昨日は「教会(キルへ)はインドのカースト制度を除けば多分この世の中で最も保守的なものである」というエルンスト・トレルチの言葉(1921年)に改めて接し(久しぶりに読みました)、
ちょっとファイトの念が燃えはじめたぼくだったりします。
なんていうか、
それって逆に考えれば、
トレルチをして「この世で最も保守的」と呼ばしめた「教会」を変えることができるほどの説得力ある言葉と生き方が見つかれば、そのとき世界は変わるってことですよね。
「教会」という、この押しても引いても梃子でも動かない、がっかりするほど鈍重なものを動かすことができる力があれば、世界は動くってことですよね。
そして、その言葉、その生き方、その力は、「教会」の中にいる者たちにしか手に入れることはできませんよね。教会に関わったことない人たちに、教会を動かす力はない。
「世界が変わらない、動かない」と嘆く気持ちは、ぼくも同じ。
だけど、それを言うなら、ぼくらはまず「教会」を変え、動かしてみせなくちゃね。
それができたら、世界も動いてますよね。
こういう考え方、間違ってますかね。