ファン・ルーラーを読んでいますと、「トレルチの問題」にぶつかることが不可避的であることに気づかされます。改革派教義学者ファン・ルーラーが「トレルチ研究者」でもあったことは確実です。
ファン・ルーラーがフローニンゲン大学神学部に提出した卒業論文のテーマが「ヘーゲル、キルケゴール、トレルチの歴史哲学」というものでした(指導教授prof. dr. W. Aalders)。そして、さらにその後彼は、トレルチの歴史哲学に関する博士論文まで書こうとしていました。しかし、教会の牧師の仕事をしているうちに新しい関心が芽生えたため、博士論文のテーマは教義学的なものに変更しました。しかし、ファン・ルーラーがトレルチについての博士論文を書こうとしていたことは事実であり、そうしようと思うくらいに彼がトレルチを徹底的に読み込んでいたことも確実です。実際、ファン・ルーラーの文章にはトレルチからの引用が多いし、トレルチの問題提起を受けた発言も多い。
ただしファン・ルーラーは、トレルチに限らずどんな人からの引用であっても引用元を明示していない場合が多く、それがファン・ルーラー研究者を泣かしてきました。そのため、ファン・ルーラーの文章のどこにトレルチの引用があるかを見抜くという厄介な仕事は、当たり前のことですが、トレルチ自身の文章を実際に読んだことがある人にしか不可能であるということにもなるわけです。
私はこれでも一応、東京神学大学大学院で「エルンスト・トレルチの倫理思想」についての修士論文を書いた者です(審査の結果はあまり思わしいものではありませんでしたが)。私も一時期トレルチはかなり読み込みました。特に、最高の金字塔『歴史主義とその諸問題』(Der Historismus und seine Probleme, 1922)は、近藤勝彦先生の全訳版を、感動の涙を流しながら何度も繰り返して読みました。どこに書いてあるかをすぐに思い出せなくても、トレルチがどういうことを考えていたかが少しは分かります。ファン・ルーラーを読みながら、「これはトレルチの引用だな、たぶん」と分かります。はずれたことはありません。
今週月・火曜日の東関東中会教師会一泊研修会で久米あつみ先生がお教えくださったことの一つは、フランスのカルヴァン学者、オリヴィエ・ミエ先生の凄さ。ミエ先生の手にかかると、この手書き文書はカルヴァン自身の直筆かどうかなどは数行も読めば判別できるとのこと。
私もいつか、せめてファン・ルーラーに関して、また理想的には主要なオランダ改革派神学者に関して、その域に達してみたいと願っています。