ということです。今月、人類は滅亡しません。どうかご安心ください。

しかし、そのようなことを大真面目に信じている人たちは、一種の占星術や暦のようなことを根拠にしてそのようなことを言っています。ですから、私が申し上げたいことは、今月人類は滅亡しないということだけではありません。いわゆる占星術であるとか、暦であるとか、そのようなことを根拠にして主張される人類と世界の運命論のすべてをわたしたちは断固として拒否しなければなりません。そのようなことを申し上げたいのです。

なぜ断固として拒否しなければならないのでしょうか。それは結局、一つの宗教の形をとっているからです。わたしたちの宗教は、星や太陽や暦そのものが人類と世界の運命を決定するというような立場とは全く相容れません。それは、わたしたちが信じているのとは異なる、一つの宗教思想です。

先ほど申し上げた「私はへび年のさそり座です」というような話も、冗談として話すことはあっても、本気で言ったりすることはありません。冗談が通じないことが分かっている人の前では、口にすることもありません。

二千年前にイエスさまのもとにやってきた東の国の占星術の学者たちについても同じことが言えると私は考えています。

彼らについて聖書に「東の方からエルサレムに来た」とわざわざ書かれているのは、彼らがユダヤ人ではないこと、すなわち、聖書の教えを信じていたわけではなく、聖書の神を信じていたわけでもない、異なる宗教思想の持ち主であったことを示そうとしていると考えられます。

そのような人々のことを、聖書は「異邦人」と呼びます。それは、異なる教えに立つ人という意味での異教徒のことです。「異」という字を使いますと、異質な存在を差別しているとか、みくだしているとか思われてしまう可能性があるので気をつけなくてはならないのですが、わたしたちはそのようなことまでは言っていません。違いがあることは事実なので、事実を事実として述べているだけです。

しかし、ここから先が重要な点です。今日の個所に書かれていることは、聖書の教えとは異なる宗教思想の持ち主である東の国の占星術の学者たちがユダヤのベツレヘムまでやってきた、ということです。そして、そのような人々が、まだお生まれになったばかりのイエスさまの前にひれ伏して拝み、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)と書かれています。

彼らは、どのような方法でイエスさまがお生まれになったことを知ったのでしょうか。その方法が次のように書かれています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2節)。

彼らが見たのは「その方の星」でした。つまり、彼らは占星術という彼らなりの方法で調べた「星」の動きや現われ方などによって、イエスさまのご降誕を知るに至ったのです。星の動きや現われ方というようなことでイエスさまのご降誕を知ることができるのであれば、占星術というのもそれなりに信頼できるのではないか、というふうな気持ちになるかもしれません。しかし、私自身はそういうことまでは考えませんし、そのように考えるのは危険だと思っています。

しかし、それでも私には、一つのことだけは語ってよいかもしれないと思っていることがあります。それは、たとえどのような方法であれ、どのようなルートを通ってであれ、彼らがイエスさまのもとにやってきて、イエスさまの前にひれ伏し、イエスさまを拝み、自分の宝箱を開けてイエスさまへの献げものをしたこと自体は神が喜んでくださる素晴らしい礼拝だったのだ、ということです。

彼らはイエスさまを拝みました。イエスさまを拝むことが「礼拝」です。いまここで、わたしたちが行っているこの礼拝も「礼拝」です。わたしたちは今イエスさまを拝んでいます。そのことを二千年前に、異教徒である占星術の学者たちも行ったのです。彼らがしたことと、今わたしたちがしていることとは、本質的に同じことなのです。

そのように考えてみるときに、私には思い当たることがあります。それは、わたしたち自身も必ず体験したことです。それは、わたしたちにも、初めて教会の門をくぐり、礼拝に出席した最初の日が必ずあるということです。そのときわたしたちは決して、純粋な動機だけで教会に来たわけではないはずなのです。

実際私はいろんな人からいろんな動機を聞いてきました。「彼女が欲しいと思っていました。それで教会に行ったら、青年会に素敵な女性がたくさんいたので洗礼を受ける決心をしました」という話を聞いたことがあります。「音楽が好きでした。教会に行ったら素敵な賛美歌をたくさん歌っていたので、洗礼を受ける決心をしました」という話も聞きました。例を挙げれば、きりがありません。

最初の動機やきっかけは、人それぞれです。方法もルートも、人それぞれです。だれがどのような経緯をたどって教会までたどり着いたのかについて、そういう動機は不純だとか、そういうきっかけは間違っているなどと、他人のことを責めたり裁いたりすることができる人は一人もいないのです。

もしそのことを受け容れていただけるなら、占星術の学者たちがイエスさまのもとへとやってきたときの彼らの方法や動機を間違っているとか、そういう人には来てもらいたくないと考えたりすることが、いかに間違っているかを理解していただけるだろうと思うのです。

私はいま、皆さんのことをどうこう言いたいのではありません。私はかつて、牧師になりたての頃、スーパーとかデパートとか遊園地とかレストランとか、そのようなところでクリスマス、クリスマスと大騒ぎしているのを快く思っていなかったことがありました。そのことを正直に告白しておきます。

そして教会のポスターや看板やチラシの中に「本物のクリスマスをお祝いしているのは教会だけです」というような言葉を好んで書いていたことがあります。教会以外の場所で、クリスマスの何たるかも知らない人たちが大騒ぎしているのは、偽物のクリスマスであると主張したくて仕方がありませんでした。

しかし、今の私は少し変わりました。完全に変わってしまったわけではなくて、少しだけですが。しかし今の私は、動機が不純な人たちにはクリスマスのことなど口にしないでほしい、というようなことを考えなくなりました。そのようなことを考えているときのわたしたちは、自分が初めて教会に来た日のことをすっかり忘れてしまっているのです。

わたしたちのうちのだれが最初から純粋だったでしょうか。初めから神の御心のすべてを理解して教会に通いはじめる人など一人もいないのです。もしそういう人がいるなら、教会は要らないのです。教会で聖書のみことばを学ぶ前から神の御心のすべてを理解できる人がいるのなら、教会も、聖書も、そして牧師も要らないのです。

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です。そのことは確実に言えることです。しかし、その礼拝において礼拝されるイエス・キリスト御自身がすべての人をみもとに招いておられるのです。どんな人でも、どんな動機でも、どんな理由でも、イエス・キリストが歓迎してくださいます。

救い主は、あなたのためにお生まれになったのです。

(2012年12月2日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年11月26日月曜日

イミンク先生とファン・ルーラーの関係について

現在来日しておられるヘリット・イミンク先生とファン・ルーラーの関係については、そのうちご紹介しなければならないと思っていました。ぼくでよければ、近いうちにちゃんと論文を書きますよ。

ファン・ルーラーが62歳で突然亡くなった1970年の翌年の1971年にイミンク先生はユトレヒト大学神学部に入学されましたので、直接の面識は無いそうです。でも、イミンク先生にファン・ルーラーの影響が顕著であることは断言できます。

2008年12月10日の「国際ファン・ルーラー学会」においても、イミンク先生は何人かのメイン講師の一人として講演をなさいました。そのときの講演集は立派な本として出版されていますので、日本語に翻訳することも可能です。

「神の言葉の神学に立つ」という点ではファン・ルーラーも全く同じ出自ですし、そもそも20世紀のオランダ改革派教会の中で神の言葉の神学と無関係でありえた神学者は皆無と言っていいくらいです。

しかし、彼らの問題意識は、神の言葉の神学にも限界や欠点があるので、その限界や欠点をどうしたら乗り越えることができるのかということだったわけです。

そして、その克服すべき重要なポイントは「視野を広げること」にあったと言えます。神の言葉の神学はファン・ルーラーあたりに言わせれば「視野が狭すぎる」んです。

「キリスト論的集中」はバルト神学のチャームポイントでもありますが、反面の「視野の狭さ」を併せ持っています。

神は御子だけではなく、御父も御霊もおられます。神は「キリストのみ」(solus Christus)ではなく、父・子・聖霊なる「三位一体の神」です。

「キリスト論的視点」からだけの考察で神学的真理は已まず、「父神論的視点」からも、また「聖霊論的視点」からも、同時に徹底的に考え抜かなくてはなりません。

一つの物事を、オモテからもウラからも、ウエからもシタからも、ナナメからもショウメンからも観なくてはなりません。まるで大道芸人のジャグリングのように、複数のピンを同時に投げ上げ、同時にキャッチしなくてはなりません。

ファン・ルーラーの神学は、そういう神学です。そもそも「きわめて教会的実践に即した神学」でしたので、ファン・ルーラーの神学は、そもそも「実践神学」との親和性がきわめて高い組織神学だったのです。

分かりました。論文、ぼく書きます。一つだけヒントを明かしておきます(ネタバレ)。

それは、ファン・ルーラーが「視野を広げる」ための方法です。

ファン・ルーラーにとっては、神学以外の諸学(社会学や心理学や政治学など)、あるいは神学諸科における組織神学以外の諸教科(聖書神学、教会史、実践神学)の手を借りることの意義を否定することはありえないことでした。

しかし、もしその手を借りないとしても、組織神学、とくに教義学の中に本来的に潜在・伏在している「論理」を用いて「視野を広げる」ことが可能であると彼は考えていました。

そこに、彼の神学の面白さがあります。

教義学はまだ「終わって」いません。「オワコン」ではないのです。

2012年11月25日日曜日

天国は平等です


マタイによる福音書20・1~16

「『天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは、「だれも雇ってくれないのです」と言った。主人は彼らに、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から初めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」主人はその一人に答えた。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。』」

今日も最初に少し、説教のタイトルのことに触れることから始めさせていただきます。「天国は平等です」と書きました。これは、今お読みしました聖書の個所でイエスさまがおっしゃっていることを短く一言でまとめるとこうなる、という意味で書かせていただきました。

そうしましたところ、ご覧になった方から「本当ですか」というご意見をいただきました。「とても信じられない」というニュアンスでした。なぜ信じられないのか、その理由は何となく分かります。おそらく、天国は不平等なところに違いないと思っておられるのです。

なぜそう思われるのでしょうか。その理由もだいたい分かります。天国は不平等であると思っている人は、この地上の世界こそが不平等であると感じているのです。

地上の世界は不平等です。それははっきりしています。世界にはいろんな人がいるということは、小さな子どもでも知っています。背が高い人や低い人、体力や能力や財力がある人と無い人、国籍や人種や性別。平和な国と戦争の絶えない国。世界は不平等である。しあわせな人と、ふしあわせな人がいる。

そのことを納得しなさい、受け入れなさい、我慢しなさいと言われても、それは無理だと反発する人は多いでしょう。「地上の世界なんて所詮そんなもんだ」というようなニュアンスの理解を示すことくらいはできるという人はいるかもしれません。

しかし、深刻な問題はそこから先です。「天国は平等である」という字を見ると「本当ですか」と反応し、「信じられません」という気持ちを抱く人たちは、本当は、この世界が不平等であると思っているのではないのです。あなたがた教会はどうなのですか。教会は不平等ではありませんか。そういう気持ちを抱いているのです。

このような問いかけに教会はどのように応えるべきでしょうか。今日皆さんと一緒に考えたいことは、この問題です。しかし、回りくどい話はしたくありません。すぐ結論を言っておきます。

それはイエスさまの出された結論です。イエスさまがおっしゃっていることは「天国は平等です」ということです。もしそうであるならば、教会においてもできるかぎり平等を実現していかなくてはならないのです。「天国は平等かもしれないけれども、教会は不平等であってもよいのだ」などと開き直るべきではありません。わたしたちは、他人に厳しく、自分に甘いというようであってはなりません。

わたしたちは主の祈りの中でいつも「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。その意味は、神の御心が天国で実現しているように、地上でも実現できるようにしてくださいということです。地上の教会は完全なものではなく、不完全なものです。しかし教会は、天国において実現されている神の御心を、不完全ながらも地上で実現することを目指すことが求められているのです。

そのため、もし天国が平等なところであるならば、地上の教会もまた平等であることを目指さなくてはならないのです。

今日の個所に書かれているのは、イエスさまのたとえ話です。「天の国は次のようにたとえられる」と書いてあるとおりです。その内容は次のとおりです。

ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行きました。その主人は、一日働けば一デナリオンを支払いますという約束で労働者を雇い、ぶどう園に送りました。

そうしたところ、九時ごろ行くと、何もしないで広場に立っている人たちがいました。「きみたちは何もしていないなら、ぼくのぶどう園で働いてくれ。一日働けば一デナリオン支払うから」と、彼らを雇ってくれました。

十二時ごろにも三時ごろにも、何もしないで広場に立っている人たちがいたので、またその主人は、その人たちを一日一デナリオンでぶどう園に雇ってくれました。五時ごろにも行くと、同じように、何もしていない人たちがいたので、彼らも同じように雇ってくれました。

夕方になって、その日の給料を払う時間になったので、その支払いが始まりました。最初に給料を受け取ったのは、いちばん最後、五時ごろに雇われた人たちでした。約束どおり彼らに一デナリオンが支払われました。

それを見て、朝早く雇われた人たちが、ある期待を抱いたのです。五時ごろからたった一時間だけ働いた人たちに一デナリオンが支払われたのであれば、朝早くからまる一日働いたぼくたちには、もっと多くの支払いがあるだろうと考えました。しかし、その人たちに主人が支払ったのも一デナリオンだったのです。

それで、彼らは不満を感じました。しかし、主人は次のように答えました。

「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」。

これが、イエスさまがお語りになった「天国のたとえ」です。天国というのは、このようなところであるとイエスさまはたとえを用いて説明なさったのです。

これは何の話なのか皆さんにはお分かりでしょうか。話が分かりやすくなるようにするとしたら、イエスさまがおっしゃっている「天の国」という言葉を「救い」という言葉で言い換えた上でもう一度最初から読み直してみるとよいのです。そのように言い換えることは可能です。聖書の中で「天国に行くこと」と「神の救いにあずかること」「神に救われること」は同義語だからです。

それでは「ぶどう園に雇われて働くこと」で、イエスさまは何をたとえておられるのでしょうか。これも結論だけを言います。

それは、わたしたち人間がこの地上の世界において神の御心を行うことを指しています。しかも、わたしたちがこの地上で神の御心を行うために、その前にしなければならないことは、そもそも神の御心とは何かを知ることであり、それを信じることです。具体的にいえば、神の御心が記されている聖書のみことばを学ぶことであり、それを信じることです。

聖書のみことばを学ぶためにわたしたちにできることは、地上の教会に属し、礼拝に参加することです。そのことをイエスさまも考えておられます。イエスさまもまた(シナゴーグで)安息日ごとに行われた礼拝の中で、聖書のみことばを説教しておられたからです。

