1999年4月28日 C. ファン・リムプト
1951年に改定されたオランダ改革派教会『教会規程』作成の最も重要な立役者であったA. A. ファン・ルーラー(1908〜1970年)は、神学者としては、ほとんど評価されてきませんでした。バルトとミスコッテが、ユトレヒトの教義学者〔ファン・ルーラー〕を、てっとりばやく、神学競技場の周辺へと、追い払ってしまったからです。
しかし、そのことは、ファン・ルーラーの諸見解が、何の影響力も持っていなかった、ということを物語るものではありません。フローニンゲン大学で教義学と倫理学を教えているL. J. ファン・デン・ブロム教授は、この「地上的実在の神学者」〔ファン・ルーラー〕から講義を受けることができるたびに、教科〔の内容〕を変更していたほどです。
「ファン・ルーラーは、信仰というものを、日常生活の中に引き入れました。彼のヴィジョンは、人生においてあなたの心が動かされうるものになるために、あなたの信仰と信仰的体験とが相互に関係づけられなければならない、というものでした。ある日、彼は、その手に一本のバラを持って、講義室に入ってきました。彼は、鼻を近づけて匂いをかぎ、そしてこう言いました。『神の国の香りがする』。日常的な現実に接近する方法や、創造と神の国についての語り方は、非常に驚かされるものであり、独創的なものでした。彼は、ベーテュウェ地方の花開く果樹園など、実在におけるあらゆる美しいものを、神の臨在として、見ていました。創造者の表現としての創造を、彼は体験しました。彼はそこで、何に逆らうことがあるのでしょうか?」。
ファン・ルーラーは、自らの神学思想におけるこの地上性(aardsheid)という点を、生のあらゆる側面において、矛盾無く貫き通しました。そのように、物質的な実在というものが肯定的に評価されなければならないことを、非常に強調しました。ファン・ルーラーは、次のように語りました。「物質とは、超越性に対峙するところの被造的実在の、基礎構造である。だからこそ、それは、鼻であしらうことができないものである」。
ファン・デン・ブロムは、ファン・ルーラーの諸見解が、より正統主義的な学生たちに対して、時おりどれほどショックを与えるものであったかを、今も懐かしく思い起こすそうです。
「たとえば、ファン・ルーラーは、セックスに関する事柄について、全くオープンかつ正直に語りました。地上的存在は楽しむためにある、と語りました。あなたは人間として、あなたの望むとおりにすればよいのです、と。あなたはセックスにおいても充分に楽しめばよいのです、と。セックスをするときには、まさにあなたが『真っ裸で神の御前に立つ』あの瞬間と同じように、互いに開けっぴろげの真っ裸になり、まさにあなたの素っ裸を与えればよいのです、と。ですから、ファン・ルーラーは、性体験こそ結婚の本質である、とも語りました。彼の見方では、残りの部分である教会での結婚式や、市役所に出す婚姻届は、事務的な処理以上の何ものでもありませんでした」。
確かな意味で、ファン・ルーラーは、一人のセオクラット(神政主義者)でした。とはいえ、その理念によって彼は、聖書の独裁によって統治される社会を目指していたわけではありません。ファン・デン・ブロムは、次のように証言しています。
「ファン・ルーラーは――キリスト教主義学校を除いても―― そこで文化が聖書によって形成されているような公共の国家というものを擁護したいと願っていました。彼は、聖書の目指すところや、正義と公平などに関する聖書的概念が、社会において再び議論可能なものにならなければならない、と考えていました。全ヨーロッパにとって、聖書は再び、文化を形成するための重要な要素にならなければなりませんでした。私見によれば、ファン・ルーラーは、事実上の『政治神学』に取り組んだのです。彼は『政治とは聖なる事柄』であり、『政治的行為は信仰の頂点』であるとさえ呼びました。信仰とは、まさに政治のようなすべての人間的な現実と共にあるものだ。それゆえ、政治は十字架よりも重要なのだ、とさえ語りました」。
