夕食後、気を失っていたのですが(ねてただけです)、
22時頃、電話で起こされて、
なんだか不自然な覚醒状態のまま、
ねむいような、ねれないような。
そういうときに書く文章はろくなものではないのですが、
あしたの朝にはもう忘れていそうなので
覚えているうちに書き遺しておきます(ゆいごん)。
考えてみれば、ぼくは
「誰から勧められたわけでもない」のに
「誰にも相談せずに」
決めたことが3回あるな、と気づきました。
それは
(1)洗礼を受ける決心(6歳)
(2)牧師という仕事をする決心(17歳)
(3)日本キリスト改革派教会の教師になる決心(31歳)
です(現在47歳)。
だから、ぼくは常に(過去の全人生において)
不安を抱えて生きてきました。
上記三つのことについては
「誰から勧められたわけでもない」ので(ホントです)
自分が「ふさわしい」かどうかが分かりません。
「○○さんが、○○先生が、
ぼくに○○を勧めてくださった”ので”
決心できました」
と語ることができません。
傲慢のキワミのような気がするんですよ、
「すべて自分で決めた」みたいな感じがして。
まあ、でも、人のせいにしなくて済む、という気楽さはあります。
だから、ぼくは感謝しています。
ぼくが洗礼を受けることと、
牧師という仕事をすることと、
日本キリスト改革派教会の教師になることを
ぼくに勧めて”くださらなかった”皆さまに感謝しています。
本当にありがとうございます。