暗喩的に書きますが、
我々人間のすっきり感というのは、けっこう残酷な面があると思うんです。
だんしゃりだかナニしゃりだかぼくには分かりませんが、部屋の中に何も無くなればそりゃすっきりするでしょうけど、そんなにすっきりさせたければ、いっそ真空の中に生きられたら、と言いたくもなる。
そりゃ孤独になると思いますよ。だって、この世界はすっきりしたい人の思いどおりになんかならないもの。「ぼくら邪魔なのね」と感じた人たちは、みんな去っちゃう。
「そ し て、だ れ も い な く な っ た」
孤独でもいいんならいいですけど、そうでもないんでしょ。人恋しさはある。だけど、すっきりしたい、させたい。そりゃ無理ですよ。
どっちかですよ。自分はすっきりしたいけど、孤独もイヤなんて、贅沢贅沢。
孤独がイヤなら混濁。すっきりしたいなら真空。
だけど、教会はひとに「真空生活」(バキュームライフ、ですかね)を勧めたりすべきじゃないです。
それだけははっきりしてると思いますよ。
暗喩です、暗喩。これ。