2011年5月27日金曜日

重要なことは破局で終わらなかった場合まで考え抜くことだ

「今年の夏、我々はもはや電気を使ってはならないのではないか」というくらいに思い詰めている人たちがいるようですね。

でも、電気は使えばいいです。問題はありません。「湯水」か「停電」かの二者択一なんて誰にも迫られてないはずです。適度な使い方でいいと思いますよ。

それとも、使わなければならない人に電気を残すために「ゼロ電」を迫られる人がいるとでも心配しておられるのでしょうか。それは無いですよ。現代社会で「ゼロ電」は死ですからね。それは無いです。

まあね、せめて7月、8月を迎えてみなければ、実際にどうなるかは分かりませんけどね。というか日本の場合、四季がはっきりしすぎてるので、せめて一年過ごしてみないとね。

想像力が豊かなことは、良いことですけどね。「想像」と「妄想」は同じですよ。我々にとって重要なことは、破局の場合だけで想像をやめず、破局で終らなかった場合まで考え抜くことです。

「破局オチ」という言葉があるかどうかは知りませんが、いわゆる「死にオチ」なら知ってます。「死にオチ」なんてイマドキ、辞書に載ってるんじゃないかなあ。もうそんな狭い世界のウフフ用語じゃないですよね。

そういうのは、もう十分見ましたよ。そして、うっぷ、もう飽きた。そういうのいいから、次、次ー!って気分ですね。

いま考えている「ゼロ年代」の克服の道は、まだ分かんないですけどね。「ゼロ年代」(いちおう2000年から2009年まで、としておきますね)と「イチゼロ年代」(こちらは私の造語。他のだれかが使っているかどうかは知らないです。まさに「今、ここ」の状況のこと)とのたぶん最も大きな違いは「実名顔出し」ですよね。FacebookとTwitterの普及が、時代を分けていると思います。

「ゼロ年代オタク」の基本は匿名性だったはず。2ちゃんねるとmixiどまり、かな。私はほとんど初めからネットで実名顔出しをしてきましたが、少数派でしたね。「著名人でもないくせにエラソウに」とか見てた人もいるんじゃないですかね。

「ゼロ年代」以前からのオタクの人もいますよね。オタクにも四層くらいありそうです。初代オタク(80年代以前)、次世代オタク(90年代)、「ゼロ年代」オタク(00年代)、「イチゼロ年代」オタク(10年代)。

四層というのは、オタク生活を始めた時期を言ったまでで、「初代」だった人が今でもオタクであり続けている場合は「初代」にカテゴライズすればいいんですよ。

それで、私は、「初代」から「ゼロ年代」までは、道具は変わっても「結果」は変わってない、と感じているんです。

90年代までと比べて「ゼロ年代」が手にした圧倒的に有力な武器はネットだったでしょ。でも、ネットはネットでも、「ゼロ年代」に至っても、こと日本人の場合、匿名性の限界内の悪あがきのまま。それでは世界を変えられない。匿名の「意見」なんて、だれも信用しなかったんです。

それに対して、昨年あたりから本格化した「イチゼロ年代」は、それまでとは違ってきているようだと感じます。それは「オタクをやめて世間に出る」という変化じゃありません。実名顔出しで「オタクのまま世間に出る」ようになったのです。

いま文章、ちょっと変だったかな。「ゼロ年代」までは「世間に出る」ためには「オタクをやめること」が求められましたが(と思いますが)、「イチゼロ年代」以降は、「世間に出る」ためには、ある意味「徹底的にオタクのままであり続けること」が求められている気がするのです。

ま、今日はこれくらいにしますね。ヒントは、世界の最先端の情報はどこで得られるか、ですね。私もまだ煮詰まってませんです。Googleが「アングラ領域」を無くしたという点を加えておきましょうか。


2011年5月26日木曜日

「電源コードにつながったエヴァンゲリオン」と「ネットの匿名掲示板」は大差ない

余談ですが、『ONE PIECE』はどっちですかね。私の範疇表に従えば、ONE PIECEの世界は、どちらかといえばエヴァンゲリオンの世界(ただ物だけの世界)に近いのですが、ルフィの腕が百メートルくらい伸びている場面とか見ると、やっぱりDEATH NOTEの世界に近いのかなと、迷いそうになります。

しかし、まあ、ルフィの腕なら何キロ伸びても驚きもしませんし、あっても許す。でも、ノートに誰かの名前を書いたら、書かれたその名前の人が死ぬなんてのは、無いですよ。道徳的に許せないとか、そういう話とはだいぶ違いますよ。

だから、ここで、せっかく面白い問題提起をしてくださったのだから、その宇野常寛氏の本の話に戻らざるをえない。そういう気色悪いノートが「ある」前提を抜きにしては成立しない夜神月の犯行を、碇シンジが「止める」必要はない。「そんなノートはない」と言って相手にしなければ、何も起こらないのです。

いま書いたことを、もうちょっと丁寧に書きなおしますね。碇シンジが「そんなノートはない」と言って、彼とは別の世界に住んでいるかもしれないが、ともかく出会ったことがないし、出会うことができない夜神月のことなどどうでもよいと言って相手にしなければ、碇シンジが住んでいる世界には何も起こらない、です。

私は断然、碇シンジの世界に住んでいます。死神だの悪霊だのは全く「見たこと」がありませんし、その声を「聞いたこと」もありません。「どうせフィクションだから」というオチで結構。しかし、たとえフィクションでも、碇シンジと夜神月は共存できませんよ。碇シンジの世界に夜神月は存在しえないし、逆も然りです。

したがって、論理的に整えていえば、「碇シンジは夜神月を止める必要はない。なぜなら、出会うことができない夜神月を、碇シンジは止めることはできないし、かかわることさえできないから」と言えるのではないかと、考えているところです。

ゼロ年代のデスノートって何だったんでしょうね。「ネットの匿名掲示板」なんて答えは駄目ですよ、それは違います。書いた人間は匿名で、だれかの実名や悪口を書きこんで、その書き込みを読んだ相手が自殺した、なんてのは、デスノートでも何でもない。電線越しにつながっている相手への直接的な、まさに「電撃」攻撃です。

「電源コードにつながったエヴァンゲリオン」と「ネットの掲示板」は本質的に同じだし、一ミリも超えてない。でも、DEATH NOTEは存在しないです。「ネットの匿名掲示板」(電源コードつき)は、DEATH NOTEとは全く異質なものなのです。

昨夜は船橋高根教会で東関東中会伝道委員会。早朝は教会の月報の原稿書き(巻頭言など3ページ分)。その後すぐに出かけ、午前中は松戸市PTA連絡協議会でした。ガガガガとラッシュで仕事していると、同時並行でいろいろ書きたくなるんですよね。

��続けましょう)

というか、そもそも「碇シンジは夜神月に出会うことができない」です

いろいろ考えながら書いていますので、途中のツッコミがあるとありがたいです。

宇野常寛氏が『ゼロ年代の想像力』(早川書房、第一版2008年、第六版2010年)の中で書いておられることは、「碇シンジ」と「夜神月」の対比です。

そして、それはそのまま、氏の言うところの「1990年代後半の想像力」の代表者なる前者と「2000年代の想像力」の代表者なる後者との対比です。私自身は、フィクションを全否定したいわけではないです(んなの言ったら「碇シンジ」もフィクションです)。

で、もちろん(言うまでもなく)「エヴァンゲリオン」もフィクションなわけで(というか絵だし) 、そういうのをひっくるめて否定する論理は私の中には無いですよ。そういう片づけ方は、それこそ文学の否定にさえなるでしょ。それは私には無いから安心(?)してください。

宇野氏が書いておられることは、夜神月こそは2000年代の正義の象徴であるというような乱暴な展開ではありません。宇野氏の名誉を守る責任は私にはありませんが(たぶんね)、さすがにそこまで乱暴ではないです。「碇シンジのように引きこもっていては自分が殺されるので、決断主義的に行動する」(大意)のが夜神月だそうです。

私の読み方でも、「しょうがないから戦う」碇シンジと、「自分から仕掛ける」夜神月は確かに違うと分かります。今の私に芽生えている思いは、強いて言えば「碇シンジ型(または旧式)引きこもり」の擁護かもしれません。

しかし、宇野氏は、碇シンジのありさまから「しょうがないから戦う」というモチーフをほとんど引き出していないようにも見えます(まだ読了しえていない現段階では)。その代わりに「何が正しいかが分からないゆえに、間違いを犯したくないから何もしない」(大意)少年像としての碇シンジを強調したうえで、夜神月の決断主義と対比させています。

ところで、私(45歳)がようやく昨年(ウェブ上で)見た「エヴァンゲリオン」のどこが面白いと感じたのかといえば、あのロボット(じゃないんですよね、「拘束具」でしたっけ)が、それほど長くもない電源コードにつながっていたこと。そして、そのコードが外れると、残り数分しか動けなかったこと、でした。

あとは、なんだろう、碇シンジが葛城ミサトの部屋で同居することになった初日の、部屋の散らかりようとか、ゴミのほとんどがYEBISUビールの空き缶で埋め尽くされていたとか、掃除当番をじゃんけんで決めるとか。単純に「面白い」と思いました。夢見心地な所がまるでない感じ。

しかし、劇中で使用されるノートパソコンや携帯電話のデザインは「2015年」(でしたっけ。あと四年後ですね)という年代設定の割には古臭いものでしたね。 とくに携帯電話はデカすぎる。授業中の教室内で行われたチャットも「Y/N」とかキューハチ時代のパソコンみたいで笑いました。

で、宇野氏は「碇シンジでは夜神月を止められない」という命題を提示なさったわけですが、私の関心から言わせていただけば、碇と夜神とでは、道具の質があまりにも違いすぎて、比較が成り立たないと感じるのです。まあ、まだ結論めいたことを言いきる段階にはありませんが。

あるいは、かなり陳腐で古臭い言葉を持ち出せば「世界観の違い」でしょうか。私の見るかぎり(隈なく見抜いたわけではありませんが)、エヴァンゲリオンの世界は「ただ物だけの世界」(徹底的なマテリアルワールド)。空中にフワフワ浮かんでいる「死神」など出てきえない時空です。

そして、エヴァンゲリオンは「電源コード」につながれている。ロボット(じゃないことは知っています)に電力を集めるために、全国を「停電」にする作戦あたりまで描かれる。モノや、それを動かすためのデンキ(これもモノの一種)というような要素を、スキップしようとしないんです。

それに対して、DEATH NOTEの世界は、羽根の生えた「死神」(名前忘れました)が空中にふんわ、ふんわでしょ?「世界観」が違うというより「世界」が違う。「碇シンジでは夜神月を止められない」も何も、そもそも「碇シンジは夜神月に出会うことができない」んです。

今のところ「碇シンジは夜神月を止める必要はない」だと思っている

なるほど、こういう図になるのかと分かった(試してみたい気持ちもいくらかあったことは否定しないでおくが、特定の人々に対する能動的な挑戦的意図などは皆無である)。

ブログに「宇野常寛氏」という名前を書き込んだとたんに、検索で見つけられたようで、宇野常寛氏関連のとある掲示板に、私のプロフィールつきでデカデカと貼り出された。どうりで、ふだんよりアクセスカウンターのまわりが速いわけだ。

はは、いやいや、私は別に宇野氏に「反論」したいわけではないです。「碇シンジでは夜神月を止められない」という命題を見て「違うよ」とは思ったが、初めから書いているとおり、宇野氏の本はまだ読んでる最中なので、書評めいたことを開始しうる段階ではない。読書中のメモにすぎないと、初めの初めから言っている。

それでも、たしかに、宇野氏の本をたまたま読んで(そもそも宇野氏に関心があったわけではなく、「ゼロ年代」という単語の意味を知りたくて、それこそ検索で「ゼロ年代」で引っかかった本を買っただけだ)、その本の中に書いてあった命題を見て、「違うよ」と思った、と書きはした。それだけで、私は何かある人々の神聖な領域を侵したことになるのだろうか。

そうね、強いて言えば、「宇野氏」への反論ではなく、『DEATH NOTE』への違和感、いやほとんど嫌悪感のようなものであれば、あるかもしれない。あの空中にフワフワ浮かんだやつ・・・なんだっけ、「死神」でしたっけ、固有名詞ありましたっけ、あれがダメですね。ああいうのが「いる」前提でなければ成立しない話。そういうのに反吐が出ます。

あとは、DEATH NOTEなるものそれ自体が存在しない。そこに誰かの名前を書いただけで、名前を書かれたその人が死ぬというノート。そういうものは、この地上には存在しない。そういうのが「ある」前提でなければ成立しないような話が、私は苦手です。とても耐えがたい。

宙にフワフワ浮かんだ感じのやつも、DEATH NOTEなるものも、どこにも存在しないし、ありえない。この二者が存在しないかぎり、夜神月なる登場人物は「無力」なのだから、そもそも「恐怖すべき夜神月」なる何者かは「存在しない」と考えたまでだ。

そこで至った(今のところの)帰結はこうだ。

問 「碇シンジでは夜神月を止められない」か。

答 「碇シンジは夜神月を止める必要はない。なぜなら、夜神月の犯行を成立させる前提としての死神(だっけ)も、なんとかノートも、そんなものはこの地上にはどこにも存在しないから」。

��いくらなんでも、ここでは終われないので、たぶんもう少し続く。)

2011年5月24日火曜日

「疎開ビジネス」や「線量計詐欺」にも警戒すべきだ

「松戸市は独自に23日から小中学校などで松戸市は23日以降、市内の保育所、小中学校、公園などで簡易測定器による放射線量を測定して、その結果をホームページなどで公表すると発表した」。放射線量、測定地点増やします(朝日新聞千葉版、2011年5月21日)

いま起こっている危機的な緊急事態に対しては、突き詰めて言えば「一家に一台、線量計」しか打開策は無いような気がしています。「データをもっていない素人に発言の資格は無い」と言われる国ですから。ただ、そのためには、線量計が値崩れするのを待つしかない。松戸市の迅速な動きは、誇らしく思っています。

「風評被害」も「安全デマ」も、そのすべての原因は(十分すぎる意味で「被害当事者」である)一般市民がデータをもちえていないこと、つまり線量計の値段が高すぎて買えなかったこと(そんなものが普通に市販されているとも知らなかったこと)にあると思います。値段が体重計(?)くらいになれば、みんな買いますよね?

