2009年10月31日土曜日

説教と神学は誰でもできる

ともかく願っていることは「神学の価値を安く見積もらないでください」ということです。「教会の生命としての神学」に手抜き工事があるような教会は、まともな教会にはならないし、教会堂その他の見てくれが立派なだけの張り子の虎にすぎません。そんな程度のもので「神の栄光を表す教会」と言えますかと、問うてみたい。



いずれにせよ、教会は神学をなめないほうがいいと、私は思います。神学なき説教は空言です。説教が「神学的に見てまともでない」教会は、そもそも「教会」ではありません。神学とは日々の苦闘の賜物なのです。苦もなく、どこからともなく自動的に繰り出されてくるようなものではないのです。どこかに勘違いがありはしませんか。



「説教なんて誰でもできる」と思われていることは、好ましいことでもありますので、その見方は甘受します。事実、牧師たちは「誰でもできること」をやっています。長老たちにも、日曜学校教師たちにも、すべての教会員にも、「説教すること」は可能です。「上手に話すこと」なら、牧師たちよりはるかに優れた人たちが、どの教会にもいます。



ただし、「説教ができる」とは「神学ができる」ということとほとんど同義語です。神学も「誰でも」できます。ぜひ今すぐに取り組みを始めてください。多くの人たちが神学に真剣に取り組むようになれば、「神学なしにも説教はできる」という誤解や甘い見方から我々は全く解き放たれるでしょう。そのような日が来ることを心待ちにしています。



しかも、「神学」は、大学や神学校の在学中にだけ取り組むものではありません。「在学中は神学研究に熱心でしたが、卒業後、教会の牧師になってからは、神学どころじゃなくなりました」と言い出す教師たちが多いことも私はよく知っています。同業者ですので、その気持ちが全く分からないわけではありません。



しかし、はっきり言っておきます。「神学どころじゃない」人は、たぶん「説教どころじゃない」のです。「説教どころじゃない」人は、たぶん「教会どころじゃない」のです。そういう人はたぶん「牧師どころじゃない」人なのです。その人はたぶん、自分の本務とは別の何ごとかに熱心に取り組んでいるのです。



2009年10月30日金曜日

具体的なモデルはある

「お金、お金、お金。」などと書いた途端、今やすっかり悪役キャラでしょう。私はだれから何と思われようと構いませんが(これまでも恥の多い生き方をしてきましたので少し慣れました)、「神学にどうしてそんなにお金がかかるの?」と見ている人々がいるとしたら、その考えを根本的に改めていただきたいという思い余っての「お金。お金。お金。」です。



しかし、私が求めてきたことには、優れた先例とすべき具体的なモデルがあります。それは、東京の信濃町教会様が設けておられる「神学教育助成資金」です。



日本基督教団信濃町教会「神学教育助成資金」
http://www.shinanomachi-c.jp/jyosei.html



このことを日本キリスト改革派教会の教師である私がどうして知っているのかといえば、ネットで検索すれば誰でも探せるという面もありますが、私の場合はその理由ではありません。数年前、ある方の紹介を受けて、私が「代表」をしている研究会の名前で申請してみたことがあるからです(残念ながら落選となりましたが)。



この「神学教育助成資金」の「改革派神学」に特化された制度をつくることが、我々にどうしてできないでしょうか。できないはずがないと考えている私は甘いでしょうか。「盗用」は許されませんが、もしゼロから考えはじめることが難しいとしたら、初動段階では信濃町教会様の模範的先例に倣えばいいのです。「神学」とあるところを「改革派神学」に、また「信濃町教会」とあるところを「日本キリスト改革派教会」なり、「○○中会」なり、「神戸改革派神学校」なりに、それぞれ書きかえるだけです。



あとは、このファンドを管理する委員会を作り、委員長を決めるだけ。初めての取り組みにはさまざまな不安が伴うでしょうから、運営上の問題点をあらかじめ信濃町教会様にご指導いただくこともよし。そこまで行けば、あとはゴーサインを待つばかりです。



信濃町教会様、申し訳ありませんが、以下に引用させていただきます。



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信濃町教会の「神学教育研究資金」



信濃町教会は、神学的自覚に立った宣教と教会形成を促進するため、【神学教育研究資金】を設け、[A]研究助成、[B]出版助成の対象企画を募集いたします。ふるってご応募ください。               



[A]研究助成の対象
 教会と神学に関する個人研究または共同研究



[B]出版助成の対象
 神学上の優れた著作。広く宗教学や精神史の領域にまたがる研究も含みます。
 日本語による原稿で、出版社が決定しているものに限ります (申請は一出版社一点に限ります)。



★ 助成金額
 1件につき50~100万円の範囲で助成いたします。
 なお、「研究助成」の場合、その成果を何らかの形(公刊、報告書、講演)で報告して頂きます。



★ 申請に必要なもの
 ① 規定の申請書(お申し出により郵送)
 ② 出版助成の場合 原稿を3部(コピー)



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(引用終わり)



2009年10月29日木曜日

神学、神学、神学。お金、お金、お金。

前稿は「何のために頑張って来たのかが分からなくなってしまいました」で終わってしまいました。気持ち自体は書いたとおりですが、ここで終わってしまっては、まるで今の私が絶望のどん底にでもいるかのようです。そういうことにしておいて(私が「絶望のどん底にいる」ふりをして)同情者を募るという手を使うというやり方も要検討課題かもしれませんが、そういう姑息っぽいやり方は私のポリシーに反します。



というか、関口という人間は「同情しがいのない人間」であるということが個人的に知っている多くの人に認識されてしまっていますので、同情作戦は完全な無駄骨に終わります。見た目的(みためてき)には私は元気そのものなのです。内心ではどんなに落ち込んでいても、はた目には何事も無かったかのようです。しかし、それはそれは私にとっては突然飛んできたパンチでした。「効いていませんか」と問われれば「いいえ。かなり」とお答えするでしょう。



今年の夏頃のことです。私自身もそのために力を注いできた“小さな神学共同体”が一夜にして崩壊するというひどい目に遭いました。こういうところに個人名を書くわけにはいきませんので詳しいことは何一つ書くことができませんが、どのようなことがあったのかを日本キリスト改革派教会の人たちは知っています。



最愛の妻に言わせると「そんなに簡単に崩れるようなものは、最初から大したものじゃなかったのよ」とのことですので、なるほどそうかもしれないと諦めることにしました。



その意味ではもう諦めたのですから、後ろを振り向きたいとは思いません。まさに「無かったことにする」しかない。しかし、言葉にならない空虚感を抱えて、ひたすらため息とうめき声を吐き出すばかりです。「言葉」が信頼を失ったのです。すると、どうなるか。「あなたがたが何を言っても無駄である。なぜなら、あなたがたの口から発せられる言葉自体がもはや信頼できないのだから」というダッチロール状態に陥り、墜落の一途を辿らざるをえません。



私が求めてきたことは「神学研究の経済的根拠」です。「全額個人負担の神学」が、どうして「教会の学」でありうるのでしょうか。これこそ概念矛盾というのです。



最も理想的にいえば「教会の学(Wissenschaft der Kirche)としての神学」は、中会(presbytery)こそが営むべきです。そして「中会が神学を営む」と私が言う場合の意味は「中会の経常会計から神学研究活動を支出する」ということです。その方法としてともかく思いつくのは、以下の四つの方法です。



■方法1
中会に「改革派神学研究ファンド」(仮称)を設置し、同ファンドを管理・運営する委員会を中会内に設ける。そして神学研究に取り組んでいる人々を同ファンドが(厳正な審査を経て)経済的に支援する。



■方法2
中会に「改革派神学研究委員会」(仮称)を設ける。同委員会は神学研究の場(講演会、シンポジウム、原書講読会など)を自ら提供しつつ、中会内の「神学に関する経済的ニード」(資金不足を理由に頓挫している神学研究者たちのニード)があれば、支援の方法を検討・善処する。



■方法3
改革派神学研修所の「○○教室」を有志で設け、最寄り中会との連携の可能性を模索しながら、自主的な神学活動を続ける。



■方法4
改革派神学研修所または神戸改革派神学校の「エクステンション制度」を利用する。年に数回程度、研修所または神学校から神学教師を派遣してもらい、中会主催の、または自主的な講演会を開く。



ちなみに、これら四つの方法の順序は、上から「お金がより多くかかる順」です。「■方法4」には自己負担的要素はありませんが、自由裁量度は低くなります。



今年崩れ去ったのは、「■方法3」です。いろいろあって、あれよあれよの間に「閉鎖」を余儀なくされました(これが私の憂鬱の原因です)。



しかし、これで終わりではありません。少なくともあと二つの方法が残っていますし、もっと多く残っています。



「お金、お金、お金。」と書きますと、自分がまるで拝金主義者になってしまっているようで本当は嫌なのです。私ほどお金そのものに執着のない人間はいないでしょうに!



しかし、これまで10年間、いえ、19年前に伝道の仕事に就いて以来悩み続けてきたのは、以下の問いです。



「神学研究に真剣に取り組まないかぎり、真の教会は立たない。しかも、神学研究を(非教会的な)大学教授たちの専売特許にさせないためには、とにかく教会の牧師たちが率先して神学に取り組むしかない。しかし、牧師たちには神学研究に必要十分な経済基盤がない。無い袖は振れない。たしかにそうではある。しかし、『無くとも振るべき袖がある』と言わなければならないのも神学である。神学を放棄することは教会を放棄するのと同義語である。ならば、我々はどうすればよいのだろうか」。



これを短く言えば、「神学、神学、神学。お金、お金、お金。」となるわけです。





2009年10月27日火曜日

砂上の楼閣

過去10年間求めてきたもう一つの願いは、我々の神学研究に「経済的裏打ち」が欲しいということでした。「神学、神学、神学」といくら叫び続けても、お金がなければ資料を購入することができないし、パンフレット一冊、自著一冊出版することもできません。資料的裏付けに乏しい本は、出版する価値がありません。紙資源の無駄であり、環境破壊以外の何ものでもありません。神学に関していえば、一冊の本を書くために数百万円規模の基礎資料が必要です。それくらいの費用がかかっていない本は、読む価値がありません。出版費用の問題は「印刷・製本費用」の問題だけではないのです。より深刻な問題は中身のほうです。



しかし他方、「本にならない神学」はいつでも必ず趣味、妄想の扱いです。実際これまで何度となく「関口牧師はなんだかいつもパソコンで遊んでばかりなんですね」と言われて悔しい思いをしてきました。これは私にとって最も言われたくない痛い言葉です。何度も言われてきましたのでいくらか打たれ強くもなりましたが、それでも実はいまだに寝込んでしまいそうなほどきついです。「本にならない字」をどれほどたくさん書こうとも、趣味、妄想のたぐいだと思われてしまうことに変わりはないのです。そういうことは自分自身が一番よく分かっていますので、これを言われると本当につらいです。私の最大の弱点です。



このところ日本のキリスト教出版社が進めている事業のひとつは、絶版となった名著の「オンデマンド化」です。あるいは世界的に見ても、版権の切れた名著の多くがインターネットで全文公開されるようになりました。しかし、我々の場合は、言ってみれば「初めからオンデマンド」です。一度もきちんと印刷・製本されたことがないし、表紙がついたこともない。物笑いの種以上のものになったことがない。



我々の言葉が「本にならない」理由は「お金がないから」です。私が求めてきたことを一言で言えば「改革派神学の日本における地位向上」です。そのために必要なことは「本にすること」です。そして、そのために「神学の研究ならびに出版資金を得るための制度を構築すること」が必要不可欠であると信じ、10年以上頑張ってきたつもりです。



その願いがもしかしたら実現するのではないかと期待できるまで状況が整ったのは、今年の前半のことでした。手が届きそうな距離にやっと近づいたと感じました。



しかし、この願いが、今年の夏頃、無残にも破壊されました。砂上の楼閣はあっという間に崩れ落ちました。そのことが夏以降、私の大きな悩みとなり、物事に取り組む意欲がガクンガクンと減退しています。何のために頑張って来たのかが分からなくなってしまいました。



正面玄関の改装

トップページ(旧「信仰の道を共に歩もう」)の名称を「改革派信仰の新しい視点」に変更し、デザインを更新しました。一応ここ(トップページ)が正面玄関からフロントにかけての場に当たる部分ですので、お客さまにはできればここから入っていただきたいなと思いつつ作りました。



「改革派信仰の新しい視点」
http://www.reformed.jp



mixi退会しました

mixiを退会しました。plaxoも退会しました。ブログの情報量や更新頻度も、これからは大幅に制限していくことにしました。



何度も書いてきましたとおり1998年以降インターネットにかかわるようになった動機は、苦しみと涙をもって地方伝道に従事している牧師と教会員に「神学」に関する情報を提供することでした。



そのために、最初はメーリングリスト、次にブログ、そしてmixiなどSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を用いてみました。その実験に成功したとは思っていませんし、満足感なども一向にありませんが、地方(≠首都圏ならびに大都市部)では得られないような質の情報提供をめざしてきたつもりです。喜んでくださる方々も少なからずいました。



地方伝道の何が苦しいのかといえば、情報不足が苦しいのです。情報格差による孤立感はとにかくひどいものです。他のことは大したことではありません。私も苦しみました。自ら苦しみながら、互いに助け合うことができる方法を模索しはじめました。しかし最初は何をどうしたらよいのか、さっぱり分かりませんでした。インターネットの活用方法が分かりませんでした。それでいろいろ手を出してみました。mixiもその一つでした。



ともかく、いつまでもダラダラ続けるつもりは最初からありませんでした。そろそろ潮時です。



2009年10月21日水曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(3)

私が「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」の反対者であることについては、ブログ上に一度だけ、「基本的立場と主張」というタイトルをつけた文章の中に書いたことがあります。こういうふうにたくさんの文字の中にちょっとだけ書いておけば、誰の目にもとまらず騒ぎも起きないだろうと思いながら、そっと書きました。しかし、反対の理由はそのとき書いた程度の二、三の点にとどまるものではなく、(ルターを模倣して)95カ条くらいは挙げることができます。それほどまでに私はそれに反対しています。1992年に牧師に任職されて以来「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」なることを一度も行ったことはないし、(神学的良心に基づいて)「私は行うことができない」と信じてきました。



2009年10月20日火曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(2)

かつて親しい友人と議論する中、彼が次のように言いました。



「説教のほうはインターネットで聴くことができるが、聖餐式はそうは行かない。したがって、我々が日曜日に教会に集まる意味を失わないための鍵は聖餐式である」。



しかし、私はそのような解決策に対して半信半疑です。どちらかといえば疑う気持ちのほうが強い。はっきり言えば否定的です。「そんなふうにウマい具合に事が運ぶだろうか」と首を傾げています。



半信半疑である(はっきり言えば否定的である)理由の一つは、今のトレンドとしての「病床聖餐式」の流行です。あのようなことが流行しているかぎり、聖餐式の意義の強調による問題解決の道はきわめて疑わしいものであると判断せざるをえません。



「病床聖餐式とは何か」ということについての説明は省略しますが、「聖餐式が行われるゆえに、日曜日に教会に人が集まる」というシナリオとは、ちょうど正反対の方向にあるものです。なぜならそれは、聖餐のデリバリーサービスなのですから。「集まる・集める」ベクトルではなく「散る・散らす」ベクトルにあるのが「病床聖餐式」です。



これを明かすと多くの人から嫌われるのでできるだけ書くのを避けてきたのですが、実を言うと、私は「病床聖餐式」の確信的な反対者です。今の流行が去っていくことを心待ちにしています。



私の「病床聖餐反対論」の詳細な内容を親しい人たちは知っていますが、激論を起こしかねないのでこういうところには書かないでおきます。もし個人的にお会いする機会があれば(「もしあれば」です)そのときお話しいたします。逃げも隠れもいたしません。



「病床訪問」が教会役員(牧師、長老、執事)の重要な務めであることは確実です。この点に議論の余地はありません。しかし、それが「病床聖餐式」とセットであることの必然性は全くありません。そのあたりが大抵いつもゴチャ混ぜにされるので、冷静な話ができなくなります。



2009年10月19日月曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(1)

