2009年5月8日金曜日

どうしたら道は開けるか(6)

たしか5歳のときです(1970年!)。私の目の前を聖餐のパンと杯が通過していく。まるで逃げていくとんぼを追いかけるかのような目でそれを見た日のことを、今でもまざまざと思い起こすことができます。「おい、こら、おれを無視するな!おれは毎週教会に通っているのだし、この聖書の神を信じることはやぶさかではないと思っている。そのおれに、この集団のメンバーである以外の何でありうると言わせたいのか」という感覚を抱きました。



もちろん当時はまだこのような説明表現を用いることができませんでしたが、とにかく非常にむかっ腹が立ちました(あの小さなパンそれ自体が欲しかったわけではありません)。そして居ても立ってもいられなくなって牧師のところに行き、もしかしたら相当強い抗議めいた口調で(内心の意図は間違いなく「抗議」でした)「洗礼というのを受けさせてください」と申し出、小学校入学前のクリスマス(1971年12月26日)に洗礼を受けました。



しかし、言うまでもないことですが、当時の私に「キリスト教が何であるか」を十分な意味で理解できるはずはない。実感としては、この私は「教会」なるもののメンバーであるということだけであって、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。自分の所属する「教会」とは何なのかを言葉で説明することはできません。しかし、「教会」とは何なのかということは、感覚的実体としてははっきり分かっていました。ラテン語表現で言い直せば、教会の壁(muros ecclesiae)の「外」(extra)と「内」(intra)の違いが肌感覚のレベルで分かる。しかし、このようなことは別に、私の特殊能力のようなものではありえず、この国でキリスト者の家庭に生まれ育った人々の多くが知っている感覚なのだと思います。



しかし、です。少年時代の私がまさに肌感覚レベルで理解していたことは、「教会」はこの国の中で「マイノリティ」であるということでした。そして「教会」は、その中にいるかぎりにおいてはとても居心地の良い場所でした。良い意味での矜持をもつことができました。教会の「人間関係」に居心地の良さを感じたことはありませんでした(たぶん一度も)。牧師の説教は、むしろ居たたまれない気持ちにさせられるものでした(説明省略)。