2012年12月18日火曜日

「ネットは手段。早く人間になりたい」

キリスト教記者クラブ発題

(2012年12月17日、キリスト教記者クラブ第22回オフ会、於 日本基督教団富士見町教会)

はじめに

今日はキリスト新聞社の松谷信司さんからお勧めをいただき、発題の機会が与えられましたことを感謝いたします。しかし、今日のテーマは「ブロガー牧師に訊く~教会の発信力 第2弾」とのこと。正直言って、かなり緊張しています。以下、その理由。

第一に、現時点で自分のブログを開設している牧師たちは大勢いる。また、コンピュータのハード面やプログラミング等の知識は皆無です。恥ずかしくてたまりません。

第二に、私は「ブロガー牧師」と呼ばれるほどの人間かどうかが分からない。ブログとFacebookをかなりの頻度で更新していることは否定できません。しかし、ほかの人と比べたことはありませんし、それを調べる方法を知りません。

第三に、副題が「教会の発信力」である。しかし、私のブログ(http://yasushisekiguchi.blogspot.jp)は「教会の公式発信」ではなく完全に私的な雑記帳です。そのため「教会の発信力」を問う場で私の話が参考になるとは思えません。

第四に、牧師がブログを開設し、「説教」や「神学」について、あるいは「日記」を書く場合、職務の延長線上の「伝道」や「牧会」や「教育」、あるいは「業務日誌」が目的であることが多いのですが、私のブログはそういうのとは全く違います。もっとネガティヴな動機でした。

しかし、今日は最後の点についてお話しすることにします。私は何のためにブログを開設したのか。その話ならばできるし、たぶん面白いと思っていただけるし、誰かの参考になるかもしれません。

1.インターネットを始めた二つの動機

ネット上でのやりとりを始めたのは1996年8月です。四歳上の実兄から譲ってもらったWindows3.1を載せたラップトップで「パソコン通信」を始めました。パソコン通信は厳密にはインターネットとはベツモノかもしれませんが、入門編にはなりました。

パソコン通信を始めた当時は、福岡県の日本基督教団の教会にいました。しかし、その5カ月後、1997年1月にその教会を辞任し、神戸改革派神学校の聴講生になりました。そして1997年4月に日本基督教団の教師を退任し、神戸改革派神学校に入学し、1998年6月に卒業しました。そして、1998年7月に山梨県の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。初任給でデスクトップを買い、本格的にインターネットを始めました。

インターネットを早く始めたいと願っていました。動機は以下の二つです。第一の動機は日本基督教団の教師や信徒との連絡関係を復旧したかったことです。私は牧師の子弟ではありませんが、教会役員の家に生まれた日から31歳まで日本基督教団のフレームから外に出たことがありませんでした。しかし、誰にも相談せずに忽然と消えました。それは義理を欠くことですので、せめてお詫びぐらいしなくてはならないと思っていました。

つまり、私のネット開設の動機は「教団離脱の釈明のため」でした。明るい面よりも暗い面のほうが強かった。これが、動機がネガティヴだと言った理由です。

しかし、インターネットを始めた動機はそれだけではありません。第二の動機がありました。それは、ネットを用いて教団・教派の壁を超える「神学研究会」を作りたいということでした。

ヒントは、パソコン通信で行われていたキリスト教フォーラム(「ハレルヤ・ハレルヤ」など)でした。ただし、私は当時パソコンそのものが全くの初心者だったこともあり、パソコン通信で(「炎上」という言葉は当時はありませんでした)激論が交わされているのを遠巻きに眺めていた程度です。その様子を見て恐れをなし、私が作るとしたら、もっと穏やかな神学研究会が良いのだけれどと、空想していました。

2.メーリングリストの結成

それで初めて立ち上げたメーリングリストが1999年2月に結成した「ファン・ルーラー研究会」でした。20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・ファン・ルーラーのオランダ語テキストを日本語に翻訳し、紹介するためのメーリングリストです。それを東京神学大学の同級生4人で立ち上げましたが、次々に新しいメンバーを得、5年後の2004年には100名を超えるようになりました。

そのような中で、私はインターネットのポテンシャルを実感するようになりました。何よりもまず、メーリングリストを立ち上げたばかりの頃、アメリカ・ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のポール・フリーズ教授が「ネット検索で」わたしたちのことを探し当ててくださり、メールを送ってくださいました。フリーズ教授はファン・ルーラーについての博士論文をアメリカ人として初めて書いた方です。

オランダの実践神学者であるユトレヒト大学神学部ヘリット・イミンク教授とのメールのやりとりは、1999年から始まりました。将来的に版権の交渉をする日が来ることに備えて、ファン・ルーラーのご家族とのコンタクトがとれました。三女ベテッケさんがコミュニケーション論の世界的権威者になり、現在はアムステルダム大学名誉教授です。

そして、2008年12月10日にアムステルダム自由大学で行われた「国際ファン・ルーラー学会」の主催者から私宛ての招待状が届きましたので、教会と私の実家から渡航費援助を得て初めてオランダの地を訪ね、200人の神学者の前で英語スピーチをさせていただきました。イミンク先生が私を出席者に紹介してくださいました。ユルゲン・モルトマン先生との記念写真は私の一生の宝になりました。

私は外国に留学したことがないのです。しかし、そのような者でも、これだけの知己を得ることができました。インターネットなしには全く考えられないことです。

しかしながら、メーリングリストという仕組みには明らかに限界があるということも、同時に痛感してきました。わたしたちの活動に賛同し、喜んで応援してくださる方々もたくさんいらっしゃるのです。しかし、メーリングリストそのものは、やはりたびたび「炎上」しました。私の書き込みへの反発や批判が多いので、寿命が縮みました。

