データ的な根拠があるわけではありません。社会学者や政治学者や心理学者に正確な調査をお願いしたいです。
また、ぼくの出会ってきた人たちの悪口を言いたいのでもありません。
しかし、反論や批判を覚悟であえて言えば、1930年代から40年代までの間に生まれたコドモたちの中に、ぼくがそう感じるところの「永遠の被害者意識」をいまだに持ち続けている人たちが少なくないように思います。
彼らの共通点は、当時はまだコドモで、戦地には行く由も無く、ただ親や友人や町を失い、ひたすらひもじい思いに苦しんだという、まさに戦争の「被害当事者」としての意識だけを鮮明に持っている、ということです。
しかし、その人々の意識内容は、いずれにせよ早晩「戦争を知らないコドモたち」にとっては「神話化」するところとなり、アンタッチャブルなものになった。
そこに悲劇も始まったのだと思います。
まあ、でも、ほんのちょっとだけ、ぼくの言いたいことを明け透けに書いておきますよ。ほんのちょっとだけですけどね。
やっぱりぼくは、自分の子どものことをどうしても考えます。ぼくがまもなく47歳。長男が来月18歳です。長女も来年2月で15歳。
「彼らの世界」は、まだ始まったばかりなんですよ。どう考えてもね。
歴史の終末だ、世界の終わりだと、やたら終わらせたがっている人たちがいるのが、ぼくは気になります。勝手に終わらせるなよ、と言いたいです。
で、ぼくは47歳、中年男子、二児の父。
62年間(も)の「豊かさ」を享受してきた世代のオトナたちと、
「失われた二十年」だ、いや、まだまだ続くかもと、経済不況、就職氷河期、長期継続中。そこに加えて震災、原発事故と、これでもか・これでもかと降り注ぐ災難の中、それでも「新しい世界」を始めようとしているコドモたちと、
どちらの支援を選ぶべきかと問われれば、迷わず後者を選ぶ。
そう言いたいだけです。
今のオトナたちが全員いなくなった後も、今のコドモたちが「彼らの世界」を生き続けますよ。
そうやって歴史は続いてきたんですよ。
それでいいじゃん、みたいなことです、ぼくが考えていることは。