2011年5月4日水曜日

知らなかったことが恥ずかしい(事件篇)

今日は、ちょっとショックなことがあった。私にとっては小さくない問題と感じられたので、忘れないうちに書きとめておくことにする。

今日の午前中の祈祷会で使徒言行録を学んだが、聖書を出席者全員で輪読した際、私の手元の聖書に書かれているのとは違うことを読んだ方がいたので、「おや?」と思った。その個所は、使徒言行録2・6である。

私の手元の聖書は、2006年版の新共同訳聖書である。こう書かれている。

「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」

しかし、さっき読んだ方は、これとは明らかに違うことを読んだ。そこで、その方にもう一度、同じ個所を読んでいただいたところ、事が明白になった。その方は次のようにお読みになった。

「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」

その方の持っておられる新共同訳聖書の出版年は、私が持っているのよりも古かった。ということは、ある時点で日本聖書協会がこの箇所を訂正したということだ。かつては「自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて」と訳されていたところが、「自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて」と訂正されたのだ。

祈祷会終了後、いつこの訂正が行われたかを知りたくて、インターネットで調べてみたところ、日本聖書協会のホームページにちゃんと書いてあった。1992年10月20日だそうである(聖書「新共同訳」訂正箇所一覧)。

つまり、この訂正が反映されている新共同訳聖書は、1993年版以降のものであると思われる(松戸小金原教会の本棚には1992年版と1994年版はあるが、1993年版がないので、今のところ確認できない)。

しかし、とても恥ずかしいことに、この訂正がなされていたことを、私は今日まで知らなかった。1992年10月20日といえば、東京神学大学大学院を修了した二年後であり、結婚した翌年であり、高知県南国市の教会で働いていた頃である、ということくらいしか思い浮かばない。まだ子どもはいなかった。それこそインターネットなど見たこともない頃に行われた訂正でもあったようなので、まさに「地方と都会の情報格差」ゆえの無知だっただけだと思いたい。そういうことにしておいてもらえれば、私が知らなかったことの言い訳が立つので、ありがたい話でもある。

しかし、どうだろう。私の見るかぎりこの訂正は、上記の日本聖書協会ホームページの「聖書「新共同訳」訂正個所一覧」の中でも、神学的な意味で際立って重要な訂正であるように感じられる。些細な字句修正のレベルではない。我々が子供の頃から教えこまれてきたこととは全く異なるシナリオを、新たに書きなおさなければならないかもしれない、それくらいの訂正ではないかと思われるのである。

新共同訳聖書よりも前の日本語訳聖書も調べてみた。手元にあるかぎりのものであるが、いわゆる文語訳(改譯)、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳などを開いてみた。その結果、これらの聖書翻訳のすべてに「使徒たち」(新改訳「弟子たち」)という、ギリシア語原典には(いかなる写本にも)無い言葉が補われていたことを、今日初めて知った。

外国語訳の聖書も開いてみた。これも私の手元にあるかぎりのものであるが、KJV、RSV、NIV、REB、モファット訳などの英語版や、ルター訳、メンゲ訳、ヴィルケンス訳などのドイツ語版や、現代のオランダ語版などを調べてみた。その結果、外国語訳の(私が所有している)どの聖書にも、「使徒たち」と特定する言葉はなく、三人称複数を表わす「彼/彼女ら」と書かれているだけであることが分かった。

つまり、現時点で言えそうなことは、こうだ。使徒言行録2・6に記されている「自分の故郷の言葉」を話していた人々を「使徒たち」(または「弟子たち」)であると特定して訳すのは「日本語訳聖書の固有な伝統」であった。その伝統はおそらく100年以上続いた。ところが、その100年以上の歴史を、日本聖書協会はある日突然あっさり書き換えた。説明なしに。私が知らないだけかもしれないが、この歴史的訂正についての詳細な説明はいまだかつて聞いたことがない。

日本聖書協会を非難しようとしているのではない。事実を知りたいだけである。私自身は「使徒たち」という語が削除された訂正版のほうが、ギリシア語原典に忠実になった分、とても素晴らしいと感じている。しかし、こう言うだけで済むだろうか。なにかとても大きな、根本的な変化が生じていないだろうか。

コンテクストを見ると、「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいた」(2・5)が、物音に驚いた「大勢の人が集まって来た」(2・6)とある。そのようにして彼らが集まった場所で「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(現在の訳)というのと、「だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(過去の訳)というのとでは、読者のイメージすべきことは全く変わってくるのではないか。

現在の訳では、「自分の故郷の言葉」を話しているのは、もしかしたら「使徒たち」ではなく、「あらゆる国から帰って来た(つまり、外国暮らしをしていた)信心深いユダヤ人たち」だったかもしれないという理解の仕方くらいまでが、この個所の解釈の許容範囲内に入ってくるはずだ。そして、そのような解釈は、合理性の観点から見て、我々にとってより受け容れやすいものとなる。

しかし、私の知るかぎり、少なくとも日本の教会の多くは、二千年前の聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事を、そのようなものとしては教えてこなかったはずである。聖霊に満たされた使徒たちが、それまで習ったこともなかったようないろんな国の言葉を突然話しはじめた。それこそが聖霊の働きの特殊性であるというふうに、奇跡的な異常な話として教えてきたはずである。

そして、そういう話を聞く人々の中に、「聖霊の働きは素晴らしい」と感動する人もいれば、「こんな異常な話は聞いていられない」と落胆する人もいたに違いない。

まだつい三時間ほど前に気づいたばかりのことなので、結論を出せる段階にはない。そして、この問題が本当にショックを受けるほどの重要な問題なのかどうかも、今はまだ分からない。ただの過剰反応かもしれないし、私の読み間違いかもしれない。

知りたいのは事実だけである。だれを責めるつもりもない。責められなければならないのは、私のほうかもしれないのだ。

従前の解釈が間違っていると言いたいのではない。日本聖書協会が使徒言行録2・6から「使徒たち」を削除した理由は何かを知りたいのである。削除しても従前の解釈は不動であると判断したからか、それとも、解釈の幅を広げたかったのか。