本日ついに修了認定試験の受験票が届きました |
その大学ではありませんが、私もいま目的あって、ある大学のオンデマンド講義を受講中です。それで分かるのは、通信教育はきついということです。教室で講義を聴くのと根本的に何かが違う。その違いをうまく説明できないのですが、最も大きな違いがノンバーバル(非言語)の部分であることは確実です。
キャンパスで「得られる」または「得やすい」要素のうち、自室や外部で「得られない」または「得にくい」のは、場の空気、におい、雑音など。あるいは、通学途中の全プロセス。食べた飲んだ。そしてもちろん友人や教師の存在。すべてを合算したトータルな何かが記憶になる。当たり前のことですけどね。
そのような人間の記憶を構成するかなり重要な要素を全部省いた動画と音声だけで、一つの学位なり資格なり免許を習得できるレベルの知識にたどり着くのは、たしかに至難のわざです。今書いていることは、通信教育の弱点を言いたいのではなく、至難のわざをマスターした方々を心から絶賛したい思いです。
通信教育部がある大学で、そこの卒業生だとなると多くの人から羨ましがられ、通信教育部と分かると「なんだ通信か」のような言われ方をされてしまうところ、くらいまで書くとすぐ分かる方は多いかもしれません。「通信のくせに○大卒を名乗るのはズルい」などと真顔で言い始める人がいたりするという。
そのような国内の風潮に、通信教育部の学生さんたち「も」(「だけ」ではないです)指導しておられるお立場から猛烈に憤慨しておられた友人プロフェッサーの姿を思い浮かべながら書きました。文句あるんだったら自分でやってみろってんだ、まったく、と口角泡を飛ばすレベルの怒り方をされていました。
私は子どもの頃、進研ゼミだったかの通信をほとんど一枚のペーパーも返信できずに挫折した過去を持っています。だけど、というか、だからこそ、ですが、うちの通信教育部の卒業生であるということで見さげられる理由は一切ない、というそのプロフェッサーの言い分は、なるほどと思いながら聞きました。
このたび、某大学のオンデマンド講義を受講するという新しい形ではありますが通信教育を体験してみて、大変さがよく分かりました。まだ終わっていませんので、気を抜いている場合ではありませんが。このような愚痴めいた書き込みは、修了認定試験が2週間後に迫り、焦っている人間の防衛機制です。笑。