「新しい時代の宣教」と題するサイトは、深く広く展開していける自信を持てなくなりましたので廃止しました。



ただ、「インターネット時代の宣教」という点の問題意識を失ったと言っているのではありません。“書かざるをえない衝動”のようなものを感じるときに、随時、この日記に書いていくことにします。



ともかくしきりと考えさせられていることは、言うならば、バランスのとり方のようなことです。



今の「若い人」(※)は、情報のほとんどの部分をインターネットから得ていると言っても過言ではないほどなのです。その人たちにとっては、インターネット内の「公の場」(ブログ、SNSなど)に何も書かないとしたら「何も言っていない」のと同義語なのです。



※日本の教会では70歳くらいの方まで「若い人」と呼ばれることがありますので慎重に言葉を選ぶ必要がありますが、ここでは一応40台くらいまでの人たちのことを言おうとしています。その中には私自身も含めています。



しかし、そのときにこそ考えさせられることは、「教会をブログ化してしまうことができない理由は何か」です。もしそれが何もないとしたら、いわゆる「教会」は不要になります。ブログの書き手と読み手だけで、すべてが成立してしまいます。日曜日に教会堂またはどこかの建物に集まることの意味がもしあるとしても、それはいわゆるインターネット用語で言うところのただの「オフ会」になってしまいます。教会は「情報を得る場」ではなく、純粋に「視認と親睦の場」となります。



しかし、日本の教会の中で昔から(少なくとも私が子どもの頃から)繰り返し使われてきた(が、私は嫌いな)表現は「聞きに行く」です。何のことかといえば、「日曜日に教会の礼拝に出席すること」です。何を「聞きに行く」のかといえば、「牧師の説教」です。つまり、礼拝に出席するとは「牧師の説教を聞きに行くこと」を意味していたというわけです。礼拝の他の要素に関心が無かったのです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも。そういうのはウザいと。今でも「聞きに行く」という言葉をたまに耳にすることがありますので、同じ見方が教会の中で思わず知らず伝承され、再生産されているのだなと感じます。



事実、再生産されているのだと思います。「聞きに行くこと」こそキリスト者が日曜日にすることであると考えてきた人々にとっては、いまは「教会」の存在は不要になってしまっているはずです。なぜなら、パソコンを開きさえすれば、日曜日の朝の数時間を用いて教会堂まで(苦労して)移動して得られるよりもはるかに膨大かつ「正確な」キリスト教に関する情報を得られるからです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも、そのような“ウザい”要素は一切抜きにして、自宅の快適な環境で、ひとりコーヒーでもすすりながら、あるいはベッドに寝そべりながら、「聞きに行くこと」が、インターネットによって可能になってしまったのです。



この趨勢は止められません。止められないからこそ、上記のとおり「バランスのとり方」を考えざるをえなくなります。



私の問いは、「この趨勢の中で牧師は何をすべきか」です。繰り返しいえば、今の「若い人」にとっては、自分のブログを持たない牧師は「何も言っていない」のと同じです。実際たとえば、私がブログやメールを書けない期間が続いたりでもすると「病気にかかられたのですか」と本気で心配していただくことがあるほどです。



だから、牧師もブログを始めざるをえないし、始めた以上続けざるをえない。私がブログを続けているのは、これ、別に、私のひまつぶしではありません。私の言葉を伝えるためにはこの方法以外にはありえない人々が大勢いることが分かっているので、続けているのです。



しかし「牧師のブロガー化」の行き着く先は、日曜日に集まる意味の喪失です。そのことも痛いほど分かっているつもりです。



実際「日曜日に集まる意味など何もない」と考えている人が多いからこそ、日曜日の教会堂はどこも閑散としているのです。日曜日の教会堂が閑散としているのを寂しいと思っているのは牧師も同じです。



このように書くと「別に我々は、牧師に会いに行くために教会に通っているわけではないし、まして牧師を喜ばせるためなどではありえない」という反発を招くだけかもしれませんが(そのような反発を期待したいくらいですが)、もしその要素が完全に否定されるべきなら、牧師は要らないのです。「牧師がいない」という問題で悩み苦しんでいる(いわゆる無牧の)教会の労苦はむなしいものだということになります。



それほど遠くない将来には、パソコンの前に座ってブログを書くだけの牧師(かどうかも分からない人)だけが存在意義を持つようになるでしょう。そのようになって(して)しまってはならないと私自身は(いまだに)信じているので「パソコンの前に座ってブログを書きながら」悩んでいるのです。



2009年10月18日日曜日

わたしの命を守ってくださる方


ヨハネによる福音書8・1~11

「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者たちは、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」

今日は松戸小金原教会の特別伝道集会です。毎年10月にこの集会を計画し、地域の方々にチラシを配ってご案内させていただいています。今日初めて教会の門をくぐってくださった方々を心から歓迎いたします。どうかよろしくお願いいたします。

さて、今日、皆さんと共に行いたいと願っておりますことは、聖書のみことばを学ぶことです。今お読みしましたのは、新約聖書のヨハネによる福音書8章のみことばです。この個所にはたくさんの人が登場します。まずわたしたちの救い主イエス・キリストが登場いたします。二番目にイエスさまのところにひとりの女性を連れて来た大勢の人たちが登場します。そして三番目にその人々に連れて来られたひとりの女性が登場します。

このときイエスさまがなさっていたことは、エルサレムの神殿の境内で、多くの人々の前で、聖書に基づいて神を信じて生きるとはどのようなことであるかをお話しすることでした。つまり、今ここで私がしていることと同じです。ただし、私は今、立ってお話ししていますが、イエスさまは座ってお話ししておられたと書かれています。

そのイエスさまの前に大勢の人々が、どやどやと押しかけてきました。イエスさまのお話を聞いていた人々ではありません。イエスさまが話しておられるのを多くの人々が静かに聞いているその場所に、その話の邪魔をするために、異様な雰囲気の人々が押しかけてきたのです。

その人々がイエスさまのところに来た目的が6節に書かれています。「イエスを試して、訴える口実を得るために」、つまり、彼らはイエスさまの話を聞く気などさらさら持っておらず、ただイエスさまを試すために、イエスさまを罠にかけるために、その場所に押しかけてきたのです。

そのためにこの人々がしたことは、ひとりの女性を連れてくることでした。連れてくるといっても、「どうぞこちらにおいでください」というような紳士的な態度ではなく、服かあるいは髪の毛かでもつかんで引きずって来るというような乱暴な態度で、女性を引っ張って来たのです。

その女性は「姦通の現場で捕らえられた女」(3節)であったと書かれています。捕らえられたとき、あるいはイエスさまの前に引きずって来られたときに、この女性がどんな姿であったかは書かれていませんので分かりません。もしかしたら裸同然だったかもしれません。どのような連れて来られ方をしたかにもよりますが、多くの人々の前に立たされること自体が、本人にとっても、彼女を見る人々にとっても、耐えられないような姿だったのではないかということは容易に想像がつきます。

連れて来た人々は、得意そうな顔をしていたはずです。現行犯逮捕でしたと。疑いの余地はありませんと。また、この女性が連れて来られたときに、イエスさまのお話を聞いていた人々の中にもその女性の姿を興味津津で眺めた人々もいたはずです。ゴシップ記事に興味が集まることは今に始まったことではなく、いつの時代にもあることです。

そして彼らは言いました。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

彼らが言っていることは正しいことです。正しすぎるくらい正しい。なるほどたしかにイスラエル社会では、いわゆる姦通罪は重罪でした。法律的には死刑に値するものでした。しかも、この女性は現行犯でした。現場を押さえられたとなると、言い逃れの余地はありません。

この女性を連れて来た人々の言い分としては、こいつは最悪の罪を犯した人間であり、言い逃れの余地もない状態で押さえられたのだから、どんなに乱暴に扱おうと、公衆の面前にさらそうと構いやしないとばかりに、引きずり出したのです。

しかし、彼らの関心は、この女性をどうするかということ自体には無かったということは、先ほど申し上げたとおりです。彼らの関心は、イエスさまを試すことでした。別の言い方をすれば、イエスさまの化けの皮をはがすことでした。このイエスという人は、なんだかきれいごとを言っているようであるが、本当は違うのだと。

そして、そのことは、この現行犯で捕まった、死刑に値する罪を犯した人間をどのように扱うかを見れば分かる。もし「死刑にすればよい」と言えば、このイエスがいつも言っている愛だの罪の赦しだのというきれいごとは、たちまち崩れてしまうであろう。また、「死刑にしてはならない」と言えば、この男もこの女と同罪である。法律を無視し、罪人に加担する、ひどい人間であると告発することができる。さあ、どっちだと、彼らは手ぐすね引いてイエスさまがどう答えるかを待ちわびたのです。

さて、イエスさまの答えは何だったでしょうか。ここには二つのことが書かれています。私はそのように理解します。第一に書かれているのは「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」ということです。これがイエスさまの答えであると私は理解します。何も答えていないではないかという見方も、当然ありえます。実際、イエスさまは何も答えておられません。私が申し上げたいことは、要するにそういうことです。つまり、「何も答えない」という答え方があるということです。

イエスさまはしゃがみこまれ、指で地面に何か字を書かれ始めました。何を書かれたのでしょうか。はっきり言いますが全く分かりません。ここにはイエスさまがどんなことをお書きになったかを証明するための根拠は何一つありません。

ところが、実はいくつか説があります。それは、私に言わせていただけば全くデタラメな説です。その中で「こんなことをよく思いついたものだ」と感心しながら読んだ説を、一つだけ紹介します。それは、このときイエスさまがお書きになったのは、旧約聖書の次の御言葉であるというものです。それは「あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人になってはならない」(出エジプト記23・1)と「罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない」(出エジプト23・7)であると。

しかし、これは本当にデタラメな説です。彼女の罪は、現場を押さえられたと言われている以上、疑いの余地のないものだったはずです。彼らは確かなる根拠をもって連れて来たのであり、罪ある人、正しくない人を連れて来たのです。そのことを、詭弁を使って、ごまかしてはいけません。

事実として言えることは、このときイエスさまが何をお書きになっていたかはわたしたちには全く分からないということです。そしてそれに加えて申し上げたいことは、わたしたちはそれを知る必要もないということです。私も今からデタラメなことを言います。最も考えられる可能性として言えることは、おそらくイエスさまは、何か意味のあることをお書きにならなかったのではないかということです。昔のイスラエルに「へのへのもへじ」は無かったと思いますが、それに似たようなことではないでしょうか。そのように考えるほうが、はるかに当たっていると感じます。意味ある言葉を書く必要など全く無かったはずです。彼らを無視すること、相手にしないことこそが、イエスさまの目的であったと思われるのですから。

それどころか、イエスさまは彼らのほうを向いてさえおられません。目を合わせることもしておられません。下を向いて、地面に落書きをされていたのですから。わたしたちなら、アンパンマンの絵でも描いたらいいのです。そのような“抵抗”の仕方が、わたしたちには可能です。

もう一つの点に進みます。今度こそはイエスさまがきちんと口を開いてお答えになった言葉です。彼らがしつこく問い続けるのでイエスさまは身を起こされ、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とお答えになりました。

このお答えは、これを聞く人々の側でいろんな意味を持ちはじめる言葉だったと思われます。どうとでも解釈できる言葉です。ただし、この場面で直接問題になっていることが姦淫でしたから、その意味で考えた人もいたはずです。「あなたたちの中で、おくさん以外の女性に興味を持ったことが一度もないと言える人がおられるのであれば、どうぞその人から順にこの女性に石を投げて、この女性を打ち殺しなさい」と。

このイエスさまのお答えは「あなたがたに、この女性についてとやかく言う資格がありますか」という逆質問であると理解することも、もちろん可能でしょう。しかし、もう少し深く考えてみる必要がありそうです。なぜなら、ここで問題になっていることは死刑だからです。死刑とは、一人の人間の命を断つことです。「もう二度とこんなことはしません」と反省する余地を与えないことです。そのことを、あなたがたにできますかと、イエスさまは問うておられるのです。ただ単に、どうせあなたたちにもやましいことの一つや二つあるのだから、人を裁く資格などないはずだと言っておられるのとは違うものがあると思われるのです。

ここまでお話ししますと、皆さんの中には、さあこれから関口さんは死刑反対の演説でも始めるのではないかと思われる方がおられるかもしれませんが、今日はそういう話をしたいのではありません。もう少し身近なこと、あるいは日常的なことです。それは、わたしたちが毎日のように体験していることです。

それは、ある人が誰かから責められているときに、どうしたら助けてあげることができるかです。もちろんその場合、責められても仕方がないようなことをした人のことも含まれます。しかし、その人々の中には、死刑にならない場合でも、自分で命を絶とうとする人もいるはずです。責められて、責められて。生きている価値もないと罵られて。周りのすべての人に追い詰められて。

もちろん、わたしたち自身にも、どうしても赦すことができない人がいるという場合もあります。徹底的に責め抜くこと。わたしたちの追及によってその人が追い詰められようと、その先どうなろうとお構いなしに。あるいはまた、わたしたち自身が責められる立場に立つこともあります。長い人生の中で、何度となく。

しかし、そのときに、体を張ってわたしたちの命を守ってくださる方がおられるとしたら、どうでしょうか。イエス・キリストは、この女性の命を守ってくださったのです。悪意に満ちた人々と興味本位の野次馬たちと、このわたし、彼女自身との間に挟まってくださることによって。

彼女もまた、多くの人々の前で罪を暴露された以上、人々が死刑にしなかったとしても、自分で命を断つという道を選んだかもしれません。もし、彼女をかばってくれる人が誰もいなかったとしたら、です。彼女の言い分に耳を傾けてくれる人が一人もいなかったとしたら、です。

私が今日皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんは、そのようにして皆さんのことをかばってくれる方を持っておられるでしょうかということです。おくさん、またはだんなさんは、どうでしょうか。子どもさんたちはどうでしょうか。私は別に、皆さんのご家庭に不和をもたらそうとしているわけではありません。けんかしないでください。しかし、家族は最後の最後に頼れますか。頼れるならば、もちろん幸いなことです。しかし、わたしたちが知っている現実は必ずしもそれだけではありません。むしろ決して少なくないケースは、家族の誰かのことで家族全員が第三者から責められる立場に立たされたりすることになるというようなことだったりする。あるいは家庭内に不和があり、互いに責め合うことこそが日常茶飯事になっていたりする。

会社はどうでしょうか。町内会はどうでしょうか。学校時代の同級生や同窓生はどうでしょうか。最後の最後まで皆さんをかばってくれるでしょうか。

私に限ってはそういう人が思い当たりません。友達が少ないなあと思っています。家族は味方してくれると信じていますが、甘いかもしれません。他でもない私自身が家族を傷つけている張本人かもしれませんので。

しかし、私は、それでも生きていくことができます。イエスさまを信じているからです。最後の最後までイエスさまは私をかばってくださると信じているからです。このイエスさまの前で生きているかぎり、ひどい罪を犯すことはできないと自分に言い聞かせることができる。そして私もイエスさまにかばっていただいている者なのだから、責められている人をかばって生きていこうと決心することができます。

困ったときには、どうぞ教会を訪ねてください。皆さんにとって耳触りのよい話ばかりできるわけではありません。罪は罪です。イエスさまがこの女性に最後におっしゃったように「これからはもう罪を犯してはならない」と言わなくてはならない場面もあるでしょう。自分の罪を悔い改めることからしか始めることのできない新しい人生というものがあるのです。

しかし、ひとりで思い詰めないでください。絶望しないでください。生きることをあきらめないでください。わたしには教会があると信じてください。

責める人々の前で、私が地面に何の絵かを描いてみても、それ自体が何の解決にもならないことは分かっています。しかし、皆さんと共にイエスさまが生きておられます。そのことを信じていただくときに必ず道は開けます。イエスさまが皆さんの側に立ってくださり、皆さんの命を守ってくださいます。そのことをどうか信じてください。

(2009年10月18日、松戸小金原教会特別伝道集会)

計画変更です

オランダで2007年より刊行が続いている新訂版『ファン・ルーラー著作集』の未刊分の計画が、このたび大きく変更されました。この件が出版社サイトを通して発表されました。全8巻(11冊)にするとしてきた従来の予定が、全9巻(12冊)になったようです。しかも、第八巻として「説教と黙想」が収録されることになりました。これはとても素晴らしいことです。