ここまで申し上げれば、朝早くから雇われた人と、九時ごろ雇われた人と、十二時ごろ雇われた人と、三時ごろ雇われた人と、五時ごろ雇われた人の区別においてイエスさまが何をたとえておられるのかがお分かりになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。まだ分からないでしょうか。

これも結論だけを言います。ぶどう園での「一日」は、わたしたちの一生です。朝早くと、九時と、十二時と、三時と、五時。これはわたしたちの年齢です。「朝早く」は生まれたばかりのとき、「九時」は子ども時代、「十二時」は青年、「三時」は中年、「五時」は高齢であると考えてよいでしょう。

たとえば私は先々週、47歳の誕生日を迎えました。47年間のすべてにおいて教会に通ってきました。これは威張って言うことではありません。べつに威張るようなことではありません。しかしとにかく私は47歳で47年間、教会に通ってきました。そのような者である私は「朝早くから雇われた人」に当てはまると考えることができるはずです。

このように考えれば、イエスさまのおっしゃっていることの意味はもうお分かりになるでしょう。このぶどう園の主人は、一時間しか働かなかった人にも、まる一日働いた人にも、同じ一デナリオンを支払ってくださるという、とても気前の良い方です。その方は、子どもの頃から教会に通ってきた人にも、高齢になってから教会に通いはじめた人にも、天国においては全く等しい報いを与えてくださる方であるということです。

イエスさまがおっしゃっていることは、まさにそのことです。地上における教会生活にはたくさんの苦労が伴います。つらいことだらけ、嫌なことばかりという面も無きにしもあらず、です。しかし、だからといって、天国においては教会生活の長い人と短い人との差別は無いのです。天国に別の部屋は無いのです。神はどちらの人にも等しい天国の恵みを与えてくださるのです。それが今日の説教の「天国は平等です」というタイトルの意味です。

このような話を聴いて「ねたみ」を起こすのは、教会生活が長いほうの人々かもしれません。神はずるいとか、教会生活の長さは関係ない、天国の報いは同じであるというなら、教会生活そのものがばからしいなどと言い出しかねないのは。

教会生活の経歴が長い人たちは、地上において、すでに長い間、神の恵みと祝福を豊かにいただいてきたことに感謝すべきです。しかし、教会も間違いを犯すことがありえます。教会生活の長い人と短い人とで差をつけようとする。奇妙な配慮が働いたりする。

そういうことを教会がしてしまうとき、「天国は平等です」と教会が言っても「本当ですか」と疑われてしまうのです。そのようなことで教会が間違いを犯さないようにイエスさまが戒めておられるのです。

(2012年11月25日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年11月20日火曜日

日本人の神学者はもっと「英語の」論文を書くべきか

日本の神学(聖書学、教会史、組織神学、実践神学)の国際的評価を上げるために、日本人の研究者たちは、もっと「英語の」論文を書くべきか。

この問題は、大学や神学校の教育に一度も関わったことがないぼくごときでも、一度ならず悩んできたことです。

ぼくは、18歳から「神学」なるものに接し、いま47歳ですから、かれこれ29年になります。

大先輩たちにはとてもとても敵いませんが、ぼく的には、よくも飽きずに続けて来られたものだと、自分に呆れる思いです。

それくらいのスパンで「神学」なるものを続けてきた者としての、上の問いへの(暫定的な)答えは、「否」です。

       * * *

聖書学に関してはガチのシロウトなので、的外れのことを感じているだけかもしれません。

しかし、こと聖書にとっての重要な問題が「翻訳」にあるとぼくは考えているので、英語の論文が多産されるよりも、日本においてなら「日本語の」論文がたくさん書かれるべきだと思う。

ヨハネ福音書ならヨハネ福音書の、この言葉・あの言葉が、現代の日本語においてどのようなニュアンスと響きを持ち、意義と価値があるかが解明されていくほうに、もっともっと時間と力が注がれるべきではないかと、愚考するばかりです。

たとえばの話ですが、もしぼくがヨハネ福音書について、論文という形で何か書けと言われた場合に選ぼうとするのは、3章16節の「神はそのひとり子をお与えになったほどに《コスモス》を愛された」の《コスモス》で、現代人は何をイメージすればよいのか、というようなテーマだったりします。

それが英語(圏)でイメージされていることと、日本語でイメージすべきこととがズレている気がしているから。

それを日本語でどう「翻訳」すべきかを徹底的に考え抜き、苦悶し、それをまとめて論文にする。

この論文は、ぼくは日本語でしか書けないと思うし、翻訳不可能なものだと思う。

これは聖書学だけのことではないですよね。教会史でも組織神学でも実践神学でも同じです。

最初から日本語の言語体系の中で考え抜いて書かなければ、決して表現できない神学というのがある。

それは翻訳不可能です。

本来的に翻訳不可能なものが「英語」に訳されていなければ国際的に評価されない、というのであれば、それは国際学会のあり方自体が歪んでいるんだと思います。

       * * *

まあ、でも、二つに分かれますよね。

ぼくが関わったことがある国際学会といえば、「アジア・カルヴァン学会」とか「国際ファン・ルーラー学会」くらいですが、この二つの学会はまさに対照的でした。

「アジア・カルヴァン学会」は、原則として毎年一回、日本、韓国、台湾等に集まっています、どの国で開催する場合でも、集まる人たちがアジア人ばかりでも、すべて英語で発表します。アジア・カルヴァン学会は国際カルヴァン学会のブランチで、会長はオランダ人ですが、その会長が英語で講演します。

「国際ファン・ルーラー学会」は、史上一回しか行われたことがありませんが、オランダ人、ドイツ人、アメリカ人、南アフリカ人、そして我々日本人が合計200人ほどアムステルダムに集まりましたが、レジュメ一枚配られず(?!)、全員が自分の母語で(!!)講演しました。

「分っかるかい!」と腹が立ちましたが、すっごいビックリしたし、目からうろこが落ちました。これこそ「本来の」国際学会だと思いました。200人の神学者たちは、それぞれの言語を聞きわけて、うなずいたり、笑ったりしていました。

       * * *

日本の評価を上げるために、日本の研究者が、なにがなんでも「英語で」論文を書かなくてはならないということになるでしょうか。それこそ自虐かもしれませんが、日本の研究者が英語で書いたような論文を、海外の研究者がどれくらい読み、評価してくれるでしょうか。あまり期待しないほうがよいのではないか。

「グローバルスタンダード」という美名のもとなる英語至上主義みたいなものも、趨勢としてはやむを得ない面もあるでしょう。

だけど、英語は万能なわけじゃない。こと微細なニュアンスを考え抜かなくてはならない文系の学問では、英語なんかに訳せっこない論文もあるはずですよね、と思う。

「コスモス」の話を繰り返せば、英語ならworldとかuniverseとか訳しておけばいいかもしれませんが、それは宇宙なのか万有なのか、世なのか世界なのか、世間とか俗世とか訳さなくてはならないのか、そんなふうに訳して今の子たちに意味が理解できるのか、みたいなことをえんえんと、あーでもない・こーでもないと考えてみることが、日本のコンテキストでは重要だと、ぼくは思う。

そういうのって、他国の言葉に訳せますかね?

オランダのライデン大学神学部で長く教えた著名な教理史家のハイデルベルク信仰問答やベルギー信仰告白やドルトレヒト信仰規準の研究書など見ると16、17世紀のオランダ語と現代のオランダ語の比較とかしている。

それ、どうやって日本語に訳すんですかね?英語にさえ訳せそうにないです。

アタマ抱えますよ、ガチで。

2012年11月15日木曜日

オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(3)

仕事が「収入」で、勉強は「支出」。

それ、単純すぎる考え方だと思いますよ、ね?

仕事ができる(=収入を得られる)ようになるために勉強する(=投資的に支出する)、のかなあ。

それも違うと思うにゃー。

勉強って、やればやるほど自分の無知が分かって謙遜になれると、大昔の人は考えた。

なんか、今さらながら、そういうことじゃないかなっと思うんですけどね。

つまりは、勉強を完全に放棄してしまったオトナみたいな感じになることが、いちばん傲慢な態度だってことですね。

やだなー。自戒、自戒。

しかし。

今の子どもたちの多くは、よほど資産家の子弟でもなければ、大学を卒業した時点で、500万以上の「借金」(多くは「日本育英会の奨学金」という名の「借金」)を抱えています。

それは「将来の就職のために必要な先行投資。就職すればすぐに取り返せる」という“見通し”に基づく話でしたが、今は大学を卒業して10年経っても20年経っても定職に就けない人が少なくない。

言っておきますが、定職に「就けない」(cannot)のは、その人のせいではないですよ。どこの会社も新規採用の門を極端に狭めているのだから。”ある世代”の人たちを保護するために。

だから、子どもたちは、大学に支払った分の「借金」を返すことができない。請求書は怒涛のごとく。「人から借りたものは返すのが人の道ってもんよのお」という任侠道の人たちの出番が生じる。

しかし、仕事は無い。その「借金」を返済できるほどの「収入」はない。

それで、多くの人が、”逆算して”後悔している可能性が高い。

(1)あの「借金」(=奨学金貸与)は無駄だった。「大学」なんか行かなきゃよかった。

(2)しても意味の無い(=「借金」の返済もできず、見ず知らずの任侠系の人たちから脅迫を受け続ける人生を送らなければならなくなるような)「勉強」など、しなきゃよかった。

(3)勉強よりも、「体で」稼げば良かった。

こういう悶絶ものの歯車(実践的三段論法!)の中で、今の若者たちは切り刻まれています。

「人間が勉強すること」を資本主義的な集金システムの中に組み込みすぎた現代社会を、ぼくは心のどこかで憎んでいるのかもしれません。

ぼくごときが何を言っても、多勢に無勢ですけどね。

オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(2)

データ的な根拠があるわけではありません。社会学者や政治学者や心理学者に正確な調査をお願いしたいです。

また、ぼくの出会ってきた人たちの悪口を言いたいのでもありません。

しかし、反論や批判を覚悟であえて言えば、1930年代から40年代までの間に生まれたコドモたちの中に、ぼくがそう感じるところの「永遠の被害者意識」をいまだに持ち続けている人たちが少なくないように思います。

彼らの共通点は、当時はまだコドモで、戦地には行く由も無く、ただ親や友人や町を失い、ひたすらひもじい思いに苦しんだという、まさに戦争の「被害当事者」としての意識だけを鮮明に持っている、ということです。

しかし、その人々の意識内容は、いずれにせよ早晩「戦争を知らないコドモたち」にとっては「神話化」するところとなり、アンタッチャブルなものになった。

そこに悲劇も始まったのだと思います。

まあ、でも、ほんのちょっとだけ、ぼくの言いたいことを明け透けに書いておきますよ。ほんのちょっとだけですけどね。

やっぱりぼくは、自分の子どものことをどうしても考えます。ぼくがまもなく47歳。長男が来月18歳です。長女も来年2月で15歳。

「彼らの世界」は、まだ始まったばかりなんですよ。どう考えてもね。

歴史の終末だ、世界の終わりだと、やたら終わらせたがっている人たちがいるのが、ぼくは気になります。勝手に終わらせるなよ、と言いたいです。

で、ぼくは47歳、中年男子、二児の父。

62年間(も)の「豊かさ」を享受してきた世代のオトナたちと、

「失われた二十年」だ、いや、まだまだ続くかもと、経済不況、就職氷河期、長期継続中。そこに加えて震災、原発事故と、これでもか・これでもかと降り注ぐ災難の中、それでも「新しい世界」を始めようとしているコドモたちと、

どちらの支援を選ぶべきかと問われれば、迷わず後者を選ぶ。

そう言いたいだけです。

今のオトナたちが全員いなくなった後も、今のコドモたちが「彼らの世界」を生き続けますよ。

そうやって歴史は続いてきたんですよ。

それでいいじゃん、みたいなことです、ぼくが考えていることは。

2012年11月13日火曜日

オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(1)

ひとりごと。

第二次大戦後の「食糧難」は、5年間(1945年~1950年)だったそうですね。

まあ、でも、その後、1950年から2012年までの62年間は、

よく食べ、よく飲み、よく遊んだわけですよね。

「たった5年間」とは言いませんよ。

だけど、「その後の62年間」が、まるで無かったことかのように、

いつまでも「永遠の被害者意識」を持ち続けるのって、どうなんだろうと、

この数年、しきりと考えさせられています。

オトナたちの、そのコドモじみた「永遠の被害者意識」が、

これからの世界を作ろうとしているコドモたちの邪魔になっています。

戦争肯定論じゃないです。維新にも改憲にも(老害新党にも)明確に反対。

だけど、オトナたちの「永遠の被害者意識」はコドモたちの迷惑だ。

「そんなの関係ねえ」ことだもん。

ぼく、今週47歳になるんですけど、まだ言わせてもらえませんかね。

ずっと我慢してきたんですけど。

ガチそのとおりだと思うよ

そうだよ、オトナ。

勝手にあきらめんなよ。

勝手に絶望して、勝手にぶっ壊すな。

「我らの世界は まだ始まったばかりだ」〔※)

この世界はもう、てめえらのもんじゃねんだよ。

コドモの分までオトナが食うな。

もう枯れてもいんじゃねーの。

(※)ももいろクローバーZ 「サラバ、愛しき悲しみたちよ」より


2012年11月12日月曜日

キリスト教記者クラブの「オフ会」にお招きいただくことになりました。

http://blogs.yahoo.co.jp/cjc_skj/30281506.html

えーっと、こういうの(↑)に出させていただくことになりました。キリスト教記者クラブの「オフ会」とのことです。

富士見町教会は「アジア・カルヴァン学会 第2回講演会」(2006年9月22日)のときにお借りして以来です。

あの講演会は、『カルヴァン説教集 命の登録台帳 エフェソ書第1章(上)』(キリスト新聞社、2006年)の出版感謝会を兼ねて行いました。講師は野村信先生(現在、東北学院大学教授)と久米あつみ先生(フランス文学者)でした。

ぼくは、翻訳の総責任者である野村信先生の発題に対するコメンテーターとして、ステージ側に並びました。なんだか懐かしいです。

2012年11月4日日曜日

自分の十字架を背負いなさい



マタイによる福音書16・21~28

「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、べトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている。』それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。』」

