2015年12月31日木曜日

牧師館より退去しました

2015年12月31日(木)をもって、11年9ヶ月過ごした松戸市小金原7丁目の牧師館より退去いたしました。東京電力、京葉ガス、松戸市水道局に電話し、電気、ガス、水道を停止してもらいました。

駐車場
石段
玄関前
玄関内
食事室
台所
居間
1F和室
階段
2F洋室1
2F洋室2
2F和室
2F物干し場
便所
裏庭通路
縁側
裏庭
庭木



2015年12月28日月曜日

年賀状割愛のお願い

みなさまへ。

12月24日(木)千葉県柏市に転居いたしました。

12月末の転居で大混乱状態ですので、誠に申し訳ありませんが、新年の年賀状はすべて割愛させていただきます。新住所は私宅(借家)につき一般公開は控えます。連絡はメール(yasushi.sekiguchi@gmail.com)かメッセージをご利用いただけますと助かります。

郵便局には新住所への転送依頼済みです。旧住所(松戸市小金原7丁目の牧師館か教会の住所)宛てのはがきや手紙のうち関口個人名義宛てのものに限り、一年間は新住所に転送されます。年賀状等をすでに送ってくださった方はご安心ください。

しかし、申し訳ありませんが、返信は割愛させていただきます。

2015年12月28日

関口 康

2015年12月26日土曜日

横浜中華街に行きました


今日(2015年12月26日土曜日)の夜は、横浜中華街の善隣門の近くにある中華料理店で家族で食事をしました。首都高速湾岸線を使い、東京湾アクアラインと横浜ベイブリッジを通って行きました。これから住む柏市の借家から横浜中華街まで往路90分、復路60分。一年間本当にお疲れさまでした。

2015年12月12日土曜日

「ウェストミンスター信仰告白との出会い」をめぐる回想

近藤勝彦『現代神学との対話』(ヨルダン社、1985年)
近藤勝彦先生の『現代神学との対話』(ヨルダン社、1985年)は過去3回は購入しましたが、人にあげるくせがあり失ったままでしたが、このたび落札することができました。私の一般教養の「哲学」の先生であり、学部の卒論と修士論文の指導教授でした。神学の講義を受けたことがないという意味です。

楽屋落ちの話をすれば、私の組織神学の先生は、組織神学Ⅰ(教義学)と組織神学Ⅲ(弁証学)が大木英夫教授、組織神学Ⅱ(倫理学)が佐藤敏夫教授でした。受講する年度が1年でも違うと教授が違うというローテーション方式だったので、私と同じ学年の人でも、受けた講義の内容が違う人がいるはずです。

楽屋落ちついでに覚えているままを書けば、1986年4月から履修した「組織神学Ⅰ(教義学)」の中で大木英夫教授が、今で言うアクティヴラーニングのようなことを学生にさせました。「あなたにとって教会とは何かを書きなさい」と言われ、書き終わったら一人ひとりに教室内でそれを発表させました。

そのとき私(学部3年、20歳から21歳になる年度)は当然のことのように、生まれたときから高校を卒業するまで通った教会の姿を思い浮かべたままを、いわば体験主義的に描写しました。ところがその同じ教室に私とは全く正反対の答えをした学生がいました。私の一学年上に学士編入してきた人でした。

と言っても29年前の記憶なので若干不鮮明なところがあることをお許しいただきたいのですが、その学生は大木教授からの「あなたにとって教会とは何かを書きなさい」という問いかけに対して、ウェストミンスター信仰告白(もしくは大小どちらかの教理問答)の教会の定義を丸暗記する形で回答しました。

そのような答え方を聞いた私は正直あっけにとられましたし、反感さえ覚えました。雑に言えば「なんだよ、すかしやがって」的な心理的リアクションがありました。しかしそのとき大木教授が「うむ。そういう答え方もある」と肯定的に受容なさるのを聞いて、これまた驚き、目が開かれる思いを抱きました。

その学生に対して大木教授がおっしゃったことを、私の記憶しているかぎりですがもう少し正確に言えば、「うむ。そういう答え方もある。そういう伝統の教会がある」でした。そのお答えに私が驚いたのは、私が生まれたときから高校を卒業するまで通った教会の伝統には全く欠片もない要素だったからです。

しかし、その体験(1986年の東京神学大学「組織神学Ⅰ(教義学)」での大木英夫教授のアクティヴラーニングでの一人の学生の回答)が私にとっての「ウェストミンスター信仰告白との最初の出会い」となり、12年後の1998年には「ウェストミンスター信仰告白に基づく教派」の一員になりました。

しかし、その私はいまだに、29年も前に自分の中で起こった「なんだよ、すかしやがって」という心理的リアクションを、さして罪悪感なしにはっきり覚えていることも事実です。現実の教会は、一つの神学や信条・信仰告白の命題だけで言い表せるものではない。そう認識することが重要だと思っています。

2015年12月9日水曜日

ある牧師

人口1600人強の寒村の教会に25歳で人生初の主任牧師として赴任した半年後、教会役員の親戚の会社社長と大げんかになり、日刊新聞紙上で大罵倒大会をする。赴任2年目に会社社長の親戚の教会役員が「役員やめる」と言いだす。3年目に都会の女性と結婚する。牧師夫妻は政治活動に熱心に取り組む。

会社社長と大げんかになった原因は、会社の従業員の多くが教会の会員で、その人々が「給料があまりにも少なすぎる」とこぼす声を聞き、「これは味方しなければ」と思ったから。その牧師は次々と(合計3つの)労働組合の立ち上げを支援する。それを知った会社社長はそんな牧師はつまみ出せと激怒する。

赴任4年目に初めての赤ちゃんが生まれる。その頃も牧師夫妻は政治活動に熱心に取り組む。赤ちゃんが4ヶ月になったときに戦争が始まる。ついに牧師は政治的に態度決定をし、開戦の半年後(教会赴任5年目)、戦争に大反対する側の政党に入党する。そして土日以外の週日はもっぱら政治活動に没頭する。

その牧師は赴任6年目になると(ちょうど30歳)、自分が対立している会社社長やその親戚である教会役員に当てこするようなことを日曜日の礼拝の説教の中で言うようになる。さらには、そのような内容の説教の文章を自費で印刷して、1600人強の村の全家庭に配布しはじめる。村は当然大騒ぎになる。

ということをしていたと思ったら、その年(30歳)の夏休みの直後から急に書斎に引きこもり、一冊の本を書きはじめる。若いのにがんばっているその牧師を応援したいのか、自分たちの手下にしたいのか分からない、とにかく手を差し伸べてくる大人たちを次々蹴散らし、進むべきわが道を独りで模索する。

赴任7年目は、ほぼ一年じゅう引きこもり、誰が読むかも分からない本を書き続ける。牧師の任期延長に反対するか態度を保留する教会員が85人になり(任期延長賛成者は189人)、日曜日の礼拝出席者は減り、教会分裂運動が起こっても、牧師は書斎に引きこもり、自分でも体調を崩しながら、本を書く。

翌年(赴任8年目)の夏に、その本の原稿がやっと完成する。本の形にして出版してくれる出版社が決まるまでに5ヶ月かかる。それは小さな出版社で、初版の印刷は1000部。すぐに売れたのはわずか300部だった。その後、残部を別の出版社が買い上げて売ってくれたおかげで初版はなんとか完売する。

その牧師(32歳)にとっては記念すべき本の出版予定日の前月、教会役員会の6名中4名が、牧師に対する抗議として役員を辞職する。その理由は「牧師のくせにゼネラル・ストライキを賛美した」からだという。その牧師は「賛美」した覚えはなく「解説」しただけだと釈明するが、聞き入れられなかった。

本を書くための引きこもり期間が終わり、教会役員会との決裂が修復不可能になって、かえって吹っ切れる。その翌年(赴任9年目)、牧師は大々的な政治活動を再開する。大規模なデモ行進に参加する。そして翌年(赴任10年目)、かろうじて初版が完売した本を全面的に書きなおして、第二版を出版する。

その第二版が大売れし、一大ブームになる。牧師は一躍、時の人になる。本の評判を聞いたスカウトマンたちが頭をひねり、この牧師を教会に置いたままにすると教会が壊れるばかりなので、学校で若い子たちに教える教師にしようと思いつく。こうして牧師は、10年働いた教会を辞めて、学校の教員になる。

左・第一版(1918年(表記は1919年)、右・第二版(1921年(表記は1922年)

2015年12月3日木曜日

無題

今日の来訪者とカール・バルトの話になった。バルトは牧師をやめて大学で教え始めた4年後、「私は結局のところ、ザーフェンヴィルの牧師としてはまったくうまくやれなかったという思いが私を苦しませます」と友人トゥルナイゼンに書いた(E.ブッシュ『カール・バルトの生涯』新教出版社、92頁)。

「ザーフェンヴィルの牧師としてはまったくうまくやれなかった」が、他の教会ならばうまく行ったに違いないという意味かどうかは分からない。歴史的事実としては、バルトの牧師としての経験は、ジュネーヴ教会(ドイツ語部)の副牧師だったことと、ザーフェンヴィル教会の牧師だったことがあるだけだ。

そのバルトがザーフェンヴィル教会を去るとき抱いた複雑な心境をブッシュが描いている。「一方で彼は、『私はこの10年間、まったく役に立たない僕』であったと考えた。しかし他方では、彼にとって『マタイ福音書10:14の思い出も、宗教的高慢なしで、身近に感じられた』」(同上書、178頁)。

「マタイ福音書10:14の思い出」とバルトが言っている意味は説明しがたいが、牧師たちには分かる。なんら武勇伝ではない。バルトの思いは教会の牧師としては失敗したというものだったとほぼ言える。今日の来訪者が「バルト先生にしてこの発言とは慰められますねえ」と。その言葉に私が慰められた。

2015年11月26日木曜日

出身大学関係者のみなさまへ

本文とは関係ありません
資金的にはまだまだ苦しいのですが、出身大学の「全面的」支援者に復帰すべきではないかと思い詰めている、この今の瞬間です。いえ別に単純に、もし出身大学が消滅してしまうと、私の「大卒・大学院卒・教員免許取得」の客観的根拠も消滅してしまうのでは、という危機感だけです。超・自己目的的です。

他大卒の学士編入者、修士編入者と張り合うつもりはありませんが、そうでない私のほうが切実感・深刻感は強いのではないかと(やや張り合う思いを否めぬまま)言いたくなります。高卒ストレートで入学すると「偏差値35」の地獄のラベルを貼りつけられたままですからね。別にどうでもいいですけどね。

出身大学ももっと入学者を増やしたいなら、「偏差値とはなんぞや」の大真面目な神学的レクチャーをホームページなりに公開して、「そういうこと」と「我々がしていること」との関係を丁寧に説明するようなことをもっと大真面目にやらないと、超然としたままでは今の高校生のだれも見向きもしませんよ。

もう少しちゃんと書いておきます。重要な問題の一つではないかと思うのは、「研究者」と「伝道者」の区別の中に潜む「教会の牧師としての伝道活動にとってヴィッセンシャフト(サイエンス)としての神学は不要であり有害無益かもしれない」という、私見によれば敬虔主義的な前提理解の是非の問題です。

「伝道そのものにヴィッセンシャフト(サイエンス)は要らない」と言い切るならば、ブルース・リーやマスター・ヨーダらの「考えるな、感じろ」(Don't think, feel)の世界と大差ありません。それでいいといえばいいのかもしれませんが、考えるなと言われると人は鬱屈・暴発します。

鬱屈・暴発も、それはそれで大変なので、「そこから先は自分で考えてください」と牧師が教会に対して言える環境を、私はもっと拡充しなければ、と考えている次第です。そのためにも、教会の伝道者たる牧師こそがヴィッセンシャフト(サイエンス)としての神学にもっと精通する必要があると思うのです。

私の学歴とか教員免許のことを書きましたが、それは「枕ことば」のような意味で書かせていただいただけで、私自身はどうでもいいことです。

2015年11月22日日曜日

一人の人間としても、主を信じる者としても(松戸小金原教会)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
フィレモンへの手紙8~16

「それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします。年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが、監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。彼は、以前はあなたにもわたしにも役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれませ。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。」

この個所は解説なしに読むと、いろいろと誤解を生んでしまう個所かもしれません。しかし、逆に言えば、解説を聞けば理解できる内容です。趣旨は次のようなことです。ただし、これから私が申し上げるのは、想像の要素が多く含まれている解説であることを、あらかじめお断りしておきます。

場所がどこであるかは分かりませんが、「パウロ」はどこか(おそらく牢獄)に監禁されている状態であると言っています。その監禁中の「パウロ」がオネシモという「子ども」を「もうけた」というのです。しかし、「子どもをもうけた」は比喩です。オネシモという人がイエス・キリストへの信仰へと導かれ、洗礼を受けたという意味です。信仰上の親子になったということです。

そのオネシモを「パウロ」としてはフィレモンのもとに「送り帰したい」と願っているわけです。前回申し上げたことですが、フィレモンはテモテやテトスとは違い、この手紙のどこにも、彼が狭義の教師、伝道者、牧師であったことを示す証拠は見当たりません。そのため、フィレモンをテモテやテトスと同じ意味で「伝道者」と呼ぶことは、根拠がないので不可能です。

ただ、前回は触れませんでしたが、フィレモン側の状況が少しは分かるかもしれない唯一の根拠は「あなたの家にある教会」(1:2)という表現です。私たちにとってピンときやすい、それに近そうな関係にあるのは「伝道所」かもしれません。しかし、フィレモンについて言われている「あなたの家にある教会」は、伝道所になる前の家庭集会のようなものを考えるほうが、より近いかもしれません。

その教会に、フィレモンというパウロが絶大なる信頼感を寄せている人がいる。その人がリーダーになり、中心になって、定期的あるいは不定期の礼拝なり集会なりが行われている。

この手紙から伝わってくるフィレモンの人となりは、人の世話をよくできる、その面で信頼されている人だったのではないかというようなことです。その人がいるだけで、周囲のみんなが明るくなり、元気になるような存在。「パウロ」よりもずっと若い世代の人の姿です。

そのフィレモンのもとにオネシモを「送り帰したい」というのが、今日の個所に書かれていることの趣旨です。そしてまた、この手紙全体の執筆目的であると考えることができます。「送り帰す」とは、もともとオネシモがフィレモンのもとにいたことを意味しています。

すべて想像の範囲内ですが、考えられることを申し上げます。オネシモはフィレモンの家で「奴隷」として雇われていた可能性がある、ということです。ただし、フィレモンの家にいた頃のオネシモは「役に立たない者」(11節)だったようです。一般的な言い方をすれば「仕事ができない人」だったのかもしれません。

