2013年11月27日水曜日

學生時代の思ひ出


講義名は忘れましたが、

『宗教の神学』(ヨルダン社、1985年)を出版なさった直後である、

ということだけは、よく覚えています。

当時の肩書きは、なんでしたっけ、

たぶん「国際基督教大学教会牧師、宗教部長、教授」くらいですかね、

そういうお立場で、

ご自身の母校でもある東京神学大学で、

ぼくらを相手に講義してくださったときの

毎回うれしそうなお顔を、今でも忘れることができません。

今からだいたい30年前ということですよね、

なんだか大昔のことになりました。

その講義の中で繰り返し強調されていたことは、

「戦前にバルト、バルトと言っていた日本の牧師や神学者たちが、

戦争が始まりそうになった途端、

口をつぐんでしまい、戦争協力にひた走った」ということです。

「あんな人たちはインチキなんだよ」と、おっしゃっていました。

今のぼくらの眼前の光景は、どうなんでしょうね。

ぼくは、自分が卒業した学校から

本当に「卒業」してしまう人間であるということを

改めて昨日、強く自覚しました。

学校なんかにいつまでも縛られて生きていきたいとは思わないもの。

同窓会とかまっぴら。

幼稚園から大学まで、そういうのに出たことないです。

あ、ちょっと脱線しました。

今が「戦前」だとは考えたくないです。

そんなこと、考えたいわけないじゃん。

イヤです、ありえねえ。これからも戦争しない国でいてください日本。

だけど、いよいよ変な感じになってきました。

それはぼくだけの個人的で特殊で異常な感覚じゃないと思う。

かなり多くの人と共有できている感覚だと思う。

だけど、もう「口つぐんでる」んじゃないかなという雰囲気を感じるのは、

ぼくの気のせいでしょうか、

「バルト、バルトと言っていた」人たち。

ぼくの恩師に喝破してもらいたいです、

「あんな人たちはインチキなんだよ」ってね。

ま、「ぼくの気のせい」ということにしておきますね、とりあえず。

ぼくは「カール・バルト研究会」やってますけどね、

バルトの神学には批判的です。「批判的カール・バルト研究会」です。

でも、彼の行動は尊敬しています。

尊敬したうえで、ぼくなりに見習っているつもりです。