巻数を増やすことになった理由は、たぶん間違いなく既刊分(第一巻から第三巻まで)の売れ行きが良いからだと思います。もしかしたら『著作集』の今後の売れ行き次第では、第八巻も二冊ないし三冊くらいまで分冊を出しましょうということになるかもしれません。ぜひそうなってほしいです。



ファン・ルーラーの説教や黙想は存命中から(ある意味、彼の神学以上に)高い評価を与えられてきたというのは、この筋では有名な話です。「『著作集』に説教や黙想を収録する予定はない」と主張してきた従来の出版計画に大いに不満を感じてきただけに、嬉しさひとしおです。



『ファン・ルーラー著作集』全巻タイトル
http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=663



Deel 1 De aard van de theologie (prolegomena)
Deel 2 Openbaring en Heilige Schrift
Deel 3 God, schepping, mens, zonde
Deel 4 Christus, Heilige Geest en het heil
Deel 5a en b   Koninkrijk, apostolaat en kerk
Deel 6a en b Politiek, staat en theocratie; Ambt en oecumene
Deel 7 In gesprek: relatie Rome-Reformatie en theologen/filosofen
Deel 8 Preken en meditaties
Deel 9 Register en archiefverwijzingen



2009年10月16日金曜日

バルトとハルナックの論争について

以下は本日、ある牧師に送ったメールの内容です(ブログ公開用に若干修正しました)。



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カール・バルトとアドルフ・フォン・ハルナックの論争を初めて知った場所は、東京神学大学2年生(1985年、19歳)のときに受講した大木英夫先生の「教義学講義」ですので、24年前です。当時は日本語版訳者の水垣渉氏なる方の存在を(名前も)知る由も無かった頃です。



1985年当時は新教出版社版『カール・バルト著作集』既刊巻の初版がだいたい完売した頃だったようで、キリスト教書店の本棚には新刊として第八巻と第十巻が並んでいるだけで、後のすべては非常に入手困難であったことを懐かしく思い起こします。



とくに第一巻は人気があったのか、古本屋で見かけることが滅多に無く、たまに見つけると一万円近い値段がついていたりするシロモノでした。私が持っている第一巻もかなり苦労して古本屋で買ったものです。外の箱がついていないものでしたが、九千円くらいしたはずです。



さて内容に関してですが、先生のおっしゃる「バルトとハルナックのどちらが言っていることも正しい」という点は同感です。ただ、結論の部分に今の私の考えと違うところがあるというか、よく考えてみる必要があると思っている点がありますので、ちょっとだけ書かせていただきます。二点あります。



第一点は、「ただし」以下にお書きになったことです。「どちらも結局、『これが学問的だ』『これが聖霊の導きだ』と言いながら、主観的な言葉に陥っていく危険から逃れられないと思いました」とおっしゃるときの「主観的な言葉」はおそらくネガティヴな意味でおっしゃっているはずです。しかし、「主観的な言葉」のどこが悪いのでしょうか。ここに疑問を感じました。



私の長年の問題意識は「(大学の)学問は客観的なるものであるが、(教会の)信仰は主観的なるものである」→「客観的なるものこそ真理であり、主観的なるものは虚妄である」→「したがって、大学教授になることこそ栄誉であり、田舎牧師のままの一生は悲惨である」という図式をこそ問題にしなければならないというものです。この図式を丸呑みするくらいなら首吊って死ぬ方がましです。



現代思想のトレンドを見ても、純粋な意味での「客観性」を言い張る人々は物笑いのネタにされるのが落ちです。少し目が覚めている人々は「相互主観性」(inter subjectivity)ということを必ず言います。私もそのトレンドに同意しています。



現実に可能なことは、すべての人が「主観的なること」を主張し合うことだけであり、それを互いに調整し合うことによってなるべく普遍的な一致点を見いだしていくしかないのです。その意味ではノーベル物理学賞受賞者の学説も「単なる一つの主観的見解」にすぎません。



第二点は、先生に対する疑問ではなく、引用してくださった岡田稔先生の見解に対する疑問です。



なるほど、岡田先生は『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)で、バルトとハルナックの論争の解決の糸口を「キリストの二性一人格論」に求め、問題解決の模範を四世紀のアウグスティヌスに見いだしています。そして、この岡田先生の解決方法を日本キリスト改革派教会が60年間守り続けて来たのだろうということは、容易に想像できることです。



しかし、この道が問題解決になるとは私にはどうしても思えません。そのように言いうる根拠は以下の二つです。



第一の根拠は、バルト自身がハルナックとの論争後、とくに『教会教義学』の中で求めた道がまさに「キリストの二性一人格論」(「キリスト両性論」でも同じ)における解決であったということです。まさにこの解決方法をこそバルト自身は「キリスト論的集中」(Christological concentration)と呼びましたし、同じことをバルト神学に批判的な人々(この中にファン・ルーラーが含まれます)は「キリスト一元論」(Christ monism)と呼んだのです。



すると、どうなるか。バルト研究者たちは、ハルナックと論争した頃のバルトを「初期バルト」というカテゴリーの中に押し込み、『教会教義学』執筆中のバルト(後期バルト)と区別します。その上で、彼らは次のように説明するでしょう。



「ハルナックとの論争を経たバルトは、キリストの二性一人格論(「キリスト両性論」でも同じ)に信仰と学問との(キリスト教的に)正しい関係を構築するための根拠を見出した。それゆえ岡田氏のバルト批判は当たっていない。アウグスティヌスからカルヴァンへと受け継がれたキリスト教の『キリスト論的な』正統路線は、カール・バルトとバルトの後継者にこそ受け継がれた。的外れな言葉でバルトを批判する岡田氏の一派は、『立場はともかく論は稚拙』である」。



これで岡田説はパーです。



キリストの二性一人格論はバルト‐ハルナック論争の解決にならないと私が考えている第二の根拠は、お察しのとおり、ファン・ルーラーの「キリスト論的視点と聖霊論的視点の構造的差異」についての議論に依拠しています。



キリストの二性一人格論の構造を考えていくと、その「神性」と「人性」は常に対立関係にあるものとしてしか描きだすことができません。しかもその関係のあり方は「受肉」(assumptio carnis)の関係、つまり「永遠のロゴス(言)がサルクス(肉)を摂取した」というものです。そして、その「サルクス(肉)」には、それ自体で自立した「人格」はありません。サルクスは、肉屋に売っている(焼肉の材料と同じ)あの「肉」と同じ物体にすぎません。



すると、どうなるか。「キリストの二性一人格論」に基礎づけられた信仰と学問の関係性は、最終的にはすべての学問を「教会の御用学問」とみなすしか無くなります。もし我々が「サルクスをまとった永遠のロゴス」こそすべての学問が追い求めるべき普遍的な永遠の真理であると考えるならば、です。「神学は諸学の女王であり、諸学は神学の婢である」というあれです。



この論理を神学が抱え込み続けるかぎり、神学の諸学に対する軽蔑心が半ば必然化し、神学者たちを超然化します。「諸学の徒よ、お前らは何も分かっちゃいねえ。我々神学者こそが万物の全真理の把握者である」とでも言いたいかのよう。一種の独裁者(裸の王さま)が教会内を跋扈し続けるでしょう。ともかくこの道は非常に危険なものです。



我々が追い求めるべき道は、「キリスト論的集中」(キリストの二性一人格論への固執)に基づく神学の諸学に対する侮蔑ないし超然化の道(この点ではバルト神学も岡田神学も行き着く先は同じです)ではなく、むしろファン・ルーラーの提案する「三位一体論的・聖霊論的な解決方法」に基づく神学と諸学の共存ないし共生の道であるだろうと、今の私は信じています。



三位一体論的・聖霊論的に考え抜いて行くならば、「神性」と「人性」の関係は対立的な関係ではなく、「友情」にあふれた関係であるということを明らかにすることが可能です。その関係のあり方は「内住」(inhabitatio Spiritus sancti)、つまり「神が人間の内に居まし、人間と共に住んでくださること」なのですから。「友情」(amicitia アミシティア)は、17世紀のヨハネス・コクツェーユスが用いた概念です。



2009年10月15日木曜日

新しい時代の宣教

「新しい時代の宣教」と題するサイトを新設しました。はじめのことばを書きました。



「新しい時代の宣教」URL
http://apostolaat.reformed.jp



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教会の課題としての「新しい時代の宣教」



21世紀になってまもなく10年。この10年間で我々の生活環境は大きな変貌を遂げました。私見によれば、とりわけインターネットの普及が我々にもたらした変化は甚大です。



人間の表現手段の中にこの新しい選択肢が加わったことによって、我々の思想や内的感情のみならず、外面的な生活形態までが良い意味でも、しかし悪い意味でも「変質した」と言わざるをえません。



世界のありとあらゆる情報が、パソコンの前にじっとしたまま全く動かずにいる我々のもとに大量に舞い込んでくる時代になったのですから。「もっと体を動かせ」「外の空気を吸え」と、インターネットを通して教えていただく時代になったのですから。



体を動かさず、外の空気を吸わなくとも、文字や写真や映像などの情報、あるいは著名な思想家の提供する学説や研究成果のほとんどが得られてしまう時代における宗教と教会の役割とは何でしょうか。



この問いは、我々にとって真剣かつ深刻なものでありえます。ここで「我々」とは日本のキリスト教会に仕える者たちです。ぜひ一緒に考えていただけませんか。



2009年10月14日水曜日

ファン・ルーラー研究会結成八周年記念メッセージ

ファン・ルーラー研究会の皆様、



去る2月20日(火)はファン・ルーラー研究会の結成八周年の記念日でした。毎年、同日には記念メッセージを書かせていただいて来ましたが、今年は意図的に、少し遅らせました。



実を言いますと、明日、3月6日(火)に、われわれファン・ルーラー研究会の「顧問」(adviseur)である牧田吉和先生の「神戸改革派神学校教授・校長退任記念最終講義」が、神戸改革派神学校で行われるのです。



牧田先生は、ファン・ルーラー研究会の結成の最初期から、ずっと「顧問」をしてくださいました。神戸改革派神学校では20年間の長きにわたり、校長を務めてこられました。その20年間の後半8年間を、神学校長の激務の中にもかかわらず、われわれファン・ルーラー研究会のご指導をも、喜んで引き受けてくださいました。



わたしがはっきり申し上げることができることは、牧田先生がおられなかったら、ファン・ルーラー研究会は、誕生もしなかったし、八年間も存続し続けることもありえなかった、ということです。



牧田先生はたいへん謙遜な方ですので、「関口さん、そんなこと言わなくてもいいよ」とか何とか言ってくださるような気もするのですが、少なくとも私は、牧田先生の存在を支えにして来ましたし、他の多くの本研究会メンバーも、同じ気持ちであろうと信じています。



牧田先生は、今月、神戸改革派神学校の校長職・教授職を退任され、来月からは高知県にある「日本キリスト改革派山田教会」の牧師になられます。



牧田先生は、牧師に戻られてからもファン・ルーラー研究会の「顧問」であることに変わりはありませんし、いやいや、それどころか、翻訳活動に関しては、これからが本番と考えておられます。



われわれ、ファン・ルーラー研究会の側からすれば、この日(牧田先生の神学校長退任の日!)を心待ちにしていた、という面もあるほどです。



ファン・ルーラー研究会八周年。「八」という数字を見ると、早く「十」にしたいと思うのは私だけでしょうか。まだ一冊の書物もキリスト教書店に並べえていないことを毎年謝罪し、悔いているものですが、「十」の数字を見る頃には驚くべき変貌を遂げていたいと願う今日この頃です。



今年の8月には、われわれの研究会とは姉妹関係にあるアジア・カルヴァン学会主催の「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」が東京で行われます。心から期待し、また応援したいと願っております。



皆様、どうかこれからもよろしくお願いいたします。とくに牧田先生、長年の任務でお疲れのことと思います。くれぐれもご自愛くださいませ。そして、ファン・ルーラー研究会を、これから一層、よろしくお願いいたします。



(2007年3月5日)



ファン・ルーラー研究会結成十周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、



昨日は本研究会の「結成10周年記念日」でした。そのようなおめでたい日にもかかわらず、夜遅くまで外出しておりましたので(青山学院大学で「カルヴァン生誕500年記念集会実行委員会」を行っていました)、毎年恒例の「メッセージ」を日付が変わるまでの間に、書くことができませんでした。どうかお許しください。

さて、結成10周年の記念としてファン・ルーラーの講義を一つ翻訳しましたので謹んでご紹介いたします。予定論の講義です。おそらくは本邦初訳です。訳文を現在アペルドールン神学大学修士課程留学中の石原知弘先生にチェックしていただきました。石原先生に心より感謝いたします。

ファン・ルーラー研究会、これからも続けていきます。皆さま、どうかよろしくお願いいたします!

(2009年2月21日)



ファン・ルーラー研究会結成九周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、本日は、研究会結成9周年の記念日です。毎年、記念メッセージを書かせていただいていますので、今年も書きます。



○昨年2007年は、わたしたちにとって大きな動きを感じられた年でした。主な動きは以下のとおりです。



(1)8月には、教文館からファン・ルーラーの三冊目の訳書として『キリスト教会と旧約聖書』(矢澤励太先生訳)が出版されました。この本についての素晴らしい書評を牧田吉和先生が『本のひろば』にお書きになりました。



(2)9月には、二年ぶりとなる我々の研究会の「神学セミナー」を日本基督教団頌栄教会で開催することができました。牧田吉和先生が「ファン・ルーラーの喜びの神学」について力強い講演をしてくださいました。



(3)また同月、アメリカのニューブランズウィック神学校で「国際ファン・ルーラー学会」が開催され、アメリカのファン・ルーラー研究者が一堂に会しました。



(4)さらに同月、ついにオランダで新しい『ファン・ルーラー著作集』の第一巻が出版されました(第二巻は今年4月出版予定です)。その『著作集』第一巻の「編集者序」の中に「日本にファン・ルーラー研究会(Van Ruler Translation Society)がある」ことが大々的に紹介されました。『著作集』で紹介されたということは、それが収められる全世界の大学や神学校の図書館にも、我々の研究会の名前が永久に覚えられることになったことを意味しています。



(5)そして、その『著作集』出版記念祝賀会の席で、ファン・ルーラーの息子さんであるケース・ファン・ルーラーさんが、牧田先生がファン・ルーラー家を訪問されたときのエピソードをオランダの碩学たちの前で紹介してくださいました(その音声がインターネットを通じて世界的に紹介されました)。



○日本語版『ファン・ルーラー著作集』の実現の夢はまだ叶いませんが、コツコツとした活動は、続けています。



(1)たとえば、昨年は、日本キリスト教会神学校の紀要『教会の神学』に栗田英昭先生の「ファン・ルーラーの聖霊論におけるキリストとの神秘的合一」と題する堅実な研究論文が掲載されました。



(2)また私も、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に「地上における神のみわざとしての教会」という論文を書きました。日本基督教団改革長老教会協議会の『季刊 教会』誌にも「改革派神学・長老主義・喜びの人生」という論文を書きました。



○さらに、我々ファン・ルーラー研究会の少し先輩である「アジア・カルヴァン学会」にも、昨年は大きな動きがありました。



もちろん、言うまでもなく、東京代々木・青少年センターで行われた「第10回日本大会」の開催です。世界最高レベルのカルヴァン学者、ライデン大学のヴィム・ヤンセ教授をメイン講師にお迎えし、日本、韓国、台湾、インドネシアから約100名の参加者が東京に結集しました。



○今年の抱負も少し述べておきたいと思います。現在計画中なのは、念願の日本語版『ファン・ルーラー著作集』への道備えとしてのいくつかのステップです。以下のようなことを計画し、具体的に動きはじめています。



(1)「ファン・ルーラー研究会シリーズ」(仮称)の自費出版(発売元を著名な出版社に依頼する計画です)



(2)著名な雑誌へのファン・ルーラーの訳文(訳注・解説つき)の連載



(3)神学セミナーの開催(これは毎年一回開催を原則としてきたものです。内容・日程等は未定)



(4)なお、今年2008年12月10日(水)は、ファン・ルーラー生誕百年記念日です。当日、アムステルダム自由大学で記念講演会が行われます。メイン講師はユルゲン・モルトマン博士です。日本からも参加できる人がいるとよいのですが。



