脈絡なく書きますが、中学・高校の頃はアニメとかよく見てました。オタクとかそういうのが流行る前ですね。正確な情報などどうでもいいですが、1977年から1983年までの6年間です。宇宙戦艦ヤマトの再放送を見た日から銀河鉄道999とかの映画をやっていたころまで。松本零士氏の術中にハマったクチです。
私は1965年生まれ、つまり「戦後20年生まれ」なので、軍艦や蒸気機関車の実物を見たことがない世代ですが、そういうもの、つまり私にとって「過去」のものが宇宙の果てまで飛んでいき、見たこともない「未来」の主役になるという「未体験感」が、少年Sの好奇心をかき立てました。
当時、パソコンとか携帯とかも、その実物は見たことがなかったので、松本零士氏の描く「コックピット」や「通信機」の絵は、憧れというか興味津々でしたね。
で、「コックピット」や「通信機」への興味は、私の長男が幼稚園児のころに始まった「平成ウルトラマンシリーズ」のティガだダイナだガイアだを長男と一緒に見たときに再燃。「やっぱりおれはこういうの(コックピットや通信機)を自分のものにしたいようだ」という自分の願望に気づきました。
どこで読んだか忘れましたが「基本、オタクにはコックピット願望あるからな」という書き込みに笑いました。「お、おれはオタクじゃねえ!」と心で叫びました。先日、ファンに囲まれたキャンディーズの写真をどこかで見たとき、「お前らって昔からお前らなんだな」という書きこみにも笑いました。
ちなみに、キャンディーズをおっかけたことなんかありませんからね。私、オタクとか呼ばれたことねえし。ていうか、もと岡山県人の私が、どうやって、だれをおいかければいいのかって感じでしたよ。当時、岡山まで来てくれる芸能人なんて、ほとんどいませんでしたからね。
そして今。
「おっかけ」の体験はいまだにありませんが、「コックピット」と「通信機」は、なんだか手に入ってしまった感じがしています。携帯電話を持つと「流星号、応答せよ!」とか「行け、鉄人!」とか言いたくなっちゃう(古いか)。スカイプとかやってると、ベルク・カッツェの高笑いが聞こえてきます。
しかし、この「コックピット」と「通信機」っていうのは、実際に手に入れてみると、どうってことないものですね。いま思い出しているのは、故ビン・ラディン氏がテレビのリモコンを操作している、あのビデオ映像です。さらに、ビン・ラディン氏殺害時にホワイトハウスの一室に米政府関係者がコーヒー飲みながら集結している、あのスチール写真です。
米政府とビン・ラディン氏のどちらが科学忍者隊で、どちらがギャラクターなのかは分かりません。どっちなのかは、どっちでもいい。そのことよりも、政府の基地のモニターとかによく侵入していたベルク・カッツェの姿を思い起こすたびに、「彼が使っているソフトはスカイプだろうか」などと妄想しています。
ガンダムは、最初のシリーズだけは少しは見ましたよ。ただ、あんまり記憶に残っていないんで、ガンダムの話では盛り上がれないです。ストーリーが私には少し難しく感じられたというか、当時(中学生だったかなあ)の想像力の範囲を超えていました。
ヤマトは、キムタク主演の映画を私一人で観に行きましたよ。封切りからだいぶたった頃で、JR柏駅前のステーションシアターで観たのですが、そのときのお客さんが、私含めて5人。うち私以外の4名(男性3名、女性1名)は、どう見ても70歳を超えた方々でした。なんじゃこれ、でしたね。
まあ、でも、70歳オーバーの方々といえば、つまり我々の親の世代の方々ですね。我々が子どもだったころ、我が子と一緒にアニメのヤマトを見ておられたのでしょうね。そう思うと、なかなか実家に帰れない親不孝な私としては、なんだか切ないですね。
エヴァンゲリオンていうのは、去年だったかな、ウェブ上で初めて観ましたよ。一気に全部を観ました。まあ、私にとっては面白いものでしたね。何年も前からレンタルビデオ屋さんの目立つ位置にずらりと並べてあったのは遠目に見ていましたが、借りて観る「勇気」まではありませんでした。
あ、最初は「ヱ」と書かなくてはならなかったかな、「ヱヴァンゲリオン」ですかね。こういうのは分かんないですね。新東京市、でしたっけ。第二とか第三とかありましたよね、地下都市の。ああいうのが現実に必要になりそうな勢いですね、ってこういう話、空気読めて無さ過ぎですかね。