ブログにぼくが
「職業的政治家と、共依存の関係にある資産家たち『よりも』幸せな生き方を提示すること」
と書いたことについて、
「でも、それって政治的無関心を援護し助長しませんか?」
とご質問をいただきましたので、下記のようにお応えしました。
「答えになっていない」と思われるかもしれない内容であることは自覚しておりますが、
“言葉を濁している”結果であると申し上げておきます。
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擁護も助長もしません。
言葉を選びながら書きますが、
「職業的政治家」と「共依存の関係にある資産家たち」とぼくが書いているとき、
今の与党関係者だけのことを考えていません。
与党に対する永遠のアンチであることを「職業」とする人たちのことも含めています。
「不安ビジネス」のようなもので人やカネを集めようとする人たちのことも含めています。
これ以上のことは今は書かないでおきますが、
「政治的関心」を煽るビジネスもあるので、
そういうのにも気をつけなければ丸裸にされてしまうと、ぼくは考えています。
しかし、先生がお書きくださったような疑問は、ぼくも自分で文章を書いているときから、
「出てくるだろうな」と予想していましたので「やっぱり出たか」という気持ちです。
ありがとうございます。
話は飛躍しますが、
ぼくはファン・ルーラーという神学者が語った命題、
「共産主義はキリスト教よりもブルジョア的である」を、
おかしくて腹を抱えながら受け容れているものです。
共産党をことさらに敵視する意図はぼくにはありませんが、
左翼は左翼で「左翼ビジネス」のようなものがあるのだと思っています。
教会は例外だと言いたいのではありません。
教会だってすぐにでも
「不安ビジネス」「救済ビジネス」「結婚式ビジネス」「葬式ビジネス」をやりはじめます。
「何が悪いんだよ」と開き直る向きも少なからずあるのかもしれませんが、
やってることは「彼ら」と同じだという自覚があるかどうかで、
救いようがあるかどうかが決まるのだと思います。
そして、ぼくが言いたかったことの最初からの最も重要なポイントは
「政治のシロウトである者たちは、いかにカネを使わずに政治に関与するか」であり、
「人とカネを使って権力を掌握する『よりも』幸せな生き方があることを、どうしたら提示しうるか」
ということにあります。
「そんなのは無い」と言ってしまった時点で、我々の負けです。
「ある」と言い続けなくちゃ、希望も救いもありません。