先日行いました秋の特別集会(2012年10月21日、松戸小金原教会)が終わった後、おひとりの方が貴重なご意見を寄せてくださいました。

それは、この教会に初めて来られる方の中には、礼拝堂の室内のどこにも十字架の像が無いことに驚きを感じる人は少なくないはずだ、ということでした。

屋根の上には十字架が立っているのです。しかし、礼拝堂の中にも十字架が付いている教会は少なくない。改革派教会のことをご存じない方は、当然どこかに十字架がついているし、その上にキリストの像がはりつけられていると考えておられるだろう。しかし、この教会にはそれが無い。どうして無いのかということを、牧師から説明すれば、関心をもつ人は多いのではないか、というご意見でした。

なるほど、と思いました。私はそのことについては、考えることさえほとんど無くなっています。なぜ付いていないのかということについて疑問に思うことさえない。しかし、そのことを疑問に思うことがない我々の姿が、この教会に初めて来られる方々から奇異に見えるかもしれません。そして、その我々の姿が奇異に見えるということにも気づくことさえない。

どうやらそういう事情のようです。私もその方に指摘していただいて初めて気づきました。ありがとうございます。

この礼拝堂に十字架が無いことの理由は単純明快です。最大の根拠はモーセの十戒の第二戒です。「あなたは、自分のために、きざんだ像をつくってはならない」という戒めです。

第二戒で言われている「きざんだ像」とは、宗教的な目的でそれを拝んだり手を合わせたりするために作られる像のことです。そのような目的ではない、いわゆる芸術的な意図で作られた彫刻などまで禁止されているということではありません。

しかし、ある意味でわたしたちは、そのような芸術作品に対してもかなりの警戒心を抱いて来たことは否定できません。美しいものを目にすると、思わず手を合わせてしまう。思わず拝んでしまう。そういうことはわたしたちにはありうることだからです。

たとえそれがイエス・キリストの像であろうと、十字架であろうと、その像そのものに、思わず手を合わせ、思わず拝んでしまうようなものになってしまう可能性があるようなものをわたしたちは警戒してきました。

わたしたちの礼拝堂の室内のどこにも十字架が無いし、イエス・キリストの像が無いことの理由はそれです。そのことを私自身は行き過ぎであるとは思っていません。しかし、結果的に、改革派教会の礼拝堂が殺風景のがらんどうになっていることは否定できない事実です。

今の説明でご理解いただけるかどうかは分かりません。しかし、ぜひご理解いただきたいことは、そのようなあり方こそが改革派教会の最も基本的な姿勢であるということです。

像を置かないことや作らないことだけが重要なことではありません。いかなる意味でも目に見えるものを拝まないということが重要です。あるいは、西だの東だのという一定の方角に向かって拝まなければならないというような考え方がありません。そういうのは端的に偶像礼拝の考え方であると我々は認識します。そういうことはわたしたちにとっては全く意味が無いことなのです。

いわばその代わりに、わたしたちは、目をつぶり、あるいは目を開けたまま、わたしたちの心の中に住んでおられる神に向かって拝み、手を合わせるのです。神は我々の目には見えません。我々の心が目に見えないのと同じです。

心の中の神を拝むと言いましても、自分の胸元を見ながら手を合わせても、意味はありません。重要なことは、わたしたちの心の中に住んでくださる神は、言葉を発せられる方であるということです。その言葉に耳を傾けること、従うことが、わたしたちの心の中の神を拝むことなのです。

聖書に関しても同じです。わたしたちはこの本そのものを拝んだりしません。講壇上の大きな聖書は拝むために置いているのではありません。聖書は拝むためにあるのではなく読むためにあるのです。これは飾りではありません。金色に輝いていますが、こんなものを拝まないでください。

その代わりに、わたしたちの教会にあるのは、わたしたち自身です。わたしたちの教会にはわたしたちしかいません。この教会には人間がいるだけです。あとは殺風景のがらんどうです。

今申し上げていることにおいて、独善的な意味で改革派教会の自慢をしているつもりはありません。他の教会を批判したり否定したりする意図で申し上げているのでもありません。しかし、ぜひご理解いただきたいのです。

それはわたしたちが教会の中にイエス・キリストの像や十字架の像を置かない最大の理由です。そのようなことをイエス・キリスト御自身が望んでおられないから、です。イエス・キリストの像や十字架の像を作ることは、イエス・キリスト御自身の御心に反することなのです。

なぜそのように言えるのでしょうか。今日の個所でイエスさまが弟子たちに対して語っておられる言葉は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(24節)です。

この御言葉を私の考えに強引にこじつけるつもりはありません。しかし、はっきり言えることは、イエスさまが弟子たちに命ぜられたことは、イエス・キリストの像を拝みなさいということではないし、十字架を拝みなさいということでもないということです。そのようなことは、イエス・キリスト御自身が最もお嫌いになったことなのです。

イエス・キリストについていくことを願い、決心し、約束した人々がしなければならないことは、その人自身の十字架を背負うことであり、イエス・キリストに従うことであり、御言葉に従って行動することです。そのように生きることです。生活することです。十字架は拝むものではない。飾りではない。アクセサリーではない。ペンダントではない。十字架は背負うものです。自分で背負うものなのです。

厳しい言い方になるかもしれませんが、像など拝んでも何も変わりはしません。わたしたちが一つの像に向かって毎日手を合わせれば、何かが良い方向に変わるでしょうか。何かにすがりたい思いをもっている人々を軽蔑してはいけません。そういうのはダメです。しかし、たとえば受験生がすべきことは像を拝むことよりも勉強です。物を拝むだけなら、現実逃避であると言われても仕方がない。

イエス・キリストに従って生きるとは、イエス・キリストの願いどおりに生きることです。十字架の像を拝むことは、イエス・キリストの願いに反することです。矢印が正反対を向いているのです。

しかし、それでは「自分の十字架を背負う」とはどういう意味なのでしょうか。

イエス・キリストが弟子たちに求められたことはそのことでした。今日の個所にはイエスさまが、御自分がエルサレムで多くの苦しみを受けて殺されること、三日目に復活されることになるということを弟子たちに打ち明け始められたと書かれています。するとイエスさまが殺されるという話を聞いてびっくりした弟子のペトロが「そんなことがあってはなりません」とイエスさまを諌めたというのです。その弟子たちにイエスさまが語られたのが「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という御言葉でした。

この文脈から考えられることは、「自分の十字架を背負うこと」と「自分を捨てること」は同じことの言い換えであるということです。別の話ではないのです。同じことです。

それでは「自分を捨てる」とは何のことかが問われなくてはなりませんが、書いてあるとおりですとしか言いようがありません。文字どおり自分を捨てることです。

この言葉の反対の言葉は何かを言えば、その意味を理解できるかもしれません。自分を捨てることの反対は自分を守ることです。自己保身です。自己保身のためなら、自分以外のだれが犠牲になろうとも、自分の家族が犠牲になろうとも構わないというようなタイプの生き方を思い浮かべるとよいかもしれません。その反対が「自分を捨てること」です。

そして、それが「自分の十字架を背負うこと」と同じ意味になります。神、そして隣人を尊敬し、愛するために、自分自身を喜んで犠牲として差し出すことです。そういうことができるようでなければならないと、そのことをイエス・キリストは弟子たちに、イエス・キリストを信じるすべての人々に、そしてわたしたちに求めておられるのです。

わたしたちの教会に像が無いのはそのことにも関係しています。教会の建物の中に拝むべきものが何も無いのですから、礼拝が終わり、教会での活動が終わったら、なるべく早く家に帰ることが重要です。

さっさと帰ってください。この礼拝堂は居心地が良いのです。しかし、ここにじっと留まってはいけません。私の邪魔だと言いたいのではありません(まさか)。日常生活に戻ること、そして常に共に生きている隣人を愛することが、我々の信仰において最も重要なことであると言いたいのです。

わたしたちがいま毎週の礼拝の最後に歌っている「御民に仕えます」(Here I am Lord、芦田高之訳)という賛美歌の主旨は、まさにそのことです。「わたしを遣わし、みわざをなしてください。心を尽して、御民に仕えます」。

この歌詞の意味は、主なる神がこのわたしをこの世に派遣してくださり、このわたしを用いて神御自身のみわざを行ってください、ということです。このわたしは、心を尽して御民に仕えます。ここで「御民」とは洗礼を受けた人たちだけのことではありません。神が造られた全世界の人々のことであり、わたしたちの隣人のことです。

神は今日も、わたしたちを教会からこの世へと派遣してくださいます。たとえこの世の現実がどんなに厳しいものであろうとも、わたしたちはこの世の中で生きるべきです。それが「自分の十字架を背負うこと」です。

それは自分の家に帰ることです。自分の職場に帰ることであり、地域社会のために働くことであり、自分の日常に帰ることです。

そのとき、わたしたちと共に、御自身もまた「自分の十字架」を背負われた、わたしたちの救い主イエス・キリストがいてくださるのです。

(2012年11月4日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年10月21日日曜日

この町に教会がある


2012年度 松戸小金原教会 秋の特別集会(2012年10月21日)説教全文

テモテへの手紙一4・6~16

「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」

今日は毎年わたしたちの教会がおこなっている秋の特別集会です。まだ教会に来られたことがない方々にわたしたちの教会の存在を知っていただくために、3千枚のチラシをこの地域に配布しました。この中にそのチラシを見て来てくださった方々がおられましたら、わたしたちは心から歓迎します。その方々には、ぜひこれから教会に足を運んでいただきたいと願っています。

今日これからお話ししますテーマは、「この町に教会がある」ということです。この町とは、千葉県松戸市小金原のことです。そして、この町にある教会とは、わたしたち松戸小金原教会のことです。しかし、小金原にはわたしたちの教会以外にもう一つ、教会があります。小金原二丁目にある栗ケ沢バプテスト教会です。その教会の牧師は吉高叶先生という方です。しゅっちゅうお会いしているわけではありませんが、仲良くしていただいています。しかし、この町の教会はこの二つだけです。他にはありません。二つのうちの一つがわたしたちです。

その意味でわたしたちはこの町に対して大きな責任を感じています。それはキリスト教の教えをこの町に宣べ伝える責任です。また、キリスト教の教えに基づく奉仕活動を続けていく責任です。小金原地区の現在の人口は約2万2千人です。そこに教会が二つしかありません。ですから、わたしたちの教会は、少なくとも小金原地区の人口の半分の1万1千人に対して、いま申し上げたことを行う責任を担っているのです。それで今日の集会のために3千枚のチラシを配らせていただいた次第です。

しかし、わたしたちの教会は現在50人です。寂しいことを言わないでくださいと叱られてしまうかもしれません。でも、それが事実です。しかも、50人の会員のうちで小金原に住んでおられるのは、15人です。あとの方々は松戸市の別の地区や柏市や印西市などから通ってくださっています。茨城県から通ってくださっている方も数名おられます。わたしたちの願いはこの地域の方々に対する責任を果たしていくことですが、そのことはまだ十分に果たせていません。そのことを痛感しています。

しかし、私は今日、皆さんに愚痴を言いたいわけではありません。この町に教会があることの積極的な意味を、喜びと感謝をもってお話ししたいと願っています。しかしごめんなさい、もう少しだけ愚痴っぽいことを言わせてください。

実を言いますと、この町にキリスト教の信者はわたしたちの教会に属する15人しかいないわけではありません。もっとたくさんおられます。先ほどご紹介しました栗ケ沢バプテスト教会の方々のことを言いたいのではありません。日本のキリスト者人口は国民の1%と言われています。百人に一人。小金原に2万2千の人がいれば、220人くらいは最低でもいるはずです。しかし、わたしたちの教会には15人。栗ヶ沢バプテスト教会にも同じくらいの人数ではないかと想像します。

しかし、それでは計算が合いません。いったい、この町の教会に通っておられないキリスト者の方々はどこの教会に通っておられるのでしょうか。松戸市内の別の地域や柏市などの教会かもしれません。しかし、もっと考えられる可能性は東京の教会です。バスに乗って、電車に乗って、あるいは自動車で東京の教会に通っておられるのです。松戸市が東京都との県境にあることが関係しています。また、小金原に住んでいる多くの方々が、かつて東京から引っ越してこられたことが関係しています。

ですから、その方々は、御自分の家の近くにわたしたち松戸小金原教会や、栗ケ沢バプテスト教会があっても、この教会の建物を御覧になったり看板を御覧になったりしても、残念ながら前を素通りされていることになります。

しかし、時々、たいへん有難いことに、そのような方々の中でだんだん高齢になられて、遠く東京の教会までバスに乗って、電車に乗って、あるいは自動車で通われるのが困難になられた頃に、「あ、こんなところにも教会がある」ということにやっと気づいてくださって、わたしたちの教会を訪ねてくださるようになる方々がおられます。先ほどご紹介しましたこの教会の会員のうちの15人の小金原にお住まいの方々のうちの何人かがそのような方々です。文句を言いたいわけではありません。しかし、もっと早く気づいてくださっていれば、と思わないこともありません。

私の口ぐせは、病院と学校と教会はできるだけ家から近いほうがよい、ということです。何かあればすぐに駆け込める距離。病院はまさにそのようなところにあると便利です。学校もなるべく近いと便利です。教会も同じです。何かあればすぐに駆けこめる距離。反対に、牧師がその方のお宅に駆けつけることができる距離。そのような教会に皆さんが属していることは、長い目で見ていただけば、悪いことではないと思うのです。

私が自分で言わないほうがよいかもしれませんが、「この町に教会がある」という言葉の中に、この町に牧師という仕事をしている人間が住んでいる、ということが少しくらいは含まれているということが意外に重要だったりします。残念ながら私自身はあまり人の役に立つような者ではないのですが、私以外の牧師たちは、けっこう役に立つ有用な人だったりします。

「牧師さんは日曜日以外は何をしているんですか」と尋ねられることが私も時々あります。そういうことを聞かれても、「ははは、ほんと、何してるんでしょうかねえ」と私はただ笑っているだけです。遊んでいると思われているのかもしれません。べつにどう思われようと構いません。私がふだん何をしているのかは今は申しません。バスに乗って、電車に乗って、自動車で会社に行くというような生活はしていませんので、ひまだと思われているかもしれません。しかし、そういう人間がこの町に住んでいることには意味があると思っていただけるような働きができるようになりたいと願っています。

教会がこの町にあり、牧師がこの町に住んでいることには、どのような意味があるのでしょうか。それは先ほどから申し上げていますとおり、何も無理して遠くの教会に通わなくても済むということです。つまりそれは、純粋に物理的な距離の問題です。徒歩や自転車で通える距離なら、バス代も、電車代も、ガソリン代も要りません。本質的でない話をしていると思われるかもしれませんが、意外に重要なことです。また、実を言いますと、非常に本質的な話をしているつもりです。

