「どうしたら道は開けるか」と書いてきましたが、自分の中ではだんだん馬鹿らしくなってきたところもあって困っています。「道は開いていない」などとは実は少しも感じていないもう一人の私がいたりしますし、ブレイクスルーの手段はインターネットであるなどと実は全く思っていない私がいたりする。
私が受けたと自称する「底値教育」は(もちろんこの表現は100%冗談ですが)事実ですし、「教団離脱者」であることも「普通の牧師」であることも事実です。しかしそのすべては間違いなく自分の強い意思で選んだものでした。これまでの自分を振り返ってみて改めて気づかされることは、私が歩んできた道のすべては誰かに決めてもらったものではないと言えるということです。
しかしそうは言いましても、自分では決めることができない要素も、人生には当然あります。たとえば、「1965年に生まれたこと」などは典型的なそれです(この文脈では「昭和40年」と言いたい)。
戦後20年。日本の歴史の中の「古いもの」と「新しいもの」が渾然としていた時代でした(自宅の前の道に初めてアスファルトがひかれたときのことを記憶しています)。その中で「古い日本」にとってはまさしく《対極》の位置に立つ空間・時間・思想・行動をもつ集団の中にどうやらこの私は所属しているらしいと、もちろんそのような説明表現を用いてではありませんでしたが、感づいたのは、まだ幼い頃のことでした。