(5)あとは、オランダ語の翻訳にひたすら取り組むこと、そして同時に、繰り返し問われる「なぜ今、日本でファン・ルーラーなのか」という問題にきちんと答えられるように、我々自身の研究と洞察を深めていくことだと思っています。



○メーリングリストは、このところ少し低調気味ですが、これを「命綱」と感じてくださっている方々もおられることを知っております。ありがたく感謝いたします。



どうかこれからもよろしくお願いいたします。どなたもお元気でお過ごしくださいませ。



(2008年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成七周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師) 



本日(2006年2月20日)は、ファン・ルーラー研究会結成7周年記念日です。結成記念日(メーリングリスト立ち上げ日)は、「1999年2月20日」と定めております。



毎年の今日、本研究会の一応「代表」である者が「記念メッセージ」なる一文をしたためてまいりましたので、それを慣わしとし、今年も繰り返したいと思います。



わたしは、とくに選挙をするでもなく、自称「ファン・ルーラー研究会代表」になりました。これを名乗り始めた時期は、忘れました。が、おそらく1999年か2000年のことだと思います。



じつを言いますと、清弘剛生先生とわたしが牧田吉和先生のお宅を訪問し、「ファン・ルーラー研究会の代表になってくださいませんか」とお願いしたことがありました。



そのとき、牧田先生が、「いや、そういうことは、あなたたちがやりなさい」とおっしゃったので、「はい、分かりました。自分たちでやります」と、わたしは「代表」、清弘先生は「書記」を自称することになった次第です。



しかし、今となって思うことは、人の肩書きというのは、じつに面白いものである、ということです。その肩書きを長らく名乗っているうちに、だんだんそういう者になっていく、という面があるのだなあと、今さらながら、実感しております。



わたしが今、自分にとって心底から“名誉”を感じることができる肩書きは、「日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師」であることと「ファン・ルーラー研究会代表」であることだけです。とくに後者のほうは、7年経って、やっとそういうものになりました。



「日本キリスト改革派教会」や「松戸小金原教会」については、大先輩たちが創設したものを受け継いでいるだけですし、まだ何かを語りうるほどの年月が過ぎていません。



しかし、「ファン・ルーラー研究会」については、私物化するつもりは毛頭ありませんが、ただ一点、わたしは、この研究会の結成の最初の日から関わって来、かつ、これまでほとんどすべてのお膳立てをさせていただいた、ということだけは語りうると思っています。



最近はやっと、いろんな方々が、自由に投稿してくださるようになりました。しかし、最初の頃は、“まさにすべてが自作自演の日々”でした。その頃のことを、よく覚えておられる方も多いと思います。



そういう者として、わたしが今まさに感じていること、というか、やっと最近そう思えるようになったことは、何か。



「ファン・ルーラー研究会を作って、本当によかった!」ということです。



何が「よかった!」のか。いろいろあるのですが、いちばん大きなことは、当たり前のことですが、皆様と知り合えたことです。



わたしは、皆様には、本当に感謝しております。牧師などをしておりますと、人知れず大きな重荷を抱えて心理的・物理的重圧に耐えかねていることが実は多々あるのですが、そういうときに届く「VR研メール」に救われたことが何度もあります。



ここに投稿してくださるお一人お一人の名前を挙げて感謝を述べたいところですが、名指しは、嫌がられる元ですので、控えます。でも、それくらい、皆様お一人お一人に感謝しております、ということを、御理解いただけますとうれしいです。



また、「皆様と知り合えたこと」の中には、個人的なつながりの面もありますが、また、いくつかの団体や組織とのかかわりの面も出て来た、ということも、わたしにとって大きな恵みでした。



最近の動きで特筆すべきことは、何と言っても、「アジア・カルヴァン学会(日本支部)」の皆様とのかかわりです。



同学会の世話人会は、2007年8月21日(火)〜23日(木)に東京で開催予定の大規模な会議の準備会が開かれるたびに、わたしのごとき者にも陪席を許可してくださっています。



これはもしかしたら、「ファン・ルーラー研究会代表」が何らかの存在意義を持ちうるようになった証左かもしれません。いずれにせよ、アジア・カルヴァン学会の皆様には、どれだけお礼を申し上げても足りないほど、感謝しております。



また、その他にも、現時点ではまだ、公にご紹介できない動きが、いくつかあります。



これまで何度も、「今年こそ」「今年こそ」と言いながら、皆様の期待を裏切ってきた者が、「ご期待ください」と書くのは、おこがましいことであり、心苦しいことでもありますので、申し上げません。しかし、まもなく、なんらかの形あるものを提供できるのではないかという確かな感触があります、ということだけ、お伝えしておきます。



しかし、です。



以下に申し上げることは、以前から明言しているわたしの“公約”です。



それは、もし「ファン・ルーラー研究会代表」というこの肩書きに、対外的に何らかの意味や権威(?)が生じるようになった時点で、これをどなたかにお譲りしたい、ということです。わたしは、“権威”なるものには、およそ似つかわしくない人間だからです。



どなたか、引き受けてくださらないでしょうか。このお願いは、じつは、このところ、毎年の「記念メッセージ」に書いていることでもあります。



ただし、この種の仕事(一円のお金にもならない無給のシゴト)は、自主的・自発的に引き受けるのでなければ、また、良い意味で「面白がって」引き受けるのでなければ、おそらく決して果たしえないものである、というのが、7年もこんな肩書きを背負ってきた者の実感です。



つまり、次期代表選に「立候補」していただくことが大前提です。立候補者が現れた時点で、わたしは辞めます。とっくの昔に賞味期限切れの者を、一刻も早く引きずりおろしていただきたい。そのことを、心から願っております。



皆様の生活とお働きの上に、イエス・キリストにある祝福が豊かにありますよう、いつもお祈りしております。それではまた。



(2006年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成六周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。2月20日(日)は、「ファン・ルーラー研究会 結成六周年記念日」です。例年どおり、世話人会を代表して、「記念メッセージ」をお送りいたします。じつは現在、本日午前中の集会(水曜礼拝)の原稿作成中ですが、息抜きがてら、書きます。ただ、今年の「記念メッセージ」は、あまりグダグダ書くのではなく、常日頃の感謝と、今年の計画とを書くことにします。



[謝辞]



この6年間、メンバーの皆様には、大変お世話になりました。ふだんは、ほとんどお目にかかれない方々ばかりですが、しばしば名簿を見ては、皆さんのお顔やお言葉を思い起こしつつ、本当に感謝しております。



とくに昨年から今年の当初にかけて、牧田吉和先生(神戸改革派神学校校長、本研究会顧問)によるファン・ルーラー関係の講演会が続けて行われたことが特筆できます。



今年1月の神戸改革派神学校の開講講演、2月の説教塾関西地区会の講演が、それぞれファン・ルーラーを主題に行われました。また、神戸ルーテル神学校でも、現在、牧田先生によって「ファン・ルーラーの聖霊論」の特別講義が、連続的に行われていると伺っています。



また、やや私事ですが、昨年9月から毎月1回、「東京キリスト教学園(TCI)ファン・ルーラー研究会」で講師をさせていただくようになったことも、前進でした。講義の内容は、読んでいただいたとおりで、自分で言わないほうがよいかもしれませんが、たぶん分かりやすいものです。



他にも、同種の動きがあるのかもしれません。何かご存じの方は、教えていただけますと、うれしいです。



[計画]



(1)「ファン・ルーラー研究会 第3回公開シンポジウム」



 日時 9月5日(月)午後0時半~5時半
 会場 日本基督教団赤羽教会(東京都北区、JR赤羽駅から徒歩5分)
 主題 「ファン・ルーラーの○○」(未定)



2年前の「第2回公開シンポジウム」には、約30名の出席者を得ました。第3回目は、ぜひとも40〜50名の参加者を求めたいと願っています(ちょっと欲張りすぎでしょうか)。必ず有益な集いになること、請け合います。どなたも、ご予定くださいますよう、お願いいたします。



(2)「ファン・ルーラー研究会 読書会」(仮称)



これはまだ、具体的な計画には至っていないことですが、わたしと一緒に本研究会を立ち上げた清弘剛生先生が、今年4月より、東京の教会に転任されることになりましたので、これを機に、東京のどこかで、ファン・ルーラーの原典講読会を開きたいと願っています。



この計画を、某キリスト教主義大学のF助教授にお知らせしたところ、「ぜひ参加したい」と賛同してくださいました。開始時期が決定し次第、お知らせいたしますので、これにもぜひご参加くださいますよう、お願いいたします。



(3)そして、ついに、「ファン・ルーラー神学論文集」(仮称)の出版を(!?)



また、(毎年言ってはポシャっていて、恥ずかしいかぎりですが)、今年こそ、一冊の訳書を物したいと願っています。



もう発表してもよいと思いますので、発表します。



現在われわれが計画中の「ファン・ルーラー神学論文集」(仮称)の内容は、以下の4つの論文によって構成される予定です。



訳者は牧田吉和先生です。



『ファン・ルーラー神学論文集』(仮称)/牧田吉和訳



まえがき
1、キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異
2、聖霊論の主要線
3、地上の生の評価
4、アポストラートの神学
解題
解説
年表
文献表、など



まず、この4つの論文を選ぶことについて、海外のファン・ルーラー研究者たちに相談した結果、「ファン・ルーラーの神学を紹介するために最も適切な論文が、正しく選ばれた論文集である」というお墨付きを得ました。



訳文については、すでに大筋は完成しているのですが、いくつか微妙な点で、時間がかかっています。



「牧田吉和訳」にしていただくことを、牧田先生御自身が快諾してくださいました。



しかし、それは、(おそらく牧田先生御自身がどこかに書いてくださると思いますが)、「牧田先生が最終的にすべての責任を負ってくださる」という意味であって、「他の誰も協力していない」(=VR研は牧田先生に、すべての責任を丸投げした)という意味ではありません。



6年経っても、一冊の訳書をも出版できないままであることの原因は、ひとえに、わたし(いえ、たぶん、わたし一人)の責任です。牧田先生の責任ではありません。



しかし、仮に今年がダメだった場合にも、来年には何とかしたいし、何とかなるだろうと期待しています。



また、この論文集には、解題や解説、また可能なかぎり年表や文献表なども盛り込みたいと計画中です。



さらに、ある意味、最も大きな目玉になるのは、本論文集の「まえがき」を、ファン・ルーラーの五番目の子どもさんである、三女ベテッケ・ファン・ルーラー先生Prof. dr. Betteke van Ruler(アムステルダム大学社会学部教授)に書いていただく約束を、得ることができたことです!



ベテッケ先生は、その仕事を、非常に喜んで、引き受けてくださいました。訳文についても、オランダ語原典からの翻訳は「本邦初」となりますが、ベテッケ先生による「まえがき」が、本訳書の価値を、数倍、数十倍にも高めてくれるに違いありません。



9月の「第3回公開シンポジウム」に出版が間に合えば、たぶん、話題性も高まるのですけどね。しかし、そういうことにはあまり拘らず、焦らず、急がず、きちんとしたものを出せるように努力していく所存です。



(4)最後に「代表者の交代」の件



新しい代表者が与えられますようにと、毎日祈っています。6年は、いくらなんでも長すぎます。「替わってあげるよ」と優しく立候補してくださる方を、募集中です。世話人たちは、みんな忙しすぎて、ダメなんだそうです。ある日突然、われわれの代表者になってくださる「VR研のホリエモン」を、募集中です。



それではまた。(仕事に戻ります)



(2005年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成五周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。本日は、ファン・ルーラー研究会結成5周年記念日です。これまで毎年この日には、世話人会を代表して、感謝のご挨拶を述べさせていただきました。本日も朝から、どのような言葉を書こうかと、あれこれ迷っておりましたが、午前中は長女の幼稚園の学芸会を参観に行ったり、午後もなんだかいろいろと忙しくしていた関係で、すっかり夜が更けてしまいました。しかし、これはクリスマス同様、年に一度の機会ですので、日付が変わらぬうちに書かなければ、意味が薄れるように思います。言葉が足らないことをあらかじめお断りしつつ、常日頃お世話になっております皆様に一言、心から感謝を申し上げたく存じます。



思い返せば昨年8月のこと、『伝道と文化の神学』と題する一冊の訳書の出現で、わたしたちファン・ルーラー研究会は、ちょっと焦りました。それは、わたしたち自身の訳書をできるだけ早く世に問いたい、と強く願わされる発奮の機会となりました。その意味で、今や「ファン・リューラー」の出版社である教文館様と訳者の長山道先生に、この場をお借りして、心からなる感謝を申し上げたいと思います。



わたしたち自身を省みますと、「今年こそ、今年こそ」と口にしては、なかなか実現しない出版活動ですが、拙速な作品をひねり出すよりも、じっくり熟成した作品を送り出したいとの一念で取り組んでおります。



言い訳が多いと見苦しいばかりですが、翻訳に時間がかかっていることには、いくつかの理由があります。



その理由のうち大きな一つは、これです。 ファン・ルーラーの書物を読めば読むほど、明らかに意図的な “アフォリズム”(短く言い切る文章表現)が多用されているファン・ルーラーの文章は、たくさんの訳注をつけるか、もしくは、大幅な拡張や敷衍を施して意訳するかでもしないと、日本語として全く理解不可能な訳文とならざるをえないことが、分かってきたのです。



また、とくに、ファン・ルーラーが活躍した当時の「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)の状況が明らかにならないかぎり、彼の言葉の真意を把握することは不可能である、ということが、分かってきたのです。頭を抱えることの多い日々を、過ごしています。



しかし、今ここで、皆様の前で、お約束したいことがあります。それは、わたしたちが今後もし「ファン・ルーラー研究会編訳」の書物を出版することができたときには、その書物は、以下のような特色を持っているであろう、ということです。



(1)原文に忠実な翻訳。



(2)一般の日本人に理解できる文章。



(3)夜、ベッドの上で安心して開くことができ、それによって明日の仕事に就く勇気と喜びが与えられる書物。



こういうものを、わたしたちは、目指しています。この三つの特色は互いに衝突しあうものである、と痛感しております。



わたしたちは、いわゆるプロの翻訳家集団ではありません。本業の合間に時間を創り出しては、翻訳作業に取り組んでおりますが、それなりの「産みの苦しみ」を味わっています。



どうか引き続き、温かいご理解とご協力をお願いいたします。皆様のお祈りだけが、わたしたちの支えです。今後ともお世話になります。



(2004年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成四周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆さま、こんにちは。本日(2月20日)は、「ファン・ルーラー研究会」結成四周年記念日です。 この良き機会に、代表を仰せつかっている者から一言、日ごろのお礼と四周年を迎えることができた喜びを申し上げたく存じます。



今から四年前の1999年2月20日、「ファン・ルーラー研究会」は、インターネット上のメーリングリストとして結成されました。当時の世界は、マイクロソフト社肝いりの「ウィンドウズ98」の流行に伴い、インターネットの利用者が爆発的に増えようとしていた時期でもありました。パソコンソフト自体もそれ以前のような専門的技能を持った人々だけしか扱えないものではなく、小人から高齢者まで幅広い層の人々にも利用できるパソコンへと生まれ変わろうとしていました。



その頃はまた、キリスト教界でもインターネット利用の是非が盛んに議論されていました。同志社大学神学部ホームページをはじめ、神学関係の情報も、わずかずつではありましたが、インターネットを通して、広く提供されはじめていました。しかし、他方、当時世間を騒がせていた怪しい宗教団体や犯罪に走る少年たちも、みんなインターネットを利用していたことから、こういう(アングラな?)世界そのものが汚らわしい、まして、聖なる教会がインターネットなどという怪しげな道具を利用する、という考えそのものが如何わしい、と感じていた人々も少なくなかったと思います。



しかし、当時、わたしたちは、「こんな便利な文明の利器を、神学の学びのために使わない手は無い」と単純に考えました。そして、とくにそのとき思いついたことが、神学の学びには不可欠である、「翻訳」という作業でした。



ぶっちゃけた話、わたしたちは、その当時から、日本のキリスト教書店に並んでいる多くの「翻訳」に、いろんな意味での疑問や不満を感じていました。翻訳者が心がけるべき最も重要なことは、言うまでもなく、原著者の意図をできるだけ正確に理解し、他言語の思想体系の中で生きている人々の心の中で深く把握でき、納得できる言葉に置き換える作業でしょう。訳者だけに理解できる言葉、訳者自身も理解できない言葉は、端的に言って「異言」です。しかし、そういう「翻訳」があまりにも多すぎる。原著者の名前に魅かれて買ったは良いが、読んでも理解不可能である。