とはいえ、放射能の影響からの退避ということをもし本気で考えるとしたら、一時的な疎開では済まず、最終的には転居を考えざるをえない(私が転居したがっているという話ではありませんからね)。まさに人生をかけた、重大な決意が伴う。その決断に耐えうる線量計は、ある程度高性能のものであってほしいとは思います。高性能であるが、一般市民の手に届く範囲内の価格のものがあるといいですね。我々のパソコンにUSBでつないで簡単に使えるようなものがいい。

線量計を一般人には買えない値段にし、データを公表せず、かつデータを素人には判読不可能な難解なものにするなどのやり方で、「企業防衛」というか、「既得権益の保護」というか、あるいはもっと戯画的にいえば「原発インペリアリズムの砦」にしてきたのでしょうけど、彼らの城門は、もはや守りきれないでしょうね。

文系人間と理系人間との違いという問題は(その二分法自体が無意味であるという意見があることも知りつつ)、私もずっと考えてきました。文系人間に線量計を扱うことはできないだろうと、理系の人たちから言われてしまうかもしれません。しかし、線量計を「開発する」ためには理系の知識が必要だと思いますが、線量計を「利用する」ためには数学や物理ができなくても大丈夫ではないでしょうか。パソコンでも携帯でも電子レンジでも、みな同じことが言えるでしょう。

ともかく、世の中の理系の人たちを責めないであげましょうよ。もしかしたら、いま、彼らは自分たちが国民全体から責められていると感じて、必要以上に身構えておられるかもしれません。理系の人たちの中の原発に反対してきた人たちは学会等で徹底的に虐げられてきたようですから、そういうのを目の当たりにして、表立って反対できなかった理系人は多かったと思います。

原発推進に消極的だったとか批判的だったとかの理由で、学会の中であからさまな妨害や非難を受けた良心的な学者たちもいたということを知るにつけ、私などは「犯罪」の二文字を思わずにいられません。ここから先は、法学者たちの出番ではないでしょうか。今回の事故が「天災」や「運命」や「想定外」の面だけではなかったことは今や誰の目にも明白なのですから、首謀者の逮捕をもって原発時代を終わらせるべきです。

私の原発に対する立場としては、中立とは言えないにしても、存在そのものに反対したことは、いまだかつて(実は今も)ないのです。事故を想定して備えること自体が妨害されるとか、データの隠ぺいや改ざんが行われるような国には原発をもつ資格がない、と思っているだけです。

あと一つ、言わずもがなのことをあえて言えば、福島第一原発からの大量の放射能汚染水の海洋放出の問題はいまだに終息していないわけですから、現時点ですでに日本国内にも、あるいは地球上のどこにも、将来にわたって真に安全と言いうる「疎開先」は無いと、私は考えています。要するに、逃げ場はどこにも無いのです。

なぜ今あえて「言わずもがなのこと」を書いたかといえば、近い将来にも、「疎開先あります」とか「引っ越し先にどうですか」といった内容で、人の不安につけこんで、家や不動産を高く売りつける詐欺的な商法が横行しそうな気がしているからです。そういうことも監視し、警戒していく必要を感じています。

その種の詐欺に何と名付けるべきでしょう。「疎開ビジネス」かな。線量計も慌てて飛びつく必要なし。そのうち値崩れしますから、手の届く値段になってから買えばよい。いま飛びつくと「線量計サギ」に引っかかるかもしれません。

最良の堕落は最悪なり(corruptio optimi pessima)。善意の衣を着た狼は、あらゆるところに潜んでいます。


2011年5月19日木曜日

平田オリザ氏の「発言撤回」の意味を考える

「平田オリザ氏、汚染水放出巡る発言を撤回し謝罪」(読売新聞、2011年5月19日04時40分)

内閣官房参与で劇作家の平田オリザ氏は18日、東京電力が4月に福島第一原子力発電所から低濃度の放射性物質を含む汚染水を海に放出したことについて、「米政府からの強い要請で(海に)流れた」とソウルで述べた自らの発言について、所属団体を通じ、「私の発言が混乱を呼び、関係各位にご迷惑をおかけしました。当該の事実関係について知りうる立場にありません。撤回して謝罪します」とする談話を出した。


さて問題は、この記事を我々がどう読むべきかである。内閣官房参与までが「知りうる立場にない」なら、誰が「知りうる立場にある」のだろうかと思わずにはいられない。

内閣官房のホームページを見るかぎり、組織図に「内閣官房参与」の位置づけはない。Wikipediaの説明によると「相談役的な立場の非常勤の国家公務員」だそうで、その人が「知りうる立場」になかった。逆にいえば、汚染水の海洋放出を事前に「知りえた」人たちは内閣官房の「常勤公務員」に絞られるわけだ。

内閣官房の定員は778人だそうだ。意外に多い。でも、その多くは「なんとか推進室」「かんとか検討室」「どうとか対策チーム」の人たちのようだから、778人全員が、汚染水の海洋放出を事前に「知りえた」立場にいたとは思えない。「知りえた」人たちは、何人くらいいたのだろうか。

オモテに名前が出ているこの人たちは、知っていたのだろうか(敬称略)。

菅 直人  (内閣総理大臣)
枝野幸男  (内閣官房長官)
仙石由人  (内閣官房副長官(政務))
福山哲郎  (内閣官房副長官(政務))
瀧野欣彌  (内閣官房副長官(事務))
伊藤哲朗  (内閣危機管理監)
佐々木豊成 (内閣官房副長官補)
河相周夫  (内閣官房副長官補)
西川徹矢  (内閣官房副長官補)
千代幹也  (内閣広報官)
植松信一  (内閣情報官)

辻元清美  (内閣総理大臣補佐官)
藤井裕久  (内閣総理大臣補佐官)
細野豪志  (内閣総理大臣補佐官)
馬淵澄夫  (内閣総理大臣補佐官)
芝 博一  (内閣総理大臣補佐官)

いま16人だ。内閣官房ホームページの「幹部紹介・内閣総理大臣補佐官紹介」のページに載っている人たちだ。テレビに出て来る人と、出て来ない人がいるのが分かる。

この人たちの名前は、べつに秘密でも何でもなく、どこでも公表されているのだから、書いても構わないはずだ。堂々たる公人だ。この16人が、大量汚染水の海洋放出を事前に「知りえた」人たちだろうか。

我々はこの16人の名前を、終生、記憶と記録にとどめておく必要がある。これは、平田オリザ氏の言葉をそのまま受けとめるなら、内閣官房参与である人をして、放射能で汚染された水の海洋放出について「私は知りうる立場になかった」と言わしめた、今の内閣官房の中核にいる人々の名簿である。

それでは「知りえた」のは、だれなのだろう。どのレベルの人たちまでは知っていたのか。何人知っていたのか。米国の「要請」か「了解」なしに汚染水の廃棄などできたとは思えないが、まさか本当に、米政府にも知らさず、要請も了解もなく、そして内閣官房参与にも相談せず、ごく一握りの人たちがゴーサインを出したというのか。

責任の所在を内閣官房だけに限定できるかどうかは分からない。「内閣」には省があり、大臣がいる。各省の大臣は「事前に」知っていたのか知らなかったのか。いま私が知りたいと願っているのは、放射能水の海洋放出の「ゴーサイン」の責任を有する人々は、何人くらいいたのだろうか、という点である。

まさか、先ほど名前を挙げた16人だけで「ゴーサイン」を出したのではないでしょうねと聞いてみたいのだ。「相談役の非常勤公務員」たる内閣官房参与の口から「知りうる立場に無い」と言わせるほどに、まわりの誰とも相談せずに。

内閣官房の中核にいると思われる「16人」が多いのか、それとも少ないのか。そんなことは部外者には知る由もない。16人と言えば、一中学校のPTA運営委員会の人数くらいだ。この人たちが「海に流せ」と言った。そう考えてよいのだろうか。全世界に放射能を拡散させてよいとゴーサインを出したのは、彼らなのか。

私は別に、この「16人」に損害賠償請求をしたいわけではない。とくに面識があるわけでもない平田オリザ氏をほんの少しだけ庇いたい気持ちを持っているにすぎない。まあ、今や国民全体からバッシングを受けている人をかばおうとすると、かばった者までバッシングを受けかねないが、それは致し方ない。

平田氏が何を意図してリーク(と呼んでよいと思う)したかは本人以外には分からないが、私の拙い読解力からいえば、これから徹底的に責任を追及されることになるであろう現内閣を擁護する心の表われだとしか思えない。野党が平田氏を追及するのは当然だが、与党にとってはむしろ重宝な存在ではないか。

たとえば、いま流れている、GEと米政府を提訴する意思が日本政府にあるという噂とリンクするものだとすれば、汚染水放出に「米国のお墨付き」があったというのは決定打につながるのでは、とも思う。

平田オリザ氏という一人の文学者が、我々一般人には立ち入れない奥の間の只中で、知恵をこらして懸命に戦ってくれているような気がするのは、私だけだろうか。

政治の「腹芸」や「どんでん返し」や「敵を騙すにはまず味方から」のような要素は、それこそ劇作家の十八番だろう。シナリオ通りに政治が進むわけがないことも、シナリオライターだからこそ分かるものがあるのではないか。

ともかく、平田氏のような方が内閣官房から排除されないことを、私は願っている。「ド素人の政治参加」、けっこうなことじゃないか。

2011年5月18日水曜日

「終わりある日常だけど生きろ」ですかね

昨日の段階で、日本政府がGEと米国を提訴する可能性があるという噂があることを知りました。しかし、情報源の確かさを含めて真相はまだ分かりません。しかしまた、もしそういうことになった場合におそらく争点となるのは、購入の際に必ずや取り交わされたはずの売買契約の際に、このマシンが壊れたときの修理方法まで教えてもらえたかどうかではないかと想像しています。

しかし、原発がブラックボックスであることは周知のとおり。開発者以外の誰も中身を見たことがないと言われている。そういうものの修理方法を教えられた可能性があるとは、私にはどうしても思えないのです。

パソコンとかでもそうですよね、「壊れたら自分で直さずに、必ずメーカーに返送してください。自分で裏ぶたのネジを開けたら、保証に応じられなくなります」というような警告文が書かれている。企業防衛の論理から言えば、当然すぎる言葉でしょう。でも、何のことはない、いまどき、パソコンくらいなら、多くの人が自分で部品を取り換えているはずです。

でも、原発のネジを開けて自分で部品を取り換えられる人なんて、ごく少数の開発者以外にはちょっと考えにくい。だから、ここで「ブラックボックスが壊れた責任は開発者以外とりえない」という論理が成立しうるのではないかと、昨夜愚考してみたまでです。

ですから、私の発想から言わせていただけば、今回の原発事故や今後の原発存続の是非の問題は、結局のところ、最終的には「哲学」の問題じゃないかと思っているんです。

それは単純明快な哲学です。「絶対に壊れないものなど存在しない」という、いわばアホみたいな命題です。

しかし問題は、このアホみたいな哲学をこれまで我々が持ちえていたかどうか、いまからでも持ちうるかどうか、です。数学も物理も苦手な文系人間の幼稚な発言と思われても結構。いま問われていることは、実はただこれだけであるような気がしてならないのです。

東日本大震災以降しきりと考えさせられてきたことは、文学とか哲学とか神学などが現代社会から締め出されてきた(これは事実)結果がどうなのかというあたりなのですが、字義通りの「終わりなき日常」が、まるで本当に存続しうるかのような錯覚に、(私も含めて)多くの人が陥ってきたと思うのです。

オウム問題以降に語られた「終わりなき日常を生きろ」も、たしかに至言とは思います。私にはオウムを庇う思いは一ミリもない。「宗教」というカテゴリーで一緒くたにされて激しく迷惑したのは我々です。また、とりわけオウム被害者の苦痛はいまだ癒えていないことも分かっているつもりです。

しかし、大震災以降、いや原発「爆発」以降は、「終わりなき日常を生きろ」とは、もう言えなくなりました。「終わりある日常だけど生きろ」とでも言い換えなければならなくなった気がしています。

まあ、もちろん、歴史的な知識がある人たちは、「メメント・モリ」なり「武士道というは死ぬことと見つけたり」なりの言葉を思い出して重んじてもいいでしょう。しかし、なるべくならば「人間はどうせ死ぬし、世界はどうせ滅びるんだから」みたいな諦念っぽいのじゃなくて、「心配なことはいろいろあるけど生きようよ」と言えるほうが私はいい。

ただ、いま言いたいことは、これからどうするかの話ではなく、これまでどうだったかの話です。

数日前から頭をよぎっていることは、「終わりなき日常を生きろ」と真顔で(そして、ちょっとヒロイックな調子で)語りえた時代というのは、そもそも決して存在しうるはずのない「無限のエネルギー採掘所」が存在しうる、という詐欺的で人を幻惑する「哲学」の上に立っていたのではないか、ということです。

この問題は、いま読んでいる最中の宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房、第一版2008年、第六版2010年)のテーマにも深い次元で関係してくるような気がしていますので、その意味でも目下の私の関心事になっています。ちなみに、この本(『ゼロ年代の…』)の帯に「宮台真司氏推薦」と書かれています。「終わりなき日常を生きろ」と言ったのは、そう、宮台真司氏です。

まあ、でも、こういうことも、ただつぶやいているだけではどうにもならないんですけどね。人の中に一度根付いた「哲学」は、そう簡単に変わるものではありませんしね。

2011年5月17日火曜日

「ゼロ年代の想像力」の作品群

宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房、第一版2008年、第六版2010年)に触発されて書きはじめたことは、しかし、同書の書評のようなことではない。書評なら最低でも全部読んでから書く。いまはまだ、読んでいる最中のメモを取っているだけだ。感じたことを感じたまま書く。

ただ、すでに分かってきたことがある。どうやら「ゼロ年代の想像力」(書名ではない)とは、私が長らく違和感…いや拒絶反応…いや嫌悪感(は言いすぎかもしれないが限りなく近い)すらおぼえてきたものようだ、ということである。宇野氏がリストアップしている作品群の名前を見てそう思った。

『バトル・ロワイヤル』(1999年)、『リアル鬼ごっこ』(2001年)、『仮面ライダー龍騎』(2002年)、『ドラゴン桜』(2003年)、『野ブタ。をプロデュース』(2004年)、『女王の教室』(2005年)、そして『DEATH NOTE』(2003~2006年連載)。

なるほど共通しているものがある。ただし、いちいちは言えない。目をそむけたくなったし、実際に目を背けたので、「ゼロ年代の想像力」なるものの産物をほとんど直視できていない。要するに知らないのだ。「ゼロ年代フォビア」かもしれない。まるでその時代の日本に私はいなかったかのようだ。

それと、私が「目をそむけた」のは、もっぱらテレビドラマとなったものだ。原作(小説・マンガなど)があるのかどうかさえ知らない。原作はもっと直視に耐えるものなのかもしれない。といって、テレビで見た俳優たちの演技を云々するつもりはない。

「目を背けた(くなった)」理由は思い出せないし、当時も自覚していなかったはずだ。しかし、今にして思うと、はっとさせられることがある。単純な話だ。宇野氏がリストアップしている「ゼロ世代の想像力」なるものの作品群がちまたに流れていたとき、うちの子どもたちは小学生だった、ということだ。

作者たちには失礼であるに違いないが、子どもたちに「ああいうの」は見せたくなかった。そういう感情は持っていた。原作も読まず、テレビドラマを直視さえしていないのに「ああいうの」呼ばわりするのは申し訳ないことだが、「読む」ということはある程度巻き込まれることだ。巻き込まれたくなかった。

「ああいうの」の中で、唯一、私自身が原作(マンガだが)をすべて読み通したのは『DEATH NOTE』だけである。必ずしも「面白かった」わけではないが「興味はあった」。歓喜をともなう好奇心ではなく、「なんなんだ、こりゃ」という目で眺めていたというに近かった。

そうね、『DEATH NOTE』を読んでいたときの気持ちは、同じ週刊少年ジャンプの中で『ONE PIECE』を読んだ後のバランスをとるような感じだった。ルフィの笑顔を見た後に夜神月のすっとした表情を見ると、なんとなくバランスがとれる。食後のコーヒー、かな。カレーの福神漬け、は言い過ぎか。

でも、逆はありえなかった。夜神月は、まさに「月」で、ルフィが主役だった。『ONE PIECE』を読んだ後でなければ『DEATH NOTE』のページをめくる気がしなかった。夜神月は、あくまでも「陰」。本人(?)がそれを望んだわけでしょ?

