「自叙伝ツイート」と呼んでおきます。とくに脈絡はありません。
だけど、逆に言わせてもらえば、
ソーシャルで「自分のこと」を書くのを自主規制してしまうと、
書けること何が残るんだろ?と思いますけどね。
個人情報保護の観点からいえば、自分以外の人について、めったなことは書けない時代です。
唯一残るとしたら「公人の批判」かな。だけど、それだけに限定した使い方というのも味気ない。
というわけで、今日は自主オフ日です。気分はかなり逃避気味。デトックス。
自己中で申し訳ありません。
-------------------------------------------------------------
関口 康 @ysekiguchi
ぼくは相当すきま人生だと思ってきたけど、すきまの探し方に二種類あるとふと気づきました。その区別を字にするのは難しい。従来「ノーマル」とされてきた領域の外にすきまを見つける人もいるけど、ぼくはそうじゃない。月並みだけど「灯台下暗し」。陳腐すぎて誰も寄りつかないからすきまの宝庫です。
関口 康 @ysekiguchi
こういうの書くと、心理学とかやってる方には、ぼくの性格や背景などをすぐ見抜かれちゃうのかもしれませんが、ぼくは子どもの頃からほとんど常に、修学旅行とかに行くと、最後の一人が寝落ちするまで起きて話し、いちばん最後に寝るタイプでした。それが何を意味するのかは、ぼくには分かりません。
関口 康 @ysekiguchi
「根拠のない自信をもっていて、どうにもならないくらい高慢臭を放っているんだけど、生き方はヘタで行き当たりばったりな人」か、それとも「物腰ソフトなベビーフェイスで近づいてくるので軒先を貸すと戦術的・戦略的に根こそぎ母屋をもって行く人」か、どちらか選べと言われると、う~んどっちかな。
関口 康 @ysekiguchi
数ページならともかく一冊の本を翻訳するとなると、切れ目ない数週間・数か月の「作業に没頭できる時間と空間」が不可欠と痛感。毎週日曜日の説教をしている牧師は、翻訳は定期的に中断せざるをえない。両立できる人は、脳内の「メモリ」のサイズが相当大きいのでしょう。ぼくはすぐ固まっちゃいます。
関口 康 @ysekiguchi
質問を受けたのでそれに答えるべく話しはじめると、ぼくが話しはじめた途端、チラチラ時計を見る人がいる。それも一人二人ではなく、けっこういるような気がするので、質問を受けるたびに「もう答えまい」と決意する。ぼくの答え方が悪いんでしょうけど、そんなにつまんない?(汗)