2009年5月16日土曜日

客観的に見ればガラクタ置き場なので

パソコンクラッシュの件で、バックアップをしていたのかとご心配くださった方が複数おられますので、追記の必要を感じました。



松戸小金原教会の公的文書類(週報、月報など)や中会関係のデータにつきましては教会のパソコンのほうに記録していますし、すでに終了した説教や講演などの原稿につきましては基本的にすべてブログにアップしてきましたので、このあたりのことは全く問題ありません。

つまり、このたびの自損事故によってたとえすべてのデータが消失したとしても、何らかの責任問題のようなことへと発展する可能性はゼロです。このあたりのことはご安心(?)ください。

私にとっての大問題は、まだ表に出していない、書きかけの原稿とか、日本語になりつつある訳稿のたぐいの行方です。

こういうのが私の場合、山ほどあります。たぶんそれは私だけの特殊事情ではなく、多くの牧師たちも似たような事情ではないでしょうか。

善く言えば、それを磨けばもしかしたら光り輝く宝石になるかもしれない(ならないかもしれない)原石を掘り出していく石切り場のような場所、それが私のノートパソコンです。

悪く言えば(というか事実をそのまま言えば)ガラクタ置き場であり、ゴミの山です。

ですから、一つの考え方からすれば、「消えたのではない。最初から無かったのだ」と思えば済むようなものでもあるわけです。

それは、言ってみれば、私の思索のプロセスを断片的に(しかし私なりに精密な検証をしながら)書き留めているだけのものですので、いずれにせよ私の死後には不要になるものです。

気楽といえば気楽。こんなに呑気なことを言っていてよいのだろうかと思わなくはありません。



ちなみにこの文章は長男のパソコンを借りて書いています。これは本体2万円とちょっとの費用で私が自作したデスクトップパソコンですが、性能はびっくりするほど優れています(「Intel Atom プロセッサを使用したMini-ITX機です」と書けば、分かる人には分かっていただけるでしょう)。



もしノートパソコン(VAIO)本体の修復が不可能と判明した場合は、同じようなのをもう一台、自作しようかと思っています。部品を揃えさえすれば、組み立てそのものは一時間足らずで終了します。