また、書いていることを文字どおり受けとるとすれば、オネシモは「パウロ」にとって「監禁中にもうけた子ども」であるということは、二人の出会いの場所は監獄であるということです。オネシモは収監されるような犯罪をおかした人だったと考えられます。パウロはキリスト教信仰を宣べ伝えたことで迫害を受けての収監だったわけですが、オネシモは全くそうではない。しかし、不思議な導きで二人の間に接点が生まれた。そして、オネシモはキリスト教信仰へと導かれ、洗礼を受けた。

そして、「パウロ」としては、そのオネシモをフィレモンのもとに戻らせようと考えているわけです。しかし、フィレモンにとって、オネシモは、はっきりいえばかなり迷惑な存在でありえたわけです。犯罪をおかして収監された人でもある。一度雇ってみたが、以前の働きは全く使い物にならなかった。もう二度と雇うつもりはないと、フィレモンが考えていた可能性がある。

そのフィレモンの気持ちは「パウロ」もよく分かっている。だから、押し付けるつもりはない、と言いたいわけです。「先輩風を吹かせて強制的にオネシモをあなたに押し付けたいわけではありません。でも、誠に申し訳ありませんが、このオネシモをもう一度雇ってくださいませんでしょうか。どうかお願いいたします」と言っているわけです。オネシモの「就活」のために一肌脱いでいる感じです。

そのような「パウロ」の気持ちがよく表れているのが、「あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします」(8節)とか「あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです」(14節)というくだりです。

そして興味深いことが書かれています。「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためだったのかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」(15~16節)。

「パウロ」が言いたいのは、こういうことではないでしょうか。

「たしかにオネシモは、フィレモンくんのところにいた頃は、どうしようもないほど使い物にならない人間だったかもしれません。そのことは私にも分かります。しかし、フィレモンくん、このオネシモという男は、人間としても信仰者としても立派に成長しました。私どもがしっかり指導しましたので、もう大丈夫です。なにとぞどうかお考えいただきたいのは、オネシモが私の指導を受けたことは、あなたさまのところにこれからずっとおらせていただくためだったのではないでしょうかということです。奴隷としてではなく、主にある兄弟として、これからあなたさまと一緒に生きることに必要な人間的な成長に必要な時間だったのではないかということです」。

牧会者「パウロ」の真骨頂です。

(2015年11月22日、松戸小金原教会主日夕拝)

神に倣う者(松戸小金原教会)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
エフェソの信徒への手紙5・1~5

「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。」

今日からエフェソの信徒への手紙の5章に入ります。全部で6章ある手紙ですので、残りあと3分の1です。12月末で学び終えることができるようにスケジュールを組みました。この手紙の最後まで、共に学ばせていただきたいと願っています。

しかし、いまお読みしました個所は、新共同訳聖書をご覧になればお分かりいただけますが、4章の終わりで話題が途切れていませんので、段落が区切られていません。それは先週学んだ4章25節からの話題が続いていることを意味しています。本当は今日のような読み方をしてはいけないのかもしれません。とにかく了解しておくべきことは、すべては前回の個所の続きであるということです。

前回の個所に付けられている小見出しは「新しい生き方」でした。そういう内容のことが、今日の個所にも続いていると考えてください。しかし、新共同訳聖書の小見出しは元々のギリシア語原文に最初からあったわけではなく、あとから便宜的につけられたものです。このタイトルが不適切であるというような考えがあれば、別のタイトルをつけても、もちろん構いません。そのようなことも申し上げておく必要があるでしょう。

しかし、その前の段落の小見出しが「古い生き方を捨てる」であり、その「古い生き方」との対比を意図して「新しい生き方」という小見出しがつけられたことは明らかです。しかしまた、やや気をつけなければならないことは、この段落に「新しい生き方」という言葉そのものは出てこないということです。

それが出てくるのは、さらにその前の段落です。「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け」(4:22-23)。

今申し上げているのは大事な点です。「新しい生き方」という段落には出てこない「新しい」という言葉がその前の段落に出てきますが、「新しい生き方」でなく「新しい人」を「身に着け」と書かれています。その前には「古い人を脱ぎ捨て」と書かれています。「古い生き方」とは書かれていません。

ここでわたしたちが気づく必要があるのは、ここで言われている「新しい生き方」とは、「自分の力で自分が変わる」ということとは全く違うということです。そうではなくて、外から身に着けるものです。「新しい人を身に着ける」のです。

この「身に着ける」は自分が生まれながらに持っている性質や才能を育て、伸ばすことによって、自覚や考え方の方向性を換えるといったこととは違うことです。文字どおり服を着るように、まとうこと、羽織ることです。着用です。つまり、ここで「新しい人」とは、元々の私に、外からプラスされるものです。

この説明だけで聖書の人間理解、キリスト教の人間理解のすべてを語り尽くすことはできないかもしれません。しかし、そのようなことが少なくともこの個所に確かに書かれています。

言い方を換えれば、「自分が頑張りました。自分で頑張りました。自分で自分を変えました」と言い続けている間は何一つ「新しい生き方」になっていないし、「新しい人」を着ていません。「古い生き方」の「古い人」のままです。こういうふうに言い直せば皆さんにとって少しはピンとくるものがあるかもしれません。

生まれた時から先天的に与えられている性質や才能を育て、伸ばすことが間違っていると言いたいわけではありません。それは正しいことであり、必要なことであり、大事なことです。しかし、そのような方法でうまく行くのは、たぶん若いうちだけです。教会で年齢の話をするのはかなり慎重でなければならないと思いますが、私も先週50歳になりました。上り坂ではなく、下り坂です。そのことを謙虚に認める必要があります。

しかし、がっかりする必要はありませんし、どうかがっかりしないでください。聖書に教えられている意味の「新しい生き方」とは、自分の持って生まれた才能を育て、伸ばすことによって得られるようなものではないからです。天賦の才能のようなものは、年齢と共に失われます。しかし、それを失ったからといって、わたしたちの人生が終わるわけではありません。

それどころかむしろ、「私が頑張っている。私が頑張ってきた。私の力で私を変える」。そういうことが何ひとつ言えなくなったその日から「新しい生き方」が始まるのです。なぜなら「新しい生き方」とは100パーセント神さまから与えられるものだからです。自分の力で手を伸ばしてつかみとるものではないからです。

私が頑張った、自分の力で手に入れたと思っているものは、失うのが怖いでしょう。自分より力をつけてきた他の人々に、いつでも奪われる恐れがあるでしょう。しかし、「新しい人」はそのようなものではありません。

「新しい人」を得るために、努力は必要ありません。しかも、すべて無料(ただ)です。願えば、だれでもいただけます。その意味では無差別です。無料で、無差別でだれでもいただけるものというのは一般的には価値が無いものだとみなされるはずです。見せびらかすことの意味がありませんので。「それは無料ですよね。だれでももらえるものですよね」と言われてしまうようなものを、わざわざ見せびらかす人はいません。

しかし、神さまが与えてくださる「新しい人」とは、そういうものです。一般的には無価値なものです。人との差を競う思いの反対です。そういうのはすべて「古い生き方」であり、「古い人」です。そして、ここで重要なことは、その「古い人」はわたしたちの中に死ぬまで残り続けるものだということです。それを否定することはできません。「古い人」を「脱ぎ捨て……なければなりません」と書かれてはいますが、完全に脱ぎ捨てることができないからこそ、「……なければならない」のです。

しかし、その脱ぎ捨てようとしても脱ぎ捨てきれない「古い人」の上に「神にかたどって造られた新しい人」を「身に着ける」ことが勧められています。「古い人」と「新しい人」は重ね着が可能なのです。「あなたがその古い人を脱ぐまで待っています。新しい人を着るのは、それまでお預けです」と神さまから言われてしまうようなら、だれもそれを着ることはできません。

重ね着感がよく表されていたのが、先週の個所の「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません」でしょう。すぐに腹を立てるのはクリスチャンらしくないとか言われてしまうでしょう。でも、腹が立つことはだれにだってあるでしょう。先週の個所では、腹を立てること自体は禁止されていませんでした。しかし、日が暮れるまでには落ち着きなさいよという意味のことが言われていました。

「古い人」がいつまでもちらちら見え隠れする。「新しい人」は「古い人」の上から重ね着しているだけです。それでいいのです。それ以外の道はないのです。

今日の個所の「神に倣う者となる」は「神にかたどって造られた新しい人を身に着け(る)」(4:24)と同じ意味です。そうでなければ理解不可能です。

「倣う」とは真似することですので、「神さまの真似をしなさい」という意味になりますが、神さまではありえないわたしたち人間が神さまを真似することなどできっこない。どうしたらいいのかと、ただ戸惑うばかりです。

しかし、その「神に倣う」というわたしたち人間には不可能なことを神さまが可能にしてくださるのです。神の「何」に倣うのかといえば、ここで言われているのは「赦し」と「愛」です。「赦し」のほうは「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」(4:32)です。

「愛」のほうは「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」(5:2)です。「赦し」も「愛」も、神さまが、キリストにおいて、わたしたちにしてくださったことです。

つまり、「神に倣う者となる」とは「神さまはわたしたちの罪を赦してくださったでしょ、神さまのひとり子であるイエス・キリストの命をくださるほどまでにわたしたちを愛してくださったでしょ、だからわたしたちも互いに赦し合い、愛し合わなくてはなりませんよね」ということです。

わたしたちがどれほど神さまの真似をしても、わたしたち自身が神さまになるわけではありません。わたしたちにできるのは、神さまがわたしたちにしてくださった無条件の「赦し」と犠牲的な「愛」の道筋の真似をして、人を赦し、人を愛すことを諦めずに続けていくことですよね、という話です。

残る問題は、これらのことをわたしたちがどれくらい自分のこととして真剣に考えることができるかです。それが実はいちばん難しいことです。「互いに愛し合いなさい」とか「互いに赦し合いなさい」とか何度言われても、自分のことにならず、他人事のように思えてしまう。むなしい思いが消えない。心の中で「あかんべえ」と舌を出している。

それでもいいですし、そういうものですよ、という話です。「重ね着」でいいのです。

(2015年11月22日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年11月20日金曜日

ネット界も習うより慣れろ界

記事とは関係ありません
論じ尽くしている方がおられるかもしれないが、今朝しきりと考えさせられているのは、いろんな「いいね」があるということだ。特定の文脈への反応として考えているわけではない。同じ「いいね」に種類がある。「感謝いいね」も「同意いいね」も「了解いいね」も「冷笑いいね」も「軽蔑いいね」もある。

「エアいいね」もある。「いいね」なきいいね。「いいね」を押さないことで、いいねの意思表示をする。それが「弔意」の場合もあるし、「まあ落ち着け」と宥める意思表示の場合もあるし、「申し訳ありませんが、重要な問題だと思うので、少し考えるお時間をいただけませんか」の「エアいいね」もある。

記事を書く側も書く側で、その日の虫の居所によって「いいね」を押してもらえてうれしい場合もあれば激怒する場合もあるものだ。「どんな気持ちと丹念な調べに基づいてこの記事を書いたと思っているのだ。ヤスヤスといいねだけ押しちゃって。押してもいいけど、もっと丁重に押してくださいませ」とか。

だから、要は慣れだ。そうとしか言いようがない。そして強いて言えば、今の自分は「いいね」を押されると傷つきそうだという自覚があるときは、記事を書くのをしばらく休むほうがいいと思う。人の「いいね」は容赦ない。容赦なき「いいね」。仁義なき「いいね」。そういうものだと受け容れるしかない。

あとは、「友達」や「フォロワー」も、ある程度かもしれないが、絞ることはできる。自分に都合のいい「いいね」を押してくれる人だけに絞るという意味ではない。この「いいね」の意味は何であるかをだいたい察することができる人、顔や姿が想像できる人に絞る。そうすることが悪いとは私には思えない。

自虐や自己批判を書くと、そういうのばかり狙いすましたように「いいね」を押してくる人がいると、さすがにつらいものだ。そういうタイプの「攻撃性いいね」は押されれば押されるほどブロックしたくなるものだ。「嫌なら書くな」となる。そうやって自虐も自己批判も世から消え去る。油断もスキもない。

2015年11月18日水曜日

世界は罪深いことにおいて初めて本来の世界らしく調和するわけではない

ベルカウワーの予定論(原著1955年)の英語版(1960年)
ツイッターに書いたことを転載します。尊敬する次世代牧師とのやりとりの私のターンの部分を抽出しました。文脈はご想像にお任せします。文意を変更しない範囲で若干字句を修正しました。

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「十字架の神学研究会」報告に反応いただき、感謝です。

長大な議論の中の一点を取り上げて書いていますので、論理の飛躍はあるかもしれませんが、直接青野先生の本をお読みくださることをお勧めします。

必然化と美談化はもちろん別です。しかし、世界は罪深いことにおいて初めて本来の世界らしく調和するわけではありませんよね。ハナから「罪深くなければ世界らしくない」と考えてしまうような立場がもしあるとすれば、それこそグノーシスっぽいです。世界そのものの価値をおとしめることを意味せざるをえませんから。

ひとつ、譲歩(?)としていえば、神さまの意志(セレーマ)の内部の「神的必然性」として受肉や十字架をとらえることは、代々の教会がしてきたことではあると思います。しかし、人は神の側に立つことはできないので、人間の論理としては結局「必然ではない」と言わざるをえないわけです。

いえ、そんなに単純な話ではありません。ファン・ルーラーが「契約神学」をどのように評価していたかについては改革派の人からよく訊かれるのですが、残念ながらまだきちんと調べることができていません。ただ、ファン・ルーラーが「贖いの契約」を認めないことはありえないと、私は考えています。

なぜなら、たとえ受肉や十字架を「緊急対策」(emergency measure)だと言ったとしても、それはファン・ルーラーにとってはすべて神さまの「意志」(セレーマ)の内部の話としてとらえるべき事柄だと考えられていることは明らかだからです。

改革派の伝統的な「贖いの契約の教理」にしても、受肉や十字架を単純に「神的必然性」としてとらえてきたかどうかは、よく考える必要があります。そのように単純に言い切ってしまうと、人間の罪も堕落も「神的必然性」でとらえざるをえなくなり、神さまを罪の作者にしてしまいます。

改革派教会を外から眺めている人々は、改革派(カルヴァン派もほぼ同義)は「予定説」だから神さまのことを当然「罪の作者」だと思っているのだろうと見ています。でもそれは、根も葉も「ある」誤解です。改革派の中に「予定論」をそのように誤解する人がいたことは否定できません。

なにもかも「神の予定」の中で決定されていて、人間の罪も堕落も、キリストの受肉も十字架も、すべては神的必然性の中でとらえるのが改革派の神学的立場だというような説明をすれば、おそらく多くの方は、神さまとはなんてマッチポンプな方なのかという感覚を抱くだろうと思います。

