2011年5月6日金曜日

日本におけるファン・ルーラー

牧田吉和(ファン・ルーラー研究会顧問、神戸改革派神学校前校長)

「日本におけるファン・ルーラー」。おそらくこの主題が『デ・シフィターテ』の読者各位の関心事であり、お知りになりたいことであろう。ファン・ルーラーは一度も日本を訪れたことがない。「日本におけるファン・ルーラー」ということを我々はどのようにして語ることができるのだろうか。

ファン・ルーラー自身は一度も日本に訪れたことがない。しかし、彼の神学的著作は英語やドイツ語に訳されて日本にやってきた。現在我々は『宣教の神学』と『われ信ず』〔使徒信条講解〕の日本語版を手にしているが、残念ながらドイツ語版からの重訳である。それらの著作を通して、またファン・ルーラーがその中で大きな役割を果たしているJ. モルトマンやR. ボーレンの神学的著作を通して、日本の神学者たちはファン・ルーラーの神学を知るようになった。現在、日本の多くの神学者たちがファン・ルーラーの神学に多大な関心を抱いている。それで今や我々は「日本におけるファン・ルーラー」というテーマについて語ることができるのである。

ファン・ルーラー研究会は1999年2月20日に発足した。現在の会員は47名〔2001年当時〕である。インターネットを用いてファン・ルーラーの神学論文をオランダ語から日本語に翻訳することが我々の活動である。我々はこのやり方で翻訳に取り組んでいるだけではなく、ファン・ルーラーの思想についての神学議論も行っている。ときどきユトレヒト大学のF. G. イミンク教授やニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授が我々の翻訳や議論を指導してくださっている。フリーズ教授は1979年にユトレヒト大学でファン・ルーラーに関する博士論文をお書きになった。先生方のご指導に非常に感謝している。

これまで我々が日本語に訳してきたファン・ルーラーの論文は「地上の生の評価」 「説教の定義」 「モーセの律法の意義」である。我々は日本語版著作集の出版を計画している。2001年9月3日には、大阪に近い園田教会でファン・ルーラー神学に関するシンポジウムを行いたいと願っている。

おそらく読者各位の質問は、日本の教会にとってのファン・ルーラーの意義は何かということではないかと思う。我々は熱狂的なファン・ルーラー信奉者のようなものでは決してない。それどころかファン・ルーラーの思想には「メシア的間奏曲」というような非常に大きな問題の要素があると見ている。とりわけ、新しきエルサレムにおけるキリストの人間性の放棄、相対的に自立した聖霊論、思想の思弁的傾向などに問題を感じている。

しかし我々の確信によると、ファン・ルーラーの神学には日本の教会にとって一つの大きな意義がある。我々は仏教社会の真ん中で生活している。仏教思想はグノーシス主義と酷似しているものである。日本の教会はこうした仏教的・グノーシス主義的な思想の影響を受けている。そのことは、日本においてはキリスト教信仰が精神的で個人的で私的な事柄として理解されてしまうだけではなく、非歴史的性格を帯びてしまいやすいということを意味している。要するに我々は、日本のキリスト教の体質はアナバプテスト〔再洗礼派〕的であると語ることができるのである。

このような精神的環境において、ファン・ルーラーの「終末論的・三位一体的神の国神学」は、我々にとってきわめて大きな価値を持っている。この神学は歴史を、始源と終末の間の緊張の場として、贖いと創造の総合として見つめる視座を我々に与えてくれる。その総合における聖霊論のユニークな役割、創造論への強調、地上の生への高い評価などにおいて、我々は日本のキリスト教の弱点を克服するための重要な鍵を見出すことができるのである。

我々はファン・ルーラーの思想を研究するために国際的協力関係を持つことを願ってきた。将来、国際的レベルでファン・ルーラー神学についてのシンポジウムが行われることを心から期待している。おそらく我々はそのシンポジウムでお目にかかることができるであろう。そして、ファン・ルーラーの「喜びの神学」について喜びをもって語り合うことができるであろう。

[解説]

オランダでは著名な神学雑誌『デ・シフィターテ』(ユトレヒト大学改革派キリスト教学生会発行)の編集長マーク・ワレット氏が、ファン・ルーラー研究会のホームページを見て強い関心を寄せてくださった。「ぜひわれわれの雑誌に掲載させていただきたいので、研究会の紹介文を書いてほしい」という依頼のメールがファン・ルーラー研究会宛に届いたとき、我々は大いに感激した。さっそく顧問の牧田吉和先生がオランダ語で論文を書いてくださった。それが『デ・シフィターテ』創刊50周年記念「ファン・ルーラー特集号」(年刊第51巻第 5号、2001年 4月)に掲載された。したがって、本論文の著作権は『デ・シフィターテ』編集部が保有しており、ファン・ルーラー研究会は、これを同編集部の許可を得て公開している。転載等は固くお断りする。

Yoshikazu Makita, Van Ruler in Japan, De Civitate, Civitas Studiosorum in Fundamento Reformato, Utrecht, April 2001, Jaargang 51, nummer 5, p.19 vlg.

(関口 康訳)