おっと、長々とやってしまった。今日は午後からまた中学校に行かねばならない。PTA運営委員会だ。昨夜は遅くまで中会の会議(東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会。長いね)だった。今朝の寝覚めは悪くなかったが、取り組むべき課題が大きすぎて、ちょっとだけ逃避したい気分ではある。

��たぶんまだ続く)


ブラックボックスが壊れた責任は開発者以外とりえない

ここ数日「地震直後のメルトダウン」を急に公表しはじめたのは、米国とGE提訴のための伏線だったのかと驚きました。すぐに壊れるおんぼろ機械を高い金で売りつけやがって、と。言ってみる価値はあるでしょう。

「開発者以外には手出しできないブラックボックスが壊れた責任は開発者以外とりえない」というのは論理的には整合性があるわけだから、とりあえずその線で行ってみようとする(負け戦承知の)政府は評価できる気がします。

2011年5月16日月曜日

今こそ自分の仕事に向かおう

書きたくない言葉ですが、日本国民は、現時点ですでに十分な意味で、高濃度の放射能の影響下にあると言わざるをえないと感じています。さらに、数か月ないし数年後には、海水や空気(これから訪れる台風の影響はすさまじい)や食べ物を通じて、その影響は全世界に拡散していくものと思われます。

このような形で、我々の世界の寿命が明らかにいくらか(いや、少なからず)短くなったことを、私は心から憂い、惨めな思いに苛まれています。

子どもたちと、子育てに七転八倒している者たちとを、まるであざ笑うかのような「放射能」なる何かが、我々の行く手を阻んでいる。過去66年間「世界唯一の原爆被災国」と称してきた日本が、今年を境に「世界最悪の放射能流出国」と改称しなければならなくなった感さえある。

しかし言っておきますが、ここで絶望するなら、我々は神学者としても教会人としても失格者です。世界の寿命が縮んだなら、我々の仕事のペースを速めるだけです。少し急ぎましょう。大いにあわてましょう。仕事をサボっている場合ではありません。

私自身は、ファン・ルーラーの翻訳と研究を開始して12年余になりますが、いまだに一冊の訳書すら世に問えていません。今のペースのままだと30年(残り18年弱)くらいかかりそうだなあと、天を仰いでいたところでした。

しかし、今回の事態を受けて、悠長なことは言っていられなくなりました。もっと急ぎます。なんらかの形にします。私の寿命が尽きる前に(こういうのも「過剰反応」と言われてしまうのでしょうか)。ウェブ版で読んでくださっている方々にも応援と協力をお願いしたいです。

「碇シンジでは夜神月を止められない」か?

遅ればせながら、と書かねばならない。劣等感を否めない。先週入手した宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房、第一版2008年、第六版2010年)を読んでいる。こういう(たぶん話題になった)本を知らなかったことに恥ずかしさを禁じえないが、読みはじめて感じていることは「へえ」である。

宇野常寛氏の名前も先週どなたかのツイートで知ったばかりである。本書が出版されたらしき2008年7月の私は何をしていたかなあ。このブログ「関口 康日記」を始めたのが2008年1月。アムステルダム自由大学での「国際ファン・ルーラー学会」に出席したのが同年12月。そのちょうど中間くらいだ。

だから、おそらくこう言わねばならない。「2008年7月の関口は、神学一色、ファン・ルーラー一色でした」。宇野氏が扱っている仮面ライダー(龍騎、電王)、新世紀エヴァンゲリオン、DEATH NOTE、ONE PIECEなどは、子どもたちと一緒になって「批評なしに」楽しんでいた。純粋な一消費者として。

あ、いまちょっとウソを書きました。「子どもたちと一緒になって」?違うね。「子どもたち」を言い訳に使っちゃあいけない。子どもたちも楽しんでいましたが、私「が」楽しんでいました。もう一つのウソは、仮面ライダー「龍騎」というのを、私はほとんど見たことがない。チラ見したが、関心を持てなかった。

『仮面ライダー電王』は、相当見ました。映画まで見た。『DEATH NOTE』は、週刊少年ジャンプでリアルタイムで全部読んだ。映画も見た。『ONE PIECE』は全巻コミックスをもっている。アニメは(面白くないので)見ていない。『新世紀エヴァンゲリオン』は、リアルタイムでは見なかったが、昨年だったか、ウェブで全部見て、「面白い」と知った。

宇野氏が扱っている範囲はもっともっと幅広い。でも、今書いた四作品以外はほとんど知らないし、分かんないですね。フォローしきれない。涼宮なんとか、ハチミツとなんとかは、タイトルくらいは見たことがあるが、中身は知らない。

まあ、『ゼロ年代の想像力』は、まだ読みはじめたばかりなので、これについて云々するのは、もう少しあとになりそうだ。でも、私が実際に関心をもって見た四作品については、宇野氏のような方の解釈に助けてもらいながら、記憶に残っている範囲内で何か書きはじめられることがあるかもしれない。

ただ、四作品といっても連載継続中(つまり未完結)の『ONE PIECE』は別扱いでなければフェアじゃなさそうだし、『仮面ライダー電王』は実写だし、『DEATH NOTE』はマンガ(後に実写化)だし、『新世紀エヴァンゲリオン』はマンガとアニメ(両者の関係は知らない)だしで、「テキストの形態」が異なる。

「テキストの形態」が違うということは、比較が難しいということだ。そのため、宇野氏が取り上げている作品群の中で、私が興味をもって見た四作品のうち、「テキストの形態」が近似していて比較しやすいと思われるのは『新世紀エヴァンゲリオン』と『DEATH NOTE』の二つだということになる。

ここで、最初のほうに書いた、宇野氏の著書をパラパラめくりはじめての第一印象としての「へえ」の話に戻る。どうやら本書にとっても、いま私が残した二つの作品、『新世紀エヴァンゲリオン』と『DEATH NOTE』が、大きな問題らしいのだ。そのことを知っての「へえ」である。

「第一章 問題設定」の中の一小節のタイトルに驚いた。「4.碇シンジでは夜神月を止められない」(22ページ以下)。これは重大な問題提起だと直感するものがある。

でもね、「碇シンジでは夜神月を止められない」ですか?はは、言われてみれば、確かにそういうことになるのかもしれない。しかし、この命題を見た直後に言いたくなったことは、「違うよ」だった。

「碇シンジは存在するが、夜神月は存在しない」です。エヴァンゲリオンは存在しうるが、DEATH NOTEは存在しません。

2011年5月15日日曜日

「文学的に考える」とは、たとえばどういう意味か

現首相が「福島第一原発が爆発した」と公的に発言したとき、あるいは現官房長官が「ただちに健康に影響はない」と公的に釈明したとき、あるいは現天皇がビデオメッセージを国民向けに流したとき、私は彼らの言葉を信用したわけではない。関心があったのは、各発言がなされたという事実そのものと、その日付や場所。そして、そのときどのようなレトリックが用いられたかということだけだった。

ましてや、東電自身や原子力保安院の会見などは、最初の数日は見ていたが、その後はどうでもよくなった。加害当事者の釈明会見など、何十時間聞いても、真相が見えてくるはずがないと分かったからだ。

現天皇はともかく、現首相と現官房長官は、国民向けに語ることができない何らかの「真相」を知っていたに違いない(知りえたことを洗いざらい人前で暴露する政治家は通常いない)。そのことを文学者はすぐに見抜く。なぜ見抜けるか。あらあら、巧みな「文法」を用いはじめたぞ、ということが、文学者には瞬時に分かるのだ。

あるいは、天皇の登場の意味も、文学者なら文学的に、あるいは歴史的に、つまり日本史的に理解する。天皇が何を語ったかはあまり問題ではない。問題なのは、なぜ出てくるのが「天皇」なのか、である。あるいは、なぜあのタイミング(2011年3月15日でしたね)なのか、である。

私自身は文学者でも歴史家でもないので、事の詳細は分からない。しかし、このたびの“出来事”(と、いくらか柔らかく、価値中立的に書いておく)が太平洋戦争の「敗戦」に匹敵する超弩級の国難であるという認識がこの国の支配者層(それが誰かは具体的には知らないが、福島第一原発「爆発」の真相を最初期の段階から知りえていた政治家の誰か複数)の中にあるということを、天皇登場の日に認識した。「ああ、そういうことか」と察知できるものがあった。

いわゆる「核爆発」が起こりうるかどうかも、私にとっては最初からほとんど問題ではなかったし、関心もなかった。たぶん起こらないし、起こっていないのだろうということが、上記の“彼ら”が用いる「文法」で分かったからだ。

ひとの話を聞く際に、語られている内容が科学的に、あるいは数値データ的に正しいかどうかよりも、“日本語として”正しいかどうかに関心を寄せて聞くと、彼らがどの程度のことまでを知っていて、そこから先は本当に知らないかが、分かってくることがあるものなのだ。

なかでも現官房長官の本職は弁護士でもあるのだろう。話の最初から、特定のだれか(の、おもに財産)を法的に弁護している調子が分かった。当然のことながら、弁護士には弁護士の文法がある。とても立派な仕事だと思うが、彼らの用いる文法は、聞いていて苦痛を感じることが多い。

もちろん、もし、自分が弁護してもらう立場にあれば、巧みな「文法」を駆使してくれる弁護士であればあるほど、この上なく助かる存在でもあるだろう。

原発そのものの仕組みを知らないとか、具体的な数値データなど持っていない人間であっても、これくらいのことは分かるのだ。原発にせよ、他の精密機械やソフトウェアにせよ、すべてをブラックボックスにしておいて、つまり、その開発に携わったごく少数の人間だけの専売特許にしておいて、それ以外の素人には(たとえ実害を受けている被害当事者であっても)この件に関する発言権は無いとするのは、いかにも卑怯だ。

絶対に壊れない機械などないし、無限のエネルギーなどありえない。そもそも「完璧なもの」は地上に存在しない。いま書いたことは、科学的に証明できなくても構わない。「そうだ」と言い張る人が多くなれば、それで事は足りるのだ。神学の出番は、そこかもしれない。


柏、松戸、流山、三郷のホットスポット

中部大学の武田邦彦教授が、ご自分のサイトに「柏、松戸、流山、三郷のホットスポット」という記事を掲載しておられます。ご関心のある方は、ご一読をお勧めいたします。私も現在、松戸市民ですので、他人事ではありえません。

「臨時 ホットスポット情報 子供を守ってください。関東の一部に放射線の強い場所があります。柏、松戸、流山、三郷の4市です。放射性物質は『県境』などは判りませんから、測定値に従って行動することが必要です。(以下略)」

この続きは、武田教授の文章を直接お読みください。

武田邦彦 「柏、松戸、流山、三郷のホットスポット」
http://takedanet.com/2011/05/post_5c55.html

2011年5月14日土曜日

「読書メーター」始めました

Twitterの友人に誘われて「読書メーター」を始めました。これで、過去27年で集めた本のリストを作ることができないかと期待しています。

ただし、ここに挙げてあるものが私の蔵書のすべてではありません。まだまだたくさんあります。とくに大昔の古書は登録できない様子です(もしかしたら登録できるのかもしれませんが、いろいろ試してみる余裕がありません)。

また、「本棚」という機能を利用したかったので、すべてを「読んだ本」に分類しましたが、斜め読みの本も含まれています。

「読書メーター」の仲間が、もっと欲しいです。どなたもぜひお試しください。

関口 康 on 読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/u/108741/cat


「読書メーター」とは(はてなキーワードより):
自分の読書量をグラフで管理できるウェブサイト。読み終わった本を登録することで、ページ数や冊数のグラフ、登録した本の表紙のサムネイル画像など視覚化することができる。

2011年5月13日金曜日

結局これは「文学の欠如」だと思う

メルトダウンは最近になって起こったわけではないし、レベル7もそうだ。ほぼ最初からそうだったのだ。“文学的に”考える者たちは早々と「最悪のシナリオ」に辿り着き、持てる想像力を駆使しながら、自分になしうること、なすべきことは何かを判断し、迅速に行動しはじめた。

いま思い返すに、福島第一原発「爆発」の一報直後のほぼ最初の時点からいちばん的確な判断ができていたのは、文学者たちであり、哲学者たちであり、神学者たちであった。

全く惨めに思えるのは、優秀な理系脳の持ち主たちだ。どうした。え、「想定外」だって?違うよ。「想像力の欠如」だ。佐々木中氏的にいえば「文学の欠如」ということにもなるだろう。

日本の教育は、2011年を境に根本的に構造を変えるべきだ。文学の素養の無い人たちには原発は扱えなかった。そのことがはっきりしたじゃないか。そういうことを今朝、ひどく考えさせられたので書きとめておきます。

2011年5月12日木曜日

いま勇気をもって書く「アニメの話」

脈絡なく書きますが、中学・高校の頃はアニメとかよく見てました。オタクとかそういうのが流行る前ですね。正確な情報などどうでもいいですが、1977年から1983年までの6年間です。宇宙戦艦ヤマトの再放送を見た日から銀河鉄道999とかの映画をやっていたころまで。松本零士氏の術中にハマったクチです。

私は1965年生まれ、つまり「戦後20年生まれ」なので、軍艦や蒸気機関車の実物を見たことがない世代ですが、そういうもの、つまり私にとって「過去」のものが宇宙の果てまで飛んでいき、見たこともない「未来」の主役になるという「未体験感」が、少年Sの好奇心をかき立てました。

当時、パソコンとか携帯とかも、その実物は見たことがなかったので、松本零士氏の描く「コックピット」や「通信機」の絵は、憧れというか興味津々でしたね。

で、「コックピット」や「通信機」への興味は、私の長男が幼稚園児のころに始まった「平成ウルトラマンシリーズ」のティガだダイナだガイアだを長男と一緒に見たときに再燃。「やっぱりおれはこういうの(コックピットや通信機)を自分のものにしたいようだ」という自分の願望に気づきました。

どこで読んだか忘れましたが「基本、オタクにはコックピット願望あるからな」という書き込みに笑いました。「お、おれはオタクじゃねえ!」と心で叫びました。先日、ファンに囲まれたキャンディーズの写真をどこかで見たとき、「お前らって昔からお前らなんだな」という書きこみにも笑いました。

ちなみに、キャンディーズをおっかけたことなんかありませんからね。私、オタクとか呼ばれたことねえし。ていうか、もと岡山県人の私が、どうやって、だれをおいかければいいのかって感じでしたよ。当時、岡山まで来てくれる芸能人なんて、ほとんどいませんでしたからね。

そして今。

「おっかけ」の体験はいまだにありませんが、「コックピット」と「通信機」は、なんだか手に入ってしまった感じがしています。携帯電話を持つと「流星号、応答せよ!」とか「行け、鉄人!」とか言いたくなっちゃう(古いか)。スカイプとかやってると、ベルク・カッツェの高笑いが聞こえてきます。

しかし、この「コックピット」と「通信機」っていうのは、実際に手に入れてみると、どうってことないものですね。いま思い出しているのは、故ビン・ラディン氏がテレビのリモコンを操作している、あのビデオ映像です。さらに、ビン・ラディン氏殺害時にホワイトハウスの一室に米政府関係者がコーヒー飲みながら集結している、あのスチール写真です。

米政府とビン・ラディン氏のどちらが科学忍者隊で、どちらがギャラクターなのかは分かりません。どっちなのかは、どっちでもいい。そのことよりも、政府の基地のモニターとかによく侵入していたベルク・カッツェの姿を思い起こすたびに、「彼が使っているソフトはスカイプだろうか」などと妄想しています。

ガンダムは、最初のシリーズだけは少しは見ましたよ。ただ、あんまり記憶に残っていないんで、ガンダムの話では盛り上がれないです。ストーリーが私には少し難しく感じられたというか、当時(中学生だったかなあ)の想像力の範囲を超えていました。

ヤマトは、キムタク主演の映画を私一人で観に行きましたよ。封切りからだいぶたった頃で、JR柏駅前のステーションシアターで観たのですが、そのときのお客さんが、私含めて5人。うち私以外の4名(男性3名、女性1名)は、どう見ても70歳を超えた方々でした。なんじゃこれ、でしたね。

