2013年11月23日土曜日

どれほど偉大な神学者でもバケモノではありません

ふいに思い出したのは、学生時代の先輩の言葉です。

三鷹の学生寮のぼくの部屋の本棚を見て

 「きみは揃いものが好きなんだね」

と言われたことがあります。

その先輩が誰だったのかは覚えていません。その人の顔が思い浮かびません。

でも、先輩のおっしゃったこと、当たっていました。

ぼくは揃えたくなる人間です。「収集癖」のようなものが、たぶんあります。

なぜ揃えたくなるのかは分かりません。その理由を知りたいわけではありません。

ただ、分かったことがあります。

それは、どんなに偉大な先生でも  一生の間にできる仕事は限られている、ということです。

当たり前のことですが、揃えてみて納得できました。


この写真の上の段は、ベルカウワー(1903-1996)の本とベルカウワーについて書かれた本です。

下の段は、ファン・ルーラー(1908-1970)の本とファン・ルーラーについて書かれた本です。

いずれもパーフェクトなコレクションではありませんが、かなり網羅できていると思います。

ベルカウワーとファン・ルーラーは二人ともオランダの改革派神学者でした。

ほぼ同時代に活躍しましたが、所属教団が異なるため、主張に違いはありました。

二人の関係を研究することは、大きな意義があります。

それよりぼくがいま言いたいことは、二人の著作の量です。

「すごくたくさんある。だけど、この程度のものだ」

ということです。

どれほど偉大な神学者でもバケモノではありません。人間です。

人ひとりの一生の間に書き残しうる言葉には、限界があります。

「揃えて」みて初めて、そのことが分かりました。

それでぼくは、ほっとしたのです。

神学をなめてはいけません。しかし、むやみに恐れることもありません。

何を言ってるのか分からなくなってきましたので、このへんで終わります。