一つの点を申せば、昨年の東日本大震災の経験があります。皆さんの中にも、東京の会社や学校に通っておられる方々の中に、いわゆる帰宅困難者になられた方がおられました。距離が遠いということは、そのようなことにも関係してきます。

しかし、それだけではありません。宗教の本質的な点からも距離の問題を考えることができます。わたしたちの教会は「改革派教会」と言います。いわゆるプロテスタントの教会の中に属しています。プロテスタントの教会には無い考え方なのですが、キリスト教の中のカトリックと呼ばれる教会にはある考え方、他の多くの宗教にもある考え方は、いわゆる総本山のような場所があるということです。

カトリック教会のいわゆる総本山はローマのヴァティカンにあります。他の多くの宗教にもいわゆる総本山があります。しかし、わたしたちプロテスタントの教会にはありませんし、あってはならないと考えています。総本山がある宗教と、無い宗教との決定的な違いは距離の問題です。バスに乗って、電車に乗って、自動車に乗って、あるいは飛行機に乗って、そこに行かなければ本物の宗教に出会うことができないという考え方が、わたしたちの教会には無いのです。自分の家から近ければ近いほどよい。徒歩や自転車で通える、自分の生活圏と共にある宗教。日常生活の一部としての教会。それが、わたしたちの教会が理想とする宗教のあり方なのです。

だからこそです。わたしたちが「伝道」という言葉で呼んでいる、日本国内や世界各地にどんなに小さくても教会を作り、そこで日曜日ごとに礼拝を行い、他の曜日にもいろいろな集会を行っている理由は、いま私が申し上げた、わたしたちの教会が理想とする宗教のあり方とダイレクトに関係していることなのです。最も決定的な理由はわたしたちの教会には総本山が無いことです。もし総本山という言葉をあえて使えば、すべての教会が総本山なのです。松戸小金原教会が総本山です。会員50人の総本山などありえないと世間の人々からは思われてしまうかもしれません。しかし、わたしたちが毎週ここに集まることと、他の宗教の人々が総本山に集まることは、本質的に同じことなのです。

ここで最初に朗読しました聖書のみことばに注目していただきたいと思います。これは今から2千年前に書かれた手紙です。当時活躍したキリスト教の伝道者である使徒パウロが弟子のテモテに書き送った手紙です。このときテモテはエフェソと呼ばれる町に立てられた、おそらく当時はまだ小さな教会で働いていました。そのテモテにパウロが書いているのは、励ましの言葉です。「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります」(6節)と書かれています。

実を言いますと、このときテモテはまだ若い人でした。青年と呼ばれる年齢だった可能性が高いです。それでパウロは次のように書いています。「あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範になりなさい」(12節)。

これで分かるのは、使徒パウロが弟子のテモテと、テモテが働いているエフェソの教会に対して、どのような見方をしていたのかということです。

それは次のようなことです。あなたはたしかに年齢的に若いかもしれないが、だからといって、あなたの働きは不十分であるとか、あなたが働いている教会は未熟であるとか、そのようなことは無いし、人からそのように思われるようなことがあってはならないということです。ベテランの牧師が働いている教会は、いわゆる総本山で、新米の牧師が働いている教会は、周辺的な教会だ、というような考え方は、キリスト教の教えの中には無いし、あってはならない。

パウロはこのようにも書いています。「自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかり守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります」(16節)。

ここでとくに注目していただきたいのは、最後に書かれている「あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになる」というパウロの言葉です。これで何が分かるのかといいますと、テモテの年齢がどれほど若かろうと、エフェソの教会がどれほど小さかろうと、テモテが語る言葉によって、その町に住んでいる人々の「救い」が起こる、ということです。

しかし、テモテがその町の人々を救うのではありません。人を救うのは神です。テモテは、神御自身がその町の人々を救うために用いられる道具にすぎません。しかし、テモテの存在は神御自身が用いてくださる道具ではあるのです。道具なしに、テモテの存在なしに、神はその町の人々をお救いにならないのです。

松戸小金原教会が「地方の教会」であるというと、腹を立てる人たちがいるかもしれません。「何を言っているんだ、松戸は都会じゃないか」と言われてしまうかもしれない。「都会か地方か」という話の枠組みの中で見れば、わたしたちの教会は都会の教会だと言わなくてはならないのかもしれません。

しかし、わたしたちがどうしても意識するのは、お隣に東京という巨大な都市があり、そこにかなり年配のベテランの牧師がいる、かなり大きな規模の教会があり、そのような教会と比べれば、わたしたちは、小規模の、比較的若い牧師(私)がいる教会だということになる。この町に教会があるのに、前を通り過ぎられてしまう、中まで入っていただけないこともある、そういう教会の中に数えられてしまうことがあるので、その意味では「地方の教会」とみなされてしまう面があるかもしれません。

しかし、今日、皆さんにぜひご理解いただきたいと願っていることは、なんだか悪あがきのような言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、初めから大規模の教会は存在しません、ということです。すべての教会が最初は小さな教会でした。また、もう一つ悪あがき。初めからベテランである牧師は存在しません。すべての牧師が最初は若い牧師でした。いま私は冗談のような話をしているわけですが、大真面目です。小さな教会、若い牧師が、長い年月の中で、次第次第に、少しずつ成長していくのです。最初は小さな働きしかできないのですが、次第次第に、少しずつ大きな働きができるようになるのです。

牧師だけの話をしてはいけません。教会が成長するということは、その教会に属する会員一人一人が成長していくことです。初めからベテランの教会員はいません。すべての人が最初は赤ちゃんでした。自分では何もできませんでした。何かができるようになるためには、社会的に大きな責任を果たせるようになるためには、多くの時間と努力が必要なのです。

ですから、今日、私から皆さんにお願いしたいと思っていることは、せっかく皆さんの家の近くにある、スープの冷めない距離にある、今はまだ小さくて若いこの教会が、大きく熟練した教会へと成長していくことのために祈っていただきたいし、まだこの教会の仲間に加わっておられない方々にはぜひこの教会の仲間に加わっていただきたいということです。皆さんに加わっていただくことがこの教会の成長です。

この町から教会が無くなってしまえば、この町に住んでいる方々がもしキリスト教の教えを学びたいと願われたときには、また繰り返して言いますが、バスに乗って、電車に乗って、自動車に乗って、遠くの町の教会まで通わなくてはならなくなります。元気なうちは、それもできる。しかし、わたしたちは、いつまでも元気なわけではありません。

松戸小金原教会の灯が消えないように、皆さんの祈りが必要です。もっと多くの仲間をわたしたちは求めています。どうか皆さん、わたしたちのためにお祈りください。ぜひ教会に来てください。

(2012年10月21日、松戸小金原教会 秋の特別集会)

2012年9月23日日曜日

どうして「心の貧しい人々は幸い」なのですか


マタイによる福音書5・1~12

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。『心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。』」

今日はイエス・キリストのいわゆる「山上の説教」の冒頭の個所を開いていただきました。山上の説教という言葉は、字を見て初めて意味が分かる、耳で聞くだけでは意味が分からない言葉であると思います。山上(さんじょう)とは「山の上」です。イエスさまが山に登られて、その山の上で弟子たちに説教されました。山上の説教とはそういう意味です。

どうしてイエスさまは弟子たちに説教するためにわざわざ山に登られたのでしょうか。その理由は書かれていません。しかし、一つ明らかなことがあります。それは、旧約聖書に出てくるモーセが、いわゆるモーセの十戒をはじめとする律法を石の板に刻んだ場所が、山の上だったということです。どうしてモーセのことがイエス・キリストに関係していると言えるのでしょうか。この点ははっきり語ることができます。この山上の説教は、マタイによる福音書の5章から7章まで続く大変長いものですが、その内容は実際に読むとすぐに分かることですが、これは明らかに、モーセの律法についての新しい解釈をイエスさまが語っておられるものだからです。

そのような内容の説教をイエスさまが山の上でなさったことは、モーセが山の上で律法を石の板に書き記したことと明らかに関係しています。その事情はこうです。イエスさまは、その説教をなさるために山の上に立つことによって、御自身はかつてモーセが立ったのと同じ立場、いや、それ以上の立場にあることをお示しになったのです。イエスさまは御自身を、モーセを超える存在、モーセ以上の存在として示されたのです。そのためにイエスさまは山の上で弟子たちに説教されたのです。

なぜイエスさまは「モーセ以上」なのでしょうか。先ほど私はイエスさまの山上の説教はモーセの十戒の新しい解釈であると言いました。それはそのとおりですが、新しい解釈という次元を越えて、もはやモーセの律法の全面的な改訂ないし更新と呼んでもよいほど、全く新しい教えであるとも言えます。イエスさまの説教は耳にたこができるような、だれでも知っているような、古くさくて退屈な話ではなかったのです。だれも聞いたことがなかったような、全く新しい言葉だったのです。

さて、その山上の説教の最初に語られた言葉を今日は読みました。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」。これはモーセの律法についての新しい解釈という点とは直接的には関係ない内容です。しかし、非常に人を驚かせる言葉です。私もいまだに、読むたびに驚きます。もっと言えば、動揺します。イエスさまは一体何をおっしゃりたいのだろうと理解に苦しみ、不安になります。それはたぶん私だけではなく、多くの人がそうだと思うのです。

次の言葉もすごいです。「悲しむ人々は、幸いである」。そのときの状況や気分にもよると思いますが、悲しんでいる人に「あなたは幸せですね」とか言えば、非常に腹を立てる人が必ずいるはずです。たとえ聖書の御言葉であっても、時と場所と状況を間違えて使うと、誤解されてしまいます。

もう一つだけ先に見ておきます。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。この「柔和な人」は説明が必要です。「柔和な人」と聞けば、わたしたちは通常、人との争いを好まない、穏やかな性格の人というくらいの意味で理解し、良い意味であるととらえるはずです。しかし、この「柔和な人」は悪い意味です。なぜなら、ここで言われているのは、家畜がその飼い主によって飼いならされているという意味の「飼いならされた人々」のことだからです。政治的な権力者にとっては扱いやすい、人の言うことをなんでも聞く、飼いならされた人です。それを日本語で「柔和な人々」と訳しても意味が通じるはずがないので、説明が必要です。

ですから、山上の説教の最初の三つの言葉、「心の貧しい人々は幸いである」・「悲しむ人々は幸いである」・「柔和な人々は幸いである」は、どれも悪い意味で言われていて、辛くて苦しい境遇や状況に置かれている人々のことです。そのような人々は「幸いである」とイエスさまは非常に驚くべき言葉を語っておられるのです。イエスさまは何を言っておられるのかが分からない。理解に苦しむ。そのような反応が起こることが当然予想される、明らかに逆説的なことをおっしゃっているのです。

今日は、考えてみたいことを一つだけに絞ることにします。それは最初の「心の貧しい人々は幸いである」というイエスさまの御言葉です。「心が貧しい」とは、どういう意味でしょうか。この問題に今日は集中することにします。

原文を調べてみて分かったことがあります。それは、ここで「心」と訳されている言葉は新共同訳聖書の他の多くの個所では「霊」と訳されている言葉であるということでした。たとえばわたしたちが「聖霊」(原文では「聖なる霊」)という言葉で理解している意味内容があるわけですが、その意味で使われる「霊」が、今日の個所の「心の貧しい人々」の「心」と同じです。つまり、今日の個所も「霊の貧しい人々」と訳しても間違いではないのです。

そして「貧しい」とは「少ない」ということです。通常「貧しい人」といえば、持っているお金や財産が少ない人のことですが、「霊が貧しい人」とは、字義通り訳せば「霊が少ない人」となります。しかし、もう少し丁寧に考えるとしたら、貧しいことと少ないことは完全なイコールではありません。持っているものは少なくても、使う分も少なければ、需要と供給のバランスはとれていると言えるでしょう。少ないけど足りている。そういうことはありうることです。しかし、ここでの「貧しい」とは足りないことです。足りていないことです。ですから、イエスさまがおっしゃっているのは「霊が少ない人」というよりも「霊が足りない人」あるいは「霊が足りていない人」のことであると考える必要があります。需要に対して供給が追い付いていない。そのバランスがとれていない。霊に対して常に不足と不満を感じている。そのような人々についての話なのです。

それは何のことなのでしょうか。霊が足りないとか少ないとか。ここで考えなければならないことは、聖書が描き、イエスさまが見ておられる人間の姿です。それは簡単に言えば、人間とは肉体だけでできている存在ではなく、その中に霊というものが宿っている存在であるということです。人間は単なる肉の塊ではありません。少なくとも何かを考えたり感じたりします。理性があり、感情がある。そして、それだけではなく、人間は神を知ることができ、信じることができます。客観的に証明することはできないことですが、他の動物と人間の違いは宗教を持ちうるかどうかであると言われることがある。人間だけに固有な能力は宗教であると言われます。そのような理性や感情、あるいは信仰や信心が人間の肉体の中に宿っています。それらすべてをまとめて、聖書は「霊」と呼んでいるのです。

ですから、イエスさまが「心の貧しい人々」と呼んでおられるのは、その意味での「霊」が少ない、足りない、足りていない人のことであると理解することができます。あるいは、その「霊」には人間の知識とか知恵なども含まれています。知識や知恵が足りない人、ということになりますと、世間的な評価も、残念ながら低い。そのようなことのすべてを含んでいるのが「霊の足りない人」です。

そういう人々がどうして「幸い」なのでしょうか。イエスさまがその理由として挙げておられるのは、一つのことだけです。「天の国はその人たちのものである」。「天の国」は天国と同じ意味です。「の」が入っているだけです。意味は同じです。しかし「神の国」とも同じ意味です。「天」は「神」の言い換えです。「神」という言葉を口にしたり書いたりすることが畏れ多いため別の言葉で言い換えた婉曲表現が「天」です。意味は同じです。

しかし、「天」とか「天の国」「天国」と言われますと、わたしたちはどうしても、空の上のことを考えてしまいます。星の向こう、宇宙の彼方を仰ぎ見てしまいます。しかし、「天の国」は「神の国」と同じです。そして「神の国」というのは、聖書の中では断然、この地上において実現されるものを指しています。「神の国」とは、神が創造されたこの世界を神御自身が支配されることを意味しているからです。神という王が地上の世界の平和を実現してくださること、それが「神の国」です。空の上、星の向こう、宇宙の彼方の話ではないのです。むしろ、この地上の問題であり、わたしたちの心の中の問題です。

そのような「天の国」あるいは「神の国」は、「心の貧しい人」あるいは「霊の足りない人」のものであるとイエスさまは言われているわけです。それはどういう意味でしょうか。「霊が足りない人」は基本的に「肉だらけの人」です。我々の肉体を一つの容れ物として見立てるとしたら、空きスペースがたくさんある、ほとんど空っぽの容れ物だということになります。何が入っていないのかと言えば、霊が入っていない。なかでも信仰が入っていない、足りない、足りていない。あらゆることを神なしで、信仰なしで、考えている、それで生きている。そういう人たち。

