2008年2月14日木曜日

「今週の説教メールマガジン」第200号感謝号を発行しました

何事もコツコツと続けていると少しくらいは良いことがあるようです。2004年9月5日(日)以来、毎週の説教を「今週の説教メールマガジン」と銘打って、希望してくださる方々にメールで配信してきました。それがこのたび、ついに第200号を迎えました。ただの数字の問題にすぎないものの、とにかく一つの区切り目に達することができたことを、うれしく思っています。メールマガジンの内容はブログで公開しているのと同一の説教です。日曜日の説教は、一回につき30分程度。そのために用意する原稿の字数は約4,800字~5,000字(四百字詰原稿用紙で12枚程度)です。あれもこれも語りたいという気持ちを抑えるために、字数の総量制限を設けて、それを超えないように心がけています。とにかく時間を守りたいとの一心から、話の途中でも「今日はここまでにします」と言って説教を強制終了すること、しばしばです。それでよいと思っています。私の座右の銘の一つは「時は金なり」(Time is money)です(これは大真面目な話です)。18世紀アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンが語ったとされる言葉です。牧師といえども、説教といえども、他人の時間を不当に過度に束縛することは強盗行為に限りなく近いと、私は考えております。たとえどんなに美しい内容であっても、長大な説教は犯罪的です。それはともかく。考えてみれば、たったの三年半たらずで200号です。私は現在42歳。日本キリスト改革派教会の「牧師」の定年規定は70歳。あと28年ほど牧師を続けることができます。その間に私は何回の説教を行うのでしょうか。単純計算すると、日曜日の朝だけで28年間×52週=1,456回は、最低でも行うのではないでしょうか。メールマガジンは、定年後も続けることができるでしょう。私が死ぬか説教をやめるかするまでもし続けることができたら(「もし続けることができたら」です)、1700号くらいにはなるかもしれません(「関口よ、お前はいつまで生きるつもりなのだ?」という声が聞こえます)。ちなみに、私は25歳からほぼ毎週日曜日の説教を行ってきました(神戸改革派神学校在学中も、毎週ではありませんでしたが一ヶ月に二、三回のペースで礼拝説教を行っていました)。25歳から70歳までの45年間に私が行なうかもしれなかった日曜日の礼拝説教回数は(これも単純計算ですが)45年間×52週=2,340回になります。回数だけでしたら、現在までの放送回数が2,102回を数えている毎週日曜日の人気落語番組「笑点」に第一回目から出演しておられるあの桂歌丸さんと勝負できそうです。もちろん私だけではなく多くの牧師たちが一生の間にそれくらいの回数の説教を行うのだということを多くの人々に認識してもらいたいです。私には不可能でしたが(私がパソコンやインターネットを使いこなせるようになり、またプロバイダ会社が提供してくれるブログやメールマガジンのサービスが使用に耐えうるレベルになったのは、つい最近です)これから牧師になる方々にはぜひ、説教を開始した日からおやめになる日までの全説教をブログやメールマガジンで公開していただきたいです。公開作業そのものは、いとも簡単です。本日発行しました「第200号感謝号」には高瀬一夫先生(日本キリスト改革派千城台教会牧師)に記念巻頭言を執筆していただきました。いつもお世話になっている、尊敬すべき先輩牧師です。