まあ、でも、70歳オーバーの方々といえば、つまり我々の親の世代の方々ですね。我々が子どもだったころ、我が子と一緒にアニメのヤマトを見ておられたのでしょうね。そう思うと、なかなか実家に帰れない親不孝な私としては、なんだか切ないですね。

エヴァンゲリオンていうのは、去年だったかな、ウェブ上で初めて観ましたよ。一気に全部を観ました。まあ、私にとっては面白いものでしたね。何年も前からレンタルビデオ屋さんの目立つ位置にずらりと並べてあったのは遠目に見ていましたが、借りて観る「勇気」まではありませんでした。

あ、最初は「ヱ」と書かなくてはならなかったかな、「ヱヴァンゲリオン」ですかね。こういうのは分かんないですね。新東京市、でしたっけ。第二とか第三とかありましたよね、地下都市の。ああいうのが現実に必要になりそうな勢いですね、ってこういう話、空気読めて無さ過ぎですかね。


2011年5月9日月曜日

とにかく一年過ごしてみなければ、という気持ちです

今の私が原発不要論に同意していないという意味ではありませんが(断じて)、四季が明瞭な日本では、とにかく一年過ごし、エアコン無しで夏の猛暑を乗り切り、熱中症死者が続発しなかったことを確認できないと、原発不要論に確信を持てない気がしています。

現在45歳の私にとっては、20年前の電力レベルに戻ることは、実はそれほど苦ではありません。エアコンのある学校に通ったことはないし、学生寮にもそんなものはありませんでした。すべてをエアコンの話にしてしまうのは極論かもしれませんが、20年前と今の最大の違いはエアコンですよね。

ですから、エアコンを止めるとどうなるかを見守りたいのは、確かにメタボゆえ暑がりではある私自身の姿ではなく(誤解されやすいので特記しておきます)、「生まれる前からエアコンがあった」世代の子どもたちや、病弱な方々や高齢者の姿です。とにかく一夏耐えられたという証しが欲しいです。

2011年5月6日金曜日

ブログサイト大工事中

実はまだ大工事中なのですが、時間を見つけては、私が管理しているブログサイトを少しずついじっています(日曜大工のようなものです)。

��1)「改革派教義学」や「キリスト教倫理」などのサイトは廃止し、すべて「ファン・ルーラー著作集」に統合しました。と言っても、未整理のままですが。

��2)「ファン・ルーラー著作集」サイトの名称を「A. A. ファン・ルーラー著作集」に変更しました。

��3)これで「今週の説教」と「A. A. ファン・ルーラー著作集」と「関口康日記」の三つに整理されました。説教と神学と日記の三部作です。

【説教】 今週の説教
http://sermon.reformed.jp/


【神学】 A. A. ファン・ルーラー著作集
http://vanruler.protestant.jp/


【日記】 関口 康日記
http://ysekiguchi.reformed.jp/


��4)「A. A. ファン・ルーラー著作集」に含まれるウェブページの全リストは、右サイドバーの「ウェブページ」でご覧いただけます。トップページには、まだほんのちょっとしかありませんが、これまで私が訳してきたものの一部をまとめておきました。

これらのことをすべて、日本の教会と社会に有益な情報を提供したい一心で続けています。ご理解とご協力をいただけますと幸いです。


ファン・ルーラーの「喜びの神学」に秘められたもの

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校校長)


(これは2002年9月2日〜3日「ファン・ルーラー研究会セミナーin 熱海」(静岡県熱海市)で行われた基調講演であり、その後『キリスト新聞』2002年11月9日第2800号において、講演者ご本人が紙面向けにまとめた要旨として掲載されたものです。本サイトへの掲載は、キリスト新聞社の了解を得ています。無断転載は固くお断りいたします)

「喜びの神学者」ファン・ルーラー

「救いの究極、福音の結晶は、『喜ぶこと』『純粋に喜ぶこと』『審美的なもの』なのである。絶望や疑いの要素から全く自由にされて、『神を喜ぶこと』『世界を喜ぶこと』そして『自分を喜ぶこと』である」。

これはオランダの改革派神学者アーノルド・ファン・ルーラーの言葉です。ファン・ルーラーは「喜びの神学者」と呼ばれています。冒頭の言葉はその呼称の正当性を証しているでしょう。さらに、「喜びの神学者」としてのファン・ルーラーは「聖化において本質的なことは、(プロ・サッカーチームの)アヤックスやフェイエノールトを楽しむことにある」とまで言い放ちます。このような奇想天外とさえ言いうるほどの“喜びの神学”の主張に秘められたものは、いったい何だったのでしょうか。

被造性を喜ぶことと神の栄光

ファン・ルーラーの主張を理解するために、まず彼の創造論に注目すべきでしょう。彼にとって、創造は、神の善意に基づく、神の自由な主権的業です。必然や強制ではないという意味で、創造はいわば神の「遊び」、神の「贅沢」に属する業です。したがって、世界は、神ご自身が「はなはだ良かった」と満足された善き創造であり、神の喜びとしての本来的な実在なのです。ですから、人間にとって重要なことは、神の「遊び」、神の「贅沢」に対応して、それを「楽しみ」「喜ぶ」ことが本来的なこととして理解されることになります。被造的実在そのものを喜ぶことの中に聖化の本質があることにもなります。

しかし、それにしてもサッカーを楽しむことに聖化の本質があるなどとなぜ言うのでしょうか。この意味を理解するためには、創造についてさらに考える必要があります。ファン・ルーラーは被造物に言及するときに、意図的に「物質性」「身体性」「事物性」などという表現を用います。その理由は、神が不可見的な、霊的な存在であるのに対して、被造物がその被造物性を端的な姿で現わすのは内的・霊的な側面よりも、可見的な「物質性」「身体性」「事物性」においてだからです。サッカーにはさまざまな要素がありますが、少なくとも「身体性」に緊密に関わります。サッカーを楽しむことに聖化の本質があるというのは、神の善き創造の賜物としての「身体性」を喜ぶことと結びついているからです。

ファン・ルーラーがあのような誤解を招きかねない表現を用いたのは、それによって「物質性」「身体性」「事物性」を無意識的に圧迫してきたキリスト教的伝統を告発したかったからです。キリスト教信仰は、霊的なものと物質的なものの両者を被造物に含ませますが、目に見えない、霊的なものの方がより価値があるかのように見なす傾向を持っているからです。ファン・ルーラーは、むしろ「物質性」「身体性」にこそ被造物性が最も鋭く現れているのであり、それを喜ぶことにおいて神を神とし、神の栄光を現わすことになるというのです。それゆえにあのレトリックが聖化の本質を表現するために用いられたのです。

グノーシスのパン種への鋭い批判

以上のように考えると、ファン・ルーラーの「喜びの神学」の主張の背後には鋭い神学的批判が隠されていることが明らかになります。その狙いは、物質的なものや身体的なものを蔑視する「古代グノーシスのパン種」をキリスト教信仰と神学から徹底的に排除することです。ファン・ルーラーは、このパン種はキリスト教思想の中に今日に至るまで脈々と生き続けていると見ています。この問題性は終末論において最も鮮明に現われます。

ファン・ルーラーは栄光の神の国において、「三位一体の神と贖われた純然たる『事物性』」が最終的に残ると力説します。ここでも「事物性」が強調されます。この主張は、アウグスティヌス以来、継承されてきた信仰の定式、「われわれは、世界、つまり被造物的実在をただ用いること(uti)だけがゆるされており、またわれわれは神ご自身のみを楽しむこと(frui)がゆるされている」という定式に対する根源的批判です。世界を「用いて」神の栄光のために奉仕をし、終末においては「ただ神の栄光を崇め、神を喜ぶ」ことだけが残されている、ファン・ルーラーはこの定式にこそグノーシス的・ギリシャ的思惟のパン種が潜んでいると洞察するのです。そこでは「神を喜ぶ」ことはあっても、神の喜びの対象としての「世界を喜び」「自分を喜ぶ」ことが位置づけられていないからです。このことを別にして、「神を喜ぶ」ことは冒涜的でさえありうるというのです。

終末の栄光の世界において、「事物性」は本来的意味を持っており、したがってただ「神を喜ぶこと」だけではなく、同時に「世界を喜ぶこと」「自分を喜ぶこと」が含まれていなければならないと主張するのです。それが冒頭の彼の言葉の意味です。

「グノーシスのパン種」を潜めやすい日本の教会はファン・ルーラーの「喜びの神学」の主張とそこに秘められている鋭い神学的批判を真摯に受け止めるべきでしょう。その時、日本の教会は、世界を、とりわけ「事物的・身体的」世界を喜びのうちにまっすぐに見つめる勇気を与えられます。そこでは政治的事柄でさえ、本来聖なる、美しい事柄として把握され、倫理もまた喜びに満ちた、人間がまさに人間として立ち上がる倫理として大胆に展開されることになるでしょう。


日本におけるファン・ルーラー

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校前校長)

「日本におけるファン・ルーラー」。おそらくこの主題が『デ・シフィターテ』の読者各位の関心事であり、お知りになりたいことであろう。ファン・ルーラーは一度も日本を訪れたことがない。「日本におけるファン・ルーラー」ということを我々はどのようにして語ることができるのだろうか。

ファン・ルーラー自身は一度も日本に訪れたことがない。しかし、彼の神学的著作は英語やドイツ語に訳されて日本にやってきた。現在我々は『宣教の神学』と『われ信ず』〔使徒信条講解〕の日本語版を手にしているが、残念ながらドイツ語版からの重訳である。それらの著作を通して、またファン・ルーラーがその中で大きな役割を果たしているJ. モルトマンやR. ボーレンの神学的著作を通して、日本の神学者たちはファン・ルーラーの神学を知るようになった。現在、日本の多くの神学者たちがファン・ルーラーの神学に多大な関心を抱いている。それで今や我々は「日本におけるファン・ルーラー」というテーマについて語ることができるのである。

ファン・ルーラー研究会は1999年2月20日に発足した。現在の会員は47名〔2001年当時〕である。インターネットを用いてファン・ルーラーの神学論文をオランダ語から日本語に翻訳することが我々の活動である。我々はこのやり方で翻訳に取り組んでいるだけではなく、ファン・ルーラーの思想についての神学議論も行っている。ときどきユトレヒト大学のF. G. イミンク教授やニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授が我々の翻訳や議論を指導してくださっている。フリーズ教授は1979年にユトレヒト大学でファン・ルーラーに関する博士論文をお書きになった。先生方のご指導に非常に感謝している。

これまで我々が日本語に訳してきたファン・ルーラーの論文は「地上の生の評価」 「説教の定義」 「モーセの律法の意義」である。我々は日本語版著作集の出版を計画している。2001年9月3日には、大阪に近い園田教会でファン・ルーラー神学に関するシンポジウムを行いたいと願っている。

おそらく読者各位の質問は、日本の教会にとってのファン・ルーラーの意義は何かということではないかと思う。我々は熱狂的なファン・ルーラー信奉者のようなものでは決してない。それどころかファン・ルーラーの思想には「メシア的間奏曲」というような非常に大きな問題の要素があると見ている。とりわけ、新しきエルサレムにおけるキリストの人間性の放棄、相対的に自立した聖霊論、思想の思弁的傾向などに問題を感じている。

しかし我々の確信によると、ファン・ルーラーの神学には日本の教会にとって一つの大きな意義がある。我々は仏教社会の真ん中で生活している。仏教思想はグノーシス主義と酷似しているものである。日本の教会はこうした仏教的・グノーシス主義的な思想の影響を受けている。そのことは、日本においてはキリスト教信仰が精神的で個人的で私的な事柄として理解されてしまうだけではなく、非歴史的性格を帯びてしまいやすいということを意味している。要するに我々は、日本のキリスト教の体質はアナバプテスト〔再洗礼派〕的であると語ることができるのである。

このような精神的環境において、ファン・ルーラーの「終末論的・三位一体的神の国神学」は、我々にとってきわめて大きな価値を持っている。この神学は歴史を、始源と終末の間の緊張の場として、贖いと創造の総合として見つめる視座を我々に与えてくれる。その総合における聖霊論のユニークな役割、創造論への強調、地上の生への高い評価などにおいて、我々は日本のキリスト教の弱点を克服するための重要な鍵を見出すことができるのである。

我々はファン・ルーラーの思想を研究するために国際的協力関係を持つことを願ってきた。将来、国際的レベルでファン・ルーラー神学についてのシンポジウムが行われることを心から期待している。おそらく我々はそのシンポジウムでお目にかかることができるであろう。そして、ファン・ルーラーの「喜びの神学」について喜びをもって語り合うことができるであろう。

[解説]

オランダでは著名な神学雑誌『デ・シフィターテ』(ユトレヒト大学改革派キリスト教学生会発行)の編集長マーク・ワレット氏が、ファン・ルーラー研究会のホームページを見て強い関心を寄せてくださった。「ぜひわれわれの雑誌に掲載させていただきたいので、研究会の紹介文を書いてほしい」という依頼のメールがファン・ルーラー研究会宛に届いたとき、我々は大いに感激した。さっそく顧問の牧田吉和先生がオランダ語で論文を書いてくださった。それが『デ・シフィターテ』創刊50周年記念「ファン・ルーラー特集号」(年刊第51巻第 5号、2001年 4月)に掲載された。したがって、本論文の著作権は『デ・シフィターテ』編集部が保有しており、ファン・ルーラー研究会は、これを同編集部の許可を得て公開している。転載等は固くお断りする。

Yoshikazu Makita, Van Ruler in Japan, De Civitate, Civitas Studiosorum in Fundamento Reformato, Utrecht, April 2001, Jaargang 51, nummer 5, p.19 vlg.

(関口 康訳)

Van Ruler in Japan (Dutch)

Prof. Drs. Yoshikazu Makita

"Van Ruler in Japan". Dit onderwerp is misschien interessant voor en werkt de nieuwschierigheid van de lezers van "De Civitate". Van Ruler  heeft nooit een bezoek naar Japan gebracht.  Hoe kan men dan iets zeggen over "Van Ruler in Japan" ?

Van Ruler zelf is wel nooit naar Japan gekomen. Maar zijn theologische werken die in het Engels of in het Duits werden vertaald zijn naar Japan gekomen. Nu hebben wij zijn " Theologie van het Apostolaat" en "Ik geloof" in het Japans, die beide helaas vanuit Duits werden vertaald.  Daardoor en ook door de theologische boeken van J. Moltmann en R. Bohren waarin de theologische gedachte van Van Ruler een belangrijke rol speelde, hebben Japanse theologen kennis van de theologie van Van Ruler genomen. Tegenwoordig hebben vele theologen in Japan een grote belangstelling voor Van Ruler's theologie. Daarom kunnen wij nu iets over "Van Ruler in Japan" zeggen.

Op 20 februari 1999 is de societeit van Van Ruler-studie ontstaan. Wij hebben tegenwoordig 47 leden. Wij zijn bezig met de vertaling van Van Ruler's  theologishe opstellen uit het Nederlands in het Japans via het Internet. Via dit medium werken wij niet alleen aan vertaalwerk, maar voeren wij ook theologische discussie over de gedachten van Van Ruler. Soms geven prof. dr. F. G. Immink van Utrecht en prof. dr. P. R. Fries van de New Brunswick Theological Seminary, die een proefschrift over Van Ruler te Utrecht in 1979 schreef, adviezen voor onze vertaling en discussies. Wij zijn zeer dankbaar daarvoor.

Tot nu toe hebben wij de volgende opstellen van Van Ruler in het Japans al vertaald: "De waardering van het aardse leven", "Preekdefinities" en "De betekenis van de mozaische wet". Wij zijn van plan een bundel opstellen in het Japans te publiceren. Op 3 september 2001 zullen wij een theologisch symposium over de theologie van Van Ruler in de Sonoda Reformed Church vlakbij Osaka houden.

