2013年5月6日月曜日

「なんでやねん」は否定の言葉じゃないですよね?


土曜日からひとりで悶々と考え込んでることは、「ボケ」と「ツッコミ」の関係はどうなってるんだろうかとか、「ノリツッコミ」ってどういう構造してるんだろうか、というようなことです。

ぼく岡山で生まれ育ちましたので、関西人ではないんですけど、子どもの頃から吉本新喜劇のテレビ観てたクチです。

その程度なので、関西文化には全く詳しくないどころか、直接の接点は無いですし、それほど深い興味をもってるわけではないので、関西系のディープネタでマニアックにからんでこられても何の反応も出来ないタイプでもあるんですけど、まあ、でも、親近感はあるほうです。敵意とかは皆無です(この段落は自己防衛本能発動)。

まあ、でも、その程度のぼくにでもわりとはっきり分かるのは、「なんでやねん」は否定の言葉じゃないということです。

あれ否定でも肯定でもないですよね?

じゃあ何なのかと聞かれてもサッとは答えられないのですが、強いて言えば「余裕」みたいなことですかね。違うのかな。

ここから先は、本場の人にご登場いただかなくては、ぼくにはなんとも分かりません。

ツッコミとボケの関係は、柔道の「剛」と「柔」の関係だろうかとか、いや、「北風」と「太陽」かなとか、「三角」と「円」かなとか。哲学的な言い方をすれば「受容」と「否認」かな、いや、ツッコミは「否認」じゃキツすぎるなとか。

ノリツッコミっていうのは、途中で加速装置がカチッと入る感じだな、とかね。

そんなことをね、ぼくはいつも考えながら生きてますよ。

こういうのも「説教黙想」の一環なのであります(たぶん)。