2010年11月7日日曜日

高橋哲哉先生、ありがとうございました!

東京大学 高橋哲哉先生



今日は本当に驚きました。今月45歳になる私の人生の中で、今日ほど興奮した日は数えるほどです。



今朝午前10時から午後2時すぎまで、松戸小金原教会の大掃除をしておりました。ひと段落ついて、奉仕してくださった教会の皆さんがお帰りになるとき、「あれ?関口先生、郵便物が届いていますよ。はい、どうぞ」と手渡してくださった方から受け取ったのは、「白澤社」から直送されたらしきクロネコメール便でした。



「ん、白澤社?どこかで見たことがある名前だな」と思い、郵便物を見ると「著者代送」の文字が。「・・・え?!」と胸騒ぎがして、大急ぎで封を開けました。



すると、その中には、「謹呈 著者」と記された付箋が差し込まれた最新の貴著、『殉教と殉国と信仰と 死者をたたえるのは誰のためか』(白澤社、2010年)と、「同封の書籍は著者・高橋哲哉氏のご依頼によりお手元にお届けするものです」と書かれた編集部からのお便りとが入っていました。



「えーーーーーーーー?!」と、30秒間くらい一人で叫んでしまいました。これはヤバいことになったと、そのとき初めて、すべての事情を察しました。今週火曜日(11月2日)本ブログに書いた拙文、「高橋哲哉氏の問いかけは正当である(キリスト新聞を読んで)」をお読みくださったのですね。そして、そこに「私は(貴著を)まだ手にしていません」と私が書いたことを憂いて(?)くださり、さっそくお贈りくださったのですね。



まさしく汗顔の至り、穴があったら入りたい思いです。ブログは恐ろしいと痛感。しかし、もはや後の祭り。高橋先生、本当にどうもありがとうございました!



まだ一度もお目にかかったことのない方からこれほど大きなご厚意をいただくことは滅多に無く、ただただ驚き、興奮し、感謝しております。



まことに申し訳ないことに、まだ4時間ほど前に受け取ったばかりの貴著でもあり、また職業柄、土曜日と日曜日を最も慌ただしく過ごしている者でもありますので、まだ拝読するに至っておりませんが、ともかくお礼を申し上げたく思い、この文章をしたためております。



本来でしたら当然、直接高橋先生宛てにお礼状を書かせていただくべきところではございますが、私はまだ(?)高橋先生がどこにお住まいかを存じませんし、メールアドレスも存じませんし、「東京大学」宛てに送るのもどんなものかと、あれこれ考え込んでしまいました。



また何より、ごく最近古本市場で入手した石原千秋氏の大学生の論文執筆法』(ちくま新書、2006年)の中で「(この方々の名前を知らない者は)文科系の大学生としてはかなりヤバい状況だと思う」(85ページ)と紹介されている錚々たるプロの批評家たちのリスト(トップ10名)の中に、先生の「高橋哲哉」というお名前が当然のように見つかるほどの、著名な公人であられる方から頂戴したご厚意です。



そのため、たいへん不作法なやり方とは存じますが、本ブログ上で(公に)お礼させていただくことにいたしました。



しかしまた、私のこの文章を読む不特定多数(事実は「不特定少数」ですが)の人たちの中には、「なるほどね。こういうやり方で著者からの謹呈を受けることができるのか。しめしめ」と悪知恵に思い至る人がいるとも限りません。そのような何か不穏な動きがある場合は本記事を即刻削除させていただきますので、遠慮なくダメ出ししてくださいますよう、心からお願い申し上げます。



ともかく、週明け以降となりますが、貴著を謹んで拝読させていただきます。



高橋先生、ありがとうございました。お元気でお過ごしくださいませ。



2010年11月6日



関口 康