しかし、イエスさまはそのような人々のことを、ばっさり切り捨てたりはなさいません。むしろ、そういう人々こそ「幸いである」とおっしゃっています。なぜなら、そういう人たちのためにこそ、神の国はあるからです。なぜなら、なかみがほとんど空っぽの人にこそ、神の霊、聖霊なる神御自身が入りこんでくださり、宿ってくださるスペースが、たくさん残っているからです。

勉強と努力ももちろん大事です。しかし、そのようなものだけで頭と心がいっぱいになっている人は、神にも宗教にも興味をもつことができません。自分の力ですべての道を切り開いてきたと思っている人は、神の恵みというようなものを受け入れることができません。しかし、自分の努力には限界があります。挫折も失敗もあります。すべての道を自分の力で切り開いてきたと信じてきた人の挫折感は激しいものがあります。文字どおりの絶望がある。しかし、そのとき人の心に風穴があく。空きスペースができるのです。そこに神が恵みを注いでくださる。神御自身が宿ってくださるのです。

「心の貧しい人々」は、なぜ幸いなのでしょうか。そのような人々にこそ、神の霊、聖霊なる神が豊かに注がれる余地があるからです。そのような人々にイエスさまは「ぼくと一緒に生きて行こう」と呼びかけてくださるのです。

(2012年9月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年9月19日水曜日

「最長滞在記録」更新中です

今日は午前中、教会の祈祷会がありました。その後、昼食を買いにコンビニに行ったらレジのパートの方が中学校のPTAで親しくしていただいている方だったので、つい長々とレジ越しに話し込んでしまいました。

来る11月3日(土)に中学校でPTA主催のバザーを行うことになっているのですが、そのバザーの実行委員長を昨年からPTA会長が兼ねることになったので、これから忙しくなっていくんです。さっきそのお母さんと話し込んだ話題も「バザーの打ち合わせ」でした。

そんなことをこんなところに書いて、いまぼくは何を言いたいかといいますとね、ぼくが松戸小金原教会の牧師になって、いま9年目なんです。2004年4月からですから、だいたいちょうど8年半です。長男(現在高3)は小3から小4になるタイミング、長女(現在中3)は幼稚園から小1になるタイミングでした。あれからもう8年半も経つんだなあと思って。

ぼくね、自慢でも何でもないんですが、生まれたときから高校を卒業するまでの18年間生活した岡山県岡山市を除いたら、同じ町・同じ場所に過去、最も長く住んだのは、ここ、松戸市小金原ということになるのです。「最長滞在記録」更新中です。

8年半くらい住みますとね、その町のコンビニのパートのお母さんたちとも顔見知りになれる。ていうか、流浪の牧師が、公立中学のPTA会長とかやってたりする。

あ、そうそう、いまぼくは町会の班長なので、一昨日は同じ班の高齢者たちに敬老の日のお祝いのプレゼントをもって10軒ほどお訪ねしました。

でもね、こういうことも、やっとできるようになったんですよ。8年半ほどじっとしてただけですよ。礼拝出席者が目覚ましく飛躍的に増えたわけでもない。「きみ、8年半もそこで何してたの?」と問われても、答えに窮するばかり。穴があったら入りたい。

「やっと町の人と仲良くしてもらえるようになりました」。

それで精一杯です、ぼくは。すいません。

2012年9月5日水曜日

神学書が分からないのは貴方のアタマが悪いせいではない

昨年(2011年)8月に惜しくもお亡くなりになった翻訳者であり・翻訳論者であった山岡洋一氏からは、著書『翻訳とは何か』とメールマガジン『翻訳通信』を通してきわめて重大な示唆を得た。

山岡氏とは一度だけメールのやりとりをしていただいたものの、面識を得ることはできず、急逝の一報に接したときは愕然とする思いを禁じえなかったことを、昨日のことのように思い返す。

山岡氏からぼくは何を最も学んだか。いま「最も」と書いたばかりなので、一点に絞る。

ぼくの関心は高校を卒業して大学に入学して以来ずっと「神学」にあるわけだが、ほとんど最初から最近まで悩み続けてきたことは、神学関係の訳書は「読んでも分からない(理解不可能である)」ということだった。

それで、ご多分に洩れず(ぼくと同じ問題で悩んでいる人と何人となく出会ってきた)、「この本を理解できないのは、ぼくのアタマが悪いせいなのだ」と自分を責めてきた。わりと深刻に。しかし、山岡氏に出会い、この呪縛から解放された。

ぼくには何度読んでも理解できなかった訳書のほとんどは、山岡氏の言葉を借りれば「翻訳調」で訳されているものばかりであった。この「翻訳調」の歴史的由来が、明治政府以来の日本の国策としての「翻訳主義」にあることを、山岡氏は教えてくれた。

日本の「翻訳主義」には長所がある。なんといっても「小学校から大学までの教育をすべて自国語で行えるようになった」ことである(山岡洋一「翻訳主義と翻訳調」、翻訳通信、2010年6月号、第2期第97号、メールマガジン、1ページ)

しかし、「翻訳主義」に基づく「翻訳調」の基本は、外国語の一単語に日本語の一単語を対応させるという「一対一」の原則にあるので、そういうふうにして作られた文章(訳文)を読者が「日本語」として理解することには非常に無理があり、ほとんど不可能であるということは、なるほど明らかである。

そして、「翻訳とは執筆なのだ」という単純な事実を、ぼくは山岡氏から教えられた。日本語が上手に書けない人に、外国語の書物の「翻訳」は不可能である。神学の場合も然り。「日本語化」でないようなものは「翻訳」とは言えない。

よく考えてみれば、これほど自明なことは他に無いと思えるようなことが、ぼくには長らく分からなかった。

「1997年5月1日」(とメモしてある)に、ぼくは生まれて初めて『講談社オランダ語辞典』を、新校舎になったばかりの神戸改革派神学校(神戸市北区)の近くの小さな書店で購入し、初めにヘルマン・バーフィンクの、次にアーノルト・ファン・ルーラーのテキストを読みはじめた。

それ以来ぼくは、オランダ語のテキストと『講談社オランダ語辞典』とには首っ引きになった。とにかく必死になって、上記の意味での「一対一」のパッチワークを始めた。オランダ語の一語に対して、日本語の一語を対応させようとした。しかし、そういう方法で作り上げられた訳文は「日本語」ではなかった。

しかし、「日本語」でないような訳書は商品にはならない。というか、恥ずかしくて世に出す気にならない。だって、日本語としては支離滅裂なのだから。

だから、それをなんとかして日本語として読みやすくしようと当然試みる。ところが、それが無理なのだ。ちょっとやそっといじくるくらいで何とかなるようなシロモノではない。

結局、根本的・全面的に書き直さなくてはならない。しかし、そういうのは明らかに二度手間だし、加えて、最初に成立した「支離滅裂のパッチワーク」が一種の後遺症のような作用を及ぼし、真に果たすべき「日本語化」の妨げになるケースがあることを、実際に体験した。

そのような数々の(と言っても、翻訳に関してはシロウトなので、質量とも大したことはない)経験の中で自覚された課題が、いくつかあった。それを山岡氏がはっきりと教えてくれたのだ。

第一は、神学書もまた「翻訳調」(一対一(いったいいち)対応を原則とする支離滅裂のパッチワーク)からの脱却をはからなければならない。

第二は、「翻訳調こそが翻訳だ」という凝り固まった翻訳論に立脚する旧来の日本の(日本的な)神学的潮流からの脱却「をも」はからなければならない。

第三は、神学書の翻訳は「日本語化」が必要であり、単純に「日本語」でなければならない。

古来の日本語の中には欧米のキリスト教伝統に対立する要素が含まれているので、「神学の単純な日本語化」なることは不可能であるという理屈は、ある意味で分かる。しかし、ぼくが考えていることは「日本的神学」だの「日本主義神学」だのを目指せ、というようなことではない。もっと、ずっと手前の話である。

翻訳された神学書を手にとって読む人たちを、「この本を理解できないのは、ぼくのアタマが悪いせいなのだ」というような思いにさせたくない。事情は実は逆なのに。

貴方が「この本を理解できない」のは、訳者が悪いに決まっている。悪いのは、日本の国策としての「翻訳主義」に基づく「翻訳調」から一歩も身動きがとれなくなっている、日本の神学的アカデミシャンたちである。

ぼくがブログ「関口康日記」を始めたきっかけも、いま書いていることに大いに関係している。「日本語化」のためには日本語を磨く必要がある。自分の考えや思いを、顔の見えない人たちに、自分の書く「字」だけで、どうやって伝えるのかを、徹底的に考え抜く必要がある。

そのために、ぼくはブログを始めたのだ。それが「日本語化としての翻訳」の質を高めるものになると信じることができたからに他ならない。

ブログに書いていることも、Facebookに書いていることも、9割はジョークで、神学からも翻訳からも程遠いことばかりである。ま、でも、それはぼくが決めたやり方なのだから、だれに文句を言いたいわけでもない。

ただ、回り道しすぎている感は否めない。ぼくの時間に、それほど猶予はない。

2012年8月9日木曜日

マックス・ヴェーバーはやっぱり迷惑だ

だいぶ前にブログに書いたことを繰り返しますが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はやっぱり迷惑です。

ルター、カルヴァン、改革派神学、ウェストミンスター信仰告白の「禁欲的な」倫理思想が、ヴェーバーの文脈からいえば19世紀頃の(とりわけアメリカの)資本主義の道備えを、皮肉かつ逆説的な仕方でおこなっ(てしまっ)た。

仮に百歩譲ってそのようなことが歴史的世界の中のどこか一部にあったことがあるかもしれないとしても、そのような世界の大海の一滴のようなエピソードを、あたかも普遍的な事実であるかのように引き伸ばして語ることは、明らかに誇張だし、デフォルメだし、虚構のたぐいです。

まして、ルターもカルヴァンも、改革派神学の一冊も、ウェストミンスター信仰告白の一ページすら開いたこともないような人たちから、高校の社会科の教科書や大学受験予備校のテキストにたったの四行か五行くらいで書いているようなことを検証することもなく鵜呑みにしたままに、「カルヴァンからピューリタンの方向に行くと、あの資本主義国アメリカみたいになるんぜ。だからあの連中には気をつけなよ」というような「あのね、それザックリし過ぎだよ!!」と大声をあげたくなるような話がまことしやかに語られるのを散見する日には、もうただひたすら笑いと怒りが交錯する悶絶状態に陥ることさえ、まあ無いとは言いがたい。

マックス・ヴェーバーは迷惑です。心底そう思っています。

彼の理論を社会学や政治学の方面から批判し、脱構築していく議論は、ぼくなりにいろいろ読んできたつもりです。しかし、これは日本国内だけのことですが、神学・教義学の方面からの正面からのヴェーバー批判は、寡聞にして知りません。

ぼく自身はアメリカという国に行ったことがないし、あまり興味もないので、本当にどうなのかはよく分からないし、「ヴェーバーの言ったことはほとんど正しい」と言いうる現実があるのかもしれないので、偉そうなことは言えません。

ただ、繰り返しますが、「カルヴァンからピューリタンの方向に行くと、(論理的・必然的・運命的に)あの資本主義国アメリカみたいになるんだぜ」ってことはない。それはカルヴァンと改革派神学に対する中傷誹謗のたぐいだし、曲解としか言いようがない。

「本当にそうかどうか、ぼくと一緒にテキストを読んでみませんか」と言いたくなります。

2012年8月6日月曜日

百年前とか千年前は「ついこないだ」です、ハイ


「百年に一度」であれ「千年に一度」であれ、地球の歴史全体から考えると「頻繁であること」を意味していますね、たしかに。

ぼくらが「自分の生きている間だけ安全であればいい。百年先のことなんか知るか」みたいな考え方をしてしまうことは、やっぱり恥ずかしいことだと思う。

ぼく自身を含めて、宗教とかをやっている者たちにとっては、ある程度の長さをもつ時間的スパンで物事をとらえることは、慣れてるというか、いつもやってることだと思うんですけどね。

神学者たちの話とか聞くと、だいたいそうですよ。「ついこないだのことですが」と切り出すので何の話かなと聞いていると、18世紀のカントの話だったり、19世紀のシュライアーマッハーの話だったりする。

大づかみに歴史をとらえるって、そういうことです、よね。

今次の動きは「デモ」というより「オフ会」ですよね

今次の官邸前や全国の動きは、デモ、デモと言いますが、ぼくは、いわゆる従来の「デモ」ではないと思ってるんです。

じゃあ何なのかと問われてもうまく答えられないんですが。

60年安保との決定的な違いは、インターネットの普及の有無です。今次の動きには「オフ会」の面があります。

議論はネット上でかなり深いところまで十分になしうる。各自が支持・所属する政党や宗教教団の壁を越えて。

そして、議論を踏まえたネット民が地上に姿を現したら、これだけの動きになった。

なんかそんな感じなんです。

だから、歴史の繰り返しだとか、そういうのとはかなり違うものだと思うんです。

2012年7月28日土曜日

このデモに「主催者」は、もはやいない


原発抗議行動、今週も 日曜日に「国会包囲」実施へ(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0727/TKY201207270517.html

「これまで呼びかけてきた『首都圏反原発連合』の主催ではなかったが、午後6時すぎには多くの人が集まり、『原発止めろ』『子どもを守ろう』などと声を上げた。」

脱原発:デモ:政党は距離感つかめず
http://mainichi.jp/select/news/20120728k0000m040174000c.html

「自発的に集まる人々がほとんどで、政党側には意思疎通のパイプがない。矛先が既成政党全体に向かうきざしもあり、『なめたらえらいことになる』(自民党幹部)という声も出ている。」

これでますます明白なことは、総理官邸前デモには、厳密な意味での「主催者」は、もはやいない、ということです。

率直に言って、もう、そういうたぐいの恣意的なコントロールは効かない状態だと思うんです。

なので、あくまでもぼくの印象ですが、これからは、「主催者」の側から、「今日はしません」とか、「次はいつにする」とか、「今度はどこで」とかいうような“指示”を、もうあまりしないほうが、このデモは続くんじゃないかという気がします。

「毎週金曜日の午後○時」には、とにかく総理官邸前に行く。だれが“指示”をしなくても、そうする。

というふうな感じの運動は、単純素朴ゆえに長続きするんじゃないかと思うんです。

それは、たとえはピッタリではないかもしれませんが、ぼくたちキリスト教徒が「毎週日曜日の午前○時」には、とにかく教会に行くということを、誰かに”指示”されて、というわけでもなく、してきたのと、どこかしら似ている感じです。

“指示”されるのは、もううんざりなんです、よね。集まっている人たちの感覚は、そのようなものだと思いますよ、一人一人に聞いたわけじゃありませんけどね。

2012年7月27日金曜日

ぼくのラスボスってダレなんですか

脈絡は全くありません。

今朝からなんとなくぼんやり考えていることです。

「自分探し」ってあるじゃないですか。

あれ、ぼくしたことないし、興味も無いんですが...って、してる人をけなす意味は無いですよ、無いです無いです。

だけど、振り返ってみて「ラスボス探し」っていうのは、けっこうしてきたかも、と気づかされるものがあったんです。

ぼくにとっての「ラスボス」って誰なんだろ、という関心です。

分かんないですね、いまだに。

闇夜に怯える子どものようです。

「...だ、だれなんだっ?ぼ、ぼくのラスボスはっ?!」と叫びたいくらいです。

実は自分の父だったという、「銀河鉄道スリーナインかっ!」的なオチも考えなくもないのですが、いやいや、ぼくの父に限っては、それは無い無い。無いです。

えっと、ダレなんですか、ぼくのラスボスは?

