えっとですね、一応申し上げておきますと、
ぼくは「歴史」は「繰り返さない」という立場なんです。
1925年と2013年が同じなわけないです。
ぼくの考えは、「繰り返される」のは「犯罪行為」であって、
それを「繰り返している」やつらにレッドカードを突きつけて
「権力の座」から退場させなくてはならないというものです。
しかし、それは「権力の座」からの退場であって、
地上の世界からの追放ではありませんし、あってはなりません。
つまり、「歴史は繰り返す」のではなくて
「歴史そのものは犯罪者を絶滅させる役割を必ずしも持っていない」
ということだと、ぼくは思っています。
歴史から犯罪者がいなくなればすっきりする、という考えもあるでしょうけど、
それこそファシズムの一種です。
犯罪者を締め出し、絶滅させる役割を「歴史」そのものは持っていない。
「歴史は繰り返される」ではなく「犯罪は繰り返される」。
そのたびに我々は何を考え、何をなすべきか。それが重要だと思います。
屁理屈っぽくてすみません。
犯罪者の「手口」は昔も今も同じ。
ですが、まんまと逃げおおせることが、かつてはできたかもしれませんが、
今はもうできません。
その意味では、「歴史」は「繰り返さない」と思います。
逃げられるものなら逃げてみろ。
たまには牧師らしく、聖書の御言葉を引用します。
「人々を恐れてはならない。
覆われているもので現されないものはなく、
隠されているもので知られずに済むものはないからである。」
(新約聖書・マタイによる福音書10章26節)