2008年2月15日金曜日

私とオランダ語(3/5)

しかし、そこでも威力を発揮しはじめたのはインターネットでした。いろいろ調べていくうちに、インターネット経由でオランダ語のラジオ放送を聞くことができることが分かりました。もちろん最初は全くちんぷんかんぷんでした。それでも何度も繰り返し聞いているうちに、ほんの少しくらいは聴き取れるようになりました。ところが、欲は深まるばかりでした。さらに感じはじめた限界は、「現地に行ったことのない人間に語りうる言葉は、『だそうです』以上ではありえない」ということでした。「オランダの教会では・・・だそうです」、「ファン・ルーラーの神学は・・・だそうです」。これでは何の説得力もありません。「です」と言い切れるようになりたい。そのためにはやはり現地に行かなければならない。そのような思いが募りはじめました。しかし、です。私に“留学”は無理だと悟るのに、それほど時間はかかりませんでした。お金と条件が整いません(私の頭の中身の問題は、この際、横に置いておきます)。二人の子供たちも大きくなってきました。自分の留学などに注ぎうるお金があるなら、それを子供たちの教育費に注ぐべきです。また何より日本キリスト改革派教会に加入させていただいて間もない人間が力を注ぐべきは、この教派の人々からの信頼を獲得することです。そのために、「この男は牧師の仕事をきちんとできる人間である」と認めていただくことです。中会(プレスビテリ)や大会(ジェネラル・アセンブリ)の仕事にも誠実に取り組まなくては、だれも信用してくれません。移籍して早々に海外などをウロチョロしている場合ではありません。それで現在42歳です。おそらくスタートが遅すぎたのです。今願っていることは(かなりおこがましい言い方ですが)私の代わりにオランダに留学してファン・ルーラーを研究してくださる方が起こされることです。その方を、心から応援させていただきます。私にできることなら何でもいたします。無謀にも“留学”の二文字を思い詰めていた時期のことは、「いい夢を見せていただきました」と感謝するばかりです。妄想も、ほどほどにしなければなりません。