でも、違いますからね。カルヴァンの理解は、もしかしたらマッチポンプっぽい神さまのようだったかもしれませんが、改革派教会の400年はカルヴァンのコピーや焼き直しで成り立っているわけではありません。カルヴァンはなんら「教祖」ではありませんので、内部で批判可能な存在です。

では、ファン・ルーラーはどうかといえば、彼こそは間違いなく「二重予定説」の立場に明確に立った人です。その点では、あらゆる万人救済説(普遍救済説)の人々と相容れません。しかし、だからといって神さまを、マッチポンプを仕掛ける罪の作者のような存在にすることも、ありえない。

ドンピシャで「カルヴァンからバルトへ~改革派プロテスタンティズムにおける選びの教理(予定論)の発展」というタイトルの本があるのですが(残念ながら私は持っていません)、オランダ語です。だいたい我々の関心にドンピシャの本はオランダ語です。

古いといえば古いのですが、ベルカウワーの予定論の英語版(Divine Election)は熟読の価値があると思います。出版とかそういうことはあまり考えずに全部自分で日本語に訳してみるといいと思います。

ベルカウワーの予定論がいいところは、バルトの予定論の後に書かれたもので、バルトの改革派予定論批判に対するレスポンスとして書かれている面があるからです。改革派予定論400年の歴史も踏まえられています。概観するのに便利です。英語版が余っていますので、差し上げます。

あと、ベルカウワーの予定論にはファン・ルーラーもかなり登場します。ベルカウワーのほうがファン・ルーラーより少し年上で、しかも所属教派が異なっていた(ベルカウワーはGKN、ファン・ルーラーはNHK)からでしょうか、かなりの面で批判を意図した引用ではあるのですが。

ベルカウワーの予定論は持っておられるのですね。それなら良かったです。さっきお書きになった全員(カルヴァン、トゥレッティーニ、フーティウス、ホッジ、カイパー、バーフィンク、バルト)の名前が出てきますよ。

2015年11月17日火曜日

「十字架の神学研究会」報告

青野太潮先生の『「十字架の神学」の展開』を読んでいます
本日2015年11月17日(火)午後5時30分から7時まで「十字架の神学研究会」が千葉英和高等学校(千葉県八千代市)で行われました。出席者11名でした。テキストは青野太潮先生の『「十字架の神学」の展開』(新教出版社、2006年)325~352ページでした。とても勉強になりました。

単元のタイトルは「滝沢神学との関連について」。議論の内容を要約して紹介することは難しすぎてできませんが、量義治氏が「青野神学が究極的に依拠しているのは滝沢(克己氏の)神学である」と断定してきたことに対して「それは違うと言わざるを得ない」(337ページ)と反論しておられる個所です。

青野先生の神学を指して「滝沢神学の直接・間接の影響下に、イエスとキリストとの分離の神学が有力になりつつあるのは、憂うべき傾向である。分離神学はキリスト教神学ではなくて、形而上学である。グノーシスである」(347ページ)と批判する量氏への青野先生の反論には説得力があると思いました。

繰り返し書いていますが、私が青野太潮先生に同意できると考えていることの中に、ファン・ルーラーの主張と重なる部分があります。今日のテキストでいえば、「十字架はなくてならぬものではない」(331ページ)という主張や、旧約聖書の予型論的解釈を批判しておられるところ(345ページ)です。

「十字架はなくてならぬものではない」という字面には、たちまちぎょっとされて「それは十字架不要論なのか、とんでもない」という拒絶反応を起こされてしまうことになりかねないのですが、歴史的事実に即して考えれば、十字架刑そのものを不測の事態であったと考えることは不可能とは言い切れません。

ファン・ルーラーはある意味でもっと大胆に、イエス・キリストの受肉(神にもかかわらず人になられたこと)まで「緊急対策」(emergency measure)であるとしたため多方面からひどい反発を招いたことで知られる神学者ですが、彼が言いたかったのは「必然性はない」という論理でした。

青野先生が「十字架」についておっしゃる「なくてならぬものではない」も論理の話だと私はとらえます。「何がなんでもイエスは十字架で死ななければならなかった」というような必然性の論理を許してしまうならば死刑の美談化や殺害そのものの美談化へ道を開いてしまいかねないと考えておられるのです。

ファン・ルーラーが「キリストの受肉」を「緊急対策」であるとした意図は、人間の罪の必然化の論理を禁じることでした。人を罪から救うための「キリストの受肉」に必然性を与えてしまうと、まるで人の罪に必然性があるかのようになるが、罪に市民権を与えてはならないとファン・ルーラーは考えました。

青野先生の主張とファン・ルーラーの主張は、論点や意図の違いがあっても、方向性において共通点があると感じられます。それは私見によれば、人間の罪や殺害や悪に対して、それらをまるで必然的なものであるかのようにみなすことによって美談化することは断じて許さない、という決意のようなものです。

「必要悪」という言葉は聞いたことがありますが、「必要罪」とか「必要殺」という言葉は、もしかしたらどこかで誰かが使っているのかもしれませんが、私は聞いたことがありません。しかし、そういうのはないし、あってはならない。殺人や犯罪に「それも必要だ」などと言って市民権を与えてはならない。

ある見方をすれば、もしかしたら「青臭い」考えかもしれません。しかし殺人や犯罪には必ず加害者と被害者がいます。それらについて必然性の論理を許した瞬間に、加害者に加担する立場に立つことを意味せざるをえません。神学の論理が「神の名」においてそれを許せば、被害者は完全に絶望するでしょう。

旧約聖書の予型論的解釈へのファン・ルーラーの批判については、私は研究ノート(http://ci.nii.ac.jp/naid/40019473313)を書いたことがあります。タイトルは「新約聖書は旧約聖書の「巻末用語小事典」か : 旧約聖書と新約聖書の関係についてのA.A.ファン・ルーラーの理解」です。

というようなことをあれこれ考えながら、今日も私はずっと黙って出席者の活発な議論を聴いていました。上に書いたことは私の勝手な読み込みかもしれませんし、ただの我田引水かもしれません。それでもいろいろ考えるきっかけを与えられるだけで私は満足です。次回の研究会は来年1月19日(火)です。

2015年11月13日金曜日

「通信教育部の学位の価値は高い」に賛成します

本日ついに修了認定試験の受験票が届きました
狭いので小さなヒントでも書くと分かる人にはすぐ分かる話なので、書くこと自体を迷いながら、でも書きますが、某大学の先生が「通信教育部でうちの学位を取得する人をズルいと言う人がいるが、冗談じゃない。通信教育部の学位の価値は高い。自分でやれば大変さが分かる」(大意)とおっしゃいました。

その大学ではありませんが、私もいま目的あって、ある大学のオンデマンド講義を受講中です。それで分かるのは、通信教育はきついということです。教室で講義を聴くのと根本的に何かが違う。その違いをうまく説明できないのですが、最も大きな違いがノンバーバル(非言語)の部分であることは確実です。

キャンパスで「得られる」または「得やすい」要素のうち、自室や外部で「得られない」または「得にくい」のは、場の空気、におい、雑音など。あるいは、通学途中の全プロセス。食べた飲んだ。そしてもちろん友人や教師の存在。すべてを合算したトータルな何かが記憶になる。当たり前のことですけどね。

そのような人間の記憶を構成するかなり重要な要素を全部省いた動画と音声だけで、一つの学位なり資格なり免許を習得できるレベルの知識にたどり着くのは、たしかに至難のわざです。今書いていることは、通信教育の弱点を言いたいのではなく、至難のわざをマスターした方々を心から絶賛したい思いです。

通信教育部がある大学で、そこの卒業生だとなると多くの人から羨ましがられ、通信教育部と分かると「なんだ通信か」のような言われ方をされてしまうところ、くらいまで書くとすぐ分かる方は多いかもしれません。「通信のくせに○大卒を名乗るのはズルい」などと真顔で言い始める人がいたりするという。

そのような国内の風潮に、通信教育部の学生さんたち「も」(「だけ」ではないです)指導しておられるお立場から猛烈に憤慨しておられた友人プロフェッサーの姿を思い浮かべながら書きました。文句あるんだったら自分でやってみろってんだ、まったく、と口角泡を飛ばすレベルの怒り方をされていました。

私は子どもの頃、進研ゼミだったかの通信をほとんど一枚のペーパーも返信できずに挫折した過去を持っています。だけど、というか、だからこそ、ですが、うちの通信教育部の卒業生であるということで見さげられる理由は一切ない、というそのプロフェッサーの言い分は、なるほどと思いながら聞きました。

このたび、某大学のオンデマンド講義を受講するという新しい形ではありますが通信教育を体験してみて、大変さがよく分かりました。まだ終わっていませんので、気を抜いている場合ではありませんが。このような愚痴めいた書き込みは、修了認定試験が2週間後に迫り、焦っている人間の防衛機制です。笑。

2015年11月12日木曜日

信仰と理性のハイブリッドシステムを

某大学のオンデマンド講義を聴講しています
「非学問だからこそそれは信仰なのである」という感覚は、現代の教会に独特の敬虔を生み出してもいます。しかし、私の理想というか目標を言わせていただけば、「信仰と理性の調停しがたい対立」という図式を克服・修正して「信仰と理性のハイブリッドシステム」の道はないかと模索しているところです。

私が神学、とくに組織神学/教義学の観点から「信仰と理性の対立の緩和」によるハイブリッドを求める場合は、教義学のキリスト教的・三位一体論的な内的論理を徹底的に考えぬくことで「そうバカにしたものでもないのだな」と分かってもらう方式ですね。

あとはなんでしょうかね。ぱっと思いつくかぎりでいえば、組織神学/教義学も一夜にしてできたものではありませんので、過去の外国語文献を翻訳して読むという作業を、当然避けて通ることができません。文献収集にも、翻訳にも、解釈にも、国家予算規模の費用を投じても実際には全く足りないほどです。

そしてその組織神学/教義学の過去の営みが、かなりの面で、カントにせよヘーゲルにせよハイデッガーにせよ、日本で著名な哲学者たちの「反面教師」ないし「下敷き」の役割を果たしてきたのは確実であるはずなのですが、そちらの研究がいまだにほとんどなされていないのはアンバランスであるはずです。

日本の大学の哲学科に属したことはありませんので内情は分かりませんが、たとえば、ヘーゲルの精神現象学の「精神」(大文字のガイスト)がキリスト教の「聖霊」(大文字のガイスト)と全くつながりがないということはありえないと私なんかには思えますが、日本でどのように教えられているのかとか。

挑戦的な意図で書くわけではありませんが(ほんとに)、キリスト教の組織神学/教義学の方法論と伝統に基づく「聖霊論」(Pneumatologie)を深く考えることがほとんどないままで、ヘーゲルの「大文字のガイストの現象学」を正しく理解できるとは私には思えないとか。

もう一つあえて書くとしたら、これこそジャーゴンなのですが、キリスト教が言うところの「神」の定義そのものに躊躇なく踏み込む畏れ多い仕事をするのが組織神学/教義学の本来の務めですので、こうなったら神さまご自身に「信仰と理性の対立の緩和」をお願いすることをしていくしかないです。

今書いたことの意味は、宗教者が自分の神に「信仰と理性の対立が緩和されますように」と祈祷するという意味であってももちろん一向に構わないわけですが、そういうことよりも、「神の定義」において「人間」ないし「人間性」との対立概念として「神」をとらえすぎることの危険性を指摘するとかです。

問いの立て方としては、「神である」とはいつでも必ず「人間でない」という意味でなければならないかとか、神と人の関係をいつでも必ず受肉論(神にもかかわらず人になられた論)でとらえなければならないだろうかとか、それは信仰の名を借りたアンスロフォビア(人間嫌い)の可能性はないだろうかとかです。

こういう問いの立て方がありうることを私が考えはじめたのは、モルトマンをインスパイアしたとされるファン・ルーラーの本を読み始めてからです。ほとんど受け売りです。モルトマンの「共苦」はキリスト論の範疇だと思いますが、ファン・ルーラーはキリスト論のみで神人関係をとらえるのを嫌いました。

なぜなら、キリスト論においては(or/ おいてすら)神人関係は「対立概念」でしか捉えられてこなかったからです。神である「にもかかわらず」(notwithstanding)人になられたのがイエス・キリストですから。逆接・逆説が成立するのは神人関係が「対立関係」であるときのみです。

しかし、キリスト教の「神」は「三位一体」であると、大昔から教会は堂々と言い続けてきました。「キリストだけ」が「神」であるとは言ってきませんでした。お父さんも、聖霊も「神さま」だと言い続けてきました。その、とくに「聖霊」は「人になじむ存在」として聖書に描かれていたりします。

だって「聖霊」は、人の中に「宿る」(inhabit)のですから。inhabitatio Spiritus sancti(聖霊の内住)です。しかも、聖霊は人に向かって常にけんか腰ではないです。けんかっぱやい邪霊が人の中に宿られた日には、我々は即入院でしょう。やばすぎますよね。

人の「理性」と、人の中に「宿る」(inhabit)「神」である「聖霊」とは、仲良く「同棲」する関係です。もちろん、可能であれば公に「結婚」すれば気がラクになると思いますが、まあ事実婚というのも許容されると思いますよ。これはまじめな話ですからね。面白い話でもありますけどね。

この「理性」と「聖霊」(「聖霊」は「神さま」ですからね、そこお間違えなく)の「同棲」を認めてもらえるようになれば、「信仰と理性との対立の緩和」は、組織神学/教義学の側から、これまでよりももっと積極的に、かつむしろ率先した形で可能になるだろうと、私は虎視眈々、考えております。

自分で書いた「教義学のキリスト教的・三位一体論的な内的論理を徹底的に考え抜くことで「そうバカにしたものでもないのだな」と分かってもらう方式とは、要するにアンセルムスの「知解を求める信仰」(fides quaerens intellctum)ですね。信じますけど考え続けますよ方式。

「考えるな、感じろ」というブルース・リー(燃えよドラゴン)だかマスター・ヨーダ(スターウォーズ)だかモーフィアス(マトリックス)だかのセリフと同じことをキリスト教の信仰に関して真顔で言う人と出会ったことがあり、耐え難い思いを抱いた日から私の目標がむしろ定まった面があったりします。

アンセルムスだって、理性による「知解」を続けていけばやがて「信仰」に至りうるとは言わなかったわけですよね。それは無理だ。だけど、「信じること」と「考えるのをやめること」とはイコールではないですよ。「考えたってどうせ分かんないんだから」と「だから考えるのをやめる」は別のことですよ。

しかも「信じますが考え続けますよ方式」だという場合の「考える」は、その考えていることの経路を字に書いて残していくことを当然含んでいるし、「思考のプロセスを書き残すこと」にこそ意味があると思います。結論よりプロセスに意味がある。正解なんかなくていいんですよ。どうせ分かんないんだし。

