嗚呼、堂々めぐり。
神学者の生涯とか、その神学者の著作を紹介しようとする場合、
「本がたくさん売れた!」とか「時代を動かした!」とかみたいな
サクセスストーリーっぽいのなら、ある意味で書きやすいわけです。
サクセスでなくても、アンサクセスストーリーであっても、
とにかく「動き」があると紹介しやすいです。
ですが、神学者は思想家なのだと思います。
「実践を伴わない思想」は見向きもされないのかもしれませんが、
その批判にあまりにも強迫観念を持ちすぎて、
「書斎に不在の思想家」ばかり増えてしまうのは、どうなのでしょうか。
「他人の本を読まない神学者」とか、ちょっと笑ってしまいます。
神学者は書斎に引きこもることを恥じるべきではないでしょう。
あなたがそれを恥じると、他のだれも書斎に引きこもれなくなりますよ。
しかし、「思想」でサクセスするというのは、よほどのことです。
「思想家のサクセスストーリー」というのは、世にも恐ろしい話です。
ファン・ルーラーのことを考え続けています。
彼にはサクセスストーリーがないんですよ。だから困っています。
ヨーロッパのキリスト教国家体制がどんどん崩壊していく最中で
オランダの国立大学神学部教授として「神学」を守るため奮闘しました。
しかし、それは
全体的で長期的で不可逆的な下降線の中での最終防衛戦のようなもので、
結果は敗北でした。彼の最期の思いは無念ではなかったかと思います。
こういう敗者の紹介というのは、どのようにしたらよいのでしょうか。
「神学者の哀歌」というタイトルの本を書いてみたいです。