2015年11月2日月曜日

作文の書き方(不定期)

本文とは関係ありません
私はネットだけに書いているわけではないが、比率としてはネットが多い。リアルで/に口下手で、子どもの頃の吃音の後遺症がまだあり、電話をかける前に原稿を書いていた時期が過去にあるほどで、字で思いを伝えるほうが対面よりもはるかにらくだ。ネットでリアルなしゃべり方ができるし、してしまう。

でも、字は字なので、対面でしゃべるのとは違う。それは当然そうだと思っている。ただ、字で思いを伝えることを何年も続けていると(ネット20年目)、文体は変わるし、変えたくなる。語順や語尾や感嘆文などでいろいろ細工したくなる。その影響がリアルの作文、説教や論文の文体のほうにも出てくる。

最近、ひとりで面白がって試してみているのは、facebookのコメントのやりとりのようなところで、相手のお名前を文章の途中に入れてみることだ。「たしかにそうなんですよね、○○さん、それよく分かります。教えてくださり、ありがとうございます。」のような書き方。ちょっぴり欧米風かなと。

主語と述語を逆さまに書いてみるのも悪くない。初めての相手にそういう文体はよしたほうがいいだろうが、ネットで長い付き合いのある相手であれば内容や意図が伝わらないことはないと思う。「面白くないんだよね、そういうのは」とか。「美味しかったです、今日のラーメンは」とか。さてどうだろうか。

私は自分でもかなり間違うくせに、他人の話のテニヲハや熟語や慣用句の言い間違いが逐一気になるほうだ。でも滅多なことではその人に訂正を求めたりはしない。もしかしてその相手の言い方のほうが、たとえセオリーどおりでなくても内容的に考えると正しいかもしれないと考えこんでしまうほどルーズだ。

だけど、自分は他人の言葉づかいを逐一チェックして訂正させるようなことを滅多にしないほどルーズでも、すべての人が私と同じでないことも分かっているつもりなので、私は他の方々にチェックの手間をお取らせしないよう可能なかぎりセオリーどおりの日本語でしゃべりたいし、書きたいと考えてはいる。

ただの当てずっぽうだが、自分がしゃべるときに、テニヲハや熟語や慣用句でどれほど言い間違いがあっても全く気にならない人は、たぶん吃音にはならないと思う。一瞬の脳内エラーのようなものかも。バグ。もしかしてセオリーの言い方や文法と違うかもと、迷いがよぎるたびに、つっかえてしまうのでは。

私の吃音の話になってしまったが、こういうことを書くと「よい治し方がありますよ」とか「あの病院に通ってみられたら」とか、ご丁寧に指南してくださる方がまれにおられるが、そういうのは勘弁してもらいたい。「うるさいよ」とかすぐキレるので取り扱い注意。笑。言いたいのは、そこではないわけで。

しゃべるように書き、書くようにしゃべる。それがたぶん、作文力が伸びる最短コースではないかと私は考える。吃音の人は、自分の吃音どおりに書けばいいかもしれない。「えーと、あのー、そ、そうですよね。んま、まあ、なんとなく分かりますよ」とか。その原稿を読めばいい。もっとひどくなるのかな。