2011年5月13日金曜日

結局これは「文学の欠如」だと思う

メルトダウンは最近になって起こったわけではないし、レベル7もそうだ。ほぼ最初からそうだったのだ。“文学的に”考える者たちは早々と「最悪のシナリオ」に辿り着き、持てる想像力を駆使しながら、自分になしうること、なすべきことは何かを判断し、迅速に行動しはじめた。

いま思い返すに、福島第一原発「爆発」の一報直後のほぼ最初の時点からいちばん的確な判断ができていたのは、文学者たちであり、哲学者たちであり、神学者たちであった。

全く惨めに思えるのは、優秀な理系脳の持ち主たちだ。どうした。え、「想定外」だって?違うよ。「想像力の欠如」だ。佐々木中氏的にいえば「文学の欠如」ということにもなるだろう。

日本の教育は、2011年を境に根本的に構造を変えるべきだ。文学の素養の無い人たちには原発は扱えなかった。そのことがはっきりしたじゃないか。そういうことを今朝、ひどく考えさせられたので書きとめておきます。