権威と伝統ある「命題」を無批判で受領して、その意味する内容や「論理」について考えることをやめ、ないし禁止され、ただ定期的にその「命題」をリズミカルに反復するような宗教や生活のあり方をおそらく「黙従」というのだと思いますが、そのほうがある意味でラクですが、私はその道には進みません。

私がけっこう長年、自分の目標としてきたつもりの「信じますが考え続けますよ方式」がアンセルムスの言うcredo ut intelligam(これの定訳は「知解するために信じる」でいいのでしょうか)と内容的に同じかどうかは正確には分かりませんが、方向性はたぶん共通していると思います。

考えるのをやめないでいれば、脳の老化対策になりますよね。いつまでも若々しさを保つことができますよ。結論出さなくていいんだってば。というか、出ないでしょ結論。自分が死んだらどこに行くのかとか、どこにも行かないのかとか。いや死なんでも、最も心和む人生とは何かとか。出ないですよ結論は。

若干きついことを加えるとすれば、キリスト教が反知性主義(アンチインテレクチュアリズム)に加担する場面があるとすれば、私が今書いている意味で「信じますが考え続けます」と言えなくなるときではないかと思います。信仰のすべてが理性の犠牲の上に生きているわけではない。両立しますよ、必ずね。

2015年11月10日火曜日

「人生をかける」と「生活がかかっている」は表裏一体です

記事とは関係ありません
しかし、私はカントの思想を知ること自体にさほど強い関心を持っているわけではありません。カントがDogmatiker(日本国内の定訳では独断論者ですかね)と呼んでいる中に間違いなく含まれているキリスト教の「教義学」(dogmatiek)ないし「組織神学」の権利を主張したいだけです。

しかもそれは私にとってはきわめて自己中心的なことです。私の実存、いえ私の生活がかかっています。それは私が「組織神学者」だとか「教義学者」だという意味ではなく(事実でないし、ジョークでも名乗ったことがありません)、私が学業を卒えた後に長年取り組んできた仕事の「根拠」にかかわります。

どこでも公開しているとおり、私は高校からストレートで「神学部神学科」に進学し、大学院は「神学研究科組織神学専攻」で、取得した学位は「学士(神学)」と「修士(神学)」です。中学一級、高校専修の「宗教」の教員免許は取得しましたが、他に持っている免許・資格は自動車の運転免許くらいです。

私と同じ経歴を持つ人は他にもおられるので、自分の特殊性を言い張りたいのではありませんが、「神学」の学位と「宗教」の教員免許が、より客観的な観点から見た私の仕事の「根拠」です。しかも、私が卒業した大学の入試偏差値などに興味がある方は、お知りになりたければネット検索ですぐ分かります。

それでも、あまり声を大にしては言いたくないことですが、教会の中だけにずっと引きこもっていられるなら、「神学」の学位と「宗教」の教員免許でこれからも末永く仕事をさせていただけるのかもしれません。しかし教会はそれほど甘くはありません。理由は割愛しますが。多分に内情暴露になりますので。

「神学」の学位と「宗教」の教員免許を持っている者が全く異質の業種の「仕事」に就くことも十分ありえることではありますが、ややもったいないことではあります。しかし、だからといって、教会の中だけにずっと引きこもっていることができず、教会の外で「仕事」をすることになる場合も十分あります。

学位や資格や免許などなくても就きうる「仕事」はあるし、過小評価する思いは皆無です。ただ、そういうもの(学位、資格、免許等)が要求される仕事「も」ある。その要求に対して「神学」の学位と「宗教」の教員免許の権利を主張せざるをえないというのが私の実存、いえ生活がかかっている関心事です。

「神学」だ「宗教」だをハナからアホ呼ばわりする方々の言説を見聞きしても、基本的には余裕の笑いを浮かべながら受け流すことが私にはできるつもりです。しかしそれが死活問題になるのは、「仕事」の根拠を疑われたり、生活基盤を剥奪されたりする場合です。そのときは笑っている場合ではありません。

「神学」と「宗教」だけの学位や免許だけを「仕事」の根拠にするのは危なっかしすぎるので、そんなときの保険のために、もっと世のため人のために役立つ学位や免許や資格を他にも取得しておくべきだという考えが当然すぎるほどあることも、よく分かっています。それは有り難いアドバイスでもあります。

しかし、そこであえて踏みとどまる。「神学」と「宗教」の権利を主張する。文科省が認定しているからどうのと言いたいのではないのですが、「神学」の学位と「宗教」の教員免許はアカデミックな価値があると、猛烈な逆風の中で言わせていただく。この主張が認められたらそれ自体が革命だと思うのです。

まあでも、私は、自分で料理を作った写真をfacebookに載せたり、9割9分ジョークしかネットに書かない、ほとんどずっと教会に引きこもりっぱなしの、世のため人のためには何の役にも立っていない、ただの「ブロガー牧師」ですけどね。はっはっは(ひきつった自虐の笑い)。

まあ私も、今は7割主夫のような感じなので、引きこもりと言っても、炊事、洗濯、掃除、家計管理、支払い、送り迎え、みたいなことでけっこうバタバタしてはいるのですが、「がっぽり稼いでくる」とか、そういうのはできないですね。笑。その分、節約して、支出を抑えているわけですが。笑。

ですし「がっぽり稼いでくる牧師」というのがどうも、私の良心回路(キカイダー搭載)が「それ概念矛盾だろ」という独り言をやや大声で叫びながら、速攻でパンチアウトすべき敵だと自動認識してロックオンするんですが。困ったなあ。私ね、たぶん牧師に向いてないんですね。気づくのが遅すぎるぜ。笑。

2015年11月9日月曜日

「古書をヤフオクで落札した瞬間」から「商品が手元に届く瞬間」までの心理分析

ハンナ・アーレントの『カント政治哲学の講義』(叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局、1995年)を落札し、郵便局ATMから古書店のゆうちょ銀行口座(旧ぱるる)に送金しました。古書店から「非常に良い」と評価していただきました。カントとヘーゲルの日本語版全集はいつか手に入れたいです。

カントにも、ハンナ・アーレントにも、もちろん興味があっての落札ではありますが、もっと手前に引いたところで、そもそも大学の講義というのはどのように組み立てられているのかを知りたいという関心が私にはあります。それが大学未満の学校(小中高など)でも、教会でも、応用できると思うからです。

それと「18世紀ビッグネーム氏の○○論」について20世紀ビッグネーム教授が解説している本を21世紀の我々が読む、というこの遠近感が、どう表現したらいいのかうまい言葉を思いつきませんが、とてもいい感じです。万華鏡をのぞいているようなキラキラ感がありますね(全くうまくない言葉です)。

カント、カントと私がずっと言っているのは、バルトもティリッヒもカント、カント言っていたわけで、形而上のことを学問研究の範疇に含めてよいかどうかという結局あの問題を避けて通れる現代の牧師も神学者もいないだろう(そもそもそれを「問題」として認識できない向きは別)と思っているからです。

「カント、カントと言われたら答えてあげるが世の情け」と昔のポケモンのロケット団っぽい言い方でごまかして逃げることにしますが、モルトマンへの関心も基本は同じ。「神とかマジ無理」という一般的言説も、無神論も、結局、形而上の事柄が学問の対象でありうるかという問題と深く結びついています。

「カント、カントと言われたら答えてあげるが世の情け」と昔のポケモンのロケット団の口真似で書いた以上、いちおう解説めいたことを書いておきます。全く厳密な言い方ではありませんが、「形而上」と「形而下」の区別というのは「超自然」と「自然」の区別だと言えば当たらずといえども遠からずです。

敬語表現を割愛して書けば、人の目に見えない神が世界を創造したらしいとか、水をぶどう酒に変化させた人がいるらしいとか、死んだ人が生き返ったらしいとか、天国とやらで人が今でも生きているらしいとか、そういう系のことが「超自然」であり「形而上」です。そのようなことが聖書に書かれています。

そういう「形而上」なり「超自然」なりの事柄は非学問であり、現代人にとっては「お話しにならないアホ話」だと認識することをセオリーとすることを、人類史上初めて主張したとは全く言えないものの、理論的・哲学的に言い切った重要な人物が、18世紀の哲学者インマヌエル・カント氏であるわけです。

そういうカント氏の言い分を、完全に否定するか、一部受け入れるか、全面的に受け入れるかという「問題」が、19世紀にも、20世紀にも、そして現在、21世紀にも、変わらずに、「聖書」を「神さまの言葉だ」と信じている人たちにとって完全には無視できない仕方で、襲いかかってきているわけです。

いやまあ、無視したければ無視しても構わないのですが、その場合は「あなたアホなんですね」と速攻で決めつけてくる人たちがいるわけです。アホアホ言われることに慣れている人たちは本格的に無視してもいいのですが、しつこいヘイトスピーチみたいなものですから、気に障る人は無視できないわけです。

分かりやすいか分かりにくいか分からない説明で申し訳ないのですが、まあとにかくそういうことを、私はアホみたいに考え続けているわけです。アホアホすみません。

「形而上」ないし「超自然」を学問の対象であると主張することでアホアホ言われようと、もしかすると自分自身は全く傷つかないという人の場合でも、アホアホ言われるたびに傷ついている教会員と共に痛み苦しむことが、現代の牧師や神学者に求められている基本姿勢ではないかと、私は考えるほうです。

その意味では、牧師はらくなものです。いざとなれば教会の中にずっと引きこもっていれば済んでしまうようなところがありますので。批判の矢面にいるのは世間のアバンギャルドで仕事している方々です。アホアホ言われるだけならまだしも、即解雇、免許・資格・学位などの剥奪、生活基盤喪失の世界です。

「そんな免許なら剥奪されちゃえば~。牧師になれば~」とか、やすやすと言いのける人をたまに見かけますが、大丈夫かと、正直心配になります。「牧師はらく」の意味は、まるで「窓のないモナド」のように体系的に自己完結した思想の中に引きこもっても文句言われない可能性があるということだけです。

かえってそのほうが「純粋な信仰者」に見えて尊敬される可能性さえあるかもしれません。窓をチコッと開けると、そこから死に至る毒ガスがどどっと押し寄せてくることが分かっているだけに。でも、その毒ガスも、即致死量なのか、まあしばらくは死にはせん(長年浴びると死ぬ)レベルなのかによります。

「外に出て浴びろよ」と言いたくなることがあります。他人に対してというより、自分自身に。問題はむしろ、窓をしめきって外部から押し寄せる毒ガスから自分たちを完全に遮断している気でいるその室内が、酸欠で窒息状態であったり、じめじめと湿気て、きのこが生えていたりする、そちら側にあります。

いま書いたような問題群が、ほぼ物心つく頃から今日に至るまで私の心を悩ませ続けている「カント問題」の核心部分です。小中高と公立学校で学んだことと関係あるかどうかは分かりません。ただし、「物心つく頃からカントを私は読んでいた」という意味では全くありません。そんなわけないじゃんね。笑。

話が飛躍するかもしれませんが、私、「ホンマでっかTV」(フジテレビ)というのがわりと好きで、時々観ているのですが、あれに出てくる脳科学者の澤口俊之氏が「あくまでも脳科学的に言えば、ですけどね」という口上でいろいろ言う、あの姿勢はいいなと思っている者です。

お互いを潰し合い、自分の論拠で他者の論拠を打ち消して自分の論拠だけを「上書き保存」するようなやり方ではない。いろんなシステムが共存することを許容する。そのすべてのシステムを統括・支配するより高次のシステムの考案者に自らなろうとしない。

神学は歴史をさかのぼれば、そういう「より高次のシステム」であろうとした時期があることは明白ですよね。「神学は諸学の女王、諸学は神学のはしため」と真顔で言っていた時期がある。その意気やよし、ですが、その後崩壊。

最近ではだれだろう、立花隆さんあたりがユビキタスなんとかみたいなことを言って全体統合のシステムを考える。あるいは、グーグルがすべての情報を支配する位置に立とうという意思を持っているのかな、分かりませんけど。でも、それもまた、全体の中の一パートにすぎない。

そういう単純だけど「謙遜や忍耐」を求められる位置づけをお互いに持ちあえるようになればいいのかな、みたいな。最後は個人の心の倫理のような話なのかもしれません。人の道をはずれていないかどうか、みたいな。

無事に届きました。ハンナ・アーレントの『カント政治哲学の講義』(叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局、1987年)。古書店さま、ありがとうございます。私のカントコレクション(カンコレ)の29冊目。次は本丸、カント全集行くか(無謀)。


インマヌエル・カントの/についての著作

(左から)

Kritik der reinen Vernunft(純粋理性批判)
Critique of Pure Reason(純粋理性批判)
Critique of Practical Reason(実践理性批判)
Critique of Judgement(判断力批判)
Religion within the Boundaries of Mere Reason
          (単なる理性の限界内の宗教)
講談社学術文庫『純粋理性批判(一)』天野貞祐訳
講談社学術文庫『純粋理性批判(二)』天野貞祐訳
講談社学術文庫『純粋理性批判(三)』天野貞祐訳
講談社学術文庫『純粋理性批判(四)』天野貞祐訳
岩波文庫『道徳哲学』
岩波文庫『道徳形而上学原論』
岩波文庫『純粋理性批判(上)』篠田秀雄訳
岩波文庫『純粋理性批判(中)』篠田秀雄訳
岩波文庫『純粋理性批判(下)』篠田秀雄訳
岩波文庫『実践理性批判』
岩波文庫『判断力批判(上)』
岩波文庫『判断力批判(下)』
岩波文庫『プロレゴメナ』
岩波文庫『啓蒙とは何か 他四篇』
岩波文庫『永遠平和のために』
岩波文庫『美と崇高との感情性に関する観察』
岩波文庫『人間学』
中公パックス世界の名著『カント』
B. バウフ『インマヌエル・カント 人とその思想』
カウルバッハ『インマヌエル・カント』
量義治『カントと形而上学の検証』
小倉貞秀『カント倫理学の基礎』
熊野純彦『カント 世界の限界を経験することは可能か』
ハンナ・アーレント『カント政治哲学の講義』

2015年11月7日土曜日

息を止めてモルトマンへジャンプする心境というか

モルトマンを読むのを我慢している状態なので、コメントするのも控えますが、説教集や講演集とかは「超訳」のほうが合うと思います。「最近の教会の牧師たちの説教、はっきり言っておもしろくないんですよね。私も若い頃は牧師をやりましたし、今でも日曜日の礼拝には出てますけどね」みたいな訳し方。

今の国内の政治情勢の中で、教会に通っているクリスチャンや牧師さんが、

「どう考えてもさすがにヤバイ。政治こわれすぎ。なにかしなくちゃ」

と重い腰を上げてみたものの、どの政党も右すぎるか、他宗教か、左すぎるように見えて見えて仕方なく、とてもじゃないが応援する気になれない。

まして「神とかマジ無理」とか「宗教こわい」とか「キリスト教こそ諸悪の根源」とか言っている人たちと組んだら、何を言われるか分からない。

「あんたかりにもクリスチャンなんでしょ。政治力学の数合わせのためなら無神論者とでも組めるわけ?」

とか口汚く罵られるんだろうなあ。

でも、けっこう当たってるんだよな、あの人たちの言い分。「もっと言ってもっと言って」と言いたくなるくらいに。政治のスタンスだけいえば、ほぼドンピシャだし。でも「無神論」ていうのが、どうもなあ。困ったなあ。

みたいなことでお悩みの方に「モルトマン」が効くかもしれません。

(副作用が出た場合は服用を中止してください。)

ああ読みたい。けど我慢我慢。いま手が離せないことがありまして。

ぜひブックレポート書いてください。シェアさせていただきます。人任せ。

日本の教会でより大きな運動を起こすためにはすでに広く出回っているテキストに基づく議論でなければならないと思います。カール・バルトでもいいのですが、いかんせん世代が違いすぎる。バルトが知らないインターネットをモルトマンは知っている。モルトマンの感性は我々とほとんど同じだと思います。

ダメだ、モルトマンを読んでいる。『十字架と革命』(新教出版社、1974年)。それと訳者・大庭健氏の解説に「うわあ」という言葉にならない思いを抱きながらも魅了されてしまっている。まあでも、今日予定していたことは無事完了。なんとか道が開けそうだ。Taking a New Step.