Misschien wilt U vragen wat de betekenis van Van Ruler voor Japanse kerken is. Wij zijn geen fanatici van Van Ruler. Wij zien toch zulke problematische  elementen in de gedachte van Van Ruler als die van messiaans intermezzo, vooral het afleggen van de menselijke natuur van Christus in het nieuwe Jerusalem, een relatief-zelfstandige  pneumatologie, speculatieve tendens van zijn denken enz.

Maar naar onze overtuiging is de theologie van Van Ruler van een grote betekenis voor kerken in Japan. Wij leven in het midden van de bueddhistische religieuze wereld. De gedachte van bueddhisme heeft een sterke affiniteit met gnosticisme. De kerken in Japan is onder meer onder de invloed van zulk een bueddhistisch-gnostisch denken. Dat betekent dat het christelijk geloof hier in Japan alleen maar als een geestelijke, individuele en private zaak kan worden begrepen. En het kan ook een a-historische karakter dragen. In het kort kan men zeggen dat het wezen van het christendom in Japan anabaptistisch is.

In zulke een geestelijke omgeving is de eschatologish-trinitarische rijkstheologie van Van Ruler zeer waardevol voor ons. Zij geeft ons perspektieven voor de geschidenis, het spanningsveld  tussen proton en eschaton, (begin en einde, wording en voltooiing,red.) de synthese van de verlossing met de schepping, een unieke rol van de pneumatologie in de synthese, en ook een sterke accent op de schepping, dus de waardering voor de aardse leven enz. Hier kunnen wij een belangrijke sleutel vinden om zwakheden van het christendom in Japan te overwinnen.

Wij zouden graag een internationale samenwerking met betrekking tot de studie over de gedachten van Van Ruler willen hebben. Wij hopen van harte dat er in de toekomst een theologisch symposium op internationaal niveau over de theologie van Van Ruler gehouden zal worden.  Misschien  zullen  wij op dat symposium elkaar ontmoeten en over "de theologie van de vreugde" van Van Ruler met vreugde praten kunnen .

(Adviseur van Van Ruler Translation Society Japan en Rector van de Kobe Reformed Theological Seminary)


Van Ruler in Japan (English)

Yoshikazu Makita

(Adviser of Van Ruler Translation Society Japan, Pastor of Yamada Church, Reformed Church in Japan, Pre-principal of  the Kobe Refomed Theological Seminary)

"Van Ruler in Japan". This topic probably attracts the interest of and arouses curiosities of the readers of "De Civitate". Van Ruler had never visited Japan. Then, how can we talk over "Van Ruler in Japan"?

Even though Van Ruler himself had never been in Japan, some of his theological works came over to Japan as translated versions in English and in German. Now we also have his "Theology of the Apostrate (Theologie van het Apostolaat)" and "I Believe (Ik geloof)" in Japanese, though regretfully both of them were translated from German versions. These and also the theological books of J. Moltmann and R. Bohren, in which the theological thoughts of Van Ruler play an important roll, have made Japanese theologians acquainted with the theology of Van Ruler. Recently many theologians in Japan are greatly interested in Van Ruler's theology. Therefore, now we can talk over "Van Ruler in Japan".

On February 20, 1999 this society of Van Ruler-study started. We have currently 47 members. We are engaged in translating Van Ruler's theological articles from Dutch to Japanese via Internet. Through this medium we are not only engaged in translating but also holding a theological discussion over the ideas of Van Ruler. Sometimes prof. dr. F. G. Immink of Utrecht and prof. dr. P. R. Fries of the New Brunswick Theological Seminary, who submitted the doctoral dissertation on Van Ruler to Utrecht in 1979, give advises for our translating work and discussion. We are very grateful to them.

We have already translated the following articles of Van Ruler to Japanese: "De waardering van het aardse leven (The Appriciation of the Earthly life)", "Preekdefinities (The Definition of Preaching)" and "De betekenis van de mozaische wet (The Significance of the Mosaic Law)". We are planning to publish the collection of articles in Japanese. On September 3, 2001 we'll hold a theological symposium on the theology of Van Ruler at the Sonoda Reformed Church located close to Osaka.

Probably you'd like to ask what is the significance of Van Ruler for Japanese churches. We are no fanatics of Van Ruler. Rather we find such problematic elements in the thoughts of Van Ruler as those of "messiaans intermezzo (Messianic Intermezzo)", especially the taking off of the humanity of Christ in the New Jerusalem, the relatively independent pneumatology, speculative tendency of his thinking, etc.

But we are convinced that the theology of Van Ruler has a great value for churches in Japan. We live in the middle of the Buddhistic world. Buddhistic thoughts have a strong affinity with gnosticism. The churches in Japan is much influenced by such a Buddhistic-gnostic thinking. It means people may take the Christian faith here in Japan only as a spiritual, individual and private matter. And also it may lose its historical character. In short, we could say that the nature of Christianity in Japan is Anabaptistic.

In such a spiritual environment, Van Ruler's eschatological-trinitarian theology of kingdom is of great value for us. It gives us perspectives for the history, the field of tension between proton and eschaton (the beginning and the end, origin and completion, edit.), the synthesis of the redemption with the creation, a unique roll of the pneumatology in the synthesis, and also a strong accent on the creation, accordingly the evaluation for the earthly life, etc. Here we can find a important key to overcoming the weaknesses of the Christianty in Japan.

We would like to have a international cooperation concerning the study over the thoughts of Van Ruler.  We heartily hope that a theological symposium on international level over the theology of Van Ruler shall be held in the future. Probably we shall meet each other at that symposium and be joyfully talking over "the Theology of Joy" of Van Ruler.

Translated by Takao Kiyohiro

イラク戦争についての「クリスチャン同盟」(オランダ)の公式見解

2003年3月20日木曜日

武力手段を伴うイラクに対する強制的武装解除が、今夜開始されました。外交的努力は失敗に終わり、サダム・フセイン自ら、究極的最後通告を下に置いたため、残念ながら、戦争は明らかに回避不可能になりました。

この時点でのわれわれの思いは、特にイラクの国民に対して向けられています。クリスチャン同盟(ChristenUnie)は、一般市民の犠牲者をできるだけ出さないこと、また、この行為がすみやかに終結されることを望み、かつ祈ります。

われわれは頭と心をもって共に生きており、この軍事行動にかかわる兵士たちとその家族と共に生きています。

もちろんわれわれは、国際的テロリズムとの戦闘に寄与したアフガニスタンにおけるオランダ人兵士たちや、その国民をイラクの不測のロケット攻撃から防御しなければならなかったトルコにおけるオランダ人兵士たちのことも思い起こします。

この武装解除行為をもってイラク国民が自由にされること、そこに真の平和と安定が訪れ、国際正義が開花することこそが、われわれの切なる望みであり、祈りです。クリスチャン同盟は、オランダがイラク難民の救助活動を支援し、かつ戦後の国家再建に寄与することこそが非常に重要である、と考えています。

クリスチャン同盟下院議員団

2003年3月19日水曜日

「われわれは、誰も望んでいない戦争の前夜に立っている」。そのようにブッシュ大統領は演説しました。

まさしくそのとおりです。同時にわれわれは、サダム・フセインのような独裁者がその中で思いのままに振舞うことができないような安全な国際社会を望んでいます。

これらのことは、常に調和するものではありません。キリスト教同盟は、奇跡が起こることを祈っています。しかし、戦争は、残念ながら回避できないものになったようです。

米英によるイラク攻撃は、正当化されるものでしょうか。クリスチャン同盟は、この難しい問いについて、3月18日の火曜日に一つの答えを出さなければなりませんでした。

それは容易ではありませんでした。それどころか、非常に難しいものでした。

戦争は恐ろしいものです。サダム・フセインは12年にわたってイラクを平和的なやり方で武装解除すべきでしたが、この時までそのことを拒んできました。イラクは中東ならびに全世界の平和にとっての危険です。

そのため、われわれの考えでは、国連第 1441号決議が最終手段としての軍事的介入の法的根拠です。アンドレ・ルーフート党議員団長は、下院での議論の中で、クリスチャン同盟の立場をまとめて説明しています。

原文はクリスチャン同盟(CU)ホームページ掲載

(関口 康訳)

イラク戦争についての「キリスト教民主同盟」(オランダ)の公式見解

バルケネンデ首相が2003年3月20日の対イラク戦闘行為開始後に発表した談話

関口 康訳

今夜、米国、英国、オーストラリアは、サダム・フセイン政権に対する戦闘行為を開始しました。それはわれわれが非常に長い間できるだけ防ぎたいと願ってきたことです。この戦争については、国際的にも、我が国の中でも、異なる思いがあります。オランダに住む非常に多くの人々はサダム・フセインに対して武器をとることを擁護すべきかどうかという問いと格闘しています。戦争は激しい感情を呼び起こします。わたしはそのことを理解しています。

だれもが平和で安全な世界を求めています。人々は、政治においても社会においても、平和で安全な世界のために労し、またそのために祈っています。

平和とは傷つきやすいものです。一つの政権が長期にわたって脅迫と恐怖政治の道を選んできたことは明白です。国際社会は、国際協定に我慢と忍耐を要求し、脅迫を取り除くことを試みているのです。

我慢強いことは立派なことでありえます。しかし、限度が無いわけではありません。なぜなら、そのとき、正義と平和の根拠が危機に瀕するからです。

サダム・フセインは、正義と平和にとって大きな危険です。この点では、世界のほとんどすべての国が一致しています。

彼は二度にわたって隣国を襲撃しました。彼は隣国に対して 、また自国に住むクルド人たちに対して、化学兵器を使用しました。非常に多くの人々が、彼の恐怖政治の犠牲者になりました。そして彼は、国際社会が繰り返し彼とかわしてきた協定を真剣に受け止めませんでした。

国際連合は、12年もの間サダム・フセインに対し、何よりまず、自ら武装解除することを呼びかけてきました。国際社会は、12年間の長きにわたる我慢と根気強さとをもって、その解決のために働きかけてきました。国連の安全保障理事会は、彼に協力してもらうために17の決議を採択しました。

昨年11月には、第1441号決議をもって、最後のチャンスを彼に提供しました。その決議は直接的な協力を求めるものであり、それ以外の場合は深刻な結果がもたらされるであろうというものでした。そしてサダムは、耳を傾けることを再び拒否しました。彼は今なお、大量の生物化学兵器が備蓄されている場所を申告していないのです。

われわれは、国際連合という方法によって解決を見出すために、あらゆることをしてきました。しかし、その方法は―12年間付き合った後―今週で終わりを迎えました。

これまでに多くの人々が国際法秩序の重要性について指摘してきました。そして、その指摘は正当なものです。しかし、その法秩序にとってふさわしいことは、正義を長年にわたって堂々と踏みにじってきた人々が際限なく無罪放免されるわけではない、ということでもあるのです。

そのため、オランダは、サダム・フセインに対抗すべく開始された戦闘行為に政治的支援を与えます。自由と安全こそが最高の目的なのです(そして、それはイラク国民自身にとっての自由と安全でもあります)。

オランダに軍事協力を行う意思はありません。オランダ人男女を戦場に投入するとすれば、それは議会や社会の中に幅広い支持があった場合に限られます。

今や戦闘行為は開始されました。しかし(願わくば即座に)武器の音が鳴り止む時が来ます。そのときわれわれは、イラクに住む人々を彼らの国の再建をもって助けるために、われわれの資力をみんなで用いていかねばなりません。

今日起こった出来事は、われわれすべての者たちに強い印象を与えました。われわれの心と頭は、このことで一杯です。誰もがそれを、それぞれの仕方で注視しました。われわれが自らの見方や意見を互いに分かち合うことが大切です。それが効果的でありえます。感情的にもなりえます。しかし、他者の意見を尊重することが常に大切です。なぜなら、この尊重こそが、われわれの民主主義の根拠だからです。

われわれは島国ではなく低地(ネーデルラント)で生活しています。国際的な緊張の時代には用心が必要です。政府は人々の安全のために予防措置を講じ、打ち立て、オランダにおける予測をできるかぎり確かなものにしてきました。絶対的な確かさを確保することは、われわれのような開かれた社会においては不可能です。しかし、可能な限りの措置は取りました。

今やわれわれの思いは、何よりもまず、イラク国内と周囲にいる人々の傍らにあります。そして、もちろん、この戦争行為にかかわる人々の家族の傍らにもあります。わたしは、武力行使についてはすみやかに終わりを迎えてほしいと、全身全霊から望んでいます。罪なき人の命を大切にすること。そして、危害を限定することです。

平和と安全、それと共に、われわれにとってより良き未来がもたらされることだけを、わたしは望んでいます。

キリスト教民主同盟(CDA)ホームページ掲載


ニューブランズウィック神学校教授会の「四旬節にあたってのジョージ=ブッシュ大統領への書簡」

(これは、2003年3月20日イラク戦争勃発の直後に米国ニューブランズウィック神学校教授会が発表したブッシュ大統領宛の書簡です。市川康則氏(神戸改革派神学校教授)と田上雅徳氏(慶應義塾大学法学部助教授)の共訳で、キリスト新聞2003年4月14日付に掲載されました。)



大統領閣下



大統領閣下、わたくしどもは閣下がキリスト者としての信念を堅く持っていらっしゃることを、よく存じ上げております。それゆえわたくしどもは閣下を、アメリカ大統領としてだけでなく、信仰と洗礼と希望においてわたくしどもと結ばれたひとりの兄弟(エフェソ4:5)としても思い浮かべながら、以下、謹んで申し上げることにいたします。わたくしどもは良きアメリカ国民として、同胞の安全および世界の諸国民の解放について、深い関心を閣下と共にするものであります。わが国が安全と平和を達成し、世界中の人々が男であれ女であれ人権を享受するに至る最も確かな道は、わたくしどもキリスト者が諸国民の主にして平和の君と恭しく呼ぶお方によって示されている、キリスト者としてわたくしどもはそう確信しております。閣下、閣下は神によって強大な権力を委ねられており、それはおそらく、人類がこれまで誰一人として知ることのなかったものでありましょう。それゆえわたくしどもはこの四旬節にあたり祈ります。わたくしどもの主がより大いなる力を行使したもうこと、そのことを閣下が思い起こされますように。そしてまた、ここで想起されたことが、御自身の掌中にある権力を閣下が行使なさるときの指針となりますように。



閣下はご自身が、平和を追求することにかけては平和主義者であると、事ある毎に言明してこられました。そしてわたくしどもは、閣下のお言葉が嘘偽りのないことを認めるのにやぶさかではありません。また第2次世界大戦が例証するごとく、その名に値する平和に至るためには武力衝突が不可避となる状況もありうるのだということを、わたくしどもは理解しております。不幸なことですが、二つの悪を目の前にしたとき、戦争がより小さな悪となることもあり得ましょう。



しかし現在のイラクとの紛争は1940年代のそれと比較できるものではありませんし、また、当時効果のあった対策も現在の状況には適用不可能です。戦争は平和を招来いたしません。米国がイラク侵攻によって残すであろう恐るべき負の遺産は、ほぼ間違いなく、侵攻以前の状況よりも悪いものに違いありません。この戦争の結果見込まれ得るものがあるとすれば、それは、アメリカとその同盟国に対する激しい憎悪、テロリスト組織のネットワーク拡大、不安定で一触即発の中東情勢、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決の泥沼化、国連の機能不全ないし崩壊の可能性、我々の子・孫・ともすれば曾孫の世代にまで及ぶ過重な負債であります。当面の事柄を考えてみましても、アメリカの戦争テクノロジーを突きつけられている現状の中で、イラク国民がいま被っているこの世の終わりを思わせるような恐怖は測り知れず、また不当なものです。このイラクとの戦争は、公正で持続可能な平和を約束するものではありません。この戦争は決して正当化され得ないのです。それは主によって祝福されることはなく、むしろ裁かれるでありましょう。



わたくしどもはサダム=フセインの野蛮な専制政治を遺憾に思いますし、閣下と同じく、イラクにおける体制の変革を望んでおります。それゆえわたくしどもは閣下に強く訴えるのです。どうか閣下が直ちに戦闘を終結させ、いま体制変革を実現可能ならしめる他の方針のいずれかを採用し、そしてイラク国民に自由をもたらしてくださいますように。閣下のなされた選択は誤りであるとわたくしどもは堅く信じておりますが、にもかかわらず、閣下と同胞、そしてわが軍隊のために引き続きお祈り申し上げることは誓約いたします。と同時にわたくしどもは、主に命じられておりますように、わたくしどもの「敵」のために祈り続けることでしょう。そしてまた、閣下と閣下の政府とが戦争を中止なさるよう、わたくしどもは引き続き強く訴えていく所存です。わたくしどもはキリストへの信仰に駆り立てられて、まさにかく為すものであります。



ニューブランズウィック神学校教授会
ニュージャージー州ニューブランズウィック



ジョン・コークリー         ハックジュン・リー
ポール・R・フリーズ        リチャード・E・スターン
ルネ・S・ハウス          ベス・ラニールタナー
ノーマン・J・キャンスフィールド デーヴィッド・W・ワーンダー
マーク・クラーイ          ヴァージニア・ワイルズ



ご案内:ニューブランズウィック神学校教授会は、読者がこの声明書に署名してくださるようお願い申し上げます。お名前を裏面にご記入ください。写しをブッシュ大統領に送付いたします。



私たちはニューブランズウィック神学校の声明書に同意します:
[以下、名前を書く欄]



最後の署名なさった方はこの署名用紙をニューブランズ神学校、ポール・R・フリーズ教授にご返送ください。(神学校所在地:17 Seminary Place / New Bruswick, NJ 08901 / U. S. A.)



