へぇ~ボタン(トリビアの泉) |
「私訳聖書」などはどんどん出てくればいいと思う。自分の翻訳でひと儲けしてやろうという野心でもあれば話は別だが、私訳のネット公開の自由はあるはずだ。だれもとがめはしないし、とがめる理由がない。聖書の原典テキスト(写本は無数にある)そのものは、もはや著作権を主張することはないだろう。
説教原稿を公開することも「情報の体系をネット上に構築すること」に該当する要素を含んでいるが、そうする場合は引用元の文献名や頁番号などを詳細に書くほうがよい。そういうのが「他の人に役立つ資料提供」になる。ネットで説教を読む人の多くは、その人自身の説教づくりの資料探しに追われている。
あれこれ考えているうちに、いつの間にか眠っていた。朝まで目を覚ますことはなかった。気がつけば、パソコンが、部屋や机のライトが、エアコンが、どれもこれもつけっぱなし。ガーネット・クロウさんの曲は流れっぱなし。家族は仕事や私用。私は明日の礼拝の説教準備。よくねたので、体調はいい感じ。