これしかないので、長いお付き合いの方には「またか」と飽きられるほどしつこい感じになりますが、私とユルゲン・モルトマン先生の一緒に写らせていただいた写真は、これです。



詳しい状況は、以下のとおり。

2008年12月10日(水)オランダ・アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit te Amsterdam)で「ファン・ルーラー生誕100年記念」(ファン・ルーラーは1908年12月10日生まれです)で開催された「国際ファン・ルーラー学会」(Internationale Van Ruler congres)の主催者から私の個人名宛てに招待状が届きましたので(事実)、これは「来い」ということだなと自分で思い込み、人生初の単独(ひとり)オランダ旅行を敢行した次第。

そんな光栄な国際学会に、せっかく日本から(多額の旅費を投じて)行くのだから、挨拶ぐらいせなあかんやろと、事前に主催者にメールを送り、スピーチさせてほしいと、私から頼み込んだ次第。

そして、英文のスピーチ原稿をアメリカ人宣教師にネイティヴチェックをしていただいたうえで、事前に主催者にメールで送り、オッケーをいただいた次第。(国際ファン・ルーラー学会でのスピーチ全文

そしたら、12月10日(水)当日、国際ファン・ルーラー学会のすべてのプログラムが終わる最後の最後に、プロテスタント神学大学総長ヘリット・イミンク先生が私をオランダ語で200人(後日主催者発表)の神学者(学会出席者)に紹介してくださったうえで、私の登壇となった次第。

国際学会の会場には、ファン・ルーラーの子どもさんたちもおられたし、国際学会のメイン講師としてドイツから招待されていたユルゲン・モルトマン先生もおられる前で、ウルトラ下手な英語で私が5分ほどのスピーチをさせていただいた次第。

そして、国際学会閉幕後、アムステルダム自由大学の別室で、オランダ、ドイツ、アメリカ、南アフリカ、日本(!)などの出席者200人によるレセプション(ビール、ワイン、ウィスキーなど)があり。

すっかり気持ちよくなったあと、「さて帰りましょうか」と、私と一緒に出席した石原知弘先生(改革派教会)と青木義紀先生(同盟基督教団)とでアムステルダム自由大学の玄関広間でウダウダしていたら、その玄関広間のベンチで、「ユルゲン・モルトマン先生」が、おそらく「次のレセプション」(二次会)に行くタクシーを待っておられた次第。

その姿を見た私、関口康が、石原先生と青木先生に耳打ちし、「ぎゃー、あれモルトマン先生だよね。ツーショット撮らせてもらおうよ。たぶんもう二度と会えないし。ゼッタイチャンスだよ。ぼくドイツ語できないから、先生たち交渉してよ」とけしかけた次第。

石原・青木両先生は、しぶしぶモルトマン先生のところに行ってくださり、交渉成立。それで実現したツーショット(フォーショット)写真です。

ですが、私は最初、4人の中の向かって(めっちゃ遠慮して)左端に立とうとしました。そしたら、写真左端のブリンクマン教授(アムステルダム自由大学神学部組織神学正教授)が、私の体をがっとつかみ、ご自分と入れ替えて、「きみはここだ」とモルトマン先生の隣りに押し込んでくださって実現した「写真」です。

なお「ファン・ルーラー研究会」は、昨年(2014年)10月27日に正式に解散しました。「ファン・ルーラー研究会」は、今は一人一人の心の中で活動しています。



誤解がありませぬように。モルトマンを私は初めて読もうとしているというわけではないのです。30年以上前から買って読んでいるし、ある人々からすれば過去の人扱いではないかと思います。私もどちらかというとずっと反発を感じてきたほうです。この人とは与すまいと決意していた時期があるほどです。

しかし最近、次第次第にですが心境の変化が起こってきました。モルトマンを読もうという気持ちとそれは深い次元で連結しています。モルトマンは私にとって、ある「一つ」の目的意識をもって読めばやっと意味が分かるという感じです。それは「一つ」だけです。その代わりその点は頑固なまでに明確です。

その「一つ」でモルトマンと合わない人は、彼の思想世界にたぶん一歩も入れないし、入る必要はないとずっと感じてきました。やっと読む気になったのは、「機が熟した」というか、彼を支持すべきかもという思いが生じているというか、他に道が残されていないようだと追い詰められているというか、です。

まあ、今はまだ、何を書いても暗号文を書いているような感覚があるので、「たとえを用いないで」話せる日が来るのが待ち遠しいです。待っていてくださいね、モルトマン先生、もう一度お会いしたいです。地上で。ドイツに行ったことないので、お金貯めて遊びに行きたいです。よろしくお願いいたします。

2015年11月4日水曜日

「今こそモルトマンを読むべきだ」と焦りながら手をつけられないでいる

やっと届きました、ユルゲン・モルトマンの説教集。古書店さま、ありがとうございます。

私が所蔵しているモルトマン先生の本はこれで15冊目です。まだまだ少ないです。ちょっとマニアックに原著出版年順に並べました。

ユルゲン・モルトマンの著作
(左から)
Theologie der Hoffnung(希望の神学), 1965.
『希望の神学』1968年(原著1965年)
『現代に生きる使徒信条』(共著)、1975年(原著1967年)
『神学の展望』1971年(原著1968年)
『十字架と革命』1974年(原著1970年)
Theology and Joy(神学と喜び), 1973 (Original German Version, 1971)
『人間』1973年(原著1971年)(※上の写真にはありません)
『キリストの未来と世界の終わり』1973年(原著1972年)
『聖霊の力における教会』1981年(原著1975年)
『神が来られるなら』1988年(原著1975年など)
『三位一体と神の国』1990年(原著1980年)
『二十世紀神学の展望』1989年(原著1984年など)
『創造における神』1991年(原著1985年)
『今日キリストは私たちにとって何者か』1996年(原著1994年)
『いのちの泉』1999年(原著1997年)

「今こそモルトマンを読むべきだ」と焦りながら手をつけられないでいる。モルトマン44歳の作品『十字架と革命』(原著1970年、日本語版1974年)の中の「無神論者との出会い」と「キリスト者とマルクス主義者の批判的連帯のために」という2つの章の趣旨をよく考える必要があると思っている。

前者の趣旨は「キリスト者は無神論者を敵視することはできないし、してはならない」ということであり、後者の趣旨はタイトルどおり、キリスト者とマルクス主義者の「批判的」連帯への模索である。今こそホットなテーマではないか。しかし、一筋縄では行かない問題であることは、依然として間違いない。

今こそモルトマンを読まなければと焦りながら手をつけられずにいるのは、読み始めると止まらなくなるほど面白すぎるからである。文句を言いたくなる部分もたくさんあるが、それは違う、モルトマンが我々にものすごく激しく文句を言っているのだ。現代の教会と牧師に対して、厳正な抗議をしているのだ。

2015年11月2日月曜日

作文の書き方(不定期)

本文とは関係ありません
私はネットだけに書いているわけではないが、比率としてはネットが多い。リアルで/に口下手で、子どもの頃の吃音の後遺症がまだあり、電話をかける前に原稿を書いていた時期が過去にあるほどで、字で思いを伝えるほうが対面よりもはるかにらくだ。ネットでリアルなしゃべり方ができるし、してしまう。

でも、字は字なので、対面でしゃべるのとは違う。それは当然そうだと思っている。ただ、字で思いを伝えることを何年も続けていると(ネット20年目)、文体は変わるし、変えたくなる。語順や語尾や感嘆文などでいろいろ細工したくなる。その影響がリアルの作文、説教や論文の文体のほうにも出てくる。

最近、ひとりで面白がって試してみているのは、facebookのコメントのやりとりのようなところで、相手のお名前を文章の途中に入れてみることだ。「たしかにそうなんですよね、○○さん、それよく分かります。教えてくださり、ありがとうございます。」のような書き方。ちょっぴり欧米風かなと。

主語と述語を逆さまに書いてみるのも悪くない。初めての相手にそういう文体はよしたほうがいいだろうが、ネットで長い付き合いのある相手であれば内容や意図が伝わらないことはないと思う。「面白くないんだよね、そういうのは」とか。「美味しかったです、今日のラーメンは」とか。さてどうだろうか。

私は自分でもかなり間違うくせに、他人の話のテニヲハや熟語や慣用句の言い間違いが逐一気になるほうだ。でも滅多なことではその人に訂正を求めたりはしない。もしかしてその相手の言い方のほうが、たとえセオリーどおりでなくても内容的に考えると正しいかもしれないと考えこんでしまうほどルーズだ。

だけど、自分は他人の言葉づかいを逐一チェックして訂正させるようなことを滅多にしないほどルーズでも、すべての人が私と同じでないことも分かっているつもりなので、私は他の方々にチェックの手間をお取らせしないよう可能なかぎりセオリーどおりの日本語でしゃべりたいし、書きたいと考えてはいる。

ただの当てずっぽうだが、自分がしゃべるときに、テニヲハや熟語や慣用句でどれほど言い間違いがあっても全く気にならない人は、たぶん吃音にはならないと思う。一瞬の脳内エラーのようなものかも。バグ。もしかしてセオリーの言い方や文法と違うかもと、迷いがよぎるたびに、つっかえてしまうのでは。

私の吃音の話になってしまったが、こういうことを書くと「よい治し方がありますよ」とか「あの病院に通ってみられたら」とか、ご丁寧に指南してくださる方がまれにおられるが、そういうのは勘弁してもらいたい。「うるさいよ」とかすぐキレるので取り扱い注意。笑。言いたいのは、そこではないわけで。

しゃべるように書き、書くようにしゃべる。それがたぶん、作文力が伸びる最短コースではないかと私は考える。吃音の人は、自分の吃音どおりに書けばいいかもしれない。「えーと、あのー、そ、そうですよね。んま、まあ、なんとなく分かりますよ」とか。その原稿を読めばいい。もっとひどくなるのかな。

教会と学業の両立

小学生が書いてくれました
いま教会で通常の日曜学校とは別に中学生向けの入門クラスを私が担当しているが、「分かる」とか「面白い」と言ってくれる。詳しいことは書けないが、公立中学に通い、公立高校を目指している子たちだ。私の基本スタンスは、公立学校の教育内容を全否定するような「神学」に立って話さ「ない」ことだ。

厳密な話をしているのではない。たとえば、文科省の学習指導要領に忠実にそった「神学」(もしそんなのがあるとすれば)に立って話「す」というような意味では全くない。そもそも学習指導要領を見たことがない。もう30年以上前だが、私も小中高は公立学校だった。その頃の感覚を忘れていないだけだ。

なぜ私が公立学校の教育内容を全否定するような「神学」に立って話さ「ない」で中学生たちの入門クラスをするのかといえば、理由は単純。その子たちが学校に行くのが嫌にならないようにすべきだと思うからだ。少し大げさに言えば、教会の使命は人を神のもとから世へと「派遣」することだと思うからだ。

中学生向けの入門クラスのことを先に書いたが、日曜学校の小学生たち向けの説教も月3ペースで私がしているが、基本スタンスは同じにしている。その子たちが学校に通うのが嫌になるような教え方はしない。「世との妥協」を教えているつもりはないが、歯車の噛み合わせのようなことを常に意識している。

別言すれば「世との妥協」ではないが「世離れ」しないように教える。そのような意識で、子どもたちにも大人たちにも話すように私はしている。このような私の基本スタンスは、ある見方をすれば、おそらく「リベラル」と評される。面と向かって私に「リベラル」というラベルを貼った人は、まだいないが。

どんなラベルを貼られようと私は構わない。教会と学業の両立ができるようになってもらいたいという願いが間違っているとは思わない。子どもたちにはある意味で過酷かもしれないが、プロテスタントらしく「世俗内的禁欲」の線で教える。勇気をもって大胆に世へと突入してほしい。それは不信仰ではない。

2015年11月1日日曜日

牧会祈祷

天の父なる御神よ

今日は秋の特別集会として、敬愛する横田隆先生をお迎えして礼拝をささげることが許されました。午後にも講演会を行います。心から感謝いたします。

天と地と海とその中にあるすべてのものを造り、保ち、統べ治めておられるあなたが御子イエス・キリストにおいて聖霊を通してわたしたちに与えてくださった豊かな恵みを、今日の礼拝を通しても深く味わい知ることができますようにお導きください。

今日の秋の特別集会の企画と準備をしてくださった伝道委員会の方々に特別の顧みがありますようお祈りします。

今日から11月です。2015年の歩みも残り2ヶ月となりました。今日まであなたが教会とわたしたち一人一人をお支えくださいましたことを感謝いたします。来年度の教会も力強く導かれますように、お祈りいたします。

わたしたち自身の日々の生活がこのようになんとか守られていますことを感謝いたします。しかし、体調不良の日もあります。重い気分の日もあります。起き上がることにも立つことにも困難を覚える日もあります。家族や友人や職場の人たちの中にも、苦しんでいる方が大勢います。どうかあなたが全能のそのみ力によって、わたしたちを助け、守り、苦しみの中から救い出し、平安で健やかな日々を与えてくださいますよう、お願いいたします。

