2009年5月22日金曜日

立て直し!

VAIOくんは亡くなりました。データどころか本体のハード面が致命傷を負っていました。死なせてしまった私の責任は重大です。なんだかかわいそうなことをしました。



データのうち主だったものは、教会のパソコンやわが家のいくつかのパソコンに分散されて保存されていますので、どのみち近日中に購入せざるをえない新しいパソコンにそれらを集めさえすればよいことは分かっています。しかし、ここ数日間から一ヶ月ほど以内の書き物(いずれも未完成・未公表)は、死んだVAIOの中にしかありませんでした。こういうのが痛い。



ハードディスクからのデータレスキューが全く不可能だった原因として思い当たるのは、床に落下した瞬間も電源が入っていてハードディスクが稼働中だったことです。もしあのとき回っていなかったら違う結果だったかもしれません。落下直後、ハードディスクだけを取り出して少し振ってみたところ、カラカラと嫌な音がしました。何かが外れたかディスクが割れたかしたようでした。



私のパソコンの使い方は別に特殊なものでも何でもなく、多くの人がしておられるに違いないように、自分にとって使いやすいようにいじっている部分がけっこうあります。とくに私の場合、神学の面でいちおう専攻としてきた分野が「組織神学」(システマティック・セオロジー)である関係もあって、システム(体系ないし系統)の問題をいつも考えているようなところがありまして、それがパソコンの使い方(フォルダの立て方や並べ方など)にもけっこう反映していたりします。



つまり、やや大げさに言い直せば、パソコンの中身を私の脳みその中身(思惟構造)に近づけようとしてきたところがあるということです。



実は、このあたりの工夫については、いつも自分の手元にあるパソコンだけに施していたことでした。したがって、パソコンを新しく購入して分散されたデータをかき集めて来ても、それで即、仕事のペースが元通りに戻るわけではなく、まさにシステムの立て直しが必要だということ。これも痛いです。



ちなみにこの文章を書いているのは、昨年12月のオランダ旅行のために「旅先で壊れてもかまわないもの」として購入を思い立ち、ヤフオクで一万円ほどで落札した古いXPノートパソコンです(celeronプロセッサ)。しかし、動作の鈍さたるや、それはそれは今となっては本当にひどいシロモノで、これでは仕事になりません。



でも、考えてみれば、こんなひどいものが数年前には「最新鋭のテクノロジー」とか騒がれ、企業現場の最前線で実際に使用されていたのかと思うと、今の我々が扱っている仕事の作業速度のほうが異常なのかもしれないと、ちょっとだけ疑ってみたくなりました。



ともかく、気落ちしている余裕は私にはありません。すべて立て直しです!