カンペン神学校卒業後、ライデン大学神学部において1880年に神学博士号を取得した。学位論文のタイトルは「ツヴィングリの倫理学」(De Ethiek van Ulrich Zwingli)であった。フリースランドにあるフラネカーの教会にわずか一年間ながら牧師として仕えた後、1882年から1902年までカンペン神学校で教えた。
カンペンで教えている間にオランダ改革派教会(国教会系)の大分裂が起こった。バーフィンクはアブラハム・カイパー(Abraham Kuyper [1837-1920])をリーダーとする新しいオランダ改革派教会(Gereformeede Kerken in Nederlands)に移籍した。そして1902年から1921年に亡くなるまで、アムステルダム自由大学神学部におけるカイパーの後任者として、組織神学の教授であった。
政治への関心も強く、キリスト者たちの声を国会に届ける議員として活躍した。なかでも、1905年から1907年までは「反革命党」の(暫定)党首であり、また1911年には上院議長を務めた。
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バーフィンクの主著『改革派教義学』(Gereformeerde Dogmatiek)全四巻のオランダ語版全文が、ウェブ上に公開されています。
第一巻(1895年)
第二巻(1897年)
第三巻(1898年)
第四巻(1901年)