こういうのを「らせん階段」ていうんですかね。
何年か前から牧師仲間の一人から、
ぼくがこれまでいろんな雑誌や紀要に書き散らしてきた
ファン・ルーラーについての論文や文章を
一冊の本にしろ、と言われているのですが、
しそびれています。
同じ雑誌や紀要に連載したようなものなら、まとめやすいのですが、
かれこれ5つほどの雑誌・紀要に書いてきました。
それぞれの読者層が異なるので、
雑誌・紀要ごとに、いちいち事のイロハから書き起こす必要があり、
全部を一つにまとめると、かなりの重複箇所があるのです。
それを自分で編集しなくてはならないのですが、
それが面倒くさいんです。
書き散らしたものを今さら読み返してまとめる、という作業をするのが、
後ろ向きな姿勢のように思えてしまって、
ぼくの脳が拒絶反応を起こすんです。
しかし、
ぼくの恩師から言われた言葉ですから、自慢げに書かせていただきますが、
「関口くん、どんなにいいこと言っても、
単行本にしなきゃ誰も関心持ってくれないよ」
と昨年3月に言われました。赤木善光先生です。
とかなんとか、モタモタしているうちに、どんどん新しい研究者が参入してきて、
ぼくの出番は無くなるのでしょう。
いっそ、そうなってほしいのですが!
ファン・ルーラー、面白いですよ!
みんなでオランダ語を読みましょう!
(あとは、大きい声では言えませんけど、
単著の出版には、やっぱりある程度「立場」が必要ですよね。
経歴とか肩書きとかいう意味じゃないですよ。
なんていうか、
その本をその人が書くことの必然性(necessity / nootzakelijkheid)を
客観的に保証してくれるような「何か」。
大学にも神学校にもアクセスしたことない人間(ぼくのことですよ)は無理ですね。
市井の一マニアの本で悪いわけではないですが、
そんなのは開学400年の伝統を誇る超名門・ユトレヒト大学神学部の
有名教授ファン・ルーラー大先生の業績を扱うのにふさわしい態度ではありませぬ。
なんたって、2007年から刊行が始まった新版の『ファン・ルーラー著作集』の出版祝賀会で
「これは国民的事件(nationale belang)だ!」と騒ぎになったほどですからね。
日本のファン・ルーラー研究も「立場」ある人にやってもらいたいです。
いつまでもネタみたいな扱いのままだと、相手に失礼です。
ぼそぼそ)