「ぼくで~す!」って名乗り出てほしいっす。

あ、もし、実は自分の妻だったという展開だったら、ぼくやられてもいいや(笑)。

それも無いですからね、無い無い(笑)。

2012年7月17日火曜日

「大きな音だね」と言ってください、総理。



【撮影:野田雅也(JVJA)】

この映像はすごいです。

7月13日(金曜日)の官邸前デモのときは、ヘリ撮影は許可されませんでした。だから、警察発表「1万人」と言われても、だれも反論できなかった。

しかし、7月16日(月曜日)は、こういう写真を撮ることができました。

これで総理が「大きな音だね」とか言ったら、今度こそ何か起こると思います。

いっそ、そう言ってほしいと思うくらいです。

「大きな音だね」と言ってください、総理。

2012年7月14日土曜日

まあ、いいですよ。分かりました。


昨日7月13日(金)は、残念ながら総理官邸前に行くことができませんでしたので、フェイスブックとツイッターとユーストリームから流れるデモの情報を集めていました。

それでだんだん分かってきたことは、6月29日(金)と昨日7月13日(金)の大きな違いは、ヘリコプターからの撮影が許可されなかったことにある、ということです。

そのうえでデモの流れが数カ所でせきとめられ、いくつかのブロックに分断され、一つのブロックから他のブロックへの移動ができなかったため、主催者にデモ規模の全容を把握することができなくされた。

それで、政府発表として「1万人」と言ってしまえば、だれも反論できない。

このようにして「主催者発表」の数字を封じる作戦だったのかな、と思いました。

これでは、いくらデモの人数が増えても、首相側は痛くもかゆくもありません。

まあ、いいですよ。分かりました。

2012年7月13日金曜日

「偽装」では何も変わらない

別の話。

忘れないうちに書いておきます。

昨夜、波勢邦生さんとスカイプで一時間くらいしゃべりました。

「波勢邦生、だれ?」の質問に応えるのは著名な彼に失礼なので控えますが、オモロイ人です。

でも、スカイプでしゃべったといっても、ぼくのほうがかなり一方的にしゃべってたというのが実際のところでした。波勢さんはニヤニヤ笑いながら聞いてくれました。

で、ぼくが言ったことは、「伝道」という名のもとに、説教(ないし「メッセージ」)を「若者向けにする」とか、「一般に分かりやすくする」とか、「文脈化する」とか、「非神話化する」とか言ってみたところで、根本の部分は少しも見直そうとしないで、変えるべき点を変えようとしないで、ただアウトプットの様式を変えて見せているだけだとすれば、それって「偽装」っていうんだよ、ということでした。

ま、それ以上のことは、こんなところには書けませんけどね。

「本丸」が問題なら、そこに踏み込まざるをえない。

そういう話をしていました。これはキリスト教界の内輪話です。

波勢さん、夜遅く付き合ってくれてありがとう。またね!

迅速な政治判断を求めます

松戸市が「ホットスポット」になったことは明白です。

それは松戸市だけではなく、千葉県の北西部全体、あるいは東京都の葛飾区あたりもそうです。この事実を否定できる人はもはやいません。

最初は子どもたちのことを心配し、もし彼らが求めるなら、せめて子どもたちだけでもぼくの実家のある岡山に避難させようかと考えました。

しかし、子どもたち自身が、各学校から十分な説明を受けたうえで「ぼくらは逃げたいとは思わない」と言うので、彼らの意思を尊重することにしました。

松戸市は、除染にしろ、情報公開にしろ、非常に迅速かつ率先しておこなってくれるので(それで問題そのものが解決するわけではないにしても)、ぼくは松戸市に感謝と敬意を持っています。

しかし、「原発再稼働反対」は、ぼくにとっては、何ら他人事ではありえません。

6月29日(金曜日)は首相官邸前抗議にぼくも行きましたが、今日はどうか分かりません。

いちばん良いことは、今日の午後6時までに、首相が原発再稼働を撤回する政治判断をすることです。

今日のデモは、首都圏の交通機能をマヒさせるほどの規模になる可能性がある。そのようなデモは、しないに越したことはない。

原発再稼働が撤回されさえすれば、デモそのものをしたいわけではない人はたくさんいると思います。

6月29日(金曜日)ぼくは、本当はデモの最後まで首相官邸前にいたかったのですが、少し早めに帰宅しなくてはなりませんでした。

東京メトロ「国会議事堂前駅」のホームにかけおりるとき、20代か30代くらいの背広を着た男の子たち(省庁職員のような感じの子たち)が「あのデモって、組合とかの掛け声に従わざるをえなくて集まってるやつらばっかなんだよね」とか話している声が聞こえました。

違うよ、それは。

マジで言ってるとしたら、きみら勉強しなおしたほうがいい。

2012年7月9日月曜日

牧師の笑顔は「営業」なのか...ま、まさか(汗)

ウソかホントか、ちまたで「タイムリーな話題」らしいので、調子に乗って書いておきます。

お題は、「牧師の笑顔は『仕事だから』なのかどうか、という謎について」。

もちろん「そうじゃない(営業スマイルではない)ですからねっ!」ということにしておきます。

ま、でもね、逆算してみていただきたいのですが、Yahoo!の報道(?)にもあったように「牧師の平均年収267万円」だったりする。

それで、妻子がいて、子どもが高校だ大学だに行きはじめたりして、その学費だなんだを払うために、牧師でないほうの配偶者が外に働きに出たりしている。

だから、牧師のほうは「家にいる」という理由で「ヒマそうだ」と思われ、子どもの弁当を作ったり、炊事・洗濯をしたりしている。

世間からも「あの人ヒマそうだ」と見られて、PTA会長とか、少年補導員とか、町内会の仕事を押しつけられたりする。

でもでも、教会の説教や牧会の質を落とすとすぐに批判が出るので、聖書の熟読、神学の研鑽、病床訪問などを怠ることは一切できない。

それで、会議だ、学会だ、出張だ、そのための資料づくりで、徹夜だ、寝不足だ。

そんなフラフラの状態でも、「あの仕事ができてない。ここが片付いてない」と畳みかけられ、そのうえ「営業的でないスマイルが欲しい」と要求されるのが牧師だったりするんですが...。

「えっとー、ぼく、どんだけスーパーな人間であることを求められてるんだろう...(遠い目)」と考えるだけで、アタマの中がぼーっとしてしまうところがあります。

「スマイル0円」ですが、牧師の笑顔を保つためには、教会にたくさん献金してくださるのが、実はいちばんイイ感じです。

あ、これ書くと、「キリスト教よ、お前もか、金満体質め!」とか叩かれそうですね。あーあ。

2012年7月6日金曜日

教会の教勢低下と「少子高齢化」と「経済不況」はダイレクトな相関関係にある


いまどきは、EXCEL(EXILEではない)とか使えば、ぼくごときシロウトでも、いろんな統計の折れ線グラフとか、いとも簡単に作れてしまうのです。

実際にそういうものを作ってみればはっきり分かることは、教会の教勢(会員総数や集会出席者数などのことです)と、この国で現在進行中の「少子高齢化」とが、またそれだけではなく「経済不況」が、きわめてダイレクトに連動している、ということです。

実際の統計の数字やグラフは、会社等で言えば「企業秘密」のようなものですので、こういうところに大っぴらに公開することはできません。

しかし、とにかく明白なことは、教会の教勢低下と「少子高齢化」と「経済不況」はダイレクトな相関関係にあるということです。

そうであることを明示する「波形」を、EXCEL(EXILEではない)は見事に(?)描き出してくれます。

しかし、「少子高齢化」と「経済不況」は、はっきり言って、日本のキリスト教会の手に負える問題ではありません。

手をこまねいて傍観しているつもりはありません。全く。しかし、我々の教会会議がこれらの問題についての対策を仮に考えてみたところで、世の趨勢を変えることができるわけではない。

だから、ある意味で、教会は、世の趨勢の影響をもろに受けながら、世の中で、世と共に生きていくしかない。世が「少子高齢化」になれば、教会も「少子高齢化」になる。世が「経済不況」になれば、教会も「経済不況」になる。これは甘受するほかはない。

「少子高齢化」なり「経済不況」なりに実効力ある対策を講じうるいわば唯一の存在は、行政です。ほかのどこにあるんですかと、聞いてみたいですよ。

でも、ここから先、よく分からなくなっていくのは、今の行政なり政府なりが、今の趨勢である「少子高齢化」や「経済不況」を、まるで不可避的な運命か宿命でもあるかのように、すっかり悟りきった諦念の僧のように、落ち着き払って受け入れてしまっているように見えるのは、どうしてだろうかということです。

まあ、でも、今のぼくは、行政や政府の人々に文句を言いたいわけではない。文句を言いたいのは、教会です。

EXCELが描き出す折れ線グラフを見るかぎり、「少子高齢化」と「経済不況」の影響が如実に反映されていると思われる「波形」を示しはじめたのは、今から約20年前だと思います。1990年代以降です。それ以前とそれ以降とでは「波形」が違います。

ところが、幸か不幸か(もちろん「幸」であると言いたいわけですが!)、今の教会の中で「現役で」活躍している方々のほとんどは、1990年代以前から教会生活を続けてきた人たちです。

そして、その人たちの多く(いや「ほとんど」)は、教会の教勢が次第に低下していく様子を、数値や「グラフ」で、というよりも、教会内部のいきさつを自分の目で見、その空気を肌で感じてきた人たちだということです。要するに、教会の「現実」を視覚と肌感覚で「リアルに」知っている「と思っている」人たち(ぼく自身を含めて)だ、ということです。

そして、そういう感覚の持ち主(教会内部にずっと前からいた者たち)からいえば、教会の教勢低下の原因は「少子高齢化」でも「経済不況」でもないということに、たいていなります。

あの牧師が、あの長老が、あの人が、トラブルメーカーだったからだ。

あの牧師の説教がなんと貧しく、牧会が乏しかったことが原因だ。

だから、うち(の教会)はこうなった。

というような「リアルな」認識が、どうしても支配的になってしまいがちです。

まあ、もちろん、その種の認識も、たしかに「リアル」ではあります。

しかし、ぼくに言わせていただけば、それは「リアルの一面」ではありますが、別の面の「リアル」もあるのです。それが「少子高齢化」と「経済不況」です。

この影響を全く受けないで過去20年間を生きてきた日本人がいるだろうか。ぼくは「いない」と断言します。

そうであるならば、教会も然りです。教会は人間によって構成されています。悪い意味だと受けとるなかれ。「教会」から「人間」を引くと(教会-人間=)ゼロです。人間不在の教会を目指すなかれ。そんなのは「教会」じゃないよと、ぼくは思いますよ(汗)。

そして、ぼくが考えていることは、日本社会の「少子高齢化」と「経済不況」に対する「教会としての」対策なるものがもしあるとすれば、それを字に書くことを若干躊躇してしまうことだったりします。

しかし、書きましょう。

それは、教会の年配者たち(1990年代以前から教会生活を続けてきた人々。ぼくもここに属する)が、「ぼくたち/あたしたちが日曜学校の生徒や教師だった頃には、百人も二百人も日曜学校に集まっていた。が、いまは惨憺たる有り様だ。なんたることか」とか、「あの人は今日も礼拝に来ていない。仕事だそうだ。子どもは塾、部活。『安息日を覚えてこれを聖とせよ』という教えを知らないのかね」というようなことを、むやみにつぶやくべきではない、ということです。

その言葉がどれほど過酷で冷酷な響きを持っているかを自覚してもらいたいと願うばかりです。

そういうのは一言で言えば「時代が違う」と言わざるをえないし、もっと厳しめの言い方をすれば「世間を知らなさすぎる」と言わざるをえません。高校からストレートで神学校に入って牧師になった関口康に「世間を知らなさすぎる」だなんて言われたくないでしょうけどね(あっはっは)。

悔しかったら、EXCELで折れ線グラフ作ってみてね、と言いたいですよ。

あ、言っときますが、松戸小金原教会の中にそういうイヤミったらしいことをつぶやく人は、一人もいませんからね。あくまでも(教会的な)一般論です。

2012年7月2日月曜日

「あたかも神であるかのように」想定することはもはや無理なのだから


今夜は松戸市内の小中学校の校長とPTA会長の合同懇親会に行ってきました。

松戸市長も同席していました。市長があいさつの中で、松戸市が現在、全33校の市立小中学校のすべての校舎・校庭の除染作業を行っていると言いました。その予算は今年度30億円です。

こういうことを迅速・敏速かつ徹底して行ってくれる松戸市に、ぼくは感謝と敬意を持っています。しかし、その30億円は我々の税金から支出されるものであり、そもそもあのような仕方で放射能が東北地方と首都圏一帯にばらまかれなかったら、そんな30億円なんていうお金を注ぎ込まなくて済んだわけです。

こう考えてみると、もはや悪の根源は原発の存在そのものであると言わざるをえない。

この国が地震などというものが全く起こりえない不動の大地の上に立っており、かつ、原発を管理する人たち・操作する人たちが決して一度も過ちを犯さない完璧な人間なのであれば、話は別かもしれません。

しかし、そんなことは科学的にも・哲学的にもありえないことが、はっきり証明されたじゃないですか。

そういう意味では、原発こそは「最も科学的なものが最も神話的である」典型例である気がします。なぜなら、あれは、原発を管理・操作する人間が「あたかも神であるかのように」想定しなければ成り立たない仕組みだからです。