「多くの神学書は、十字架のところで終わっています。これについて、ファン・ルーラーは、とりわけキリスト論が中心に置かれていた(バルト主義的な)一時代の只中で、彼の聖書理解をもって、また神が三位一体であることについての強調をもって、全く異なることを考えなければなりませんでした。ファン・ルーラーは、旧約聖書というものを高く評価し、新約聖書のほうは単なる巻末語句解説に過ぎないものと呼びました。そのことによって、彼は、新約聖書のほうは単に個々人や諸グループにとって重要なものに過ぎないが、旧約聖書のほうはすべての生にとって、すなわち、トータルな現実にとって重要である、と言いたかったのです。そこで、あなたは、正義と不義についての概念、また政治や人間の所産についての概念を見出すのです、と」。
「この視座において、ファン・ルーラーは、イエスの十字架の死を、本来的には必ずしも必然的ではないという意味で、一つの『緊急措置』に過ぎないと呼びました。それは一枚のスナップショットである、と。その次に、聖霊が、われわれを再び旧約聖書へと連れ戻し、そこでわれわれは広漠とした生に遭遇するのである、と。ファン・ルーラーは、人間を最も責任ある存在として、見ていました。十字架は、〔人間が神によって〕受容されていることの確証として、その背後から見ることさえ許されているのだ、と。しかし、それは、とりわけ前を見ること、すなわち、可視的な創造において形成されるべき神の国というものを、見るのでなければならない、と見ていました」。
神を三位一体として語ることによって、神の内なる位格的関係の一要素がそこに生じます。ファン・ルーラーにとって全く重要であったことは、次のことです。彼によると、われわれ人間について語るときにも、神との相互関係において語らなければなりません。そのように、天においても、地においても語らなければならない、とファン・ルーラーは考えたのです。
御父が御子と共に何かを持っているように、御子が御父と共にあり、御父と御子が御霊と共にあります。逆に言えば、そのとき三位一体の神もまた人間と共に働くべきであり、人間は神と共に働くべきであり、人間は互いに共に働くべきなのです。
このイラストのために、ファン・ルーラーが当時用いた実際的なメタファー(比喩)は、再び正統主義者たちの度肝を抜くものです。ファン・ルーラーは、次のように語りました。
「主なる神は、まさしくヨハン・クライフです。クライフがプレイするためには、21人の他の人間が必要です。そのように、神もまた、人間を必要としており、そのとき彼は、良いプレイを行うのです。一人の者が他の者たちから信頼されつつ、誰もが自分自身の役割を果たすのです」。
そのような相互プレイにおいて、人間存在の固有の役割が過小評価されてはならない、とファン・ルーラーは見ていました。全知全能の神は、最も重要である。しかし、「このわたし」としての人間も、依然として存在するのであり、「わたし」は、このわたし自身を擁護しなければならないのです。
そのようにして、(御子だけではなく)三位一体の神は、このわたしと共に何かをしてくださるが、神がこのわたしの罪を大きなブラシで洗い落としてくださるわけではないのです。それは、第一に、このわたしが責任を取らなければならないことを意味します。このわたしはまさに責任をもって生きなければならず、またそのとき、このわたしは、生を一新することを意図してくださる聖霊の助けと共に、生における働きに就かねばならないのです。
ファン・ルーラーの見解において、キリスト教信仰とは、あなたはあなたが望むように生きてよいと語る、まさに一つの自尊心の表現です。ファン・デン・ブロムによると、それは、実存主義と虚無主義とが興隆を極めていた時代(1960年代)においては、非常にすがすがしい考え方でした。
存在が灰色の悲惨な出来事になるという体験に対峙して、ファン・ルーラーは、あなたの存在はすでに一つの奇跡と呼ばれてもよいものであり、あなたはなお望むように生きてよい、というヴィジョンを語りました。
人生を充分に楽しむために、また「神の物語に形態を与える意図を持つ現実において」何かを生み出すために、ファン・ルーラーは、もっと多くの理由を見出すのです。
ファン・ルーラーはまた、その視座において、教会の役割についても語りました。
彼は教会をここ、すなわち、地上において神の国が打ち立てられるために、人間の現実へと向かってくる、神の遠大な運動の下部として見ていました。彼は次のように語りました。
「内側にいなければならないのはわれわれのほうではなく、むしろ、世界のほうこそが内側にいなければなりません。教会は――われわれが神から授かる――われわれのアイデンティティではなく、また終着点でもありません。教会は、神の国へと至る途上における、単なる一手段であることのほうが望ましいのです」。