2013年7月22日月曜日

ぼくが「日本にキリスト教政党を」と主張しているときに考えていること

ぼくは歴史的な意味での「共産主義者」になることはできません。しかし、だからといって資本主義者であるわけでもありません。

プロテスタントの人はまるで自動的に資本主義者になってしまうかのように描かれた「あの歴史観」は、端的に作り話だと思っていますし、迷惑な話だと思っています。

ぼくが「日本にキリスト教政党を」ということを口にする場合に考えていることは大きく分けて次の二つです。

第一は、対社会的な面において、「神道政治連盟」と「公明党」と「幸福実現どうたら」など諸々の新興宗教政党を拒否するための方便です。

第二は、対教会的な面において、「教会は政治にかかわるべきではない」と言い出す人たちへの牽制と、「教会の理想と共産主義の理想は一致する」と躊躇も葛藤も臆面もなくストレートに結び付けることができる人たちへの牽制です。

字にしてしまうと身も蓋もない話になってしまいますが、まあ、そういうことです。