2013年6月24日月曜日

「誰から勧められたわけでもない」のに「誰にも相談せずに」決めました

夕食後、気を失っていたのですが(ねてただけです)、

22時頃、電話で起こされて、

なんだか不自然な覚醒状態のまま、

ねむいような、ねれないような。

そういうときに書く文章はろくなものではないのですが、

あしたの朝にはもう忘れていそうなので

覚えているうちに書き遺しておきます(ゆいごん)。

考えてみれば、ぼくは

「誰から勧められたわけでもない」のに

「誰にも相談せずに」

決めたことが3回あるな、と気づきました。

それは

(1)洗礼を受ける決心(6歳)

(2)牧師という仕事をする決心(17歳)

(3)日本キリスト改革派教会の教師になる決心(31歳)

です(現在47歳)。

だから、ぼくは常に(過去の全人生において)

不安を抱えて生きてきました。

上記三つのことについては

「誰から勧められたわけでもない」ので(ホントです)

自分が「ふさわしい」かどうかが分かりません。

「○○さんが、○○先生が、

ぼくに○○を勧めてくださった”ので”

決心できました」

と語ることができません。

傲慢のキワミのような気がするんですよ、

「すべて自分で決めた」みたいな感じがして。

まあ、でも、人のせいにしなくて済む、という気楽さはあります。

だから、ぼくは感謝しています。

ぼくが洗礼を受けることと、

牧師という仕事をすることと、

日本キリスト改革派教会の教師になることを

ぼくに勧めて”くださらなかった”皆さまに感謝しています。

本当にありがとうございます。