それでも、神学生になり、牧師になった最初の頃は、「この文章を理解できないのは、わたしの頭が悪いからである」と殊勝なことを考えていました。しかし、こういう殊勝な考え方は根本的に誤っている、と思い始めるようになったきっかけは、(名前を挙げて申し訳ございませんが)神戸改革派神学校で牧田吉和先生と市川康則先生の教義学の講義を聴く機会を与えられたことです。



両先生は、少なくとも私にとって「理解可能な言葉」で語ってくださいました。わたしのような足りない頭の持ち主にも、深い納得と感動を与えていただける「日本語」を語ってくださいました。「分からない日本語」を分からないままで放置しておくようなことを決してなさらない方々と出会うことが許されたときに初めて、わたしは、現在のキリスト教書店に立ち並ぶ、多くの「翻訳」を理解できないのは、自分の頭の悪さだけの責任ではないのかもしれないと感じ、それまでわが身を捕らえてきた「呪縛」のようなものから解放されたような思いになりました。



それで、わたしは考えました。「翻訳」において本当に大切なことは「共同作業」ではないだろうか、と。単純に言って、個人よりも複数、少数よりも多数のほうが「翻訳」にはふさわしい、と。また、わたしは、良質の翻訳なしに日本の神学と教会の発展はありえない、と思いました。諸外国にむやみに依存する必要はないかもしれませんが、諸外国から学ばなければならないことは、まだまだたくさんあるはずです。それが事実であるとすれば、「共同翻訳作業」ということもまた、神と教会に仕えることを志す者たちにとっての、一つの大切な奉仕になりうるのではないか、と。



とはいえ、わたしは、(古い言い方ですが)「象牙の塔」の中で、一部の権威者の下で、少人数でなされる翻訳作業の重要さも理解しているつもりです。「翻訳」という重労働を徹底すれば、何かの本業の片手間にできる副業ではありえません。また、情報管理の観点から見て、専門的な知識と労苦を伴って生み出された作品が「流出」することは好ましくないということも理解できます。



しかし、他方、キリスト教書店で買ってきた本を開きながら、深く感じることがあるのです。



この本が出版される「前」に、一度で良いから、専門外の人々、あるいは教会外(キリスト教界外)の人々に読んでもらうべきではなかったのか。「異言」ではない「理解可能な日本語」であるかどうかを、客観的な目を持つ人々に判断してもらうべきではなかったのか。原著者は、この個所、あの個所で、非常に分かりやすく感動的な文章を書いているのに、訳者がそれを全く台無しにしてしまっている、ということに、どうして気づかないのか!



日本の神学研究者たちの中には、独特の「秘密主義」があるのではないか。「どうせ分かりっこないのだから」という投げやりな態度、マイノリティコンプレックスのような卑屈さ、「難しいことを教えてやってんだ」というような相手を見下げる態度、などなど。こういうことが、わたしの単なる「邪推」であることを、心から願うばかりです。



ともかく、わたし個人は、やや傲慢な理想と現状打破の闘志に燃えて、本研究会の結成メンバーの一人として名を連ねた責任を感じつつ、四年を経た今、現実の力不足と多忙さに押しつぶされつつ、いつも追い詰められたような気分で毎日を過ごしております。現実と理想の恐ろしいまでの乖離に苦しんでおります。



しかし、これは本当に幸いなことだなあ、と実感できるのは、この研究会に参加してくださっている皆様が、たとえ「無言」でも、応援してくださっていることが分かるときです。わたしはこの四年間ずっとメーリングリストの管理人を務めてきた者として感謝のうちにご報告できますことは、現在メーリングリストに登録されている82名のメールアドレスは、四年前の結成から、ほとんど誰もいなくなられないで、ずっと登録し続けてくださった方々のご好意の集積である、ということです。これは特筆すべきことであると思います。



また、多くの他のメーリングリストにおいて見られるような「荒れ」(他の登録者を故意に怒らせたり、傷つけたりするような投稿をめぐって対立・乱戦が起こることの総称)も、これまでに一度も起こったことがありませんでした。管理人であるわたしが、最も過激で、陳腐で、意味不明で、間違いだらけの文章を書いているという自覚がありますのに、見捨てないで、付き合ってくださいました。



もちろんそれは、この研究会の趣旨がもっぱら「ファン・ルーラー研究」にあり、「ファン・ルーラー」という神学者への関心と敬意から来るものであるのだ、とわたしは信じております。わたしの書くような、どうでもよい部分については、どうか適当に読み流すなり、即刻削除してくださるなりして、今後とも本研究会を応援してくださいますなら幸甚に存じます。皆様に心から感謝いたします。



最後になりましたが、毎年、結成記念日である2月20日には同じようなことを書いてまいりましたが、今年もこの機会をお借りして、ふだんお礼を申し上げることの少ない世話人の方々に、謝辞を述べさせていただきます。



顧問として常にわたしたちの活動を、学的責任をもって見守ってくださっている牧田吉和先生(神戸改革派神学校校長)、また本研究会の結成当初から関わってくださっている書記の清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会牧師)、会計の石原知弘先生(日本キリスト改革派北神戸キリスト教会伝道者)、さらに朝岡勝先生(日本同盟キリスト教団徳丸町キリスト教会牧師)、栗田英昭先生(日本キリスト教会多摩ニュータウン永山教会牧師)、そして最後になりましたが、牧師たちの身内意識で固まりがちのところを、教会の長老として、学的権威をもって厳しく見守ってくださっている田上雅徳長老(日本キリスト改革派千城台教会長老、慶應義塾大学法学部助教授)に、特別な感謝をささげます。



また、(言葉の壁により)メーリングリストの参加者になっていただくことができませんが、常に応援してくださっているオランダ、南アフリカ、アメリカなどのファン・ルーラー研究者の皆様にも、この場をお借りして感謝を申し上げます。



いつもながら、たいへん長々しい文章となり、申し訳ございません。一年後に迎える五周年記念日のあたりで、そろそろ代表者を変えていただくほうがよいのではないかと感じていますので、その件も今後ご検討いただきたく願っております。今後ともよろしくお願いいたします。どなたもお元気でお過ごしくださいませ。



(2003年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成三周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会のみなさま、こんにちは。今日(2002年2月20日)は、「ファン・ルーラー研究会(メーリングリスト)結成3周年」の記念日です!



なんと、3年も続けてきてしまいました。現在登録者70名(海外からの登録社で日本語が読めないとの理由で配信停止中のメンバーを除く)。本当に素晴らしいことであると、われらの神に感謝しています。



いろいろ書き始めると、あれもこれも思い起こされ、長くなりそうなので、やめます。そこで、一言だけ。



「2周年」のときも書いたことですが、研究会の顧問を引き受けてくださっている牧田吉和先生(神戸改革派神学校校長)、ならびに世話人会のみなさまに日頃の感謝を申し上げることで、結成3周年に際し、研究会代表として述べるべきご挨拶と代えさせていただきます。



牧田先生、いつもご多忙中にもかかわらず、私たちの拙い訳文や議論を温かく見守ってくださり、ご指導いただき、本当にありがとうございます。私たちはこれからもファン・ルーラー研究を中心に、広くオランダ改革派の神学や教会への関心を深めて行くことを通して、研究の成果を日本におけるキリスト教伝道、ならびに教会形成・文化形成のために生かして行きたく願っております。今後ともご指導・ご鞭撻いただきたく、こころよりお願い申し上げます。



世話人会の清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会牧師)、田上雅徳先生(慶應義塾大学助教授)、朝岡勝先生(日本同盟キリスト教団徳丸町キリスト教会牧師)、石原知弘先生(神戸改革派神学校特別研究生)、いつもお世話になり、心強く思っております。ふだんはメールだけのお付き合いですが、今年夏に予定している第2回シンポジウム(日時・場所未定)でお目にかかれることを、楽しみにしています。また、ふだん「身内」と思い、ついぞんざいな扱いをしてしまうことを、どうぞお許しください。心の中ではたいへんご尊敬申し上げております。



加えて、現在着々とP. R. フリーズ先生の大著の翻訳を続けてくださっている栗田英昭先生(日本キリスト教会多摩ニュータウン永山教会牧師)、村上恵理也先生(日本キリスト教団松戸教会牧師)、弓矢健児先生(日本キリスト改革派新座志木教会牧師)にも、そのご労苦に対し、深く感謝いたします。先週も、フリーズ先生とメールの交換を行ったばかりですが、先生自身が、日本語版の翻訳出版計画をたいへん喜んでおられます。日本語版の出版社などは決まっていませんが、本書を何とか出版して世に問うことが、日本におけるファン・ルーラー研究の土台になるに違いないと、わたし自身は確信しております。



翻訳は孤独で悩み多い業ですが、かならず報われるときが来ます。さらに多くの翻訳者が備えられることを、心から期待しています。またわたし自身、もっともっと力を付けて行かなければならないと強く願っているところです。



みなさま、今後ともよろしくお願いいたします。それではまた。



(2002年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成二周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師) 



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。本日は、本研究会の設立2周年の記念日です。これまで皆様にはたいへんお世話になり、また「試行錯誤」と称する誤訳・珍訳の連続に付き合っていただき、心から感謝しております。



思い返せば、2年前。東京神学大学で同級生であった清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会)と、関口の二人が、東神大時代の同級生の生原美典先生(日本キリスト教団松前教会)と土肥聡先生(日本キリスト教団室戸教会)の合計四名で、「ファン・ルーラーを原文で読む」ことのみを目的とする、硬派系のメーリングリストを立ち上げました。



サーバーは、最初はニフティサーブ(有料)、次にワンリスト(無料、英文広告付き)、そして今のEグループ(無料、和文広告付き)と、変更してきました。今のEグループは、無料は魅力ですが、広告はいまだに慣れません。



しかし、それからというもの、ひたすら勧誘に勧誘を重ねて、今ではなんと45名の登録者が与えられ、うれしいやら、恥かしいやら。教派の広がりとしても、日本キリスト教団、日本キリスト教会、日本長老教会、日本同盟キリスト教団、そして日本キリスト改革派教会、と広い範囲に及んでいます。また、日本キリスト教団内でも、「改革長老教会協議会」のメンバーや、「メソジスト系」や「バプテスト系」にアイデンティティを感じておられる方々など、さまざまです。ここでお一人お一人の名前を挙げませんけれど、どなたにも、本当に感謝しております。ウソではなく、一通一通メールを送信するたびに、メンバーのお一人お一人の顔を思い浮かべながら(顔を知らない方は、書かれた論文などを思い浮かべながら)、「こんなことを書くと、あの方は、どんなふうに受けとめるだろうか」、と想像力を働かせています。



しかし、ただお一人だけ、名前を挙げて感謝を申し上げたい方は、設立まもなくして参加してくださり、本研究会の「顧問」(アドバイザー)を喜んで引き受けてくださった神戸改革派神学校の牧田吉和校長です。牧田先生の参加により、本研究会の対外的信頼度がぐっとアップしたことは、得がたい恵みでした。また牧田先生は、昨年8月に行った「ファン・ルーラー研究会第1回世話人会」の会場としてご自宅を開放してくださり、奥様にはおいしいケーキなどいただき、本当にありがとうございました。



また、来日講演以来、日本の者たちと知己を得てくださったユトレヒト大学神学部のヘリット・イミンク教授の(もちろんメールによる)ご指導が得られたことも、ネイティブのオランダ語のニュアンスが全く分からない者たちにとって、大きな助けでした。おまけに、Eグループが国際系サーバーであることから、アメリカ最古の神学校、ニューブランズウィック神学校長でファン・ルーラー研究者であるポール・フリーズ教授が、われわれのグループの存在を見つけてくださり、先方からメールでコンタクトを求めてくださり、ご指導いただけることに!



また、オランダ在住アメリカ人のファン・ルーラー研究者ルーベン・アルヴァレイド氏とのコンタクトも生まれ、本研究会との連携のもとに、「英語版ファン・ルーラー研究会」を立ち上げてくださったり。こうして、なんだか、いつのまにか、本研究会が「国際組織」になってしまったことも、インターネットの威力を思い知らされる機会でした。



しかし、まだ、まだ、まだ、まだ(「まだ」がたくさん!)、ファン・ルーラーならびにオランダ改革派神学の研究は、日本では始まったばかり。頂上は遥か彼方、「登山口に着いた」と語ることさえおこがましい段階です。知ったかぶりなど、すればするほど、恥の上塗りです。



というわけで、私共としましては、オランダ語にはあいかわらず泣かされつつ、日々の忙しさのなかにあってもなお、石に噛り付いてでも、このMLの存続と研究会の活性化のために尽力してまいりたいと願っておりますので、今後ともお付き合いいただけるならば幸いです。



また最後になりましたが、 身内と思って、いつもはつい「ぞんざい」になってしまうのですが、このMLの共同管理人でもある世話人会スタッフの皆様に、心からなる感謝を申し上げます。



以上をもって、2周年のごあいさつと代えさせていただきます。それではまた。



(2001年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成一周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



みなさん、こんばんは。じつは本日、2000年2月20日は、ファン・ルーラー研究会メーリングリストの「1周年」の記念日です。この機会に、これまでのみなさまのご理解とご協力を心から感謝申し上げたいと思い、謹んでこのメールをお送りいたします。



もっとも、1年前の今日よりも少し前から、清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会牧師)とわたしの二人だけで、「ふたりファン・ルーラー研究会」を続けていました。 でも、だんだん面白くなってきて、この楽しみをたくさんの人たちと共有できたらいいね、というような話になって、思い切ってメーリングリストを始めることになりました。



「オランダ語」と「改革派神学」と「ファン・ルーラー」という、これまでの日本の中にほとんど蓄積のない領域の話で、正直よく「1年」も続けてこれたものだと自分で驚きます。



清弘先生は別格ですが、わたしのほうは本来「勉強嫌い」の人間であること、なかでも語学は大の苦手であること、とても飽きっぽい人間であること、実際いくつかのメーリングリストを、作っては眠らせ、作っては眠らせしてきた常習犯であることなど、考え合わせますと、とても信じがたいものがあります。



それもこれもすべては、参加の呼びかけに快く応じてくださった皆さまお一人お一人の応援のおかげ、そして、抜群の語学力と洞察力をお持ちの清弘先生のおかげであると、本当に心から感謝しています。



また、顧問を快く引き受けてくださった神戸改革派神学校の牧田吉和先生には、特別な感謝を申し上げます。 さらに、メーリングリストのメンバーではありませんが、わたしの幼稚な英文の質問にもかかわらず、非常に丁寧かつ懇切に、そして即座に(いずれも48時間以内)ご回答くださったユトレヒト大学神学部のヘリット・イミンク先生にも感謝したいと思います。 どうか、これからも温かいご理解とご協力をよろしくお願いいたします。



研究会発足1周年への祝辞、また活動内容についてのご意見やご要望など、どしどしお寄せいただけるとうれしいです。



(2000年2月20日)



2009年10月13日火曜日

とにかくこういう本を書きます

一向にまとまらない(片頭痛もちの)頭を抱えながら、紆余曲折の日々を過ごしています。「しかし人生は長くない」と思うゆえに、どんどん増えていく一方でなかなか仕上がっていかない多くの仕事や課題を横目に見ながら、焦りと危機感を募らせています。



神学に関することだけに絞って言えば、要するに『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー』(仮題)という本を自分自身で書くことができるならば、それこそが最もはっきりした責任の取り方になるだろうと分かってはいます。過去10年間、そのことに特化した生活を送って来たようなものですから。



オランダ語版『ファン・ルーラー著作集』の全訳など、どう考えても(難しく考えなくても)一人の人間に可能なことではありません。五千ページを越えることが確実な状況です。それを正しい日本語にしていく仕事は多くの人が寄ってたかって取り組むことです。特定の個人がひたすら翻訳と研究に専念しうる(それだけで生計が成り立つ)きわめて特別かつ快適な「神学的環境」が日本のどこかにあるとでもいうならば話は別ですが、少なくとも私が生きているうちに(「21世紀前半までに」という意味で書いています)そのような環境が整備されることはありえないだろうと考えております。



