2015年10月24日土曜日

作文の書き方

本文とは関係ありません
これは私(来月50)のことではなく若い世代の方々に言いたいことですが、伝統や権威ある雑誌に論文を掲載してもらうのを狙いつつ待てど暮らせどチャンスが来ないという感じよりも、既成の雑誌という雑誌、紀要という紀要に、ちょこちょこ書き、名前を覚えてもらうというほうが得策だということです。

これは雑誌や紀要の編集側をやらせてもらったことがある人は誰でも知っていることですが、その仕事の最大かつ最悪の悩みは、原稿の締め切り日を守らない人が多いこと。そこ狙い目です。原稿の締め切り日を守れない書き手よりも、守れる書き手のほうが、間違いなく「次の」チャンスが与えられますから。

私にもありました。専門書店に並んでいるような、その筋では著名な雑誌の編集長から電話がかかってきて、「ごめん、関口さん。短い書評なんだけど、予定していた人に急にキャンセルされたので、困ってるんだよね。関口さんなら、さらさらっと書いてくれるかなと思って」と。「あ、いっすよ」で決まり。

雑誌というのもトータルとしての完結した一作品であるために、じっくり時間をかけて書かれた部分だけでなく、さらさらっていう部分も必要。メインの特集記事とか、著名な書き手の連載記事とかと比べて、書評とかそのあたりは「埋め草」のような面がないわけではない。そういうのが狙い目なんだってば。

そのあたりの雑誌発行者のニードをくみ取り、それに合わせた書き方や内容の作文を提供できる書き手は、もてます。「次の」チャンスが必ず与えられます。遅筆なのがいけないわけではないですが、そういう人は初めから、自分は死ぬまでに一冊本を書くことを目標にする、という気持ちでいればいいのです。

でかいのをじっくり時間をかけてドン、みたいな書き方の人は、それなりの生き方を選べばいい。ですが、内容は軽薄かもしれないけど、雑誌発行者のニードを満たしうる作文をさらさらっとたくさん書き、多くの人に名前を覚えてもらえる人になることも、書き手として一つの立派な生き方だと私は思います。