2009年5月31日日曜日

いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(5)

しかし、です。これまで書いてきたことには大きな穴があるということを知らずにいるわけではありません。



厳然たる歴史的な事実は、あの新約聖書のパウロ書簡こそは、まさに典型的に、私が最下位に置いた「10.私信メール」に分類されるべきものであるということです。



しかし、しかし。そのパウロ書簡がもちえた「永続的影響力」たるや!(以下省略)



パウロ書簡は、今でいえば、たとえば「ローマの信徒へのメール」さながらであり、「コリントの信徒へのメール」さながらです。



複数教会の間で回覧されていたという点からいえば純粋に「私信」とまでは呼べないかもしれませんが、ほぼ確言できることは、それは「狭い範囲におけるメディアによるコミュニケーション」というに限りなく近いものであるということです。



すなわち、いうならば、「同質の宗教的確信ないし明文化された・または不文律である信仰箇条(信仰告白)において一致した(狭い)宗教的コミュニティ内部の回覧文書としてのパウロ書簡」です。



もしそういうものであるとパウロ自身が認識していなかったとしたら、「いっそのこと自ら去勢してしまえばよい(アソコを全部ちょんぎっちまえ!)」(ガラ5・12)のようなブッチャケ下ネタまでは、たぶん書かなかったでしょう。



とはいえ、このことと同時に考えさせられたこともあります。



それは、パウロ書簡の「永続的影響力」が発生したのは、歴史的に見れば、少なくとも「パウロ死後」のことでしょうし(パウロ個人に対するキリスト教的偉人としての評価の発生)、何より教会による「正典化」が決定的な意義をもったでしょうし(新約諸文書に対する崇敬の発生)、キリスト教のローマにおける「国教化」も大きいでしょう(キリスト教宗教の政治的影響力の確立)ということです。



それは結果論かもしれませんが、我々現代人が知っているのは、まさに結果です。「そもそもパウロ書簡には、これが書かれた当初から永続的影響力があったのだ」と自信をもって堂々と語ることができるのは、歴史と現在における聖書の不動の地位を知っているからです。



問題にするほどもないかもしれないことは、我々自身が書いたメール(≒はがき、手紙)が今から二千年後には、現在のパウロ書簡と同等の地位を有していることがありうるかどうか、です。



199X年、A牧師がB長老にメールを送りました。そのA牧師が200X年には、その教会(教団)の大会議長(教団議長)になりました。201X年、その教会(教団)は、新党「日本キリスト教民主党」の支持母体となり、A牧師は衆議院議員になりました。202X年、同党党首であるA元牧師は、日本国総理大臣になりました、とさ。



たとえば、こんなふうなことが起こったとしたら、199X年にA牧師がB長老に送ったメールには国宝級の価値が発生する、かもしれません。