2008年2月1日金曜日

私が「実践的教義学」を求める本当の(?)理由

「改革派教義学と私の実存との関係」について書いてきました。もちろん両者の間には「関係がある」と言いたいためです。私の日本基督教団からの「離脱」に関する秘話(?)まで字にしてしまいました。今回書いた部分は今まで(まとまった形では)妻以外の誰にも喋ったことがありませんので、その意味では生まれて初めて字にしたものです。ブログの魔法にかかっているのかもしれません。ちょっと頭を冷やす必要がありそうです。しかし、今週は家庭集会や中会教師会などで出かけることが多く、また各方面からのメールもなんだかやたら多く、意識が四方八方へと分散していきます。腰を据えて一つの事柄をじっくり考えて書くということができません。18才の少年と「教義学」との感動的な出会い。「教義学」を学ぶうちに「教派」の問題が見えてきたこと。「痛い目」にも遭ったこと。「改革派であること」、すなわち「教派であり続けること」を求めた結果、「教派的なるもの」に対して弾圧的姿勢を取り始めた日本基督教団を1997年3月末に離脱し、日本キリスト改革派教会に加入するに至ったこと。そして、その一連の軌跡は、私の意識においては、「改革派教義学」(dogmatica reformata)を追い求めることと同一の意味を持つこと(短く言えば、日本基督教団にとどまったままでは「改革派教義学」を維持することができないと思われたのです。「改革派教義学」のほうが日本基督教団の存在よりも重要であると、当時の私には感じられたのです)。このあたりまで書いて、すでにダウン気味です。自分の過去の経験を赤裸々に(笑)書き始めると、忘れることに決めた記憶がフラッシュバックしてきますし、私の心の奥底のパンドラの箱を開けざるをえなくなりますので、精神的に少しキツクなり始めているのかもしれません(はっきりした自覚症状に至っているわけではない)。私にとって「教会生活・信仰生活」は、恵み豊かな体験でもあり続けていますが、全く同時に、深く絶望的なトラウマ(!)の原因でもあり続けているからです。