第5回神学セミナー報告

2007年9月10日(月)、11日(火)、「ファン・ルーラー研究会第5回神学セミナー」を盛会のうちに行うことができました。テーマ「ファン・ルーラーの教会論」、会場・日本キリスト教団頌栄教会(東京・下北沢)。温かいご理解とご協力をいただきました皆様に厚く御礼申し上げます。



P9100006_2 (右・牧田吉和、左・関口 康)





■ ダウンロード





○ 主題講演 牧田吉和氏 (ファン・ルーラー研究会顧問、日本キリスト改革派山田教会牧師)



「ファン・ルーラーにおける“喜びの神学”」



○ 研究発表 関口 康氏 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



「伝道と教会形成、そして神学――A. A. ファン・ルーラーの『教会的実践』の軌跡――」



○ 案内ポスター



「ファン・ルーラー研究会神学セミナーのお知らせ」





P9100007



牧田吉和先生による第5回神学セミナー主題講演「ファン・ルーラーの“喜びの神学”」の音声(MP3)をお楽しみいただけます。00~08のプレイボタンをクリックしてください(英語版サイトもご覧ください)。



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主題講演のレジュメ(PDF)は、ここをクリックするとダウンロードしていただけます。



米国ファン・ルーラー学会報告

Aavanruler



「国際ファン・ルーラー学会」が以下の日程で開催された。



日時 2007年10月5日(金)午前9時~午後4時



会場 ニューブランズウィック神学校 改革派教会センター(アメリカ合衆国ニュージャージー州)



主題 「すべてを新たに――ファン・ルーラーの三位一体神学の探究――」



この学会は、プリンストン神学校の「アブラハム・カイパーセンター」とニューブランズウィック神学校との共催で行われた。ファン・ルーラーの翻訳に関するパイオニアたちが結集した。



ディルク・ファン・ケーレン氏(オランダプロテスタント神学大学)



ジョン・ボルト氏(カルヴァン神学校)



ポール・フリーズ氏(ニューブランズウィック神学校)



ハリー・デア・ネーデルランデン氏(クリスチャンクーリエ誌)



アラン・ジャンセン氏(ニューブランズウィック神学校)



クリフフォード・アンダーソン氏(プリンストン神学校)



連絡先 Joanne Noel at jnoel@nbts.edu or 732-247-5241 ext. 112.



ニュースソース
http://www.nbts.edu/inc/upcomingevents.cfm



改革派同盟との「婚約」

K. ファン・デア・ツヴァーク/関口 康訳

「父は敬虔な人間というよりも、現実主義者であり、喜び楽しむ人でした」(ケース・ファン・ルーラー)

私の父は改革派教会連合(Gereformeerde Bond)の正会員ではありませんでしたが、かつて自ら表現したように、改革派同盟(Gereformeerde Bond)の「婚約者」であった。

「父は改革派同盟にかなり接近していましたが、メンバーではありませんでした。改革派同盟が父の神学の地上志向性(wereldse orientatie)に共感してくださらなかったのです。父自身は改革派の父祖たちの伝統に明確に立脚していたのですが」。

故A. A. ファン・ルーラー教授のご子息、ケース・ファン・ルーラー氏は、お父上の有名な論文である「ウルトラ改革派とリベラル派」を思い起こして、こう述べておられるのではない。当時、ケース氏はすでに家を出ておられた。伝聞によると、ファン・ルーラーは、この論文を書き終えた後、 アパートの書斎で思案しながら、妻に向かって、「これで終わりだ」(Het is af.)と言った、という。

「父は、時折、他の人々がリベラル派と呼んでいるものに反対しなかったこともあります。しかし、彼自身がリベラル派の陣営に身を置くことはありませんでしたし、リベラル派になったこともありませんでした」。

ケース・ファン・ルーラー氏(1944年生まれ)は、幼少期をヒルファーサムで過ごされた。その後、ユトレヒトに転居。そこはお父上が大学教授になった場所である。

「父は家族の中で、際立った位置を占めていました。しかし、たいてい家を留守にしていました。たくさんの説教を日曜日にしていましたので、家にいなかったのです。国中を駆けずり回っていました。時折、わたしたちも同行しました」。

「当時の男女の役割分担の通念に従って、父もボスでした。私の母は陰に立ち、とりわけ父の死後、自分を発展させました。彼女は後半生に法律を学び、とりわけ教会とオランダ改革派教会(NHK)の大会運営上の発展に貢献しました。とりわけ彼女は、父の著作集を出版するために貢献しました」。

書 斎

ファン・ルーラーは、仕事の大部分を自宅の書斎で行った。われわれ子どもたちは、そこを「至聖所」と呼んでいた。

「書斎の中で出来事が起こりました。とにかくそこは、わたしたちにとって閾(いき)のようなものがありましたので、わたしたちが書斎に入ることは滅多にありませんでした。父はすぐれた蔵書家でした。とても多くの書物を読みました。家全体が本で立っているようなものでした。神学、哲学、政治、歴史、文学、あるいは工学さえ、すべてにおいて遅れをとりたくなかったのです。父は非常に広範な関心を持っていました。ある専門家の方がわたしたちのフロアを訪ねてくださったとき、父は歩み寄り、互いに行き詰まっていることがどの点なのかを、知りたがりました。父は、当時人気があった教授のタイプではありませんでした。自分自身を人間以上のところに置くことがありませんでした。むしろ、誰とでもよく話すことができました」。

二年前に「目録」が出版されたユトレヒト大学図書館内のファン・ルーラー文庫は、「残念ながら」処分したものであると、息子のケース氏は語る。

「父はいつも、本のカードを作っていました。そして、しょっちゅう学生たちに貸し出していました。カード式索引を非常に詳しく調べ上げ、本の詳細をカードに書き込んでいました。今日のオランダ改革派教会常任書記長のバース・プレシール氏〔現在はオランダプロテスタント教会常任書記長〕が、少し前、われわれ家族にこのカード式索引を提供してくださったことを知っています」。

几帳面

ファン・ルーラーは几帳面であった。朝食後、たいていのことが行われた。読書、執筆、面談、物事の準備、講義の準備と実施、そしてとくに接待。

「父はかつて毎年、たいていすべての学生たちを、小グループで二週間、夕べのディナーと居間での集いに招待していました。たいてい、神学的テーマについてのディスカッションを行い、それから当然、ぐいっと一杯、うまいのを飲んでいました」。

ファン・ルーラーは、あのH. ヨンカー教授のように、一度脅迫を受けたことがある。1951年にオランダ改革派教会『教会規程』が施行されたとき、K. H. ミスコッテ教授とは仲良くできないことが明白となった。

「『またミスコッテだよ』と、教会規程に関する苦痛な会議にミスコッテ氏が返り咲いたとき、父は言いました。両者は個性があり、それぞれに全く独創的な見方を持っていました。同じように難しい関係が、G. C. ファン・ニフトリク教授との間にもありました。しかし、ふだんは支持者の群れに囲まれていました。その人々は日曜日にも父を追いかけていました」。

テレビ

ファン・ルーラーは、かつて、「聖化の本質はアヤックスとフェイエノールトの試合を喜び楽しむことにもある」というジョークで、読者にショックを与えたことがある。

「父にとって、とくに後半生において、テレビを見ることは一種の気晴らしでした。当時、健康がすぐれず、時おり仕事を休む必要がありました。テレビを見るとしたら、 ほとんどはサッカーを見ていました」。

ファン・ルーラーは、創造に対するポジティヴな姿勢で知られている。彼の見方において、救いは地上で体験するものであり、神の国は地上の諸形態の中でかたちづくられるのである。ここにファン・ルーラー神学の核心がある。喜び楽しむことは、彼の思想と行為における一つの重要な側面である。

「父にとって、創造は本質的に善きものでした。創造のすべてが恩恵と聖霊と共に働くのです。父は敬虔な人間でもありました。しかし、それよりもっと現実主義者でした。神秘主義も、父の思想の中で重要な位置を占めていました。父は敬虔な人間でした。しかし、敬虔さそのものに基づいて、まさにその点で、きわめて豊かな思想を持っていました。彼は、お決まりの表現以上の言葉で、自分の信仰を表現しました」。

休暇は、家庭生活にとって忘れることができないものである。ケース氏は、ユトレヒトの家庭がルンテレンに旅行したときのことを、今でも覚えている。

「自転車に乗って、スーツケースを後ろに載せて。父は大自然を謳歌しました。運転免許証を取得する前に、一台の自動車を買いました。自動車で森に行き、そこで散歩したかったからです」。

憂 鬱

最晩年において、ファン・ルーラーは、憂鬱な時期を過ごしもした。

「父の肉体は頑強なものではなく、胃の病気を持っていました。とくに教会規程を作成していた時期に、胃痛を何度も体験しました。1951年には胃潰瘍にかかり、そのとき胃の一部が切除されました。しかし父は自分で自分の面倒を見ることができるという意外な才能の持ち主でした。心筋梗塞をわずらった後、 もっと憂鬱な時期を過ごすことになりました。自分に無理を強いなければならず、体を酷使しすぎて健康を害してしまいました。憂鬱なときにも、力みながら、そこにいました。時折、食卓でも、何日も続けて黙り込んでいることがありました」。

「父は、多くのことを語らねばならず、またそれを善い言葉にすることができました。AVROのためのラジオ説教は、非常に高く評価されました。わたしたちは時折、ユトレヒトからラジオ局があるヒルファーサムへ行く道に同行しました。父は最初自転車で、後に自動車で行くようになりました。ラジオの前で10分間語り、それから再び帰途につきました」。

父は、キリスト教放送局のためには語らなかったが、AVROのためには語った。この点も、この神学者の特徴である。

「父は、聖書のメッセージが広範に取り上げられなければならないことに気づき、それが全国民に届くことを願いました。この点にセオクラシー(神政政治)の理念が非常にかかわりを持つのです。第二次大戦後、セオクラシーは、父によってそれまでとは違うものにならなければなりませんでした。そのために、キリスト教放送は一般の放送に座を譲らなければなりませんでした。私の父は、心とはらわたの中で一人のセオクラット(神政主義者)であり続けたのです」。

(1999年4月27日、改革主義日報 © Reformatorisch Dagblad

ファン・ルーラー研究会の活動内容

[原典講読] メーリングリストを用いて、ファン・ルーラーの論文や説教の輪読会を行います。関連文献の紹介、ディスカッション、各種情報交換も行います。メーリングリストが研究会活動の中心です。



[資料収集] ファン・ルーラー研究に必要な諸文献(オランダ語、ドイツ語、英語、アフリカーンス語など)の収集を行います。またオランダプロテスタント神学全般(聖書、歴史、組織、実践など)に関する文献収集も心がけます。



[研修活動] ファン・ルーラー神学に関心を持つ人々を広く求めるために、年1回をめどに、公開シンポジウムを計画します。第1回シンポジウムは、2001年9月3日日本キリスト改革派園田教会で行われました。



[出版活動] 国内外のファン・ルーラー研究者の諸論文を集めた研究誌の定期刊行を計画します。また、将来的には日本語版ファン・ルーラー著作集の出版を計画します。原典に忠実で良質の翻訳をめざすために、多方面の分野で活躍している監修スタッフによるチェック方式を採用します。



[語学研究] 日蘭修好400周年(2000年)を機に、日本国内でもオランダ文化やオランダ語そのものへの関心が高まりつつあります。オランダの「神学」を学ぶことは、オランダ文化、ひいてはヨーロッパ・アメリカの文化を根源的次元において学ぶことでもあります。本研究会では、こうした文化研究に必須の語学研究をも扱っていきます。



ファン・ルーラーの言葉:「主なる神は、まさにヨハン・クライフである」

1999年4月28日 C. ファン・リムプト

1951年に改定されたオランダ改革派教会『教会規程』作成の最も重要な立役者であったA. A. ファン・ルーラー(1908〜1970年)は、神学者としては、ほとんど評価されてきませんでした。バルトとミスコッテが、ユトレヒトの教義学者〔ファン・ルーラー〕を、てっとりばやく、神学競技場の周辺へと、追い払ってしまったからです。

しかし、そのことは、ファン・ルーラーの諸見解が、何の影響力も持っていなかった、ということを物語るものではありません。フローニンゲン大学で教義学と倫理学を教えているL. J. ファン・デン・ブロム教授は、この「地上的実在の神学者」〔ファン・ルーラー〕から講義を受けることができるたびに、教科〔の内容〕を変更していたほどです。

「ファン・ルーラーは、信仰というものを、日常生活の中に引き入れました。彼のヴィジョンは、人生においてあなたの心が動かされうるものになるために、あなたの信仰と信仰的体験とが相互に関係づけられなければならない、というものでした。ある日、彼は、その手に一本のバラを持って、講義室に入ってきました。彼は、鼻を近づけて匂いをかぎ、そしてこう言いました。『神の国の香りがする』。日常的な現実に接近する方法や、創造と神の国についての語り方は、非常に驚かされるものであり、独創的なものでした。彼は、ベーテュウェ地方の花開く果樹園など、実在におけるあらゆる美しいものを、神の臨在として、見ていました。創造者の表現としての創造を、彼は体験しました。彼はそこで、何に逆らうことがあるのでしょうか?」。

ファン・ルーラーは、自らの神学思想におけるこの地上性(aardsheid)という点を、生のあらゆる側面において、矛盾無く貫き通しました。そのように、物質的な実在というものが肯定的に評価されなければならないことを、非常に強調しました。ファン・ルーラーは、次のように語りました。「物質とは、超越性に対峙するところの被造的実在の、基礎構造である。だからこそ、それは、鼻であしらうことができないものである」。