この国のマジョリティはさんざん宗教を叩き、過小評価しますので、ぼくらは背中を丸め、息をひそめて生きてきました。しかし、彼らも「宗教の一種」だと分かった以上、今後は、遠慮なく言わせていただくことにします。

6月29日(金)の総理官邸前の抗議者の中にぼくもいました


6月29日(金)の総理官邸前での原発再稼働反対のための抗議行動(20万人=主催者発表)に、ぼくも参加しました。そのとき様子を、忘れないうちに、証言しておきます。

ぼくは午後4時半から6時半までの2時間、「総理官邸前」交差点の一角にいました。デモ隊のお立ち台が設けられた国会記者会館とは対角線の位置にいました。

そこは官邸側でした。百人くらいの制服警官がいる前に、ぼくはいました。立っていた場所のすぐ近くの総理官邸の通用口(っていう名前かどうかは知りません)に、何台も何台も黒塗りのデカイ車がびゅんびゅん入っていきました。

デモ隊の中心に行くと身動きが取れなくなりそうだったので近づきませんでしたが、ぼくがいたあたりにも大勢の抗議者がいましたので、ぼくは別に傍観者だったつもりはありません。

ぼくが現地に到着した午後4時半から30分か1時間ほど経っていたと思うのでたぶん5時は過ぎていましたが、その頃にぼくの近くで、小競り合いというほどのことじゃありませんでしたけど、70代くらいのインテリっぽい男性が、若い警官を相手に、一方的にはげしく怒鳴りはじめました。別に酒に酔ってる様子はありませんでした。

なんでそんなことになったかは、よく分かりました。

若い警官たちが、ぼくらの背中に向かって、「え~っと、ですね~、抗議する人たちは~、道を渡った向こう側に移動してくださ~い。他の通行者の迷惑になりますんで~、この道に立ち止まらないでくださ~い。ご協力をよろしくお願いしま~す」みたいなことをすんごくソフトな調子で繰り返してたんです。

でも、ぼくらは、そんなの関係ねぇみたいな感じで、その声を無視してました。

そうすると、その警官たちが、ぼく以外の何人かには、ほんの少しだけ近づいて同じことを言い出しました。なぜだか理由は分かりませんが、警官たちはだれひとり、ぼくには何も言わなかったし、近づいてもきませんでした。ある方によると、もしかしたらぼくが公安に見えたからではないかということですが、まあそうかもしれません(定かではない)。

そしたら、突然、その70代くらいのインテリっぽいおじさんがブチ切れて、警官相手に怒鳴りはじめました。

「てめえら、うっせーんだよ。警察より憲法のほうがエラインダ。おれたちがここにいて、なんか迷惑なことしてるかよ。だまってすっこんでろよ、おらー」とか言いました。

そしたら、その若い警官たちみんなが苦笑いして、決して口にはしませんが「ま、そーっすねー、へへへ」みたいな顔をしてました。

そういう雰囲気だったんです、金曜日の「デモ」は。

しかし、ぼくが金曜日に官邸前に行くことができたのは、たまたまその日だけ時間的な余裕があったので「行ってみるか」と思い立っただけのことでして、偶然の産物でしかありません。

ですから、現地にいたことをイバルつもりなどは毛頭ありませんし、デモに参加できなかった方々のことをうんぬんするつもりも毛頭ありません。

そして、いま感じていることは、既成の政党やグループによって組織・統制されたデモだったら、ぼくは参加しなかった、ということです。「こうしろ、ああしろ」と指図されるようなデモなら、行ってもすぐに帰ったかもしれない。

少なくともぼく個人は、これだけの人数が抗議してるんだという「絵」を政権担当者に見てもらいたくて行っただけです。

ですから、ぼくのしたことの本質は「示威行動」です。

もし先週金曜日と同じことであれば、ぼくは毎週でも続けられるかもしれません。往復交通費の「1,440円」は自腹ですけど(痛てて)。

ですが、「なんとか党に入党しろ」「なんとかグループに参加しろ」と勧誘され、入ったらすぐに、年会費いくらだ、なんだと徴収され、ニュースレターが届き、デモの前後の飲み会に誘われ、そのうちなんとか委員会に出席しろと言われはじめる。

そういうのだったら、ウザくてイヤですね、ぼくは。


2012年6月19日火曜日

カール・バルトにおける根拠(ratio)の問題(1990年)

関口 康 (東京神学大学大学院2年)



今日なお存続するキリスト教文化圏における保守勢力にとって、いわゆるコルプス・クリスチアヌムの伝統とは、たとえそれが歴史的崩壊の危機に晒されているとしても、なお継続されるべきキリスト教形成の歴史経験的規範である。事情がそうであるならば、「なぜわれわれはキリスト者であって、そうでないものではないのか」というキリスト教的実存の「根拠」(ratio)をめぐる議論のなかにも、歴史経験の契機としての「伝統」に関する何らかの価値評価が位置を持たざるを得なくなるであろう。

しかし、そのような価値評価に対して、神学者カール・バルトは、自らの神学的根本態度を「伝統否定」というラディカリズムの上に措いた。バルトの関心事は、コルプス・クリスチアヌムの崩壊という現実をラディカルに対象化し、それに対して究極的終末論的に神学的態度決定を下すことであった。大木教授の表現をお借りすれば、「バルトの思想は、可視的・不可視的に今日に至るまで存続しているコルプス・クリスチアヌムを最後決定的に破壊するという革命的な本質と迫力とをもっており、そこに何よりもバルトの思想史的位置の鮮烈さがあると言わねばならない」。

そのようなバルトの根本態度の全貌は、主著『教会教義学』において明らかにされるが、彼のラディカリズムの最たる表現はその最終巻、第四巻和解論の「召命論」において、次のような表現としてあらわれている。「キリスト教的に規定された一個の伝統の中から生まれ担いでいかなければならない一個のキリスト教的実存という表象の前提は、実は一度も存在しなかった。そしてそのような前提は(それと共にそのような表象も)今日不可能なもの(unmöglich)になっている」。すなわち、端的に言って、これは「伝統否定」の論理である。

われわれはまずここで、バルトのラディカリズムを鮮明化することが肝要である。そこで引き合いにだすべきは、コルプス・クリスチアヌムの崩壊という対象と生涯真剣に取り組んだもう一人の神学者、エルンスト・トレルチの根本態度である。トレルチは第一次大戦後の1922年、ベルリン大学教授時代に、主著『歴史主義とその諸問題』を著したが、そのなかでヨーロッパの文化的伝統の崩壊とその「野蛮化」について嘆くのである。しかしわれわれはトレルチのなかに明らかにバルトとは異なる、よりリアリスティックな響きを聴き取ることができるであろう。

「野蛮化は古くなってしまった文化の痛ましい終焉、それも限りなく長びく終焉であって、力強さと新鮮さに向かう喜ばしき解放ではない。われわれはいまとなっては、われわれの荷物をさらに先へと担っていかざるを得ない。われわれはこの荷物を整理したり、別の肩に背負ったりすることはできる。しかしこの荷物の中にわれわれのすべての持ち物と生きていくための一切の道具とがあるので、われわれはこれを単純に投げ棄てることはできない」。

トレルチの学問的前提は、確かにコルプス・クリスチアヌムの存続ではなかった。しかしながら、トレルチにとってキリスト教的文化の「伝統継承」は不可避であり当為であって、バルトのような仕方で「不可能」として止揚されたりすることはあり得なかったのである。

バルトの「伝統否定」論の究極的表現は、いうまでもなくかの幼児洗礼否定論ならびに洗礼のサクラメント性の否定についての倫理学的問題提起である。1943年の『教会の洗礼論』においてバルトは、宗教改革者による幼児洗礼擁護論の根幹に、中世的なコルプス・クリスチアヌムの伝統継承という仕掛が隠されていることを以下のように指摘している。「人々は当時、どのような場合、またどのような犠牲を払ってでも、コンスタンティヌス以来のコルプス・クリスチアヌムにおける福音主義教会の存在を断念したくなかったのであり……現在の国民教会(Volkskirche)の形態を放棄したがらなかった」。「もしも教会が幼児洗礼と訣別すべきだとしたら、教会はもはや容易に……国教会にはなり得ないであろう。ココニ、ココニ、ソノ悲哀ガアル!」。

われわれは、こうしたバルトの「伝統否定」論の秘密が彼の召命論の中に典型的に表現されているものと考える。「伝統」を否定した上で彼は何をもってキリスト教的実存の「根拠」を考え得たのであろうか。その模索の杣径を探ることによって、われわれはバルト神学における、ある大きなアポリアと出会うことになるであろう。つまりそれは「伝統」概念の対極に措かれるものとして唯一考えられるところの永遠、すなわち無時間性の世界についての表象であり、宗教的ないし神学的な最高表現としての神秘主義の問題なのである。

Ⅰ 召命論の基礎構造

われわれはまず、バルトの提示する召命に関する次のテーゼの特質を分析することからはじめなければならない。バルトの召命論の構造を示すことは、彼の図式主義的傾向からして、ある程度単純化することができる。「召命とは、神の恵みの業と啓示によって定められ支配された人間の時間の中での、活ける神の特別な行為である。……それはイエス・キリストの行為である」。

バルトにおけるBerufungとしての召命とは、特に彼の神論における「行為における神の存在」(Gottes Sein in der Tat)というテーゼにあらわれている神の存在の行為主義に基づく用語法であり、召命とは、神による「召す行為」として捉えられている。そして、バルトはこのテーゼによって、プロテスタンティズムにおける二つの異なった召命論に対する批判を考えている。

その第一は、当時の神学的傾向を支配していた実存主義神学者、ルドルフ・ブルトマンの召命論である。むろんバルトが『教会教義学』第四巻のはしがきに触れている内容からして、そもそも和解論全体がブルトマン批判をめざしていたと断言することもできるであろう。そして、ブルトマン神学の特色であるpro me(わたしのために)的構造は、ドイッチェ・ルタートゥムにおいて継承されているメランヒトンのテーゼ、すなわち「キリストを識ることはキリストの恵み(beneficia christi)を識ることである」の継承であると考えることができるが、バルトによるとこれは「人間中心主義的」または「キリスト者中心主義的」(christianozentrisch)であって、結局は「キリストなし」という全く主観主義的な召命理解を示す結果となるというのである。

バルトが批判する第二の召命論は、改革派正統主義において「救済の秩序」(ordo salutis)の一段階として説明された召命論、すなわち「人間に対してまた人間において行なわれる救済の歴史の様々な活動の、論理的・時間的に区別された継続」という見方、そのなかにのみ位置を持つような召命論である。バルトによると、そのような非歴史的かつ客観主義的な時間区分の方法は「生きたキリスト者なし」の召命論を示すことになるのである。しかし召命とは「すべての人間と同じ時間に生きる方」(Zeitgenosse)の行為としての「時間的な出来事」(zeitliches Ereignis)なのである。

以上のようにバルトは、プロテスタンティズムの伝統的かつ代表的な召命論に満足しない。彼は近代のプロテスタント神学史の全体傾向を鑑みながら、そこでは召命の出来事の孤立化が起こり、その超歴史的前提は排除され、「キリスト者中心主義」の傾向にあったことを指摘する。その神学的系譜は、古くは中世神秘家あるいは宗教改革時代のスピリチュアリステンにさかのぼり、シュライエルマッハーを通ってキルケゴールと結びつく現代の神学的実存主義およびブルトマンにつながるものである。それはイエス・キリストの行為から切り離された「孤立したpro me」を語るものであり、召命の出来事の抽象化であった。つまり、ルター派的pro meは主観主義的な体験主義にして孤立的・抽象的傾向を持ち、またその対極にある改革派正統主義のordo salutisは「召命抜き」の「召命の歴史的および超歴史的前提」を神学的主題にまで高める客観主義であるということができるのである。

ここで注目すべきことは、かつてはエーミル・ブルンナーがバルト神学の客観主義的傾向を批判したが、いまやバルト自ら客観主義の批判者となり、ブルンナー神学の鍵語としての「出会い」(Begegnung)を主張していることである。バルトの行為主義的召命論は、まさに「出会い」をその根本契機としながら、主観主義と客観主義の総合を目指している。そこでは、召命の出来事において「誰が呼び給うのであるのか」ということこそが第一の関心事なのである。

こうしてバルトは、自らの召命論の焦点を、人間の時間=歴史の中にいかにして神の行為=召命が現実化するか、ということに措く。したがって召命論において、人間の時間=歴史についての教説(時間論)と、神の霊的行為=イエス・キリストの霊についての教説(聖霊論)とは構造的関係を持つのである。

Ⅱ 時間論と聖霊論の関係

バルトの召命論は、時間論と聖霊論の関係措定によって展開されるが、それは、まず第一に時間の聖霊論的性格について、第二に聖霊の時間論的性格について、それぞれ論じることによって、双方向からの関係が説明されている。

まずバルトの時間論であるが、彼の否定的伝統理解との関連の下に構成されていると考える時、理解の糸口を見出すことができよう。バルトは時間論を次のように要約する。「元々、時間と歴史は、時間の何か中立的な生の形式ではなく、イエス・キリストにおける神の恵みの御業と啓示によって支配され規定された生の形式である。すべての時間は、潜在的に恵みの時間であり、すべての歴史は、潜在的に救済史である」。

バルトによると、召命の出来事において時間は満たされ、新しい歴史が始まる。しかも「すべての時間と歴史は、それが彼イエス・キリスト御自身の時間と歴史である時に、御霊の約束という形態における彼の来臨(パルーシア)にその意味を持つ時に、まず第一に何よりも、満たされた時間であり、満たされた歴史である」。つまり、御霊の約束という形態をもった来臨(パルーシア)によって満たされた中間時という「霊的な」(geistlich)時間が考えられており、まさにそのことにおいて召命の時間論的契機は聖霊と不可分離の関係を持つのである。

バルトの時間論の特殊な鍵語としての「イエス・キリスト御自身の歴史」の意味は、イエス・キリストが時間の主であること、主イエスの馬小屋から十字架への道は、勝利へと向かう途上性を示している。しかもそれは、和解の出来事(Gott mit uns)によってわれわれの時間との同時性を併せ持つことになる。したがって時間論は、途上性と同時性の二つの性格を持つ。それによって召命論は、目的的・目標論的となり、倫理的特性を示すことになる。

この途上性と同時性との組み合わせは、時間の客観性と主観性との相互関係をめざすが、そもそもバルトの時間論が本質的に救済史的であることは、彼が救済の潜在性ないし召命の予定を指し示すテルトゥリアヌスのテーゼ、「人間の魂は自然的にキリスト教的である」(anima humana naturaliter Christiana)を不用意に持ち込んでいることにあらわれている。

