2015年11月2日月曜日

教会と学業の両立

小学生が書いてくれました
いま教会で通常の日曜学校とは別に中学生向けの入門クラスを私が担当しているが、「分かる」とか「面白い」と言ってくれる。詳しいことは書けないが、公立中学に通い、公立高校を目指している子たちだ。私の基本スタンスは、公立学校の教育内容を全否定するような「神学」に立って話さ「ない」ことだ。

厳密な話をしているのではない。たとえば、文科省の学習指導要領に忠実にそった「神学」(もしそんなのがあるとすれば)に立って話「す」というような意味では全くない。そもそも学習指導要領を見たことがない。もう30年以上前だが、私も小中高は公立学校だった。その頃の感覚を忘れていないだけだ。

なぜ私が公立学校の教育内容を全否定するような「神学」に立って話さ「ない」で中学生たちの入門クラスをするのかといえば、理由は単純。その子たちが学校に行くのが嫌にならないようにすべきだと思うからだ。少し大げさに言えば、教会の使命は人を神のもとから世へと「派遣」することだと思うからだ。

中学生向けの入門クラスのことを先に書いたが、日曜学校の小学生たち向けの説教も月3ペースで私がしているが、基本スタンスは同じにしている。その子たちが学校に通うのが嫌になるような教え方はしない。「世との妥協」を教えているつもりはないが、歯車の噛み合わせのようなことを常に意識している。

別言すれば「世との妥協」ではないが「世離れ」しないように教える。そのような意識で、子どもたちにも大人たちにも話すように私はしている。このような私の基本スタンスは、ある見方をすれば、おそらく「リベラル」と評される。面と向かって私に「リベラル」というラベルを貼った人は、まだいないが。

どんなラベルを貼られようと私は構わない。教会と学業の両立ができるようになってもらいたいという願いが間違っているとは思わない。子どもたちにはある意味で過酷かもしれないが、プロテスタントらしく「世俗内的禁欲」の線で教える。勇気をもって大胆に世へと突入してほしい。それは不信仰ではない。