2017年1月15日日曜日

古本屋でもカオスでもない私の書斎

拙ブログにも楽屋裏があり、どの記事にどれだけアクセスがあったかが分かる。各記事のアクセスは少ない。寂しくはない。世と人に役立つことを書いていないので当然だ。なるべく目立たないことを書こうと意識している。騒ぎになることは絶対書かない。


古本屋ではない。私の書斎。カオスではない。多様性。


増強の願いはある。たとえばシュライアマハー。今あるのは『宗教論』(日本語2種)、『独り語る』(日本語2種、英語)、『解釈学の構想』、渡邊泰三『シュライエルマッヘル』、A. A. Vogelsangの博士論文『シュライアマハーの説教』(オランダ語、1916年)。もうちょっと欲しい。


カール・バルトの(「についての」含む)本は180×90cmの本棚の奥側をすべて提供しても足りず、前側まで要求してきた。さすがは前世紀「最大」の神学者だ。『教会教義学』の英語版は持っていない。デジタル版には興味ない。バルト関係の蔵書リストは作っていないが、そろそろ必要かもしれない。

そう。こんなに邪魔な存在でも紙の本の蒐集にこだわり、デジタル版に興味ない理由は、本は内容だけがデータではないからだ。本の存在そのものがデータだ。どうしてこういう装丁なのか、どれくらい邪魔な存在かも重要なデータ。写真を撮ればある程度のイメージは保存できるが、撮影者の主観にとどまる。