こうして時間の主観・客観構造の均衡関係は崩れ、より主観主義的に傾斜しているといわざるを得ない。とくにバルトが、「イエス・キリスト御自身の歴史」における勝利宣言をもって救済史を基礎づけるとき、人間の救済の途上性は消失する。なぜなら、途上性なき「勝利主義」ないし「宣言主義」は救済のリアリティの喪失を招き、抽象化による自己閉塞の危険に陥るのである。

そのことがよくあらわれているのは、「この出来事(召命の出来事)において起こるプロセス(Vorgang)そのもの」、すなわち召命のプロセス論においてである。「われわれがここで接するのは、決定的・圧倒的に霊的(geistlich)なプロセスであり、それゆえにただgeistlichにだけ認められ、説明され、記述されうるプロセスである」とバルトがいうとき、そこにはキリスト論的な響きよりも聖霊論的な響きのほうが強い。彼は、geistlichを新約聖書のpneumatischとのアナロギアから抽出し、その概念が「(最高度の具体性をもって)、時間的・歴史的プロセスを意味する」と述べることによって聖霊の時間論的性格を説明している。「つまりgeistlichとはgeschichtlichである」。

バルトが時間論と聖霊論とを関係づけることの射程には、第一に、ブルトマンへの批判がある。彼が召命のプロセス論と聖霊論とを関係づけて論じる仕方はブルトマンの方法との相違を先鋭化する。ブルトマンは聖霊の「非神話化」によって召命のプロセス論を論じ、聖霊論を実存論的に改訂する。逆にバルトはpro meを聖霊論において捉える。つまり、神が主体的に働き給うことによって起こる出来事を霊的な歴史とみなすことにおいて、キリストからpro meをとらえることができるようになる。しかし、この展開はきわめて不十分かつ未熟なものと思われ、ブルトマンにおいて精密に展開されているハイデッガー的な実存論に対する説得力を持つ批判とはなり得ないであろう。

また第二に、バルトは、ordo salutisに対する批判を考えている。召命とは「ただひとりのイエス・キリストがそこで行為し働く主体であり給う限り、人間に関しての唯一で全面的な(ein einziges, eintotales)出来事」なのであってordo salutisの出発点でも一段階でもない。むしろわれわれはバルトにおいて、召命のプロセスにおける「変化」に関して、ordo的ではなくpro me的傾向を強く見出すことができる。

こうしてバルトは、召命論においてその時間論的歴史的契機よりも聖霊論的契機に傾斜することによって、時間を止揚する垂直次元からの神の行為としてだけ召命を捉えようとするのである。

Ⅲ 伝統か啓蒙か

さて、次にわれわれは、バルトの召命論の内容構成にしたがって、「人間の身に起こる変化の目標(Telos)」について考察することにしたい。「召命の目標」に関する教説は、『教会教義学』におけるまさに絶頂点を示すものであり、彼の究極的態度決定の表現がここにあると言うことができる。

ここで彼は、「召命の出来事の目標(Telos)」を問うわれわれの問いに対する「正しい」「根本的にきわめて単純な答え」とは、「人間の召命における意図は、人間がキリスト者になること(ein homo christianus werden)」、すなわち「キリスト者の創造」ないし「キリスト者の保持と形成」なのだという極めて単純な帰結を引き出すのである。

キリスト教的実存の「根拠」を召命に措くバルトの見解は、神学的合意事項ではなく、キリスト教的伝統をキリスト教的実存の「根拠」として措くヨーロッパの伝統主義者たちの立場がこれに対立する。すなわち「この命題が提示され主張される時、心をひどく傷つけられるのは、世そのものではなくて、コルプス・クリスチアヌムであり、ヨーロッパの人間である」。

つまりバルトにとってコルプス・クリスチアヌムなるものは、もはや終わってしまっていて、すでに存在しないようなものなのである。そして「近代ヨーロッパ」とは、コンスタンティヌス以来のコルプス・クリスチアヌムを基礎づけてきた「大胆であるが少しも熟していない総合」からくる「軋轢の勃発の時代」、そしてそこにおける「自明理を拒否する時代」、すなわち「キリスト教的実存の独立の時代」(Zeit der Verselbständigung der christlichen Existenz)である。

ここで興味深いことは、バルトが、その時代区分の規準として、カント主義的な「啓蒙」理念を用いていることである。そのことは「キリスト者」という名と「召命」概念との教義学的関係についての詳論のなかにかいま見られる。バルトは「キリスト者」を「特別な仕方でイエス・キリストに属する者」と意義づける。ここで「特別な仕方」とは、実存が「信仰」によって規定されていることを指しており、「イエス・キリストへの信仰の行為的(tätige)知識」によって、やがてすべての人々のものとなるべきキリスト教的実存の形を先取りすることである。それは平たく言えば、よく啓蒙された自由で自覚的で能動的な信仰者である。そして、「キリストへの信従」とは、「人間が屈従させられ蹂躙されることではなく、人間の目が開け、カントが真の『啓蒙』の本質として称賛した、自分の悟性を用いる勇気を持ち、自分自身の足で立ち、自分自身の歩き方・走り方をさせられること」である。

バルトがこのようなカント主義に学ぶようになったのは、マールブルク大学の学生時代の恩師ヴィルヘルム・ヘルマンの影響によることはよく知られているが、その影響が生涯彼を捉えて離さなかったということになる。そしてそのカント=ヘルマン主義の特徴は、トレルチに従うならば、主観主義的倫理主義ならびにキリスト中心主義の傾向において説明されるべきものなのである。

まさにこの点でバルトの行為主義の全貌が明らかにされる。すなわち、イエス・キリストの呼びかけとしての召命という行為主義が、キリスト者の「信仰の行為的知識」という行為主義を導き出し、さらにそれが主体的応答としての「洗礼」の能動的行為主義を導き出していくのである。

そして、キリスト者のイエス・キリストへの「帰属」の関係は、決して「強制的権力」によってではなく「イエス・キリストの御言の力」によるのである。バルトにとってキリスト教的実存の根拠としての伝統とその継承手段としての幼児洗礼とは信仰の強制に他ならない。そしてバルトはその強制からの解放を、カント主義的「啓蒙」理念に求めているのである。

Ⅳ 根拠としての合一

そうであるとすれば、召命の目標としてのキリスト教的実存とはいったい何であろうか。福音は人間にどのように具体化し、現実化するのであろうか。その問いに対してバルトは、それは「キリストとの合一」であると答えている。

つまり、バルトの召命論において「啓蒙」概念よりもさらに重要な役割を果たしている概念的モチーフは「神秘主義」(決してバルトは積極的にこの概念を語りたがらないが)である。それゆえ、マクグラスのように「バルトは啓蒙主義者の精神的子孫である」というような短絡的なテーゼを提出することは危険である。バルトは、誤解されがちないわゆる「キリスト神秘主義」という用語法を意識的に回避しつつ、なおも、キリストとの合一とは、「すべてのキリスト者をキリスト者たらしめるものの究極的で最も正確な定式化である」と結論づけている。

バルトにとってキリスト教的実存とは「キリストとの合一」の実現を頂点とするordo salutis的な段階性や過程性ではないことは、すでに確認済みである。すなわち、ここで、召命において「合一」(unio)が「秩序」(ordo)に対置され、キリスト教的実存の「根拠」(ratio)とは「キリストとの合一」であると言われるとき、それは「キリスト者において在すキリスト」と「キリストにおいて在すキリスト者」という二つの契機の循環関係によって示される。キリストとキリスト者とは、相互関係的、相互浸透的である。これをバルトは、オリエント的神秘宗教からではなく、新約聖書的「神の子」概念やパウロ的用語法としてのεν χριστωの釈義等によって説明している。また「キリストとの合一」を語ることにおいて、召命を聖霊論的性格づけのもとに考えている。

まさにこのことが、彼の召命論を構成している聖霊論的契機と時間論的契機との緊張関係をめぐって、それがより聖霊論的に傾斜していることの理由である。聖霊なしの合一はありえない。バルトの洗礼論において、ほとんど異様なまでに「聖霊のバプテスマ」が強調されるのは、彼の神秘主義のゆえである。

むろん、バルトにおける神秘主義に対する評価は、実はここに初めてというわけではない。それは、初期のバルトがシュライエルマッハー神学に対して与えたある正当な評価のなかにすでに見られるのである。シュライエルマッハー神学における神秘主義的要件をアナテマとみなしたことにおいて、初期の弁証法神学の陣営において注目された神学者はブルンナーであった。ブルンナーはシュライエルマッハー的神秘主義への批判論文『神秘主義と言葉』を書いた。弁証法神学は「神の言葉の神学」と呼ばれるごとく、理性主義的傾向をもち、総じて感情論中心主義的な神秘主義に対しては批判的、否定的であったという意味で、ブルンナーの神学は、問題性を含めて弁証法神学の特色をよく表わしたものであった。しかし、そのブルンナーのシュライエルマッハー批判を他の誰よりも好まず、ブルンナーに対する批判を込めて、『ブルンナーのシュライエルマッハー書』と『シュライエルマッハーのクリスマスの祝い』という書を著したのはカール・バルトその人であった。

それゆえ、バルト神学にはそのはじめから「神秘主義」に対する(積極的とはいえないかもしれないが)評価があったということができる。カトリック陣営のバルト学者ハンス・ウルス・フォン・バルタザールは、バルト神学を「キリスト教的同一性の神学」(Theologie der christlichen Identität)であるとし、そのことにおいてバルトの神学的発展の「根源的同一性」とヘーゲル哲学との「同質性」を見ているが、大崎節郎はそのバルタザールの見解を「根拠ある誤解」として退けている。むろん、バルトにヘーゲルとの同質性があるというフォン・バルタザールの見解に支持を与えることには、十分注意を払う必要がある。しかしバルトにおいて「同一性」(Identität)概念の神学的契機が最後決定的に作用しているということは、とくに召命論的「合一」論を鑑みて積極的に承認すべきことであろう。なぜならバルトは、初期から後期にいたるまで一貫して「コルプス・クリスチアヌムの崩壊」を問題としていたのであり、その現実のなかを臆せず生き抜く新しい人間存在、すなわち新しいキリスト教的実存の根拠(ratio)の再構成を目指していたのであり、まさにそのために、古い共同体に別れを告げてもなお確かに生きており、神との交わりにおける真の自由のもとで実存しているという「キリスト教的同一性」が、バルト神学の鍵概念となることは必然的であると思われるからである。そういう意味において、たしかに「神秘主義」は人間の現実に対するより高次のリアリスティックな認識であり、歴史超越的根拠である。われわれは、バルトの召命論において弁証法神学の神秘主義批判に対するすぐれた修正があると見ることができるであろう。

しかしわれわれは、以上のような仕方で展開された根拠問題のバルト的解決に満足しうるだろうか。いったいこのようにして、キリスト者の過程性としての「秩序」(ordo)を表現するロジックが失われるべきかというと、甚だ疑問である。これがなければ、無節操で虚偽的な普遍救済説(Universalismus)となってしまう。われわれが世界におけるキリスト者の創造について考察する場合、要するに人間の救済の問題を取り扱うことになるが、しかしその過程性を無視するならば、あらゆる歴史性は消失し、無時間的な「閉じた円環」に閉じこもってしまうのである。少なくともたとえば、「たいていの人はある程度の年数と経験を経て本当のキリスト教が分かるようになるということは、正しくしかもしばしば十分に強調されていることである」(トレルチ)といった人間経験に即したもっともらしい主張は完全に意味を持たない無駄話とみなされることになるであろう。

人間は「頂点」に向かって歩むという仕方において、そのとき初めて「合一」の境地に達することができるのではないであろうか。しかしバルトのうちは「秩序」(ordo)の契機に対する正統な評価が見当たらない。このような一種の直接主義では、一切の客観性は破壊されてしまうであろう。



以上われわれは、バルトの「根拠」問題をめぐって、とくに召命論におけるラディカリズムに問題の端緒を見ながら考察してきた。一人のプロテスタントとして、ヨーロッパ社会のうちに旧態依然として伏在するコルプス・クリスチアヌムの残滓を除去するために生涯闘い続けた孤独な神学者、カール・バルト。彼は『教会教義学』の神学的方法論を確立した1931年の『知解を求める信仰』におけるアンセルムス的「根拠」(ratio)についての思索を継続した。そしてバルトはコルプス・クリスチアヌムの「伝統継承」の可能性を否定し、究極的に神秘主義的「合一」理念に基礎づけられた召命理解によって、新しき時代のキリスト教的実存の歴史超越的「根拠」を提示した。しかし同時に、すでに見てきたように、神学的には根本的にアポリアとみなされるべき問題に満ちた諸契機が彼の召命論とその「根拠」理念を基礎づけ、またそれによって洗礼論の非客観主義を説いていることも明らかになった。

それはおそらく、バルトのキリスト論の構造そのものに由来しているに違いない。ヴォルフハルト・パネンベルクは、バルトのキリスト論を「下降と帰還よりなる円環」とみなし、それが啓蒙主義に属する古プロテスタント神学の両性論に由来すること、さらにそれが天からの救済者の下降と帰還という「グノーシス的救済神話の基本線」により接近していることを批判的に述べている。こうしたバルトのキリスト論的円環構造は、結局、救済者の自己救済という絶対者の無時間的自己閉塞に終わってしまい、人間の歴史経験には何の関係も持ち得ない永遠の救済を語ってしまうことになるのである。かくして、おおよそバルト的「根拠」における「伝統否定」とその歴史破壊の契機がまさに「伝統放棄」を意味するものであることが明らかとなった。

しかし、もしわが国のキリスト教事情において、このような議論を無批判に導入するとどうなるか。確かに、いまだかつてわが国の歴史のなかにはコルプス・クリスチアヌム形成の経験も、その伝統も存在しない。しかし、それゆえに、わが国にキリスト教的文化形成も社会倫理の建設も不可能かつ無用であると言うことはできない。宗教は文化とその伝統を創造し、その倫理は宗教によってのみ支えられるのである。しかし、日本史においてキリスト教的伝統形成のための規範が存在しないとすると、バルト的「神秘主義」だけでは実質的なキリスト教形成は決して望めないのである。

むしろわれわれが歩むべき道は、わが国にキリスト教を伝えた人々の「伝統」からこそ、その規範を学びつつ、「キリスト教的文化総合」(christliche Kultursynthese)へと向かっていくことなのである。

(東京神学大学学生会『Theologia (セオロギア)』第37号(1990年)掲載)