半世紀ごえの年齢のせいだろうか自分に固有の形容詞がないのを寂しく思うことがある。住所も職場も所属教団も比較的時間の短い単位で変動してきたし、どれもこれも中途半端なので、いい歳なのに「○○の関口」と言ってもらえるものがない。旅行自体は苦手なので「旅人の関口」とかは呼ばれたくないし。
しかしひょっとすると私の形容詞は結局「日本基督教団の関口」かもしれないことをそろそろ観念せねばならないかもしれない。「新人教師」のくせに生意気ですが。日本キリスト改革派教会の教師だった19年間も大会や中会の正規の委員会から何度となく「日本基督教団について」私に問い合わせがあった。