ファン・デン・ブロムは、ファン・ルーラーの諸見解が、より正統主義的な学生たちに対して、時おりどれほどショックを与えるものであったかを、今も懐かしく思い起こすそうです。

「たとえば、ファン・ルーラーは、セックスに関する事柄について、全くオープンかつ正直に語りました。地上的存在は楽しむためにある、と語りました。あなたは人間として、あなたの望むとおりにすればよいのです、と。あなたはセックスにおいても充分に楽しめばよいのです、と。セックスをするときには、まさにあなたが『真っ裸で神の御前に立つ』あの瞬間と同じように、互いに開けっぴろげの真っ裸になり、まさにあなたの素っ裸を与えればよいのです、と。ですから、ファン・ルーラーは、性体験こそ結婚の本質である、とも語りました。彼の見方では、残りの部分である教会での結婚式や、市役所に出す婚姻届は、事務的な処理以上の何ものでもありませんでした」。

確かな意味で、ファン・ルーラーは、一人のセオクラット(神政主義者)でした。とはいえ、その理念によって彼は、聖書の独裁によって統治される社会を目指していたわけではありません。ファン・デン・ブロムは、次のように証言しています。

「ファン・ルーラーは――キリスト教主義学校を除いても―― そこで文化が聖書によって形成されているような公共の国家というものを擁護したいと願っていました。彼は、聖書の目指すところや、正義と公平などに関する聖書的概念が、社会において再び議論可能なものにならなければならない、と考えていました。全ヨーロッパにとって、聖書は再び、文化を形成するための重要な要素にならなければなりませんでした。私見によれば、ファン・ルーラーは、事実上の『政治神学』に取り組んだのです。彼は『政治とは聖なる事柄』であり、『政治的行為は信仰の頂点』であるとさえ呼びました。信仰とは、まさに政治のようなすべての人間的な現実と共にあるものだ。それゆえ、政治は十字架よりも重要なのだ、とさえ語りました」。

「多くの神学書は、十字架のところで終わっています。これについて、ファン・ルーラーは、とりわけキリスト論が中心に置かれていた(バルト主義的な)一時代の只中で、彼の聖書理解をもって、また神が三位一体であることについての強調をもって、全く異なることを考えなければなりませんでした。ファン・ルーラーは、旧約聖書というものを高く評価し、新約聖書のほうは単なる巻末語句解説に過ぎないものと呼びました。そのことによって、彼は、新約聖書のほうは単に個々人や諸グループにとって重要なものに過ぎないが、旧約聖書のほうはすべての生にとって、すなわち、トータルな現実にとって重要である、と言いたかったのです。そこで、あなたは、正義と不義についての概念、また政治や人間の所産についての概念を見出すのです、と」。

「この視座において、ファン・ルーラーは、イエスの十字架の死を、本来的には必ずしも必然的ではないという意味で、一つの『緊急措置』に過ぎないと呼びました。それは一枚のスナップショットである、と。その次に、聖霊が、われわれを再び旧約聖書へと連れ戻し、そこでわれわれは広漠とした生に遭遇するのである、と。ファン・ルーラーは、人間を最も責任ある存在として、見ていました。十字架は、〔人間が神によって〕受容されていることの確証として、その背後から見ることさえ許されているのだ、と。しかし、それは、とりわけ前を見ること、すなわち、可視的な創造において形成されるべき神の国というものを、見るのでなければならない、と見ていました」。

神を三位一体として語ることによって、神の内なる位格的関係の一要素がそこに生じます。ファン・ルーラーにとって全く重要であったことは、次のことです。彼によると、われわれ人間について語るときにも、神との相互関係において語らなければなりません。そのように、天においても、地においても語らなければならない、とファン・ルーラーは考えたのです。

御父が御子と共に何かを持っているように、御子が御父と共にあり、御父と御子が御霊と共にあります。逆に言えば、そのとき三位一体の神もまた人間と共に働くべきであり、人間は神と共に働くべきであり、人間は互いに共に働くべきなのです。

このイラストのために、ファン・ルーラーが当時用いた実際的なメタファー(比喩)は、再び正統主義者たちの度肝を抜くものです。ファン・ルーラーは、次のように語りました。

「主なる神は、まさしくヨハン・クライフです。クライフがプレイするためには、21人の他の人間が必要です。そのように、神もまた、人間を必要としており、そのとき彼は、良いプレイを行うのです。一人の者が他の者たちから信頼されつつ、誰もが自分自身の役割を果たすのです」。

そのような相互プレイにおいて、人間存在の固有の役割が過小評価されてはならない、とファン・ルーラーは見ていました。全知全能の神は、最も重要である。しかし、「このわたし」としての人間も、依然として存在するのであり、「わたし」は、このわたし自身を擁護しなければならないのです。

そのようにして、(御子だけではなく)三位一体の神は、このわたしと共に何かをしてくださるが、神がこのわたしの罪を大きなブラシで洗い落としてくださるわけではないのです。それは、第一に、このわたしが責任を取らなければならないことを意味します。このわたしはまさに責任をもって生きなければならず、またそのとき、このわたしは、生を一新することを意図してくださる聖霊の助けと共に、生における働きに就かねばならないのです。

ファン・ルーラーの見解において、キリスト教信仰とは、あなたはあなたが望むように生きてよいと語る、まさに一つの自尊心の表現です。ファン・デン・ブロムによると、それは、実存主義と虚無主義とが興隆を極めていた時代(1960年代)においては、非常にすがすがしい考え方でした。

存在が灰色の悲惨な出来事になるという体験に対峙して、ファン・ルーラーは、あなたの存在はすでに一つの奇跡と呼ばれてもよいものであり、あなたはなお望むように生きてよい、というヴィジョンを語りました。

人生を充分に楽しむために、また「神の物語に形態を与える意図を持つ現実において」何かを生み出すために、ファン・ルーラーは、もっと多くの理由を見出すのです。

ファン・ルーラーはまた、その視座において、教会の役割についても語りました。

彼は教会をここ、すなわち、地上において神の国が打ち立てられるために、人間の現実へと向かってくる、神の遠大な運動の下部として見ていました。彼は次のように語りました。

「内側にいなければならないのはわれわれのほうではなく、むしろ、世界のほうこそが内側にいなければなりません。教会は――われわれが神から授かる――われわれのアイデンティティではなく、また終着点でもありません。教会は、神の国へと至る途上における、単なる一手段であることのほうが望ましいのです」。


知らなかったことが恥ずかしい(番外篇)

「番外篇」とするのは、最初に「だれを責めるつもりもない」と約束したからである。しかし、ちょっとだけ責めたくなった。ただし、ほんのちょっとだけ。

ある方が寄せてくださったコメントの中に、「修正した訳もあまり良くないのではないかと思う。故郷の言葉を話している主体について誤解をしてしまう可能性があるから」と書かれていた。

これは私も全く同感であった。いちばん最初、昨日の午前中の祈祷会のときに懸念を覚えたのは、まさにこの点だったのだ。

新共同訳の現在の訳のように使徒言行録2・6から「彼ら」という(ギリシア語原典には明記されている)主語さえ隠してしまい、「話されている」などと受動形でぼんやりと訳してしまうと、私の拙い日本語感覚から言わせていただけば、まるで都会の雑踏の中に響く不特定多数の入り乱れた音声を客観的ないし傍観者的に描写しているかのように読めてしまう。

そうなると、「故郷の言葉」を話している主体として考えられる対象が、

��1)「(11人の)使徒たち」(奇跡性レベル100%)ではないばかりか、

��2)「(120人ほどの)兄弟たち」(奇跡性レベル50%)でもなくなり、

��3)「天下のあらゆる国からエルサレムに帰って来た信心深いユダヤ人」(奇跡性レベル0%)あたりまで

拡大して読んでしまう人たちが出てくるのではないかと、心配になったのである。

「外国生活をしてきた人たちが外国語をしゃべった」なんて、当たり前の話以外の何ものでもない。そういう「誤読」を誘発してしまわないだろうかと思ったのである。

しかし私自身は、いかなる翻訳聖書の擁護者でもない。一つの特定の立場に立っていないし、他の特定の立場を批判する意図が全くない。この点も「誤読」されたくない。

日本キリスト改革派教会も、日本聖書協会とも新日本聖書刊行会とも公平な関係を築いてきた。どちらの利益代表にもならない。この教派のそういうところが、いたく気に入っている。

2011年5月5日木曜日

知らなかったことが恥ずかしい(解決篇)

昨日書いたことをFacebookに貼りつけたり、小分けにしてTwitterに流したり(回転寿司みたいでした)したところ、かなりの方々が関心を寄せてくださり、貴重なコメントをいただくことができた。その方々に心から感謝している(ありがとうございました)。以下は、コメントしてくださった方々への私からの返信内容を、ただし、書いたとおりではなくその主旨を、ざっとまとめたものである。

日本聖書協会ホームページの「新共同訳聖書 訂正箇所一覧」を見たのは、昨日が初めてだった。日本聖書協会が聖書を訂正していくプロセスそのものを批判するつもりは私にはないが、訂正箇所がこんなに多かったとは知らなかった。

多くの読者が知らないうちに「いつの間にか」すり替えられていくこの雰囲気は、あの茂木健一郎氏でおなじみの「アハ画像」のようで、若干のダマサレタ感は否めない。せめて理由を公示して訂正してもらいたいものだ。「聖書は世界のベストセラーである」という決めゼリフは日本聖書協会も言ってきたはずだ。この本の影響力の大きさを考えれば、一般の新聞で公示されてもよいのではないかと思うくらいである。

また私自身は、従前の解釈(聖霊に満たされた使徒たちが突然、習ったこともないはずの外国語を話しだした)が間違っていると言いたいのではない。私の問いは、日本聖書協会が使徒言行録2・6から「使徒たち」を取り除いた理由は何かという点だけである。「使徒」を取り除いても従前の解釈は不動であると判断したからなのか、それとも、解釈の幅を広げたかったのか、どちらだろうかと思っただけである。

訂正の理由として「原語により厳密に合わせた」という点がおそらく第一に挙げられることになるのは当然だろう。しかし、「使徒」を取り除くと、やはり文意が変わってしまわないだろうか。そこに若干の疑問はあった。「文意は変わっていない」というコメントをいただいた。それなら私は安心である。しかしまた、もし文意が変わらないのなら、日本語訳聖書の100年越しの伝統を忽然と棄てる理由が分からないとも思った。なぜ今さらなのか?学術的厳密性へのこだわりなのか?次の大改訂まで待てないほどのことなのか?

「新共同訳和英対照(1998年版)の英文では、all of them heard the believers talking in their own languagesで、believersは1節で『一同』と訳されている」という有難いコメントもいただいた。「信者」(believers)と「使徒」(Apostles)を、聖書はわりとはっきり区別する。やはり文意は変わったのだろうか。

文意は変わったのだと、言い切ってくださった方もおられた。「いろんな国の言葉を語り始めた」のは「(11人の)使徒たち」ではなく「(120人ほどの)兄弟たち」であるというふうに日本聖書協会側の解釈が変わったと受けとめてもよいかという私の質問に「そうだと思う」と答えてくださった。

もしそれが事実ならば、やはりかなり重大な訂正である。私に言わせていただくと、従来の教義学の「聖霊論」などは全面的な書き換えが求められるのではないかと思うほどの大改訂である。こういう箇所が「いつの間にか」すり替えられているようでは困る。

しかし、原典には「彼ら」と書いているだけである。「(120人ほどの)兄弟たち」と明確に特定できるほどの根拠のほうも見当たらない。もちろん、保守的(?)に考えれば、「(イスカリオテのユダを除く11人の)使徒たち」でなければ「(120人ほどの)兄弟たち」しか選択肢は残らないとは思う。

かくいう私は、それが「(120人ほどの)兄弟たち」である可能性を疑いたいのではなく、「彼ら」のすべてが7節の「人々」が言うとおり「皆ガリラヤの人」だったかどうか、また「皆ガリラヤの人」と呼ばれた「(120人ほどの)兄弟たち」の一人も外国語を学んでいなかったかどうかが怪しくなるのではないかと感じるのである。

そして、怪しくなったらなったで、私は構わない。より合理的な解釈の可能性が開けるだけである。「皆ガリラヤの人ではないか」は「人々」(7節)の台詞(カギカッコ内の発言)である。アホな言い方をお許しいただけば、「人々」が「(120人ほどの)兄弟たち」全員の出自を厳密にチェックしたわけではない(たぶん)。しかし私は、より奇跡性の強い従前の解釈を否定したいわけではなく、さりとて、より合理性の強い解釈を警戒しているわけでもなく、事実はどちらだろうと思っているだけである。

私はどっちでもいいとか言うと、無責任な感じになるだろう。しかし、私自身は「とにかくテキストに従うのみだ」と思っている。「テキスト」と言っても新約聖書の場合はギリシア語原典だけが唯一のテキストだと思っているわけではなく、たとえそれが(不完全な)日本語訳聖書であっても、それと自分自身(読者自身)が直接向き合っているかぎり、一つの決定的なテキストではあると、とらえている。

テキストに書いてあることに基づいて議論する、という姿勢を教わったのは左近淑先生(故人)だった。左近先生の旧約緒論の講義を受けたのは、クソがきだった、まだ19歳のときである。「旧約の学問というのは、テキストに縛られてやるものだというのが、わたくしの立場です。ですからテキストが言っていないことは言いたくても言ってはいけない」(『左近淑著作集』「第三巻 旧約聖書緒論講義」、教文館、135ページ)という言葉は、今でも耳に焼き付いている。

少しまとめよう。

使徒言行録2・6の場合、昨日からの私自身の調べと何人かの方々からのコメントを集約すると、ギリシア語原典が「彼ら」と書いているだけのところを日本語訳聖書100年越しの伝統が「使徒」と断定してきたので、おそらく何らかのミスリードが起こってしまっていた。それを日本聖書協会がおそらく大きな決断をもって修正した、という筋書きのように思える。そして、私の感覚では、「使徒」と特定すると事の奇跡性・異常性は強化されるが、特定をやめて「彼ら」とすると奇跡性・異常性はやはり緩和されるものがある。

上にも書いたが(この読み方にこだわるつもりは全くない)、「彼ら」を誰であるとも特定しないことによって、「(11人の)使徒たち」である可能性が薄れるが、他方の「(120人ほどの)兄弟たち」は「皆ガリラヤの人」(2・7)と呼ばれてはいるが、その中に外国語を学んだことがある人や外国生活をしたことがある人が一人もいなかったのだろうかとか、そういう想像力(妄想?)を働かせる余地が出てくると思う。イマジネーションの遊びの余地があることは、我々の読書に楽しみを増やす。

何度も言うのは誤解されたくないからであるが、私自身が聖霊降臨(ペンテコステ)の奇跡性・異常性を否定したがっているわけではない。「テキストが言っていないことは言いたくても言ってはいけない」という、今は亡き恩師の言葉を思い返しているだけである。

文語訳時代の訳者は、親切心のようなことから「解釈的な意訳」(真山光弥氏の表現だそうです)をしてくださったのかもしれないが、アリガタ迷惑だった可能性大のようだ。

2011年5月4日水曜日

知らなかったことが恥ずかしい(事件篇)

今日は、ちょっとショックなことがあった。私にとっては小さくない問題と感じられたので、忘れないうちに書きとめておくことにする。

今日の午前中の祈祷会で使徒言行録を学んだが、聖書を出席者全員で輪読した際、私の手元の聖書に書かれているのとは違うことを読んだ方がいたので、「おや?」と思った。その個所は、使徒言行録2・6である。

私の手元の聖書は、2006年版の新共同訳聖書である。こう書かれている。

「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」

しかし、さっき読んだ方は、これとは明らかに違うことを読んだ。そこで、その方にもう一度、同じ個所を読んでいただいたところ、事が明白になった。その方は次のようにお読みになった。

