2012年7月13日金曜日

「偽装」では何も変わらない

別の話。

忘れないうちに書いておきます。

昨夜、波勢邦生さんとスカイプで一時間くらいしゃべりました。

「波勢邦生、だれ?」の質問に応えるのは著名な彼に失礼なので控えますが、オモロイ人です。

でも、スカイプでしゃべったといっても、ぼくのほうがかなり一方的にしゃべってたというのが実際のところでした。波勢さんはニヤニヤ笑いながら聞いてくれました。

で、ぼくが言ったことは、「伝道」という名のもとに、説教(ないし「メッセージ」)を「若者向けにする」とか、「一般に分かりやすくする」とか、「文脈化する」とか、「非神話化する」とか言ってみたところで、根本の部分は少しも見直そうとしないで、変えるべき点を変えようとしないで、ただアウトプットの様式を変えて見せているだけだとすれば、それって「偽装」っていうんだよ、ということでした。

ま、それ以上のことは、こんなところには書けませんけどね。

「本丸」が問題なら、そこに踏み込まざるをえない。

そういう話をしていました。これはキリスト教界の内輪話です。

波勢さん、夜遅く付き合ってくれてありがとう。またね!