もし仮に日本語版『ファン・ルーラー著作集』の実現のために私になしうることがあるとしても(そして私はそのための努力を惜しんだ日は過去10年間のうちの一日もないのですが)、それはその壮大なる事業全体の中のほんのわずかな一部分であるとしか表現しようがありません。



日曜日から昨日にかけて松戸小金原教会の一泊修養会がありました。また、私と一人の長老は修養会を途中で退席し、昨日行われたひたちなか伝道所の教会設立式のほうに行きました。13時から始まった教会設立式は15時頃まで行われました。早く帰宅しなければならない事情が生じましたので、式後の祝賀会は失礼させていただき、15時にはひたちなかを出発しました。



ところがその帰り道、常磐道の掲示板に「谷田部IC~流山IC 事故渋滞20キロ(120分)」と電光表示されているのを見て、げんなり。仕方なく谷田部ICで一般道に降りたのですが、連休の最終日だったからでしょう、下の道も大渋滞。結局、帰宅は19時となりました。



自動車の中で4時間も退屈な拘束に遭いましたので、ひまつぶしがてら、将来の自著『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー』(仮題)の構想を練ってみました。それが下記の梗概(案)です。「広くて浅い」ファン・ルーラー紹介書です。これまでにメールだブログだで書き散らしてきたことを整理するのも一つの重要な目標ですので、目新しい内容はそれほどありません。



とにかくこういうのを書きます。これは自分との約束にします。タイムスケジュールとしてはオランダで刊行中の『ファン・ルーラー著作集』全八巻が出揃うのが予定では2013年ですので、それを参照するためにはどうしてもその後になってしまいます。目標は2015年、私が50歳になる年です。しかし、そんなには待っていただけない方々のために、ちょくちょく小出しにしていきます。本を書くとは忍の一字であるなと、つくづく思います。



そして、仕上がった段階で自費出版でもするか(そのときわが家に金銭的余裕がありうるとは思えませんが)、どこか引き受けてくださるところがあればお願いするかを考えることにします。



関口 康著『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー』(仮題)の梗概(案)



上巻 第一部 生涯



下巻 第二部 神学



アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(下) 関口 康

第二部 神学



2.1. 神学の本質



2.1.0. 序
2.1.1.
2.1.2.
2.1.3.
2.1.4.
2.1.5.
2.1.6.
2.1.7.
2.1.8.
2.1.9. まとめ



2.2. 啓示、聖書



2.2.0. 序
2.2.1. 啓示(1)
2.2.2. 啓示(2)
2.2.3. 啓示(3)
2.2.4. 啓示(4)
2.2.5. 聖書(1)
2.2.6. 聖書(2)
2.2.7. 聖書(3)
2.2.8. 聖書(4)
2.2.9. まとめ



2.3. 神、創造、人間、罪



2.3.0. 序
2.3.1. 神(1)旧約聖書と新約聖書の神
2.3.2. 神(2)三位一体の神
2.3.3. 創造(1)存在の奇跡性
2.3.4. 創造(2)天国と天使
2.3.5. 人間 歴史の意味としての人間
2.3.6. 罪
2.3.7. 地上の生(1)人生の価値
2.3.8. 地上の生(2)人生の意味
2.3.9. まとめ



2.4. キリスト、聖霊、救済



2.4.1. 序
2.4.2. キリスト(1)
2.4.3. キリスト(2)
2.4.4. 聖霊(1)
2.4.5. 聖霊(2)
2.4.6. 聖霊(3)
2.4.7. 救済(1)
2.4.8. 救済(2)
2.4.9. まとめ



2.5. 教会、終末



2.5.1. 序
2.5.2. 教会(1)
2.5.3. 教会(2)
2.5.4. 教会(3)
2.5.5. 教会(4)
2.5.6. 終末(1)
2.5.7. 終末(2)
2.5.8. 終末(3)
2.5.9. まとめ



2.6. 文化、社会、政治、教育



2.6.1. 序
2.6.2. 文化(1)
2.6.3. 文化(2)
2.6.4. 社会(1)
2.6.5. 社会(2)
2.6.6. 政治(1)セオクラシーと寛容精神
2.6.7. 政治(2)
2.6.8. 教育
2.6.9. まとめ



アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(上) 第一部 生涯





アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(上) 関口 康

第一部 生涯



1.1. 幼少時代



1.1.0. 序
1.1.1. 出身地
1.1.2. 家族と家系
1.1.3. アペルドールン教会
1.1.4. 信仰告白教育
1.1.5. Th. L. ハイチェマ牧師
1.1.6. 職業学校からギムナジウムへの転校
1.1.7. ギムナジウムの同級生
1.1.8. 牧師への召命と大学受験
1.1.9. まとめ



1.2. 学生時代



1.2.0. 序
1.2.1. フローニンゲン大学神学部
1.2.2. Th. L. ハイチェマ教授
1.2.3. J. ホイジンガの影響?
1.2.4. リンデボームの影響?
1.2.5. 指導教授W. アールダース
1.2.6. 卒業論文『ヘーゲル、キルケゴール、トレルチの歴史哲学』
1.2.7. 学生会活動
1.2.8. 教会生活
1.2.9. まとめ



1.3. 牧師時代



1.3.0. 序
1.3.1. 結婚と家庭
1.3.2. クバート教会
1.3.3. ヒルファーサム教会
1.3.4. 説教と牧会
1.3.5. 文筆活動
1.3.6. 政治参加
1.3.7. ラジオ伝道
1.3.8. 神学博士号請求論文『律法の成就』
1.3.9. まとめ



1.4. 教授時代



1.4.0. 序
1.4.1. ユトレヒト大学神学部「オランダ改革派教会担当教授」
1.4.2. 前任者S. F. H. J. ベルケルバッハ・ファン・デア・スプレンケル教授
1.4.3. 旧約聖書神学
1.4.4. 教義学
1.4.5. 教会規程
1.4.6. その他の教科(キリスト教倫理、オランダ教会史、礼拝学など)
1.4.7. 大学教授の教会生活
1.4.8. 突然の死
1.4.9. まとめ



1.5. 対話と論争



1.5.0. 序
1.5.1. K. バルト
1.5.2. Th. L. ハイチェマ
1.5.3. O. ノールトマンス
1.5.4. K. H. ミスコッテ
1.5.5. H. ベルコフ
1.5.6. G. C. ベルカウワー
1.5.7. W. H. フェレーマ
1.5.8. J. モルトマン
1.5.9. まとめ



1.6. 継承時代



1.6.0. 序
1.6.1. カレンバッハ版『神学論文集』の刊行
1.6.2. オランダ
1.6.3. 南アフリカ
1.6.4. アメリカ
1.6.5. 日本、その他
1.6.6. ブーケンセントルム版『著作集』の刊行
1.6.7. 国際ファン・ルーラー学会
1.6.8. 今後の課題
1.6.9. まとめ



アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(下) 第二部 神学



2009年10月11日日曜日

アブラハムが生まれる前から


ヨハネによる福音書8・48~59

「ユダヤ人たちが、『あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか』と言い返すと、イエスはお答えになった。『わたしは悪霊に取りつかれてはいない。わたしは父を重んじているのに、あなたたちはわたしを重んじない。わたしは、自分の栄光を求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。』ユダヤ人たちは言った。『あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない」と言う。わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。』イエスはお答えになった。『わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、「我々の神だ」と言っている。あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じく私も偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。』ユダヤ人たちが、『あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか』と言うと、イエスは言われた。『はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、「わたしはある。」』すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。」

今日の個所に記されていますのは、いささか野次馬的な言い方をお許しいただきますなら、わたしたちの救い主イエス・キリストとユダヤ人たちとの激闘の様子です。両者は激しく言い争っています。論争というよりは口論に近い。ただし、イエスさまはいたって冷静です。ボルテージが上がっているのはユダヤ人のほうです。彼らはついに石を手に取り、暴力に訴えようとしました。しかし、イエスさまは暴力に対して暴力で立ち向かうような方ではありませんので、その場を去って行かれました。

ユダヤ人たちがイエスさまに「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれている」と言っている意味については、先週ちょっとだけ触れました。それは、彼らが「わたしたちの父はアブラハムです」(8・39)と言い、また「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません」(8・41)と言っていることに直接関係しています。これは彼らのいわゆる純血思想です。我々ユダヤ人はあの偉大なる信仰の父アブラハムの血を純粋に受け継いでいる民族なのであって、他の民族の血はいささかも混ざっていないのであるということを彼らは固く信じていました。そしてその点にこそ彼らの民族としての誇りを持っていました。そして彼らユダヤ人たちは、そのような純粋な我々と比べて、あのサマリア人たちは他の民族の血が混ざってしまっているという意味で純粋でない人々であるとも信じていました。サマリア人たちの血が不純であるということを指してユダヤ人たちは「姦淫」という言葉で表現したわけです。

ところが、彼らはこのときイエスさまがおっしゃったことに非常に腹を立てました。イエスさまがおっしゃったことは「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない」(8・44)ということでした。これは、ユダヤ人たちがイエスさまのことを殺そうとしていることを指しておられる言葉です。

この言葉は、逆の方向から考えるとその意味が見えてくるものです。あなたがたは、今まさにこのわたしを殺そうとしている人殺しである。人を殺したいという思いは、神から与えられるものではなく、悪魔からのものである。ところが、あなたがたは、自分たちの父はアブラハムであると言い、アブラハムが信じた神御自身から生まれたものだと主張する。これはおかしい。まるで、あなたがたがこのわたしを殺そうとしているその思いは悪魔から与えられたものではなく、神とアブラハムから与えられたかのようだ。その理屈を突き詰めていけば、神とアブラハムを殺人犯に仕立て上げることになる。それは、あなたがたにとって都合のよい自己正当化の理屈にすぎない。イエスさまの思いを深く汲みとるとしたらこんな感じになるだろうと思われます。

しかし、彼らはイエスさまの言葉に耳を傾けようとしませんでした。それどころか、ますます腹を立てました。そして、悪いのはこのイエスという男のほうであって、我々は悪くないと考えました。この男を我々が殺すのは当然であり、この男が犯した罪に対する正当な裁きを行わなければならないと信じたのです。彼らが石を手にとって投げつけようとしたのは、怒りに任せて衝動的にそうしようとしたのではありません。これが当時の法律に定められた死刑の方法だったから、そうしたのです。

彼らがイエスさまに見出した罪の具体的な内容は、冒瀆罪でした。このイエスという男は神を冒瀆している。そのように彼らは確信するに至りました。彼らの確信の根拠となったイエスさまの言葉が、この個所に二つあります。第一は「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない」(8・51)です。第二は「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」(8・58)でした。「わたしはある」とはモーセの前で示された神のお名前である(出エジプト記3・14)ということは、既に説明しましたとおりです。

先に申し上げておきたいのはこのイエスさまの御言葉の真の意図です。まことの救い主であられるイエス・キリストのお語りになる御言葉を守る人は、死ぬことがない。アブラハムが生まれる前からイエス・キリストは「わたしはある」という方である。この御言葉の意味は、ただ単なる生物学的な不老長寿の話ではないということをわたしたちは知っています。「イエスさまの年齢は二千歳でした」というような話はただのオカルトです。イエスさま御自身はそのような意味でおっしゃっているわけではないのです。

ここから先、深刻な話だからこそ冗談めかした言い方をするのをお許しください。皆さんとふだんお話ししているときにしょっちゅう出る話は「わたしはあまり長生きしたくない」ということです。自由に動けなくなり、また自由に考えたり喋ったりできなくなることに多くの方々が恐れさえ抱いています。私はそのようなお話を伺うたびに「まあまあ、そんなこと言わないで長生きしてくださいな」と内心では思っているのですが、しかしまた、全く理解できないと感じているわけでもありません。

このことで私が申し上げたいことは、そのような生物学的な意味(というよりはオカルト的な意味)で考えられる「不老長寿」が仮に実現したからといって、それによって我々が幸せになるのだろうかという真剣な問いかけです。そんなことはないと多くの人々が考えています。長寿の方々を不愉快な思いにさせる意図はありません。しかし、です。人生の時間が長ければ長いほどよいと思っている人は多くありません。そこに何か別の要素が加わらないかぎり、時間が長いだけでは幸せにならないと思っています。

それでは「別の要素」とは何でしょうか。そのことを、わたしたちは知っています。それは、神の愛と憐みと赦しの力によってわたしたち人間が罪の中から救い出されるという要素です。神を知らず、救いを知らず、罪の状態のままで過ごす人生には牢獄の中にいるのに近いものがあるとさえ感じます。そのような人生なら一刻も早く終わりにしたいと願わざるをえないと言いたくなることさえあります。しかし、そのようなときにこそ、わたしたちはイエスさまの御言葉を思い起こすことができるのです。「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない」。

この場合の「決して死ぬことがない」の意味は、神と共に永遠に生きる者となるということです。罪によって破壊された神との関係が修復され、神と人間との間の関係が正常化するのです。対立関係にあった神と人間との関係が永遠の和解に至るのです。永遠に生きておられる神と共に永遠に生きる者となるのです。これこそがこの御言葉の真の意味です。「わたしの言葉を守るなら」、すなわち、神の御子なるイエス・キリストの御言葉を通して父なる神の御心を知り、それに従う人生を始めるならば、「その人は決して死ぬことがない」、すなわち、神との関係が永遠に修復されて和解に至り、神を喜ぶ人生を永遠に続けることができるのです。

しかし、このような次元の話を、そこにいたユダヤ人たちは全く理解できなかったし、理解しようとしなかったのです。彼らは言いました。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。」アブラハムは死んだし、預言者は死んだではないか。あの偉大な人々も死んだのに、お前は、自分の言葉を守るなら、その人は決して死なないと主張する。お前は何様なのか。我々の父アブラハムよりも偉いとでも言いたいのか、ふざけるなと言っているのです。

これで分かることは、ユダヤ人たちが「永遠の命」ということをどのようにとらえていたかです。それは、先ほど申し上げたとおりのただ単なる「不老長寿」です。しかも、それは、彼らにとっては「ありえないこと」としてだけ考えられています。つまり彼らは「永遠の命」と「不老長寿」を同じものと考えたうえで、そういうことはありえないと思っていたわけですから、要するに彼らは「永遠の命」など全く信じていなかったのと同じであるということが分かります。たとえそのようなことが聖書に書いてあろうとも、宗教家たちが何度説教しようとも、彼らはそれを信じていなかったのです。ただの絵空事のように思っていたのです。

繰り返しになりますが、イエスさまがお語りになる場合の「永遠の命」の意味は不老長寿ではありません。ただし、その一方で我々が誤解すべきでないと思いますことは、それでは「永遠の命」とは何なのかと考えたときに、この世から離れた「あの世」、あるいは物質世界から隔絶された精神世界で、ふわふわとした霊のような状態になっていつまでも生き続けることであるというようなイメージを抱くことも間違いであるということです。しかし、この問題に立ち入る時間が今日はもうありません。イエスさまがおっしゃっていることの核心は、「神との関係」というこの一点にあるとだけ申し上げておきます。神との関係が永遠に続くこと、それこそが「永遠の命」の内容です。

イエスさまが「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」とおっしゃったのも同じことです。神の御子は、父なる神と共に永遠に生きておられる方であるゆえに、「アブラハムが生まれる前から」父なる神のもとにおられた方なのです。つまり、イエスさまがおっしゃっていることは、わたしは神であるということなのです。

このことはもちろん信仰の問題です。イエスさまを「わたしはある」と称する方として、すなわち、真の神として、神の御子として、御子なる神として信じることがわたしたちに求められているのです。

(2009年10月11日、松戸小金原教会主日礼拝)

「今週の説教メールマガジン 第200号感謝号」記念巻頭言

高瀬一夫 (日本キリスト改革派千城台教会牧師)



関口先生、そして松戸小金原教会の皆様、「今週の説教メールマガジン第200号」、おめでとうございます。



説教は語る者より、聞く者の聞き方のほうが大きな力となります。聞いてくださる方があって語る者は励みにもなり、支えられている感謝で毎週語ることが許されているのです。説教者は、説教を聴いてくださるお一人お一人のお顔を思い浮かべながら、みことばに聞き、用意をします。