それが苦痛で、私はとうとうメーリングリストには何も書けなくなってしまいました。メーリングリストは解散していませんが、閑古鳥を鳴かせたまま放置しています。申し訳ないことですが、私の心理的な限界です。

しかし、私はファン・ルーラーの翻訳と研究を放棄したわけではありません。次善策として考えたことが、メーリングリストに替わる新しいアリーナを探すことでした。

3.メーリングリストに替わる新しいアリーナを求めて

メーリングリストの替わりになる新しいアリーナはどこでしょうか。実はまだ見つかっていません。

申し訳ありませんが、最初から問題外であると感じられたのは、匿名ネット掲示板「2ちゃんねる」でした。メーリングリストでやりとりしていたのは、オランダ語原文、日本語訳、訳者としての解釈を併記したうえでメーリングリストに流し、議論を交わすというものでした。そのときの真剣な雰囲気を再現することは、匿名掲示板では不可能であることが、すぐに分かりました。実際に試したことはありません。

実際に試そうとしたのは半匿名SNS「ミクシィ」が最初でした。しかし、私の感性が耐えられませんでした。画面のデザインとか、派手な広告バナーとか、落ち着いて神学議論ができる環境が整うとは思えませんでした。

Facebookを始めたのは、その後のことです。今のところ、Facebookまでたどり着いたところです。つまり、私にとってのFacebookは、「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストの代替地を探す旅の途中で立ち寄っただけなのです。

私の目標は、メーリングリストでもブログでもFacebookでもありません。リアルの教室で「ファン・ルーラー研究会」を行うことです。それはメーリングリストを立ち上げた最初の日から願ってきたことです。しかし、バスや電車や自動車や飛行機で、大学や神学校などで開かれる研究会に出席できる人たちはごくわずかであり、金銭的に恵まれた人だけです。それが多くの牧師たちにはできないので、仕方なくネットを利用してきたのです。

いろんな批判を受けてきた14年間でした。「オタク牧師」、「勉強好き」、「パソコンの画面より人の顔を見たほうがいいんじゃないか」、「地に足がついていない」など。「神学」でも「ファン・ルーラー」でも一円の収入も得たことはなく、聞こえてくるのは文句ばかり。

このようなことを言われてしまう私の側にも非があることは、自覚しています。しかし、「神学」を完全に放棄してしまった牧師の語る説教や日々の言葉に魅力があるでしょうか。私はそうは思わない。牧師たちは、教会の現場にいるからといって神学を放棄するわけにはいかないのです。神学教師でもなければ神学博士でもない私が教会の牧師室でファン・ルーラーのオランダ語テキストを読み続けているのは、それが毎週の説教や日々の牧会に大きな力を与えてくれると信じているからです。

ファン・ルーラー研究会の結成当初からの目標は、巻数はともかく、日本語版『ファン・ルーラー著作集』を出版することです。ネットはあくまでも「手段」です。「早く人間になりたい」と願っています。しかし、「縦に立つ」本の厚さに達しないので、ネットの中から出ることができないままです。

4.キリスト教メディアへの提言

最後にいくつかの提言を述べさせていただきます。

(1)キリスト教の「ブログ本」を増やしてほしい

ブログで公開された文章をまとめた「ブログ本」が、キリスト教出版界でももっと出るようになることを望みます。ブログで読者を得た後に出版される紙の書籍は、「著訳者略歴」の内容よりも、本全体の中身の質が重視されるようになると思われます。そうなれば、日本の教界にも見られる奇妙な肩書き主義から解放される機会になるかもしれません。

(2)牧師のブログ利用を奨励してほしい

牧師が自分のブログやSNSをしていると「オタクだ」なんだと非難しはじめる人々がいまだにいる日本の教会文化の方向性が変わっていくように、キリスト教メディアからの働きかけを望みます。

(3)神学者のブログ利用を奨励してほしい

私の耳に繰り返し聞こえてくるのは、「神学とキリスト教の本は難しい」とつぶやく人の声です。しかも、その人たちの多くは「自分のアタマが悪いからだ」と自分を責めています。しかし、悪いのは読者ではなく、難しい文体で読者を悩ましている著者たちであり、訳者たちです。神学者たちこそ自分のブログやSNSを持ち、そこで自分の文章を磨くべきです。

ちなみに、現在私のFacebookの「友達」は300名強ですが、その内訳は日本キリスト改革派教会のメンバーが33%、日本基督教団のメンバーが31%(東日本大震災以降に増えました)、他教派の方が24%、そして他宗教ないし無宗教の方が12%です。年齢層は、17歳の高校生から85歳の長老まで。そのような幅広い層の方々に喜んでいただけるような文章を書くにはどうしたらよいかを常に考えています。そのような方法でも、神学の文体を磨くことができると思うのです。

(4)説教原稿のブログ公開の意義

これはまたネガティヴな話です。

牧師と信徒の間に起こるトラブルのきっかけの多くは、日曜日の礼拝での説教です。

「先生は○月○日の説教で、私に当てこするようなことを言いましたね。そのようなことをする牧師の教会にはもう二度と通うことはできません。」

「いえいえ、そんなことを私は言っていません。」

「いや、言いました。」

「いえ、言っていません。」

この種の「言った、言わない」の不毛な論争を私自身も経験してきました。

この論争の解決方法は、すべての説教原稿をブログで公開することです。そうしておけば、「読んでください」と言えば済むし、それでも済まない場合は第三者がジャッジしてくれます。

ちなみに、私が説教原稿をブログで公開しはじめて以来、その種の論争はピタリと止まりました。説教原稿のブログ公開は「自己防衛」でもあるのです。