日本と世界の平和のために祈ります。為政者が正しい政治を行おうとしないとき多くの人が苦しみ悶えます。この国が武力に頼らない国であることをわたしたちは誇りに思っています。どうか世界をお造りになったあなた御自身が、この世界を正しく整えてくださいますようお願いいたします。

礼拝の奉仕者のために祈ります。奏楽者の方々に、受付の方々に、説教してくださる横田先生に、また司式者の上にも、励ましと顧みがありますように。

また本日は聖餐式を執り行います。主イエス・キリストのお定めになった恵みの契約の儀式です。どうかわたしたちが心を新たにして、主の体と血にあずかることができますように。また、これから新たに洗礼を受け、あるいは信仰を告白して主の聖餐にあずかる兄弟姉妹を増し加えてくださいますように。そのための準備会を今行っていますので、出席者を励ましてくださいますように。

昔も今もとこしえに変わらぬあなたの愛と恵みに感謝し、我らの救い主イエス・キリストの御名によって、この祈りを御前にささげます。

アーメン

2015年10月27日火曜日

この難局を乗り越えた先に希望があると信じよう

『30年代の危機と哲学』(イザラ書房、1976年)
『30年代の危機と哲学』読了。フッサール1、ハイデッガー2、ホルクハイマー1。ハイデッガーの「ドイツ的大学の自己主張」と「なぜわれらは田舎にとどまるか」は端的に面白い。「ドイツ民族統率者養成こそ大学の使命!」とアジった哲学者(前者)が、謝罪の明言はないが反省の色を示す(後者)。

職業柄かもしれない(そうでないかもしれない)が、変節する思想家を嫌いになれない。「勇気をもって大胆に変節せよ」と言いたくなる。それも、「我々は常に正義だ。真理は我らの手にある。誤謬の中にいるのは常にあなただ。ほら早く変節せよ」という意味ではない。そういうことは考えたことがない。

それにしても、変節は許容されるべきである。それが、その人自身の救済になり、かつ思想家と教師の影響下にある多くの人々の救済になる。今からでも、いつからでも、遅くない。その思想、その立場を、変えることはできる。

神学も同じだと考えざるをえない。神が変節することはさすがに考えにくい。しかし、神が人にとって捉えがたい(incomprehensive)存在であることは間違いないわけだから(間違いないと断言できるかどうかも考えなおす余地があるかもしれない)、人は幾様にも神を考えなおすことができる。

神は「捉えがたい」存在であるゆえに、人は神を幾様にも考えなおすことができる。と、ここで話を終わると不安がられることが多いことを知っている。しかし、あえてここで止める。安心を求め過ぎるのは我々の悪いくせだ。考え続けることをやめるべきでないのは、宗教も同じ。

気になって、フッサールとハイデッガーとホルクハイマーの年齢差を調べた。フッサール(1859年生まれ)とハイデッガー(1889年生まれ)は30歳差。フライブルク大学総長就任講演「ドイツ的大学の自己主張」のハイデッガーは43歳。ホルクハイマー(1895年生まれ)とハイデッガーは6歳差。

70代のフッサールと40代のハイデッガーと30代のホルクハイマーを想像すると、「白い巨塔」の東と財前と里見を、つい思い出してしまった。2003年版テレビドラマでいえば、石坂浩二と唐沢寿明と江口洋介。老教授と、野心満々の新進気鋭と、両方からいささか距離を置いて批判的に見ている同僚。

さて、今日は忙しい一日になりそうだ。もうお帰りになったが、朝から来客あり。これから出かけ、あっちに行ったりこっちに行ったりしなくてはならない。書くべき書類(まだ白紙だが)も増えてきた。この難局を乗り越えた先に希望があると信じよう。各自やれることは、まだたくさんあるはずだ。私にもある。

2015年10月24日土曜日

作文の書き方(続き)

本文とは関係ありません
雑誌は「笑点の大喜利」にたとえられるのではと思います。いるのは司会者さんと噺家さんたちと座布団運びさん。司会者さんが編集長、噺家さんがメイン記事の書き手、座布団運びさんは書評の書き手。とか言うと怒られるでしょうか。そこで怒ると座布団運びさんに怒られますよ。座布団持っていかれます。

笑点の大喜利も計算しつくされた編集の世界ですよね。その中で、リーダーシップを持ちながら目立ちすぎてはいけない司会者さんと、目立つことで競い合う気がないなら出る意味がない噺家さんたちと、噺家さんより目立つことはゼッタイ許されないけど時々キラメク座布団運びさんの三者の絶妙のやりとり。

雑誌もそれと同じ。編集長がメイン記事の書き手たちより目立つ雑誌は純粋に個人誌というべきものですが、だったら編集長が全部自分一人で書けばと言いたくなるようなのもたまに見かけます。そういう雑誌は失敗作です。司会者の歌丸さんの独演会のようなもので、噺家さんたちはうちに帰っていいですよ。

しかも笑点の中で、その人がいなければ全体が成り立たないけど・他の出演者より目立つことはゼッタイに許されないのが座布団運びさん。その人の一人舞台になってしまったら全部ぶち壊し。そのあたりの自分に与えられた位置と役割を正確に理解して立ち回れる人が最適任者であるのは間違いないわけです。

それって、考えれば考えるほど、恐ろしいまでに難しい仕事だと私なんかは思うわけです。座布団運びくらい誰でもできるとか、とんでもない誤解です。その恐ろしいまでに難しい座布団運びの仕事が、雑誌で言えば書評の書き手ではないかと思うのです。あれなめたら、次のチャンスなんかゼッタイないです。

いま私の目の前に実例があって、当てこすりか、お小言を書いているわけではありません。ちょこちょこと、さらさらと、小さな小さな文章を締め切りを守って書くことを続けていく中で、でかいものを書かせてもらえるようになるのが「書き物の世界」の常ではないかと当たり前のことを考えているだけです。

いくらたとえと言っても、書評の書き手を笑点の大喜利の座布団運びさんにたとえるなんて、見当違いすぎて間違っていると、やっぱり怒られるかもしれません。私にはだれかをけなす意図はありません。ただ、メインの出演者を食ってしまうような大活躍は控えるほうがいいのではないかと言いたいだけです。

作文の書き方

本文とは関係ありません
これは私(来月50)のことではなく若い世代の方々に言いたいことですが、伝統や権威ある雑誌に論文を掲載してもらうのを狙いつつ待てど暮らせどチャンスが来ないという感じよりも、既成の雑誌という雑誌、紀要という紀要に、ちょこちょこ書き、名前を覚えてもらうというほうが得策だということです。

これは雑誌や紀要の編集側をやらせてもらったことがある人は誰でも知っていることですが、その仕事の最大かつ最悪の悩みは、原稿の締め切り日を守らない人が多いこと。そこ狙い目です。原稿の締め切り日を守れない書き手よりも、守れる書き手のほうが、間違いなく「次の」チャンスが与えられますから。

私にもありました。専門書店に並んでいるような、その筋では著名な雑誌の編集長から電話がかかってきて、「ごめん、関口さん。短い書評なんだけど、予定していた人に急にキャンセルされたので、困ってるんだよね。関口さんなら、さらさらっと書いてくれるかなと思って」と。「あ、いっすよ」で決まり。

雑誌というのもトータルとしての完結した一作品であるために、じっくり時間をかけて書かれた部分だけでなく、さらさらっていう部分も必要。メインの特集記事とか、著名な書き手の連載記事とかと比べて、書評とかそのあたりは「埋め草」のような面がないわけではない。そういうのが狙い目なんだってば。

そのあたりの雑誌発行者のニードをくみ取り、それに合わせた書き方や内容の作文を提供できる書き手は、もてます。「次の」チャンスが必ず与えられます。遅筆なのがいけないわけではないですが、そういう人は初めから、自分は死ぬまでに一冊本を書くことを目標にする、という気持ちでいればいいのです。

でかいのをじっくり時間をかけてドン、みたいな書き方の人は、それなりの生き方を選べばいい。ですが、内容は軽薄かもしれないけど、雑誌発行者のニードを満たしうる作文をさらさらっとたくさん書き、多くの人に名前を覚えてもらえる人になることも、書き手として一つの立派な生き方だと私は思います。

2015年10月21日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 04

PDF版はここをクリックしてください

ヨハネによる福音書1・19~28

この箇所の「ヨハネ」はこの福音書を書いたヨハネではなく、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。このヨハネがそれをするために来たと言われている「証し」の内容が紹介されています。

その「証し」の内容を説明する前に確認しておきたいことがあります。それはバプテスマのヨハネが立たされていた危険な状況です。「エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとに遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させた」(19節)は「質問」というより「尋問」です。「祭司やレビ人たち」と呼ばれているのは宗教家を引き連れた警察官のような存在です。祭司が宗教家、レビ人が警察官。彼らの意図は取り調べです。「エルサレムのユダヤ人たち」は彼らの上司です。

彼らは噂を聞いたのです。ヨハネという怪しい人間がいるらしい。この男は人を大勢集めて新しいグループを作っている。集まった人に洗礼を授け、「これから来る救い主を待ち望め。そのために準備せよ」と呼びかけていると。ヨハネとは何者か。現地に行って本人に会って調べてこい。

ヨハネが置かれた状況とは次のようなものです。一人のヨハネを大勢の取調官が取り囲んでいる。彼らはヨハネに対し、矢継ぎ早に質問を繰り出し、尋問する。ヨハネが少しでも隙を見せたりぼろを出したりすれば、即刻逮捕して、エルサレムに連行し、処刑する。その状況の中でヨハネが「証し」をしました。彼がこの「証し」の中で語っていることの要点は、次のようなものです。

第一は、ヨハネ自身はメシアではないということです。「あなたはどなたですか」という質問に対し、「わたしはメシアではない」と答えています。「わたし自身はイスラエルが待ち望んだ救い主キリストではない」と言っています。

第二は、ヨハネ自身は偉大な預言者でもないということです。「あなたはエリヤですか」という質問に「違う」と答え、また「あなたはあの預言者ですか」と問われて「そうではない」と答えています。「エリヤ」は旧約の時代に活躍した預言者です。質問者の意図は「あなたはあの偉大な預言者エリヤの生まれ変わりだと自称するつもりですか」ということです。「あの預言者」と呼ばれているのが誰を指しているのかは不明です。しかし、彼らの質問の意図は「あなたは自分を特別な預言者だと思っているのですか」です。ヨハネはそれを否定します。私は偉大な預言者ではないと言っています。

第三は、ヨハネが答えている「わたしはメシアではない」とか「わたしはエリヤ(のような偉大な預言者)ではない」と言っているとき、その強調点は「わたしは」にあるということです。「メシアはわたしではない。別の方がメシアである」ということです。これはヨハネの責任逃れではありません。はぐらかしているのでも、他者に責任を転嫁しているのでもありません。「わたしはメシアではなく、メシアは別の方である。あなたがたはその方を知らないが、わたしは知っている」と言っています。

ここまで言えばヨハネを追及している人たちは「メシアがだれかを知っているならば、それは誰かを今ここで言え」と口を割らせようとしたことでしょう。しかし、ヨハネは吐きません。もしヨハネがそれをしゃべってしまえば、追及の手はすぐにでもイエスさまのところへと及んだでしょう。それこそが責任転嫁です。しかしヨハネはそうしませんでした。イエスさまをお守りしたのです。

第四は、「わたしはメシアではない」というヨハネの答えの真意は何かという問いのもう一つの答えです。責任転嫁ではないという点はすでに申し上げました。ならば、何なのか。この点で考えられることは二つです。第一はヨハネの謙遜です。第二はヨハネの信仰です。

第一の、ヨハネの謙遜は、「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(27節)という言葉に表われています。イエスさまはヨハネよりも年齢的に若かったわけですし、イエスさまはヨハネから洗礼を受けたのであって、その逆ではありません。しかしヨハネは、自分自身はイエスさまよりも劣っており、イエスさまの下に立つ人間であると告白しています。

優劣の関係だの上下関係だのという話は今日では好まれません。私もこのような話はできるかぎり避けたいほうです。しかし問題となっている事柄が「謙遜」にかかわる場合は、優劣とか上下という関係づけを避けることはできません。なぜなら、「謙遜」とは、相手に対して私は徹底的に下であると自覚すること、そして実際に相手よりも下の位置に自分の身を置いてしまうことを意味しているからです。

「謙遜」とは、力にかかわる概念です。話や言葉として「謙遜」を口にするだけでは足りません。文字どおり相手の持っている力の前に圧倒され、押しつぶされ、粉々に砕かれることが求められます。ヨハネはそれを知っていました。これから来られる真のメシア、イエス・キリストは、私ごときは足もとに及ばない真の力、救いの力を持っておられる方であると、ヨハネは告白しています。

第二の、ヨハネの信仰は、イザヤの言葉を用いて語った「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道を真っ直ぐにせよ』と」(23節)という言葉に表われています。

このイザヤの言葉は、実際には次のようなものです。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ書40・3)。実際のイザヤ書の言葉とヨハネが引用している言葉が少し違っているのは、この引用がヘブライ語の旧約聖書からではなく、ヨハネ福音書が書かれた頃には広く使用されていた七十人訳と呼ばれるギリシア語訳旧約聖書からのものだからです。新共同訳聖書はヘブライ語の原典から訳されていますので、少し違っています。

この点は勘案するとしても、ヨハネがこのイザヤの言葉を引用している意図は明確です。「主の道」とは神の道です。ヨハネにとってこれから来られる救い主なるメシア、イエス・キリストは、主なる神御自身です。イエスさまは自分よりも年齢が下だとか後輩だとか、そのような次元のことはヨハネにとってはどうでもよいことでした。イエスさまは端的に「神」であられるとヨハネは信じたのです。これが「ヨハネの信仰」の内容でした。真の神であられる救い主イエス・キリストが来てくださる、そのための道備えをしなければならないと、ヨハネは自覚したのです。

ヨハネが引用しているイザヤ書40章の言葉は旧約聖書を読む多くの人々を慰め、励ましてきたものです。イザヤが立たされた現実は、最初は悲惨そのものでした。神の民イスラエルが分裂してできた北イスラエル王国と南ユダ王国が争い合いました。分裂した二つの国は、それぞれの隣国アッシリアとバビロンに滅ぼされました。エルサレム神殿は打ち壊されました。神の民の多くが奴隷として隣国に連れ去られました。そして70年間の捕囚期間の後に神の民がエルサレムに戻ることが許されました。打ち壊された神殿を再び建て直す希望が与えられました。

イザヤ書40章の状況は、いま最後に申し上げた、神の民の希望が取り戻された状況です。イザヤにとっての「荒れ野」は、単なる地理的な意味での砂漠を意味しているだけではありません。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠をも意味しています。

ヨハネが自分自身を「荒れ野で叫ぶ声」であると呼んでいる意図も、まさにそれです。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠の中で、彼は叫ぶのです。「真の救い主が来てくださる!あなたの心の砂漠は、豊かな恵みにあふれる地に変えられる!イエス・キリストを信じてください!」

