2009年10月2日金曜日

嫌いな言葉(3)

「なんとか的」と言うこと自体が間違いだと言いたいわけでもないのです。



とくに、翻訳をしなければならない場面では「他に訳しようがない」とも言えます。たとえば、biblicalに「聖書的」、またreformedやreformationalに「改革派的」や「改革主義的」といった辞書的な訳語を(ジグソーパズルのように)割り当てることが間違いであると言われると困ってしまうという人も多いでしょう。私自身も、翻訳の場合には似たようなことをしていますので、他人(ひと)のことは言えません。



とはいえ、たとえ翻訳の場合であっても、「辞書や脚注など無くても、本文を読むだけで意味まで分かるように訳すべきである」というのが今日の趨勢になっていますので、ただジグソーパズルをして済ませることで「翻訳できました」と安心することもできないのが実情です。



そのことよりも私が問題にしたいのは、「なんとか的」というレッテルを貼ってみせることで何事かをズバリ言い当てたかのような気になって(させて)、思考停止する(させる)ことの愚かさです。



その言葉の意味が分からない人たちが恐る恐る「あのー、『なんとか的』ってどういう意味なのでしょうか。教えていただけませんでしょうか」と聞こうものなら、「そんなことも知らねえのか」と言いたげな白い目を向けるばかりで、まともに答えようとしない。

じつは、その人々にも答えることができないのだと思います。深い意味を理解してきちんと説明できるくらいなら、「なんとか的」という言葉を振り回して人を煙(けむ)に巻いたりはしないものです。



「アホ」だ「てめえ」だ書くことに人を躓かせるものがあることは分かっていますが、これくらい強く言わなければ理解してもらえませんので、あえて憎まれるような言い方をしているつもりです。