2010年11月23日火曜日

BARTH, Karl [1886-1968] (カール・バルト)

カール・バルト[Karl Barth 1886-1968]は、スイス生まれのプロテスタント神学者。



1886年5月10日、スイス連邦バーゼルに生まれる。



父は、スイス改革派教会教師でベルン大学神学部教授のフリッツ・バルト。



カールは、ベルン大学神学部卒業後、ベルリン大学、テュービンゲン大学、マールブルク大学に留学。



教師候補者の資格を得て、ジュネーヴのドイツ語改革派教会副牧師に就職。



教師として任職された後、ザーフェンヴィル改革派教会牧師に就職。



ザーフェンヴィルでスイス社会民主党に入党。労働組合を支援し、工場経営者たちと対立。教会内で牧師排斥運動が起こる。



その後は教会の牧師としてではなく、大学教員としてゲッティンゲン大学(アメリカ長老教会の寄付に基づく改革派神学講座担当教授)、ミュンスター大学、ボン大学、バーゼル大学の各神学部で教鞭をふるい、弁証法神学運動、「ドイツ教会闘争」の理論的指導者となる。



バルトの書斎から生まれる著作の数々が、20世紀の神学的状況をリードし続けた(仕事中の写真)。



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なかでも、多く版を重ねた主著『ローマの信徒への手紙注解』 (Der Römerbrief)と、9千ページ以上に及ぶ大著『教会教義学』 (Die Kirchliche Dogmatik) 全4巻(14分冊)は、あまりにも有名。また、「バルメン神学宣言」の執筆を担当した。



[オランダ改革派神学との関係]



オランダ改革派教会、とくにNederlandse Hervormde Kerk(国教会系)とGereformeerde Kerken in Nederlands(総会派系)の二大教団は、それぞれの内部で、バルト神学の受容をめぐって分裂した。



バルトの存命中、オランダにおいてバルト神学を強く支持したことで国際的に有名になった改革派教義学者は、国教会系(NHK)では、Th. L. ハイチェマ(フローニンゲン大学教授)とK. H. ミスコッテ(ライデン大学教授)である。



また総会派系(GKN)の教義学者G. C. ベルカウワー(アムステルダム自由大学教授)は、最初はバルトを批判する側に身を置いていたが、次第にバルト擁護の立場へとスタンスを変えていったことで知られる。



ファン・ルーラーは、フローニンゲン大学神学部在学中、ハイチェマ教授の下で教義学を学ぶうちに、いったんは「純血のバルト主義者」(本人談)となるが、在学中にバルト批判に転じ、その後は、オランダで最も有力なバルト批判者の一人に数えられるまでになった。