「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」

その方の持っておられる新共同訳聖書の出版年は、私が持っているのよりも古かった。ということは、ある時点で日本聖書協会がこの箇所を訂正したということだ。かつては「自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて」と訳されていたところが、「自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて」と訂正されたのだ。

祈祷会終了後、いつこの訂正が行われたかを知りたくて、インターネットで調べてみたところ、日本聖書協会のホームページにちゃんと書いてあった。1992年10月20日だそうである(聖書「新共同訳」訂正箇所一覧)。

つまり、この訂正が反映されている新共同訳聖書は、1993年版以降のものであると思われる(松戸小金原教会の本棚には1992年版と1994年版はあるが、1993年版がないので、今のところ確認できない)。

しかし、とても恥ずかしいことに、この訂正がなされていたことを、私は今日まで知らなかった。1992年10月20日といえば、東京神学大学大学院を修了した二年後であり、結婚した翌年であり、高知県南国市の教会で働いていた頃である、ということくらいしか思い浮かばない。まだ子どもはいなかった。それこそインターネットなど見たこともない頃に行われた訂正でもあったようなので、まさに「地方と都会の情報格差」ゆえの無知だっただけだと思いたい。そういうことにしておいてもらえれば、私が知らなかったことの言い訳が立つので、ありがたい話でもある。

しかし、どうだろう。私の見るかぎりこの訂正は、上記の日本聖書協会ホームページの「聖書「新共同訳」訂正個所一覧」の中でも、神学的な意味で際立って重要な訂正であるように感じられる。些細な字句修正のレベルではない。我々が子供の頃から教えこまれてきたこととは全く異なるシナリオを、新たに書きなおさなければならないかもしれない、それくらいの訂正ではないかと思われるのである。

新共同訳聖書よりも前の日本語訳聖書も調べてみた。手元にあるかぎりのものであるが、いわゆる文語訳(改譯)、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳などを開いてみた。その結果、これらの聖書翻訳のすべてに「使徒たち」(新改訳「弟子たち」)という、ギリシア語原典には(いかなる写本にも)無い言葉が補われていたことを、今日初めて知った。

外国語訳の聖書も開いてみた。これも私の手元にあるかぎりのものであるが、KJV、RSV、NIV、REB、モファット訳などの英語版や、ルター訳、メンゲ訳、ヴィルケンス訳などのドイツ語版や、現代のオランダ語版などを調べてみた。その結果、外国語訳の(私が所有している)どの聖書にも、「使徒たち」と特定する言葉はなく、三人称複数を表わす「彼/彼女ら」と書かれているだけであることが分かった。

つまり、現時点で言えそうなことは、こうだ。使徒言行録2・6に記されている「自分の故郷の言葉」を話していた人々を「使徒たち」(または「弟子たち」)であると特定して訳すのは「日本語訳聖書の固有な伝統」であった。その伝統はおそらく100年以上続いた。ところが、その100年以上の歴史を、日本聖書協会はある日突然あっさり書き換えた。説明なしに。私が知らないだけかもしれないが、この歴史的訂正についての詳細な説明はいまだかつて聞いたことがない。

日本聖書協会を非難しようとしているのではない。事実を知りたいだけである。私自身は「使徒たち」という語が削除された訂正版のほうが、ギリシア語原典に忠実になった分、とても素晴らしいと感じている。しかし、こう言うだけで済むだろうか。なにかとても大きな、根本的な変化が生じていないだろうか。

コンテクストを見ると、「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいた」(2・5)が、物音に驚いた「大勢の人が集まって来た」(2・6)とある。そのようにして彼らが集まった場所で「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(現在の訳)というのと、「だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(過去の訳)というのとでは、読者のイメージすべきことは全く変わってくるのではないか。

現在の訳では、「自分の故郷の言葉」を話しているのは、もしかしたら「使徒たち」ではなく、「あらゆる国から帰って来た(つまり、外国暮らしをしていた)信心深いユダヤ人たち」だったかもしれないという理解の仕方くらいまでが、この個所の解釈の許容範囲内に入ってくるはずだ。そして、そのような解釈は、合理性の観点から見て、我々にとってより受け容れやすいものとなる。

しかし、私の知るかぎり、少なくとも日本の教会の多くは、二千年前の聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事を、そのようなものとしては教えてこなかったはずである。聖霊に満たされた使徒たちが、それまで習ったこともなかったようないろんな国の言葉を突然話しはじめた。それこそが聖霊の働きの特殊性であるというふうに、奇跡的な異常な話として教えてきたはずである。

そして、そういう話を聞く人々の中に、「聖霊の働きは素晴らしい」と感動する人もいれば、「こんな異常な話は聞いていられない」と落胆する人もいたに違いない。

まだつい三時間ほど前に気づいたばかりのことなので、結論を出せる段階にはない。そして、この問題が本当にショックを受けるほどの重要な問題なのかどうかも、今はまだ分からない。ただの過剰反応かもしれないし、私の読み間違いかもしれない。

知りたいのは事実だけである。だれを責めるつもりもない。責められなければならないのは、私のほうかもしれないのだ。

従前の解釈が間違っていると言いたいのではない。日本聖書協会が使徒言行録2・6から「使徒たち」を削除した理由は何かを知りたいのである。削除しても従前の解釈は不動であると判断したからか、それとも、解釈の幅を広げたかったのか。



2011年5月3日火曜日

「文系の人たち、立ちあがれ」への追記

哲学を学んでおられる方には教える立場になっていただきたいと願うのですが、教師になろうと必死にがんばっても報われない(または、報われなかった)方がおられることは、よく分かっているつもりです。

どれだけがんばっても、あるいは、がんばればがんばるほど、その努力の結果として与えれるべきものがない、すなわち、「就職先(大学のポストですよね)が無い」という話に、どうしてもなってしまうのでしょう。それで、「哲学では食えない」、「やっても意味がない」、「もっとお金になる実学を」といったような話になっていき、最終的には出資者(多くの場合、親)や自分自身も哲学を敬遠しはじめることになるのかもしれません。

この点で哲学の運命は神学の運命に似ています。しかし、神学の場合は良くも悪しくも「教会の学」(に過ぎないもの)なので、教会が存続するかぎりは有用性を失うことはありません。

神学と教会は一蓮托生の関係にあります。神学は教会と共に栄えます。論理的に言えば、逆もありえます。神学は教会の衰退と共に衰退もしうる。しかし、教会というところは、そう簡単には倒れないんです。だから神学もそう簡単には倒れない。

神学が教会を生み出すという理屈はありませんが(私がそういう理屈を認めません)、その逆ならばもちろんあります。教会は神学を生み出します。教会は神学の宝庫です。より正確に言えば、教会的実践(Ecclesiastical Practices)こそが神学の苗床であり、揺籃であり、宝庫です。この地上に教会が存続するかぎり、神学は話題に事欠くことがありません。

しかし、哲学の場はあくまでも大学でしょう。私は岡山朝日高校で「哲学のさわり」くらいは学びましたが、高校は哲学の土俵ではないでしょう。あくまでも仮定の話ですが、もし大学から哲学が完全に締め出される日が来たら、まさに哲学的な意味での「存在理由」についてはともかく、哲学を自分の仕事にする人は誰もいなくなってしまうのかもしれないというのは、言い過ぎでしょうか。

しかしそれでも、哲学を真剣に学んだ人は、たとえ食えなくても哲学し続けてほしいし、哲学を教えてほしい。大学のポストがないとか、どの大学も呼んでくれないとかなら教会の青年たちに教えてほしい。教会は十分な(いや全く)お支払いはできませんが。筋道のある論理に基づく正当な問いを不断に投げかけてほしい。

「そもそも本を買うお金が無い」、「論文を書いても載せてくれる紀要がない」、「翻訳しても本を書いても、私のような経歴では誰も信用してくれないし、買ってもくれないだろう」、「学会に入会したいけど、推薦してくれる先輩がいない」、などなど。

そんなのはすべて不勉強の言い訳です。発表の場は自分で作り出せます。ブログを立ちあげればいいだけです。ツイッターでもいい。どんなにむなしくても、誰からの返事もなくても、そこで真剣に哲学し続けてほしい。

ちなみに、この「関口 康日記」をどれくらいの方々が読んでくださっているかについては「企業秘密」なのですが、一日あたりでいえば、毎週日曜日の礼拝出席者の二倍から三倍くらいの人数の方々だと思っていただいて結構です。

1997年1月に私は友人すべてを失う覚悟をしました。いや、おそらくそのとき実際に失いました。それと共に、人間関係上の信頼も一度は完全に失ったはずです。道徳的な問題などはなく、所属を日本基督教団から日本キリスト改革派教会に変えただけですが、全く前触れなしに行動しましたので、以前から私を知っていてくださった方々の中に、ちょっとくらいは驚いてくださった方がおられたかもしれない、という程度の話なのですが。

その直後にインターネットを始めました。ですから私のインターネット生活は、ゼロスタートというよりマイナススタートでした。私にとってインターネットは「釈明の道具」でした。あれから14年半経ちました。その間、私がやってきたことと言えば、メールを書き続け、ホームページを立ち上げ、ブログを書くことでした。本当にただそれだけでした。

私の神学はいまだに物になっていませんので、何の参考にも励ましにもならないことも分かっています。しかし、上記のとおり、神学は哲学とは違うところがあります。大学や神学校の教授ポストに就いていないからといって、そのこと自体は「神学の成功者」でないことの証左ではないのです。悔し紛れに「私こそが神学の成功者だ」と言いたいのではありません(悔しがってもいませんしね)。「神学を営みうる場は、大学や神学校にもありますが、教会にもあります」と言いたいだけです。

私の場合は何の成功者でもありませんが、笑顔にあふれる松戸小金原教会と共にあり、美しく優しい妻と、二人の子どもと共に幸せな人生を送っていると、それだけは言える。

私は教会と家族を愛していますので、愛する人たちと共に喜んでいられることを「人生の成功」と呼んでよいなら、その意味でだけ、私は(今のところ)成功者です。

ブルーマウンテンとレーズンスコーン

日曜日がフル稼働の牧師たちの多くにとって、月曜日は一応、休みの日ということになっています。私もそうです。

しかし、実際には、「お、ヒマそうだね」と、いろんな予定を無理やり押し込んで来る人たちがいるので、休めたためしがありません。とくに牧師会とかするなよと思う。葬儀等の緊急事態は全く別の話です。

また、「休む」と言っても、何をしていいか分からない感じでもある。

私にはサーフィンの趣味があるわけではないし、山登りには耐えがたいものさえ感じます。海水浴はまあまあ好きですが、松戸は海が近いわけではないし(海の話はしにくくなりました)、山も近くない。もちろん好きな人は時間をかけてでも、どこにだって行くのでしょうけど。

何もすることがなくて、それで何をするかといえば、だから先週のように、ブログに毒舌を吐くくらいのことしかできない。ものすごく精神衛生上よろしくないことを、分かっていながら、あえてする。

吐き出して、それですっきりするわけではないのです。もやもや感はいくらか緩和され、言いたいことが論理的によりシャープになった分だけ、目つきは一層悪くなったんじゃないですかね。自分の目つきは、自分ではどうだか分かりませんが。

「休み」と言っても、家には誰もいないんです。今日は世間は平日ですしね。子どもたちは学校だし、妻(保育士)は児童養護施設と保育園の仕事です。

子どもたちも、高二(男)と中二(女)になって部活の忙しさが増し、帰宅時間が遅い、遅い。青春を満喫しているのでしょうが、そんなの知らん知らん。勝手にやってくれ。なんにも言いたくないです。楽しそうにしているのを叱りつけるほど野暮な親ではありません。黙って見守るしか、なすすべがないじゃありませんか。

ですからね、もうね、お父さんは、ひとりで寂しく楽しむのです。

先週は「ブルーマンデーのポイズンツイート(暗鬱月曜日の猛毒独白)」でしたが、今日は「ブルーマウンテンとレーズンスコーン」で行こうと思い立ちました。

でも、コーヒー豆ひくの面倒くさいし、レーズンスコーンって、どこに売ってんのか分かりません。

なので、妄想の世界だけのことにしておきます。コーヒーもスコーンも、飲んだこと食べたことにしておきます。

ああ、空しい。「一切は空である」。


2011年5月2日月曜日

文系の人たち、立ちあがれ

米・コロンビア大学の1-2年生必修コアカリキュラムは「西洋古典常識」徹底履修 毎週古典文学・思想の課題図書を読み、議論し、レポートを書く: 天漢日乗

年齢も関係あるのでしょうか、こういう記事に感動します。「哲学書なんてどこでも売ってるんだから、そんなもん自分で読めばいいだろ」と言われればそれまでですが、「本は本来読めないもの」(佐々木中氏)です。良い教師が必要です。「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」(新約聖書 使徒言行録8・31)。

岡山朝日高校の「倫理・社会」の影響は、かなり受けました。当時のノートは今でも宝物です。「西洋古典常識」の手がかりを得たことは間違いありません。

大学時代の哲学教師は近藤勝彦先生(現東京神学大学学長)でした。近藤先生は当時、一般教養ポストにおられました。カリキュラムの関係で、近藤先生から神学を教わったことはなく、哲学とドイツ語を教わりました。「洞窟のたとえ」や「窓のないモナド」の話は忘れられません。

東京にいた間、古書店という古書店をとにかく探し回ったのは、神学書ではなく、青帯の岩波文庫でした。プラトンからハイデガーまでは揃えました。

でも、あれが読めない。歯が立たない。翻訳のせいにしても仕方がありませんが、やはり翻訳が悪いんです。

山岡洋一氏出現以後の新しい翻訳理論に基づく、岩波文庫(青帯)の全面改訳を期待します。近代日本は「翻訳文化」なのですから、本気を出せば朝飯前のはずです。

日本をあきらめるつもりなどは、さらさらありません。しかし、そう遠くもない未来に「一家に一台、ガイガーカウンターを」と言われそうな時代の只中でこそ、「読みうる良い翻訳による西洋古典常識」が必要だと考えるのは、私だけでしょうか。

大節電時代にこそ、蛍の光・窓の雪を頼りに哲学書をひたすら読みふける。ロマンティックな発想だなどと思われたくないです。絶望の闇を打ち破るための苦闘です。

「牧師なら『聖書を読め』と言え」と言われそうですが、聖書も「西洋古典常識」です。哲学を読めば、聖書と神学を相対化できる。いま自分は何をどのように信じているかを客観視できる。それに、哲学の基礎も得られていない人に、神学の三位一体論やサクラメント論が理解できるとは考えにくいです。

それにつけても、欲しいのは良い教師です。文系の人たち、立ちあがれ。文学部、復活せよ。

2011年5月1日日曜日

存在そのものがマナー違反で悪かったね(笑)

ビジネスマナーの常識、「宗教・政治・野球の話題は避けること」は、幼少の頃から知っていましたが、宗教と政治は私には避けがたいものでしたので、黙っているのが心理的に辛かったことを忘れられません。

因果関係は不明ですが、小学生の頃から高校を卒業するまで、吃音に悩んでいました。「ひとまえで話す」などとんでもないことでした。しかし、牧師になると決めて神学校に入ったころから、ぴたりとおさまったのです。医師に診てもらったわけではありませんが、思いと言葉が一致したことで吃音から解放されたのではないかと、勝手に解釈しています。

宗教と政治の話ができない場所からは、私は退場しなければなりません。そのことは了解しています。自由に語りあえる場所を、常に新たに作り出していくだけです。「口封じには応じない」と思っているだけです。牧師の口を封じるのは至難の業だと思います。