この叫び声は、わたしたちの時代、この状況のなかで、今なお響き続けています。

(2015年10月21日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年10月20日火曜日

青野太潮先生の『十字架の神学』について

十字架の神学研究会(2015年10月20日、千葉県八千代市)
御自身の「十字架の神学」に関する青野太潮先生の論考に一貫しているのは、我々がしばしば犯す自己の思想的前提を聖書テキストに「読み込むこと」(Eisegese)を徹底的に排し、テキストの趣旨を「読みだすこと」(Exegese)に集中することである。聖書学でも神学でも基本中の基本ではあるが、青野先生の徹底性に圧倒される。

説教はある意味で、もっと自由であっていいのではと私は考えている。「私はこの個所をこう読む」という面が、説教にはもっとあっていいと思う。しかし、そのようなことはそのテキストのどこにも書かれていないのに、あたかも明示的にそのように書かれているかのように言い張るべきではない。「あくまでも私の想像ですが」とか「ここにはっきり書かれているわけではありませんが」とか断りを入れながら、自由に語ればよい。

我々が聖書を読むときに徹底的に排すべき「自己の思想的前提」は、青野先生の場合には「教会の伝統的な教理」と同一かどうかについては、必ずしもそうではないというか、それ「だけ」ではないと、青野先生のご著書を読みながら思わされている。青野先生から直接お話を伺ったとき、「私は教会大好き人間なので、教会の伝統的な教理そのものを否定したことはない」とおっしゃった。テキストに書いていないことを、まるで書いてあるかのように言ってしまうことをお嫌いになっているのだ。

とはいえ、作業過程としては「教会の伝統的な教理に基づく聖書の読み」から一度は「解放されること」が必要だと青野先生が考えておられることは、おそらく間違いない。一例というか、ほとんどそれが青野神学の核心と言えるところだが、「イエスの十字架上の死」の個所を読むと、いつでも必ず判で押したように「わたしたちの身代わりに死んでくださった」という贖罪論に自動的に連結させるような読み方は「あまりにも一面的すぎる」と、青野先生はお考えになっている。

それ「だけ」だと、イエスの死、あるいは「死ということ」そのものが、どうしても美談化されてしまう。イエスの死には「殺害された」というネガティヴな面が間違いなくある。そのネガティヴな面がまるでなかったかのように美談化することは危険であるという考え方(大意)である。しかし、だからといって、青野先生は贖罪論を否定しているというふうに見てしまうのは、それこそ青野先生のテキストへの「読み込み」に通じるであろう。

これまでにも、多くの聖書学者や神学者が「青野先生は贖罪論を否定している」と誤解した上で、ありとあらゆる罵詈雑言や非難を青野先生に浴びせてきたようで、それに対する青野先生からの反論が縷々『「十字架の神学」の展開』(新教出版社、2006年)にも『「十字架の神学」をめぐって~講演集』(新教出版社、2011年)にも記されている。それを丁寧に読むと、青野先生は決して贖罪論そのものを否定しておられるわけではないことが必ず分かる。

日本国内においても、贖罪論を全否定するような論調の聖書学者や神学者がおられることを、私も存じている。その方々が青野先生のご主張を論拠にしておられるかどうかを確認したわけではない。しかし、もしその方々が「青野先生のご主張を論拠にしている」と明言されるようなら、青野先生にとっては、ややご迷惑かもしれない。

ただ、こういう考え方もできるのではないだろうか。贖罪論を外見上、全否定しておられるように見える方々でも、「贖罪論一本槍の神学」(という言い方を青野先生はなさっている)の方々と同一の教団・教派の中にとどまっておられる場合には、お互いに対立し、場合によっては「憎しみの感情」さえ抱きながらも、もっとメタな視点から俯瞰して見れば、両者は「相互補完的に」立っているように見えなくもない。

なぜそのように私には見えるのか。間違いなく言えるのは、贖罪論の効力が遺憾なく発揮される場は「教会」であるが、その「教会」と「神の国」とは同一なのかという問いが出てくるからである。たとえば、キリスト教主義の学校や病院や福祉施設や政党。そういった場の今の現実は99パーセントが非キリスト者で構成されているケースも決して稀ではない。そのような場で「贖罪論一本槍の神学」だけでキリスト教的言説をどこまでも押し通すことが適切かどうかという問いは十分検討に値すると思われるからである。

私が青野先生のご主張に惹かれるのは、私の主要な研究対象としてきたファン・ルーラーのバルト批判に通じるところがあると感じるからである。ファン・ルーラーもまたバルトの神学を「キリスト一元論の神学」という言葉で批判した。しかしそれは「キリストは不要である」という意味ではない。神は三位一体であり、御子だけではなく、御父も聖霊もおられることをもっと多元的にとらえるべきであるという考えである。

経綸的三位一体についても、神は贖罪の主であるだけでなく、創造の主でもあり、聖化と完成(終末)の主でもある。経綸的三位一体は「区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)。しかし、区別性がなければ関係性もないわけだから、区別性は「ある」。創造のみわざを贖罪のみわざに吸収することはできないし、聖化のみわざや完成のみわざ(終末)を贖罪のみわざに吸収することもできない。キリスト教的言説の「切り口」ないし「入り口」は、なにがなんでも贖罪論のみからでなくても構わない。終末論から教義学を始めることだってできる、というのがファン・ルーラーの考えである。

青野先生も、西南学院大学や九州大学の著名なバルト研究者の方々とのかなり熾烈な闘いを今でもしておられるようである。

私自身は主に組織神学・教義学の関心や観点から青野先生の本を読ませていただいているが、今の我々が「教会の伝統的な教理に基づく聖書の読み」をする場合の「教会の伝統的な教理」の成立過程を反省してみると、聖書学は教義学の下部構造のように位置づけられ、教会の教理(教会会議の決議事項)の「論拠聖句」を聖書の中から探しだすという仕事を(旧来の)聖書学者が担わされてきたことは否定できない。しかしその「論拠聖句」の個所を「釈義」(Exegese)してみると、コンテクスト的にはそんなことが書かれているわけではない個所であったりすることが分かってしまったりする。

そういうことの反省を、「21世紀の神学」は、もっとしなくてはならないと私は考えている。

私も釈義を万能であるとは思わないし、パーフェクトな無前提の釈義は不可能であると考えている。聖書の言葉を、教会の伝統的な教理を根拠づけるため「だけ」の牽強付会・我田引水の道具に用いることへの警戒心を持つべきだ、と考えているだけである。

(2015年10月20日)

2015年10月18日日曜日

平和のきずな(松戸小金原教会)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
エフェソの信徒への手紙4・1~6

「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」

今お読みしました個所に記されているのは、すべて教会のことです。すでに学んだ個所に書かれていたのは「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(1:23)でした。教会は「キリストの体」です。キリストは教会の頭(かしら)です。

頭と体は切り離すことができない、切り離してはならない関係です。切り離すと、両方とも死んでしまいます。キリストと教会の関係も同様です。ただし、キリストと教会の関係は、肉体的な関係というより霊的な関係です。キリストから離れた教会は霊的に死んでしまいます。

しかし、キリストと教会の関係は、父なる神がイエス・キリストにおいて聖霊によって生み出してくださった特別な関係です。教会がキリストにしがみつくことによって、いまにも壊れそうな関係を必死で維持しているというようなものではありません。神がわたしたちを招いてくださったのです。

もちろんその関係は、神の招きがなければ成立しないものであるとも言えます。神が招いておられもしないのにわたしたちの側で必死にしがみついているというような関係ではありません。しかし、心配する必要はありません。もしわたしたちの中に、ほんの少しでも「信仰」が与えられているならば、神はわたしたちを必ず招いてくださっています。たとえその「信仰」が、遠い過去にほんの一瞬感じた程度のことであるとしても。

なぜそのように言えるかといえば「信仰」もまた「神の賜物」だからです。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」(2:8)と書かれているとおりです。神は御自身が招いてくださる人々に「信仰」を与えてくださるのです。

聖書が教える「信仰」の意味は、わたしたち人間が生まれつき持っている遺伝的な性質とは異なるものです。すべての人が持っていると言われる宗教心や信心とは異なるものです。聖書が教える意味の「信仰」は、わたしたちが生まれたあとに、外から与えられるものです。

だからこそ、その点においては「ユダヤ人」も「異邦人」も、差がありません。聖書の神を信じる家庭に生まれた子どもたちも、そうでない家庭に生まれた子どもたちも、差がありません。すべての人は、生まれたあとに、外から信仰を与えられます。信仰は聖書から学ぶものです。

「私の親は熱心な信者で、私はその家に生まれた者です。だから私はいまさらわざわざ聖書を学ぶ必要はありません」と言うことができる人は誰もいません。もちろん家庭環境の中で自然に身につく要素が全く無いと言いたいのではありません。しかし、だからといって、聖書を学ぶ必要はないし、教会に通う必要はないと言ってもよい理由にはなりません。

なぜこのようなことを強調しなければならないかといえば、今わたしたちの教会で始めようとしていることと関係あるからです。幼児洗礼を受けた方が信仰告白のための準備として勉強会を始めようとしています。幼児洗礼は、本人の自覚も意志も、そして信仰もない状態で授けられた洗礼です。

そのような洗礼は無意味だということにはなりません。幼児洗礼は、十分な洗礼です。半分の洗礼でもなければ、不十分な洗礼でもありません。しかし、本人に信仰のない洗礼であることは確実です。「信仰なき洗礼」というのは矛盾であると思われる方がおられるかもしれませんが、そのような洗礼をわたしたちは、何の躊躇もなく積極的に行っています。だからこそ、その人は洗礼をもう一度受け直すのではない仕方で、自分の心と口で信仰を告白することが、あとから必要になるのです。

それは二度手間だ、どのみち自分で信仰を告白することを求めるのであれば最初から幼児洗礼など授けなければよいという話にもなりません。幼児洗礼は、授けられた本人にとってよりも、親と教会にとって重要な意味があります。それは聖書に基づいて子どもに信仰を教える約束をすることです。

もちろん実際には子どもたちは親と教会の願いどおりにならないことのほうが多いです。しかし、そこから先は神にお任せしましょう。幼児洗礼は、子どもたちを親と教会の手下にする手段ではありません。子どもが親の思いどおりにならないのは当たり前です。

子どもは親の人形ではありません。教会の人形でもありません。親も、教会も、そして子どもたちも「神から招かれている」存在です。人を招くのは神です。人に信仰を与えるのは神です。人を救うのは神です。親も、教会も、神ではありません。

幼児洗礼を受けた子どもたちだけの話ではありません。すべての大人たちも同様です。もちろん、実際にわたしたちが教会に初めて来たときに体験したことは、目の前に教会の建物があった、チラシを見た、教会の人に誘われた、など様々です。しかし、そのことを教会はいつまでも恩着せがましく言うべきではありません。

なぜなら、すべての教会と教会員は「神から招かれている」(1節)存在だからです。教会の中心におられる、教会の主宰者は神です。そのことを忘れてしまい、わたしたちの思い通りにならない人を教会から排除するようなことがあってはなりません。

次の通りです。「そこで主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(1-3節)。

大事なのは「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み」という点です。「招く」とは招待することです。教会に集まるすべての人は、神御自身の招待客です。例外はありません。牧師も長老も同じです。「私は招く側であって招かれる側ではない」と言える人は一人もいません。

この点で間違いを犯しやすいのは、牧師や長老かもしれません。だからこそ、私はこの点を強調しなくてはなりません。「私は招く側であって招かれる側ではない」と思い込んだ途端にあっという間に傲慢の落とし穴に落ちるでしょう。

神がこの私を忍耐と寛容の御心をもって招いてくださり、愛してくださり、受け容れてくださったのです。神は、この私を受け容れてくださったうえで忍耐しておられるのです。この私の存在を我慢してくださっているのです。ちっとも言うことを聞かない、思い通りにならないこの私のことを。

教会が「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努める」ことにとって最大の障害は、わたしたちがいつの間にか神の招きによって教会に受け容れられた存在であることを忘れてしまうことです。わたしたち自身が教会のヌシになり、来てもらいたい人と、来てもらいたくない人とを選別しはじめることです。

イエスさまはそのような方ではありません。社会の中でつまはじきにされていたような人々をこそ、イエスさまは招いてくださり、弟子にしてくださったではありませんか。わたしたちもそうだったでしょう。すべての人がそうでした。神から招かれるにふさわしい生き方をしていたから招かれた、という人は、一人もいません。

生まれる前から信仰を持っている人はいません。それは、生まれる前から聖霊を与えられている人はいないと言うのと同じです。生まれる前から教会に通っているという人はいます。お母さんのお腹の中にいるときから、お母さんと一緒に教会に来ていたという人はいます。しかし、そうである人が自動的に信仰をもつわけではありません。

すべての人は教会にあとから加えられた人です。神から招かれた人です。そのようなわたしたちが「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つ」ことができる根拠は、キリストという頭(かしら)のもとにある体の一部に加えていただいたという信仰です。

「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてものを通して働き、すべてのものの内におられます」(4-6節)。

このように書かれていることは、あるいは私の説明は、抽象的で理屈っぽいでしょうか。頭の中で考えただけの空想の教会であって、現実の教会とはかけ離れているでしょうか。もしかしたら、そのような面があるかもしれませんが、そのようにだけ言って済ませることはできないと思います。

と言いますのは、この個所の主旨として最も大事なのは、どうやら、現実の教会が陥りやすい傲慢の落とし穴に陥らないようにしなさいという戒めの側面だと思われるからです。

この個所に書かれていることがわたしたちにとって、なるほど理想的かもしれないが現実の教会からかけ離れていると感じるようなことであればこそ、わたしたちがしなければならないのは、その理想的な教会と現実の教会を見比べて、現実の教会のどこが間違っているのかを反省してみることです。

しかし、「わたしたちは神から招かれた」という言葉そのものは、わたしたちにとって何度言われてもぴんと来ないものではないかとも思います。これは私の個人的な感想です。何度言われてもぴんと来ない。何を言われているのかよく分からない。おそらく、神という方がわたしたちの目に見えないお方であることと、どうやらそれは関係しています。

チラシを見て関心をもった、教会の中のだれかに誘われた、だれの魅力にひかれて教会に来ている、というような話のほうが、よほど具体的で分かりやすいと私も思います。それはマザー・テレサかもしれませんし、三浦綾子さんかもしれない。「神から招かれた」という話よりも、よほど分かりやすい説明です。その気持ちは、私にも十分に分かります。

