我々の方針は、きわめて簡明かつ具体的なものである。我々は「改革派教義学」というものを無の状態から創出する(creatio ex nihilo)のではなく、それの「改訂」を行っているという自覚のもとに執筆作業を進めていくのである。
日本キリスト改革派教会を足場にする神学を営む者たちにとって、この目標は理解しやすいものである。岡田稔著『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)がある。古くなったこの本を新しい時代に適した教本へと作り直せばよい。我々が取り組むべき課題は、より端的に言えば、岡田教本の全面改訂作業なのである。
岡田教本は従来のさまざまな教義学教本を参照しているが、その中で最も強く依拠しているのがアメリカのカルヴァン神学校で教えたルイス・ベルコフ(Louis Berkhof [1873-1957])の『組織神学』(Systematic Theology)であるということは明白である。このベルコフの教本の初版は『改革派教義学』(Reformed Dogmatics)というタイトルで出版された。そして、そのベルコフは自分の教義学教本をオランダの、特にヘルマン・バーフィンク(Herman Bavinck [1854-1921])の『改革派教義学』(Gereformeerde Dogmatiek)を参照しながら書いたのである。
つまり、事柄を単純化して言うならば、岡田教本の改訂作業に取り組む者たちは、岡田が依拠したベルコフの教本の土台とされたバーフィンクの教本を精読し、その長所と短所を見抜きつつ、問題点を克服し、今日的により説得力のある神学的表現を獲得していくという仕事を避けて通ることができないのである。
バーフィンクは、19世紀末から20世紀初頭までのアムステルダム自由大学で教義学を教えた人である。バーフィンクの分厚い書物が改革派教義学の新しい一時代を切り開いた。ただし、この本を読むことができるのは、オランダ語を理解できるごく少数の人々だけであった。
しかし、前世紀の終わりごろ、我々に朗報が伝えられた。バーフィンクの『改革派教義学』の全巻がアメリカの「オランダ改革派神学翻訳協会」(Dutch Reformed Translation Society)によって英訳され、全世界的に読まれはじめた。バーフィンク研究が国際的に展開していくのは、これから、すなわち21世紀以降である。
とはいえバーフィンクが1921年に亡くなった人であること、つまり、カール・バルト(Karl Barth [1886-1968])の全盛期を知らない世代の教義学者であるということは否定できない。神学思想史的に見て時代遅れの神学であると判断されても仕方ない。ここに「改訂」の必要性が生じる。
バーフィンクの立場を基本的に受け継ぎながらバルト神学との対話を試みたのは、アムステルダム自由大学における教義学講座の後継者ヘリット・コルネーリス・ベルカウワー(Gerrit Cornelis Berkouwer [1903-1996]) である。
ところが、ベルカウワーの主著『教義学研究』(Dogmatische studien)はバーフィンクの基本路線の中にバルトの言葉を入れ子にして全体を膨らましただけのようなものであり、ベルカウワー自身の神学を真に新しく展開しているものとは言いがたく、いくらか物足りないところがある。
我々が願っているのは、いみじくもベルカウワーが示してくれたように、バーフィンクにバルトをぶつけることによって「正・反・合」の弁証法的止揚が起こること、そのようにして真に新しい改革派教義学の展開が始まることである。
そして、ユニークさと斬新さにおいて他の追随を許さないのは、ベルカウワーと同時代に活躍したアーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー (Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の神学である。ファン・ルーラーが行った数多くの神学的問題提起が「ポスト・バルト時代の改革派神学」の新しい可能性を示した。ただし、62歳で亡くなったファン・ルーラーは、彼自身の体系書を書き表すことができなかった。断片としてのみ残っているファン・ルーラーの着想を体系化していく仕事は、彼の遺産を受け継ぐ世代の者たちに遺された。
このようにして、「改革派教義学」の今日的な課題に真剣に取り組んでいくこと、そして、その結実を日本の教会に紹介していくことこそが、我々の使命である。
しかしまた、外国語の書物を日本語に翻訳して紹介すれば事が済むわけではなく、日本の社会と教会の状況に応じた日本語の書物が書かれる必要がある。
(関口康日記の2008年1月15日の記事からの抜粋に加筆修正)