ほとんどの牧師はその説教を公表していません。語り終えるとそれで全てが終わります。私も説教を文書化することをしておりません。しないのではなく、出来ないのです。真剣に学び、教えられ、また神様が語れと命じておられることを文書化しなければならないと、いつも思っています。しかし、なかなか出来ないでおります。私の知人・友人の方々は、語るだけでなく、それを文書化し、さらに多くの人々に公表すべきであると言われます。でも、できない自分を恥ずかしく思っています。



ところが、関口先生は教会内で公表なさるだけではなく、ホームページやブログで広く公表されておられます。このお働きはとても勇気のいることであり、また大変な努力を必要とする仕事です。毎週毎週欠かさずに説教を公表するということは至難の業であります。私は「文章を書くことは恥をかくこと」といわれたことがあります。確かに、文字にしてしまいますと、語った説教と違うイメージが勝手に読む人々によって抱かれ、誤解され、批判されることがあります。それでもなお書き続けられることを200回も続けられたことに敬服いたしております。



このお働きは常人には出来ないことです。強靭な意志と、人並みはずれた努力と、そして神様がその業を励ましてくださり、健康を祝福してくださることによって実現したと思っています。



関口先生はとても多忙なお方です。教会の牧師としてだけでなく、お子様たちの通っておられる学校のPTAのお働き、地域の方々と共に「九条の会」などにも積極的にかかわっておられます。また中会内の働きにも重責を担っておられます。そして何よりもファン・ルーラー研究者・翻訳者としての働きや、カルヴァン学会などの働きをしておられます。



時々、先生からメールをいただくことがあるのですが、夜中の2時、3時に発信しておられることがあります。いつ寝ておられるのだろうと思っています。こんなに忙しい先生なのに説教を毎週欠かさず公表されておられることは真に驚異的です。この「今週の説教 メールマガジン200号」は、先生の血のにじむような忍耐と努力の結晶であると思っています。



私は書斎で疲れたとき昼寝をしますが、以前、先生の説教を子守唄にしてきながら寝ていました。そのことを先生にお伝えしたのが今回のお祝いの言葉を書くように依頼された理由でしょうか。真に失礼とは思いますが、そんな不真面目な聞き方でも「聞いてくださることがありがたい」とおっしゃる先生の心の広さを感心しています。



先生の説教にはところどころ先生と親しく交わっているものにだけに分かる先生の癖がはっきりと現れています。それを感じるものとして説教を聞かせていただいておりますと、本当に楽しくなります。



そして先生の説教は、先生でなければ語れない大胆さ、福音の力強さ、説得力の豊かさを感じます。この様に先生を用いていてくださる神様の御名を心からほめたたえたいと思っています。



200号は単なる通過点です。300号500号1000号をと先生なら出来ると思います。がんばってください。先生の健康のため祈ります。そして先生を支えておられる松戸小金原教会の信徒のお一人お一人の上に神様の祝福がたくさんありますように祈ります。



最後にこのメールマガジンをいつも読んでおられる方々に心から感謝いたします。暖かいお励まし、お祈りが背後にありますこと、感謝です。今後も先生のこのお働きのためぜひお祈りをお願いいたします。



心からのお祝いの気持ちを文章にしました。本当におめでとうございました。そしてこれからもがんばってください。先生のために祈ります。御名をほめたたえつつ。
 
(2008年2月7日 記す)





「今週の説教メールマガジン 第100号感謝号」記念巻頭言

佐々木冬彦 (作曲家・ハープ奏者)



関口先生、メールマガジン100号おめでとうございます!



私は一介の音楽家に過ぎず、説教学だとか最先端の神学について、よく知りません。ですので、もしかしたら的外れなことを書いてしまうかもしれませんが、そのようなところがありましたらどうかお許しください。



正確な数は数えてはいませんが、私はこの15年程の間に、約500くらいの教会(もちろんさまざまな教派)から招かれて、ハープの演奏をして来ました。そして、おそらく300人くらいの牧師の礼拝説教を聴いて来ました。これは、普通(?)のクリスチャンではちょっと経験できないことではないでしょうか。説教演習などではなく、いずれも、第一線の牧会現場で奮闘している牧師たちの、真剣勝負の礼拝説教です。ですから、おこがましいことを書かせていただくとしたら、私は説教に関してはけっこう耳が肥えているのではないかと思っています。(こう書くとやはりおこがましいですね・・・。)



だからと言って、私はこの場で「今まで出会った牧師の中で、関口康は説教者ベスト何番!」などと順位をつけるつもりはありませんし、そのようなことはするべきではないと考えています。それでも、是非ここで書かせていただきたいことは、「関口先生の説教はとても良いです!」ということです。ついでにこの場をお借りして、「関口先生は根っからの牧会者・説教者です!」ということも皆さんにお伝えしておきたいです。



私が演奏奉仕先の教会で、そこの牧師さんから「佐々木さんの教会の牧師は何と言う先生ですか」と尋ねられて、「関口康先生です」と答えますと、婉曲的にですが「関口康と言うのは○○研究会などをやっている、書斎にこもった神学オタク牧師じゃないですか」というような反応をしばしば感じることがあります。それほどまで関口先生の神学研究活動が認知されていると言うことは喜ばしいのですが、「ちょっと誤解されているな」と残念に思います。



関口先生は書斎にこもりきりの牧師ではありません。私を含め、教会員の相談に親身に乗ってくださり、またわれわれのために文字通り東奔西走しておられます。私から見ますと、もう少し書斎にこもらせて、じっくりと執筆活動をさせてあげたいな、と感じるほどです。



関口先生は確かに神学に大変造詣の深い先生です。でも関口先生の説教をお聴きいただけばわかると思うのですが、関口先生が日夜研鑚している神学は、論文を書くための神学でもなければ、神学オタクのためのスコラ的神学でもありません。むしろ、自分の羊の魂を守り、励まし、養い、生かす、そんな説教と牧会をするための神学だと思います。



少なくとも私は、関口先生の説教によって何度か危機を乗り越えてきました。迷っているときには強く背中を押されたこともありました。決して大げさでなく、「ボクの人生を変えた説教」と言える説教もありました。



今、松戸小金原教会の朝の礼拝ではルカによる福音書からの説教が続いています。正直言って、自分ひとりで福音書を読んでいても、イエスさまの言葉の意味や意図がよくわからなかったり、奥が深すぎてどのように受け留めたらよいのか途方に暮れてしまうところが多々あります。しかし、関口先生の言葉でイエスさまの言葉を解説していただくと、とても「腑に落ちる」のです。



どちらかというと、関口先生は説教でそれほど明確に「適用」を語りません。しかしその分私は、いかにそのみことばを自分の人生に適用したら良いか、魂のインスピレーションがかき立てられます。どのように生きたらよいか教えられ、進むべき方向が示され、また疲れているときには慰められます。ときに厳しい言葉もありますが、それでも関口先生の説教は「裁き、怖れさせる説教」ではなく、いつも「励まし、生かす説教」です。



現在インターネットで上では、関口先生の礼拝説教を音声でも聴くことができます。私は個人的には、メルマガで原稿を読むよりは、実況録音した音声で聴く方がずっと良いと感じています。(原稿の方は公開する前に手が入れられ、練り上げられているのでしょうが。)



でも、いくらパソコンで説教が読めたり聴けたりしても、私はより多くの方に是非、松戸小金原教会の礼拝で、「ナマ」で関口先生の説教を聴いていただきたいと願っています。音楽も説教もナマが一番です。



関口先生、今後ともよろしくお願い致します。



(日本キリスト改革派松戸小金原教会長老)





ようやくSkypeを始めました

インターネットに関してだけではなく、ほとんどどんなことについても(神学についても)、最先端のトレンドの五十歩(五百歩かな)遅れくらいのところを歩きたいほうです。真っ先に飛びついたりするようなことは全くありません。



「これが最先端です!大流行中です!」と騒がれている頃には「ふうん」と思いながら横目で見ているだけです。かえって、騒ぎに巻き込まれたくないと警戒心を強めることのほうが多い。ワープロ(NEC文豪Mini)を始めたのも、パソコンに切り替えたのも、携帯電話を持つようになったのも、インターネットを始めたのも、ブログやSNSを始めたのも、「大流行中!」と言われていた時期の数年後のことでした。



と、要らぬ前置きが長くなりそうなので、ここらでやめます。「遅ればせながらSkype(スカイプ)を始めることにしました」という話を書こうとしているところです。



Skypeを始めようと思った理由は、中3の長男が友人との通話のために使い始めたからです。世間の流行にはついて行けなくても何とも思いませんが、息子のトレンドにはついて行きたくなる。これまで感じたことのない、屈折した親心が芽生えたようです。



加えて、というか時系列的にはこちらのほうが先ですが、かなり以前にMSNメッセンジャーだったかをちょっとだけ試してみたことがありますが、当時のネット環境が悪すぎて使い物にならず、それ以来懲りていたという事情がありました。ここに至ってようやく快適なオンライン通話環境を獲得することができたというところです。



このたび取得したSkypeのコンタクト名は「apostolaat」です。



Skypeユーザーとならば、国際・海外問わず何時間でも無料で話し続けることができるようです。こういうのこそが実は、我々牧師のような仕事にとっては打ってつけのサービスなのかもしれません。判断めいたことを書くには早すぎますが。あるいは、これがオンラインの読書会や会議に利用できるものかどうかなど、いろいろ知りたいところです。



なお、この機会に、Windows Live(ウィンドウズ ライブ)メッセンジャーYahoo(ヤフー)メッセンジャー、またGoogle Talk(グーグル トーク)のコンタクト名(ユーザー名)もすべて「apostolaat」に統一しました。ただしいつもすべてのソフトを立ち上げておくことはさすがにできませんので、ふだんはSkypeを常駐させておこうかと考えています。



2009年10月10日土曜日

教団離脱弁証論としての教義学

考えてみれば当たり前のことでもあるのですが、オランダのアブラハム・カイパーとヘルマン・バーフィンクの教義学的著作の至るところに、当時の(いわゆる国教会系)オランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)から彼らが離脱(りだつ)して新しいオランダ改革派教会(Gereformeerde Kerken in Nederlands)を創設したことについての「弁証」ないし「弁護」という意図が見え隠れしています。



歴史を16世紀までさかのぼれば、カルヴァンだってそう。『キリスト教綱要』にはローマ・カトリック教会から袂を分かつことを余儀なくされた者たちの「弁証」ないし「弁解」という面が、当然のことながら少なからずあります。



今度はぐっと現代日本に引き寄せて、岡田稔先生のことを考えてもそう。『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)を頂点とする岡田先生の著作のいわばすべては、日本基督教団から離脱して創設された「日本キリスト改革派教会」の存在理由(レゾンデートル)を弁証することが目的であったと見ることが可能です。



これで気づかされる(ある意味笑える)点は、「教団離脱者は筆まめである」ということです。



何かを言いたくて書きたくて、どうにも抑えきれなくなる。何より、論じるべき問題についての認識(その広さ、長さ、高さ、深さにおいて)が明確である。「要するに何が問われているか」がクリアである。考えを押し進めていく方向もクリアである。



それゆえ、いったん書き始めると止まらない。量の面では「爆発的に」書く。質の面では「徹底的に厳密に」書く。視野の面では「事柄の最初から最後まで」書く。まさに「創造から神の国まで」(From Creation to Kingdom of God)書く。



そのような書きっぷりが「教義学」には必要なのだと、改めて思い知らされます。



教団離脱組のすべてが必ず教義学者として大成するわけではありませんし、教義学を営む者たちのすべてが必ずどこかの教団から離脱しなければならないというわけでもありません。そのような逆命題が真理か否かは、この際どうでもいいことです。



しかし、現時点では直感的な当てずっぽうですが、「教義学として面白い本を書きえた人々の多くが実は教団離脱者であった」という命題は、もしかしたら成り立つかもしれません。





今月のスケジュール

来週あたりから無酸素運動のような日々が始まりますので、いささか緊張気味です。



2009年10月のスケジュール



11日(日)~12日(月) 松戸小金原教会一泊修養会(さわやかちば県民プラザ、柏市)



12日(月)1:00 p.m.    ひたちなか伝道所(茨城県)の教会設立式に出席します



18日(日)10:30 a.m.   松戸小金原教会2009年度特別伝道礼拝 講師 関口 康
                説教「あなたの命を守ってくださる方」 



21日(水)~23日(金) 日本キリスト改革派教会第64回定期大会(大阪YMCA)に出席



24日(土)            仙台市内に宿泊



25日(日)10:30 a.m.   日本キリスト改革派東仙台教会の礼拝で説教させていただきます



      午後         改革派神学研修所東北教室神学講演会 講師 関口 康 
                主題「伝道の神学 喜びの人生をめざす旅人の力」



2009年10月7日水曜日

教授の一生

「関口 康 小説」なるバカな名前を付けたページを作ったまま放置してあります。何を始めるかを考えているうちに結局たどり着いたのは、ファン・ルーラーの生涯を小説風に描いてみたいという思いでした。というか、スポーツや娯楽や諧謔に疎い私にはそのようなものしか書けそうにない。彼の生涯を「事実に基づくフィクション」として書くとは何を意味するのかはこれから考えるとして。資料だけは山ほどあります。結構面白く書けそうな気がしています。タイトルは「教授の一生」(仮題)としておきます。



過去のもの

「玩具の心」(1983年)



これはたしか高校三年の春から夏にかけての頃、同年九月に行われる学園祭で販売する同人誌『朝日文学』のために書いたものです。当時17歳。部員二名の「文学部」の部長でした。この部と同人誌は長い伝統を持っている由緒正しいものだそうですが(真偽不定)、私の頃は誰も見向きもしないものになり果てていました。それでも、多くの友人が呼びかけに応じて投稿してくれましたし、学園祭では販売のために走り回ってくれました。雑誌に文章を書くとか編集に携わるという仕事をしたのは、これが生まれて初めてです。印刷・製本の費用のために岡山市内のスポーツ用品店はじめいろんなお店から「広告費」を提供していただいたりもしました。どう見ても文章が支離滅裂なのは、登場人物の性格設定上故意にそうしている部分と当時の作文能力の低さに因る部分とが錯綜しているせいです。もちろんこんなもん今更持ち出すとはお前はただのバカなのかと思われること必至であることは分かっていますが(ただのバカであることも自覚していますが)、今読むと《昭和な》雰囲気がよく出ているなと自画自賛(?)できますので、再公開することにしました。



「復活のひかり」(2008年)



あることをきっかけにやむに已まれぬ気持ちが生じたため、なんとなく長編小説にすることをめざしてウェブ上に書き始めましたが、多忙の中あえなく頓挫しました。「自叙伝を書いているのではないか」と誤解され(「誤解」です本当に)、これはヤバいと思ったのもたぶん挫折の理由です。フィクションです、これは(ということにしておきます)。しかし、主人公の「自称『哲学者』」の設定年齢は、たしかに私と同い年です。時代もまさに今。共働きの家庭のなかで夫側が感じるであろう(本当はおそらく決して感じてはならない)《悲哀》のようなものを表現してみたくなったものです。このテーマは私の中で当分失われそうにないので、そのうち衝動的に続編ないし全く新しいものを書きはじめるかもしれません。小説を書くって、本当に難しい!



2009年10月5日月曜日

国際ニュースで学ぶオランダ語

「ラジオオランダ世界放送」(Radio Nederland Wereldomroep)国際ニュースの2009年10月4日(日)午後8時50分(現地時刻)配信分より。



【本文】



* Weggestuurde Japanse oud-minister dood



De Japanse oud-minister van Financien Shoichi Nakagawa is dood aangetroffen op zijn bed. De doodsoorzaak is nog niet bekend; volgens de politie zijn er geen sporen van geweld. De 56-jarige Japanse minister werd in februari wereldnieuws, toen hij bij de G-7 in Rome zat te knikkebollen en op een persconferentie nauwelijks uit zijn woorden kwam. Het leek erop dat hij dronken was, hij sprak dat later zelf tegen. Hij zou last hebben gehad van medicijnen en een jetlag. Kort daarna moest Nakagawa aftreden; eind augustus verloor hij ook zijn parlementszetel.