しかし、そこでわたしたちは、あえて踏みとどまらなければなりません。人ではなく、神がわたしを招いてくださった。人は神が私を神と教会へと招いてくださるために遣わされた存在であると考えて、納得する。そのことにわたしたちは、固くとどまるべきです。教会の頭は、人ではなくキリストです。教会は「キリストの体」です。

(2015年10月18日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年9月30日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 03

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ヨハネによる福音書1・14~18

難解な序文がなお続いていますが、ここで初めて「イエス・キリスト」という名前が出てきます。これまでは「言(ことば)」とだけ呼ばれていました。イエス・キリストの生涯を描く目的で書かれる福音書というジャンルの文書の中でこうした書き方がきわめて特異であることは間違いありません。

14節に「言は肉となった」と記されています。誤訳とまでは言えませんが、誤解を生みかねない訳です。「なった」(become)は原文の直訳ですが、原文で用いられている言葉(エゲネトー)の意味は、この文脈に限って言えば、「成り変わった」とか「変化した」というようなことではなく「生まれた」(was born)です。そして「肉」の意味は「人間」であり、「言」はイエス・キリストです。ヨハネの意図にそって訳しなおせば、「イエス・キリストは人間としてお生まれになった」ということです。

しかし、そのことをヨハネは、直訳すれば「言葉は肉となった」と訳すことが全く不可能とまでは言い切れない独特の言葉で表現していることも事実です。現代の多くの聖書学者も、ヨハネの意図はよく分からないと、さじを投げています。英国の有名な聖書学者も「『肉となる』という言葉の意味を確定することは困難である」と書いています。しかし、それでもわたしたちが譲ってはならないのは、ヨハネが人間を「肉」と呼ぶとき、存在の意味と価値をおとしめる意味で「人間は肉に過ぎない」とか「人間とは汚らわしい」と言いたいのではないという点です。

「霊的なものは清いが、肉体的なものはすべて汚らわしい」。このような思想は我々日本人にとって馴染み深いものがあり、すんなりと受け入れることができる、ごくごくありふれたものです。「肉体」と聞けば「汚れた」という形容詞をすぐに思い起こすことができる、といった具合です。

しかし、このような見方は、ヨハネの時代の教会を脅かし、その後のキリスト教会を脅かし続けた、グノーシス主義の思想です。キリスト教会にとっては異端の思想です。教会の歴史の中でこのような考え方や言い方が見出されるとしたら、それらはすべて、教会の外から紛れ込んできたものです。

しかし、わたしたちが信頼してよいことは、ヨハネ自身が異端に陥り、そちら側の考え方の中へとすっかり巻き取られてしまっていたわけではないということです。この福音書の中には「肉」を蔑む表現は見当たりません。今日の個所でもただ「肉となった」と書かれているだけであり、「汚らわしい肉の姿へと落ちぶれた」というようなことが書かれているわけではありません。そのような考え方がヨハネにそもそもありません。ヨハネが書いているのは「イエス・キリストは人間としてお生まれになった」ということだけです。もう少し言葉を補うとしたら、「わたしたちと同じ人間としてお生まれになった」ということです。

ただし、この文章の中に上下関係を示す内容はたしかに含まれています。天の神のおられるところが「上」であれば、人間が生きているここが「下」です。その意味に限って言えばイエス・キリストは、上から下へと「降りて」あるいは「下って」来られた方であると語ることは間違っていません。

しかし、この上下関係は、神と人間との関係という点に関してだけ当てはまるものです。「霊的なるもの」と「肉的なるもの」との関係に当てはめることはできません。

私がなるべく明らかにしたいと願っているのはヨハネ自身の意図です。「言は肉となった」。イエス・キリストは、わたしたちと同じ人間としてお生まれになった。その意味は「神の御子が汚れたものになった」ということではありません。そうではなくて、ヨハネの意図は「神の御子がわたしたちと同じ地平に立ってくださった」ということです。それを聞けばわたしたち人間が理解できるほどによく噛み砕かれた「ことば」として、わたしたちの心の奥底に届く「ことば」として、イエス・キリストが、わたしたちの目線までおりて来てくださり、わたしたちにじかに語りかけてくださったのだ、ということです。

もしこの説明で正しいようであれば、これまでのところに「イエス・キリスト」という名前が出てこず、ただ「言」とだけ呼ばれていたことの理由も説明できるようになるかもしれません。「イエス・キリスト」という名前は、地上における名前です。「イエス」という名前はこの方が地上にお生まれになったときに付けられたものです。お生まれになる前から、すなわち永遠から、天地創造の前から、この方が父なる神から「イエス」と呼ばれていたわけではありません。

そして「イエス」という名前の意味は「救う」です。そのように、マタイによる福音書が記しています。「その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからです」(マタイ1・21)。イエスという名前の意味としての「救い」を必要としているのは地上に生きる人間だけです。神には「救い」は必要ありません。救われなければならないのは人間であり、神ではありません。

救い主が必要なのはわたしたち人間です。しかも、救いが必要なのは罪を犯した人間だけであって、罪を犯していない人間に救いは必要ありません。救いとは「罪からの救い」だからです。

「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とヨハネが書いています。ここに出てくる「恵みと真理に満ちた栄光」という言葉には抽象的な響きを感じてしまうかもしれません。具体的な内容は何かまでは分かりません。

しかしわたしたちは、イエス・キリストがこの地上にもたらしてくださった「恵み」と「真理」の内容を知っています。それは結局「救いの恵み」であり、「救いの真理」です。永遠の神の御子が、罪を犯して神の栄光を汚したわたしたち人間を罪の中から救い出してくださるために「人間になって」地上に来てくださったのです。

神の御子がなぜ「人間」になったのかという問題についてはハイデルベルク信仰問答(第12問から第18問まで)に答えが書かれています。それは、わたしたち人間の犯す罪があまりに重すぎるため、それを償うためには、動物の命はもちろんのこと、人間の命をささげても足りないということです。

人間の命は軽いと言っているのではありません。ハイデルベルク信仰問答の意図は逆です。人間の命は重いと考えられています。だからこそ、人間の命ほどの重いものをすべて差し出しても償いきれないほど、わたしたちの罪はあまりにも重すぎるものだということです。わたしたちの罪が真に償われるためには、真の神でありつつ真の人間でもあられるお方(ハイデルベルク信仰問答は「仲保者」と呼んでいます)の命の価が必要であったということです。

わたしたちが覚えるべき大切なことは、それほどまでに人間の罪は重いものであるということですが、それと同時に、それほどまでに神の恵みは大きいということです。人間の存在、その精神や肉体そのものが汚らわしいのではなく、人間の犯した「罪」が汚らわしいのです。

そして、罪から救い出された人間は「清くなる」のです。それを教会は「聖化」(Sanctification)と呼んできました。わたしたちを清めるためにイエス・キリストは来てくださったのです。それこそが、わたしたちに与えられる最高の「恵み」であり「真理」です。

(2015年9月30日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年9月23日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 02

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ヨハネによる福音書1・6~13

今日の個所に「ヨハネ」が登場します。しかし、このヨハネはこの福音書を書いた著者ヨハネではありません。イエスさまに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。しかし、二人が同じヨハネという名前であることにはやはり何らかの意味があると考えられています。

著者ヨハネがバプテスマのヨハネの話をしながら自分の姿を重ね合わせていると考える人がいます。その見方は正しいと私は考えます。この福音書には著者自身の思想的立場が前面に現われています。著者ヨハネの時代(おそらく西暦1世紀末)のキリスト教会における熾烈な戦いが背景にあります。しかし、この個所に登場するヨハネは、直接的にはバプテスマのヨハネのことです。

バプテスマのヨハネは「神から遣わされた」と記されています。「光について証しをするため、またすべての人が彼によって(ヨハネによって!)信じるようになる(光を信じるようになる!)ために」、ヨハネは神から遣わされました。

「光を信じる」とはどういうことでしょう。「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と書かれていました。そして「人間を照らす光」としての「命」が「言(ことば)の内にある」とも書かれていました。この「言」がイエス・キリストです。そして命の光が「言」としてのイエス・キリストの内にあります。その命の光が人間を照らしています。そして、その光が暗闇の中で輝いています。それぞれの関係性を思いめぐらしてみることが大切です。

「暗闇」の意味は、神が創造されたこの世界と我々人間に重くのしかかっている闇です。隣人の姿が見えなくなり、自分のことしか考えられなくなる闇です。それはほとんど「罪」と同義語であると言えます。しかし、ヨハネ(著者ヨハネ)は、世界の暗闇の中で絶望していません。暗闇はイエス・キリストの内に輝いている命の光によって取り払われつつあることを信じています。

イエス・キリストが来てくださったことによって地上の世界に生きているわたしたち人間は誰一人、暗闇の中で絶望しなくてもよい。そのことを「すべての人が信じるようになるために」、二人のヨハネ(!)は神から遣わされた。バプテスマのヨハネが、そして著者ヨハネが多くの人々の前で証言した。それが著者ヨハネのメッセージです。

別の言い方をしておきます。二人のヨハネが神から遣わされた目的は、救い主が来てくださったことを世のすべての人に伝えることでした。それは彼らの人生には「目的」があったことを意味しています。その目的を果たすことができれば、私の人生は最終局面を迎えたと自ら考えることが許される。

バプテスマのヨハネの人生の目的は、これから来てくださる救い主メシアをお迎えにするために我々は準備しなければならないということを、多くの人に知らせることでした。そして、そのことを知らせた後、彼は殺されました。

このヨハネにとって、イエス・キリストは永遠の主人公でした。彼自身は永遠の脇役でした。人間関係的に言えば、ヨハネのほうがイエスさまより年齢が上でした。しかし、ヨハネは自分をイエス・キリストに従う者の位置に置きました。自分の人生を永遠の脇役として理解し、覚悟を決めて生きることは決して容易いことでありません。わたしの人生はわたしのものだ。この椅子は誰にも譲らない。そのように考える人々にとってバプテスマのヨハネの生き方は理解すらできないものかもしれません。

しかし、そのことに著者ヨハネは、自分自身の姿を重ね合わせていると思われます。後者のヨハネの場合は、西暦1世紀の終わり頃、まさに存亡の危機の中にあった教会の正しい信仰を守りぬくための熾烈な戦いに身を置いていたと考えられます。

「世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とあります。前回学んだ個所には「暗闇は光を理解しなかった」と書かれていました。ヨハネが「世」とか「自分の民」とか「暗闇」と呼んでいるのは、みな同じものです。イエス・キリストを受け入れない存在と、その存在が生きているこの世界です。

しかし、わたしたちは読み間違えてはなりません。ヨハネはイエス・キリストを受け入れない存在を冷たく突き放して裁くために、このように書いているのではありません。彼の意図は正反対です。彼が強調しているのは、イエス・キリストを通して現わされた神の恵みであり、神の愛です。父なる神のもとから遣わされた真の救い主は、世界に暗闇があることを十分にご存じでありながら、御自分のことを理解せず、認めることさえしようとしない人々のところに、あえて来てくださったのです。たとえ人々に嫌がられようと、罵られようと。

むしろ救い主にとって我慢できないのは、世界が暗闇のままであることです。あなたの心が暗い闇に覆われ、どんよりとした憂鬱な気分のままであることを放っておかれません。イエス・キリストは、「わたしは救いというものなど必要ない」と思っているような人々をこそ、お救いになるのです。

ヨハネは続けて「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」と書いています。

ここでもヨハネは、「その名」、つまりイエス・キリストの名を信じる人々に「神の子となる資格」をお与えになる方はイエス・キリストを信じない人々にはその資格を与えないという点ばかりを強調したいわけではありません。むしろここでわたしたちが考えるべきことは、生まれたときから先天的に信仰をもって生まれた人は誰一人いないということです。信仰は血によって遺伝するようなものではないということです。そのことをヨハネは「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく」という言葉で表現しています。

ヨハネの意図は、すべての人は「神の子となる資格」を持たずに生まれてきたのだということです。しかしそれにもかかわらず、イエス・キリストはすべての人がその資格を得ることを望んでおられ、救いたいと願われます。「わたしには神の子となる資格など無い」と自覚しているあなたのところに、イエス・キリストは来てくださるのです。

ヨハネはイエス・キリストを「人間」と「世」を照らす命の光をもつ方であると信じました。つい思い出すのは天照大神です。しかし、イエス・キリストの光が「天」だけを照らしているのではなく、地上の世界全体と、地上に生きているすべての存在を、そしていまだに真の信仰に至っていない人々をも十分に照らしています。

聖書と教会の歴史に登場する多くの信仰者たちは、世界と自分の人生の暗闇の中でその光を見た人々です。絶望したままで生きていける人は、通常いません。すべての人に信仰と希望と愛、そして喜びが必要です。絶望の暗闇の中に救いの光が輝いているのを見て、袋小路からの出口が見つかったことを喜び、「わたしたちはまだ生きることができる」と多くの人に呼びかけ、共に約束の地をめざす。わたしたちもそのような存在であり続けたいものです。

(2015年9月23日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年9月22日火曜日

親目線で申し訳ない

2015年9月18日(金)17時から19時半まで「A1」にいました

参議院本会議の最後の福山議員の名演説の中で「シールズ世代」の日本史的背景への言及がありましたが、その中に「ゆとり、ゆとりと、さんざんdisられた世代」という点がなかったのは、唯一残念でした。ゆとりの逆襲だよね(うちにもゆとりの子がいるので分かる)。百倍返しだよ。あっぱれだと思う。

今の大学生や高校生くらいの方々には嫌われることを知りつつあえて書いていますが、「親目線」で見守っている人たちは、ほぼ全面的に味方だからね。尊敬してくれなんて思わないし、むしろ大いに軽蔑し、踏みつけてほしいくらいだけど。バブルを謳歌しましたし。だけどさ、だからこそ猛省もしてるのよ。

親目線で「見守る」なよ、一緒に戦えよ、距離とってんじゃねえよ、てめえらのせいで今こうなってんじゃねえの、と思われるだろうけどさ。それも分かるよ、痛いほど分かる。痛すぎるほど。だから反省してます。ごめんなさい。反論もできません。「応援」とかもされたくないと思うよ、くずの親世代には。

だけどさ、これ反論じゃないけどね、だけど、だけどさ、きみたちが大学や高校に行くのにもかなりお金かかったし、そのための生活ベースづくりもけっこうたいへんだったし、今もその状態は変わっていない。親世代の生活基盤が奪われたら、大学生や高校生の「戦い」のための「楽屋」もなくなってしまう。

あ、でも、親世代をdisるのが学生さんたちの本分です。それでいいと思う。いてまえ、です。くそバブラー世代のせいで今の世の中になってしまった。あいつら倒すまでおれら死ねん、みたいに決意を抱くのはいいと思う。そこをむしろ応援したい。本気でそう思うよ。本当に申し訳ないと思っています。

蓮舫さんが演説している頃の写真です