2015年11月7日土曜日

息を止めてモルトマンへジャンプする心境というか

モルトマンを読むのを我慢している状態なので、コメントするのも控えますが、説教集や講演集とかは「超訳」のほうが合うと思います。「最近の教会の牧師たちの説教、はっきり言っておもしろくないんですよね。私も若い頃は牧師をやりましたし、今でも日曜日の礼拝には出てますけどね」みたいな訳し方。

今の国内の政治情勢の中で、教会に通っているクリスチャンや牧師さんが、

「どう考えてもさすがにヤバイ。政治こわれすぎ。なにかしなくちゃ」

と重い腰を上げてみたものの、どの政党も右すぎるか、他宗教か、左すぎるように見えて見えて仕方なく、とてもじゃないが応援する気になれない。

まして「神とかマジ無理」とか「宗教こわい」とか「キリスト教こそ諸悪の根源」とか言っている人たちと組んだら、何を言われるか分からない。

「あんたかりにもクリスチャンなんでしょ。政治力学の数合わせのためなら無神論者とでも組めるわけ?」

とか口汚く罵られるんだろうなあ。

でも、けっこう当たってるんだよな、あの人たちの言い分。「もっと言ってもっと言って」と言いたくなるくらいに。政治のスタンスだけいえば、ほぼドンピシャだし。でも「無神論」ていうのが、どうもなあ。困ったなあ。

みたいなことでお悩みの方に「モルトマン」が効くかもしれません。

(副作用が出た場合は服用を中止してください。)

ああ読みたい。けど我慢我慢。いま手が離せないことがありまして。

ぜひブックレポート書いてください。シェアさせていただきます。人任せ。

日本の教会でより大きな運動を起こすためにはすでに広く出回っているテキストに基づく議論でなければならないと思います。カール・バルトでもいいのですが、いかんせん世代が違いすぎる。バルトが知らないインターネットをモルトマンは知っている。モルトマンの感性は我々とほとんど同じだと思います。

ダメだ、モルトマンを読んでいる。『十字架と革命』(新教出版社、1974年)。それと訳者・大庭健氏の解説に「うわあ」という言葉にならない思いを抱きながらも魅了されてしまっている。まあでも、今日予定していたことは無事完了。なんとか道が開けそうだ。Taking a New Step.

これしかないので、長いお付き合いの方には「またか」と飽きられるほどしつこい感じになりますが、私とユルゲン・モルトマン先生の一緒に写らせていただいた写真は、これです。



詳しい状況は、以下のとおり。

2008年12月10日(水)オランダ・アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit te Amsterdam)で「ファン・ルーラー生誕100年記念」(ファン・ルーラーは1908年12月10日生まれです)で開催された「国際ファン・ルーラー学会」(Internationale Van Ruler congres)の主催者から私の個人名宛てに招待状が届きましたので(事実)、これは「来い」ということだなと自分で思い込み、人生初の単独(ひとり)オランダ旅行を敢行した次第。

そんな光栄な国際学会に、せっかく日本から(多額の旅費を投じて)行くのだから、挨拶ぐらいせなあかんやろと、事前に主催者にメールを送り、スピーチさせてほしいと、私から頼み込んだ次第。

そして、英文のスピーチ原稿をアメリカ人宣教師にネイティヴチェックをしていただいたうえで、事前に主催者にメールで送り、オッケーをいただいた次第。(国際ファン・ルーラー学会でのスピーチ全文

そしたら、12月10日(水)当日、国際ファン・ルーラー学会のすべてのプログラムが終わる最後の最後に、プロテスタント神学大学総長ヘリット・イミンク先生が私をオランダ語で200人(後日主催者発表)の神学者(学会出席者)に紹介してくださったうえで、私の登壇となった次第。

国際学会の会場には、ファン・ルーラーの子どもさんたちもおられたし、国際学会のメイン講師としてドイツから招待されていたユルゲン・モルトマン先生もおられる前で、ウルトラ下手な英語で私が5分ほどのスピーチをさせていただいた次第。

そして、国際学会閉幕後、アムステルダム自由大学の別室で、オランダ、ドイツ、アメリカ、南アフリカ、日本(!)などの出席者200人によるレセプション(ビール、ワイン、ウィスキーなど)があり。

すっかり気持ちよくなったあと、「さて帰りましょうか」と、私と一緒に出席した石原知弘先生(改革派教会)と青木義紀先生(同盟基督教団)とでアムステルダム自由大学の玄関広間でウダウダしていたら、その玄関広間のベンチで、「ユルゲン・モルトマン先生」が、おそらく「次のレセプション」(二次会)に行くタクシーを待っておられた次第。

その姿を見た私、関口康が、石原先生と青木先生に耳打ちし、「ぎゃー、あれモルトマン先生だよね。ツーショット撮らせてもらおうよ。たぶんもう二度と会えないし。ゼッタイチャンスだよ。ぼくドイツ語できないから、先生たち交渉してよ」とけしかけた次第。

石原・青木両先生は、しぶしぶモルトマン先生のところに行ってくださり、交渉成立。それで実現したツーショット(フォーショット)写真です。

ですが、私は最初、4人の中の向かって(めっちゃ遠慮して)左端に立とうとしました。そしたら、写真左端のブリンクマン教授(アムステルダム自由大学神学部組織神学正教授)が、私の体をがっとつかみ、ご自分と入れ替えて、「きみはここだ」とモルトマン先生の隣りに押し込んでくださって実現した「写真」です。

なお「ファン・ルーラー研究会」は、昨年(2014年)10月27日に正式に解散しました。「ファン・ルーラー研究会」は、今は一人一人の心の中で活動しています。



誤解がありませぬように。モルトマンを私は初めて読もうとしているというわけではないのです。30年以上前から買って読んでいるし、ある人々からすれば過去の人扱いではないかと思います。私もどちらかというとずっと反発を感じてきたほうです。この人とは与すまいと決意していた時期があるほどです。

しかし最近、次第次第にですが心境の変化が起こってきました。モルトマンを読もうという気持ちとそれは深い次元で連結しています。モルトマンは私にとって、ある「一つ」の目的意識をもって読めばやっと意味が分かるという感じです。それは「一つ」だけです。その代わりその点は頑固なまでに明確です。

その「一つ」でモルトマンと合わない人は、彼の思想世界にたぶん一歩も入れないし、入る必要はないとずっと感じてきました。やっと読む気になったのは、「機が熟した」というか、彼を支持すべきかもという思いが生じているというか、他に道が残されていないようだと追い詰められているというか、です。

まあ、今はまだ、何を書いても暗号文を書いているような感覚があるので、「たとえを用いないで」話せる日が来るのが待ち遠しいです。待っていてくださいね、モルトマン先生、もう一度お会いしたいです。地上で。ドイツに行ったことないので、お金貯めて遊びに行きたいです。よろしくお願いいたします。