【発音】



ドゥ ヤパンセ アウトミニステル ファン フィナンチエン ショウイチ ナカガワ イス ドット アンヘトロッフェン オプ ゼイン ベット。ドゥ ドーツオルザーク イス ノフ ニート ベケント。フォルヘンス ドゥ ポリチー、ゼイン エル ヘーン スポーレン ファン ヘベルト。ドゥ ゼスエンフェイフタハ ヤーリヘ ヤパンセミニステル ヴェルト イン フェプルアリ ウェレルトニーウス、テーン ヘイ ベイ ドゥ ヘーゼフェン イン ローム ザト テ クニッケボーレン、エン オプ エーン ペルスコンフェレンチー ナウェラックス アイト ゼイン ウーデン クワム。ヘット レーク エロプ ダット ヘイ ドロンケン ヴァス、ヘイ スプラック ダット ラーテル ゼルフ テーヘン。ヘイ ゾウ ラスト ヘペン ヘハト ファン メディセイネン エン エーン イェトラフ。コルト ダールナ メースト ナカガワ アフトリーデン。エイント アウフストゥス フェルロール ヘイ オーク ゼイン パーレメントゼーテル。 



【和訳】



・Weggestuurde Japanse oud-minister dood
 辞めさせられた日本の元大臣が死去
・De Japanse oud-minister van Financien is dood
 日本の元財務大臣が死亡した
・aangetroffen op zijn bed
 自分のベッドの上で発見された
・De doodsoorzaak is nog niet bekend
 死因はいまだ不明である
・volgens de politie
 警察によると
・zijn er geen sporen van geweld
 暴力の形跡はない
・De 56-jarige Japanse minister werd in februari wereldnieuws
 56歳の日本の大臣は2月に世界のニュースになった
・toen hij bij de G-7 in Rome zat te knikkebollen
 ローマでのG7のとき座って居眠りした
・op een persconferentie nauwelijks uit zijn woorden kwam
 記者会見のときほとんど何も言えなかった
・Het leek erop dat hij dronken was
 飲酒していたように見えた
・hij sprak dat later zelf tegen
 それを後に自分で否定した
・Hij zou last hebben gehad van medicijnen en een jetlag
 薬と時差ぼけのせいにしたらしい
・Kort daarna moest Nakagawa aftreden
 まもなく辞職せざるをえなかった
・eind augustus verloor hij ook zijn parlementszetel
 8月末に国会議員の座を失った



2009年10月4日日曜日

神に属する者は神の言葉を聞く


ヨハネによる福音書8・31~47

「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』すると、彼らは言った。『わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。「あなたたちは自由になる」とどうして言われるのですか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。』彼らが答えて、『わたしたちの父はアブラハムです』と言うと、イエスは言われた。『アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。』そこで彼らが、『わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です』と言うと、イエスは言われた。『神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。』」

先週の個所の最後に記されていた言葉は、わたしたちにとって慰めを感じるものでした。「これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた」(8・30)。イエスさまが御言葉を一生懸命語っておられるのに、なかなか聞く耳を持つ人がいない。聞く耳を持つどころか、あることないこと、やいのやいの言われる。そもそもイエスさまの命を虎視眈々とつけ狙っている人々が見張っている中でもある。イエスさまの説教を妨害したい人々が言いたい放題のことを言い出す。しかし、そのような中でイエスさまの御言葉に耳を傾け、信じる人々がやっと現れた。これは本当に素晴らしいことだと、ほっと胸をなでおろしたくなるようなことが書かれていました。

ところが、です。そのようにして御自身の言葉にやっと耳を傾け始めた人々に対して今日の個所でイエスさまがおっしゃっていることは、かなり厳しい内容であるということが、読むとすぐに分かります。イエスさまのなさることに文句を言うことは慎まなければなりませんが、物事の進め方としては、かなり勿体ない感じもします。せっかく仲間になってくれそうな人々が見つかったのに、その人々に対してイエスさまが痛烈な批判を述べておられるわけです。このようなやり方は、人々を集めようとするやり方であるというよりも、散らそうとするやり方ではないかとさえ感じられます。

しかし、ここでやはりわたしたちが考えなければならないことは、このようなイエスさまのなさり方が間違っているわけではないということです。大雑把な言い方ですが、イエスさまは単なる人集めや政治的な票集めをなさっているのではないということです。イエスさまが父なる神さまのもとから遣わされてきた目的は「真理を語ること」であると自覚しておられました。真理とはしばしば耳触りの悪いものでもあるということを、わたしたちは考えざるをえません。

御自分を信じたユダヤ人たちにイエスさまがおっしゃった言葉は「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」というものでした。これがさっそくユダヤ人たちの気に障るものになりました。「真理があなたたちを自由にする」と言われると、今の我々は不自由であると言われているかのようだ。まるで奴隷扱いだと感じて反発したのです。我々は奴隷になど一度もなったことはないと。

それに対してイエスさまが言われたのが「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」(8・34)という御言葉でした。そして、彼らユダヤ人がいかに罪深い存在であるかを示している動かぬ証拠は、このわたし、イエス・キリストを殺そうとしていることであるということを語られはじめたのです。次のように語られています。「あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである」(8・37)。

イエスさま、ちょっとお待ちくださいと言いたくなる場面です。「多くの人々がイエスを信じた」(8・30)と書かれているではありませんか。信じた人々がせっかくたくさん与えられたのに、その人々に「あなたたちはわたしの言葉を受け入れない」とおっしゃるのはひどいではありませんかと。しかし、イエスさまは、彼らの信仰は本心ではなく、うわべだけであると見ておられたに違いありません。

さて、この個所で説明が必要であると思われる部分は、ユダヤ人たちがイエスさまの前で繰り返し「わたしたちはアブラハムの子孫です」(8・33)「わたしたちの父はアブラハムです」(8・39)と主張し、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません」(8・41)と言い張っていることの意味は何だろうかということです。とくに「姦淫」とは何を意味するのかを考えておく必要があるでしょう。

彼らが言っていることを簡単に言い直せば、我々はいわゆる混血ではないということです。混血、これは今では全くひどい差別用語ですので、口にするのも嫌な表現ではあるのですが、要するに複数の民族の血が混ざっている状態を指して言うものです。ユダヤ人はそうではないと言いたいのです。我々は信仰の父アブラハムの血を純粋に受け継いでいる者たちであると。我々だけがそうであって、我々以外の民族、とりわけサマリア人には異邦人たちの血が混ざっている。アブラハムの血を純粋に保とうとしない彼らは「姦淫」の罪を犯したのであると言いたいのです。全くうんざりさせられます。

もう一つ考えてみたいのは、「信仰の父アブラハムの血を純粋に受け継ぐ」とは彼らユダヤ人たちにとって何を意味するのかという点です。その内容ははっきりしています。それは、我々ユダヤ人こそがアブラハムが信じた神から生まれた神の子であるということです。「わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」(8・41)と彼ら自身が言っているとおりです。

この理屈がわたしたちにとっては非常に分かりにくいものになるはずです。なぜ分かりにくいかと言いますと、彼らが言っていることを突き詰めると、まるで信仰とは血から血へと(自動的に!?)遺伝するものであると言っているかのようになってしまうからです。この点は、わたしたちには全く受け入れられません。理屈の上でも体験的にも受け入れられません。信仰者の子どもたちが自動的に信仰者になったという例を、わたしたちはいまだかつて一度も見たことがありません。そんなふうになるくらいならば、わたしたちが自分の子どもの信仰のことで苦労することなどは全くありません。これほど苦労して毎週教会に通う必要もない。これほど苦労して子どもたちを教会に通わせる必要もない。そもそも地上の教会など不要です。伝道集会など行う意味がありません。もしわたしたちが何もしなくても、自動的に血から血へと信仰が遺伝するならば、です。そのようなことはありえないと信じているからこそ、わたしたちは自分の子どもたちを教会に通わせてきたのです。信仰の継承には血のにじむような努力が必要であるということを、わたしたちは痛いほど知っているのです。

しかし、彼らユダヤ人たちが、自分たちの血が偉大なる信仰者アブラハムの血を純粋に受け継ぐものであるということに民族としての誇りを持つこと自体が間違っているとか、迷信であるなどと言う必要はありません。しかし彼らはやはり致命的な過ちを犯しています。その自分たちの純血性を強調するあまり、自分たち以外の人々をひどく見くだし、毛嫌いし、退けるところに罪があると言わなければなりません。「わたしは誰々の子孫である」ということを誇りにすること自体については「どうぞご自由に」と言う他はありません。しかし、そのようなことを言う人々が勢い余って、自分たちと比べて他の人々の血は汚いだの醜いだの罪深いだの言いだしはじめるときには「どうぞご自由に」などと言っている場合ではなくなります。全力を尽くして反対しなければならなくなります。そのような馬鹿げた考えは今すぐに捨てるべきであると、強く激しく戒めなければならなくなります。

ところが、この個所でイエスさまがユダヤ人の言動について問題にしておられることは、いま私が申し上げた点ではありません。問題にしておられるのは、あなたたちユダヤ人は差別主義者であるということではありません。問題にしておられるのは「あなたたちはわたしの言葉を聞こうとしない」という点です。「神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである」(8・47)とおっしゃっているとおりです。

先ほど申し上げました、ユダヤ人たちが言っていることが、まるで信仰というものが血から血へと自動的に遺伝するものであるかのように聞こえてしまうこと(読めてしまうこと)に彼らの間違いがあるという点を、イエスさま御自身が(この個所で)指摘しておられるわけではありません。しかしこのことも全く無関係とは思えません。もし信仰というものが血から血へと遺伝するものであるならば、教会に通う必要はないし、説教を聞く必要はないからです。このことを逆に考えてみれば、信仰とは遺伝によって(生物学的に?)受け継がれるものであると思い込んでいたユダヤ人たちがイエスさまの説教どころか、だれの説教をも真面目に聞こうとしなかったとしても、当然すぎるほどであるということに気づかされます。

ましてそのような人々が、イエスさまがお語りになる「真理」などというものに興味を持つはずがありませんでした。真理とはしばしば耳触りの悪いものだからです。彼らにとって耳触りのよい話は、自分のグループに属する人々が他のグループの人々に比べていかに純粋であるかということであり、他の人々はいかに醜く、汚らわしいかということだったことでしょう。そのような悪魔的な話題には食指を動かし、イエス・キリストの語る「真理」は無視する。それが当時のユダヤ人の姿でした。

わたしたちはこのような過ちには決して陥るべきではありません。くどいようですが、信仰は血によって遺伝しません。信仰は、神の御言葉の説教によって、教会生活を通して受け継がれるものです。イエスさまの言葉をお借りすれば、御言葉を聞かない人々は「神に属していない」のです。

(2009年10月4日、松戸小金原教会主日礼拝)

教室廃止のお知らせ

「改革派神学研修所 東関東教室」を廃止しました。謝罪文を同教室のホームページに記しました。



改革派神学研修所 東関東教室
http://higashikanto.reformed.jp



2009年10月3日土曜日

モノローグ

年齢のせいなのか、最近、独り言が多くなって、ひどく困っています。少し格好つけていえば、持って行きどころがない思いのようなものが襲って来て、外に洩れだし、溢れだしてしまう。そんな感じです。



だいぶ前に「改革派教義学」というサイトを立ち上げましたが、その中の「付録 改革派教義学 人名辞典」の作成に協力してくださる方々がおられないものかと、独りでつぶやいています。



“協力してくださる方々”というふうに書くと、私が「主」で、その方々を「副」の扱いにしてしまうことになるのかな、別にそういう意味ではないのだがな、“手伝ってくださる方々”のほうがいいかな、いやおんなじか、日本語は難しいと、またブツブツ。



特に願っていることは、外国語版のWikipediaにただリンクさせているだけの行がたくさんあるので、とりあえずそれぞれの日本語版を書いてくださる方がおられないだろうかということです。最初は、どの言語かの日本語訳で十分すぎるほどです。英語からの翻訳であれば得意な人はたくさんいそうだけどなあと、ブツブツ。Wikipediaはあくまでも公共のものであり、私物化できませんので、私はただリンクさせていただくだけなのですが。



しかし、こういうことをどなたかに“お願い”する権限や権威は、神学校の教授でも講師でもない私には無いよなあ、「へえ、何かのプロジェクトチームのリーダー気取りですか」とでも思われて失笑を買うくらいがおちだよなあと、堂々巡りが始まります。



「人間、権力というのはたぶんこういうときに欲しくなるのかもしれないなあ」と誘惑されもする。無冠の人間の限界を痛感します。



私の独り言の内容は、いつもこのようなことばかりです。ワインの銘柄とか、サッカーの話とか、そういうことにでも関心があれば(全く関心がないから書いているのですが)、もう少し人間としての魅力を持ちうるのかな、ダメだこりゃと、自嘲する日々です。



2009年10月2日金曜日

嫌いな言葉(3)

「なんとか的」と言うこと自体が間違いだと言いたいわけでもないのです。



とくに、翻訳をしなければならない場面では「他に訳しようがない」とも言えます。たとえば、biblicalに「聖書的」、またreformedやreformationalに「改革派的」や「改革主義的」といった辞書的な訳語を(ジグソーパズルのように)割り当てることが間違いであると言われると困ってしまうという人も多いでしょう。私自身も、翻訳の場合には似たようなことをしていますので、他人(ひと)のことは言えません。



とはいえ、たとえ翻訳の場合であっても、「辞書や脚注など無くても、本文を読むだけで意味まで分かるように訳すべきである」というのが今日の趨勢になっていますので、ただジグソーパズルをして済ませることで「翻訳できました」と安心することもできないのが実情です。



そのことよりも私が問題にしたいのは、「なんとか的」というレッテルを貼ってみせることで何事かをズバリ言い当てたかのような気になって(させて)、思考停止する(させる)ことの愚かさです。



その言葉の意味が分からない人たちが恐る恐る「あのー、『なんとか的』ってどういう意味なのでしょうか。教えていただけませんでしょうか」と聞こうものなら、「そんなことも知らねえのか」と言いたげな白い目を向けるばかりで、まともに答えようとしない。

じつは、その人々にも答えることができないのだと思います。深い意味を理解してきちんと説明できるくらいなら、「なんとか的」という言葉を振り回して人を煙(けむ)に巻いたりはしないものです。



「アホ」だ「てめえ」だ書くことに人を躓かせるものがあることは分かっていますが、これくらい強く言わなければ理解してもらえませんので、あえて憎まれるような言い方をしているつもりです。



2009年10月1日木曜日

嫌いな言葉(2)

それにしても、「なんとか的」という教会用語が多すぎることを恥ずかしく思っています。こういうのを、まさに悪い意味で「翻訳調」と言うのです。翻訳家の山岡洋一氏が常に痛烈に批判しておられる点です。横のものを縦にして「なんとか的」といいさえすれば何かを言い終えた気持ちになるのは、我々の悪い癖です。



もう廃れたのでしょうか、つい最近まで流行っていた「テーキーナー」「ミーターイーナー」と大声で叫ぶ漫才を思い出します。



「聖書的な」という言い回しも、かなり嫌いです。異端審問官的な感じで脅迫的に突き付けてくる「聖書的か否か」は、私に言わせていただくと、ほとんどの場合、意味不明です。



その問いを突き付けることで何をおっしゃりたいのかがこちらで理解できないという意味で「意味不明」です。



また、おそらくは、そのようにおっしゃっているご本人がそれによってご自分で何を言いたいのか分かっておられないようでもあるという意味でも「意味不明」です。



「日本人的な」という言葉を悪い意味でしか使わない日本人の説教者もたくさんいます。アホかと言いたくなります。「だったら、てめえはナニジンなんだよー」と。



「聖書的でない」や「改革派的でない」という言葉も、黙って聞いていると、「人間的である」というのとほとんど同じ意味で使っていることに気づかされます。どうやら根っこは同じです。



しかし、このテーマは、考えれば考えるほど、非常に深刻なものです。十分に博士論文のテーマになります。



日本の(とりわけプロテスタントの)教会の中に「神中心主義」の衣をかぶった「ヒューマニズム嫌い」ないし「人間嫌い」が色濃く見受けられます。私はこれを「羊の衣を着た狼」であると見ています。非常に邪悪極まりない何かです。